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14.最後の二ヶ月

 翌朝始発で久我邸へと帰宅した。登校するための荷物に不足はなかったものの、久我の様子が気になって落ち着いていられなかった。

 ダイニングで朝食をとっていたところ、久我が現れた。しかし、窺うまでもなく、僕と目を合わせた途端に「朝練だから」と言って何も食べずに一人で登校してしまった。

 自己管理を徹底している久我は、朝練があっても必ず食事はとるはずで、時間的にも余裕だった。

 同じ空間にいるのも耐え難いなんて、よほど頭にきているらしい。


 そこまで腹に据えかねているのなら、同じ家にいないほうがいい。マンションへ帰ったほうがいいだろうと、思った。

 夕食を取るために下校時は久我邸へ行き、翌朝の食事を弁当箱に詰めてもらって、マンションへと帰り、そこから登校する。

 久我の体調を崩すわけにはいかないし、近くにいるのも嫌だというなら僕が出ていくのが当然だ。

 久我のためだけでなく、僕自身も久我のそばにいたくなかったから、ちょうどいいとも言える。

 三連休を二人で過ごしたことによって、それまで抱いていた久我に対する想いとはまるで変わってしまっていた。

 家族として以上の好意がないなんてのは真っ赤な嘘で、そうすべきだというだけであり、とっくに一線は超えてしまっている。

 僕の中で久我は、モデルでも義兄弟でもなくなってしまっていた。


 ただでさえ気味悪がられているというのに、同性から、しかも義兄弟で、さらには空気のごとくの僕なんかから特別な感情を抱かれているなんて知ってしまったら、怒るだけでは済まないだろう。

 どれほど嫌われようとも一応は義家族なのだから、母や義父のまえでは義兄弟として振る舞わなければならない。これ以上嫌われでもしたら、母がつらい想いをしかねない。久我が義父に訴えて、母の印象を悪くしてしまうかもしれない。そんな迷惑はかけられない。


 一ヶ月あまりが過ぎたある日、朝から久我の噂がささやかれ始め、半日と経たないうちに学校中へと広まっていった。

 久我に彼女ができたのだという、ビッグニュースだった。

 入学して以来初めての噂だったからか、校内はひっくり返るごとくの騒ぎとなっていた。

 どこを歩いてもその噂でもちきりで、耳を塞ごうにもあらゆる情報が入ってきた。

 相手は、うちの学校に匹敵するレベルの名門の生徒であり、皇族にも嫁げるほど名家の令嬢という話だった。

 まさにという感じである。王子の相手として申し分ない、お姫様。

 噂によれば、見た目的にもその形容が納得と言えるレベルの美貌らしく、見たことがあるという生徒によれば、お似合いどころか他の相手なんて考えられないくらい絵になる二人なのだそうだ。

 その噂は日増しに信憑性が強くなり、どこそこで見かけたなどという目撃談が、次々と口にあがり始め、見かけたことのない人のほうが少なくなっていった。


 そして遅ればせながら、僕もとうとう噂の両人を目の当たりにすることとなった。

 夕食の時間までを久我邸の自室で過ごしていたとき、トイレに立とうとして廊下に出たタイミングで、久我と女子生徒が久我の部屋へと入っていく姿を目撃した。

 一瞬だけ横顔が見えた程度だったから、どれほどの美人なのかまではわからなかった。ただ、シャンプーのコマーシャルのようにさらりとなびいた黒く長い髪からは、清廉さと品の良さが感じられ、聞こえてきた二人の楽しげな笑い声からは、親しげな印象を受けた。

 確かにお似合いなのだと察せられ、同時に、不思議な安堵感に包まれた。


 愛おしい彼女かできたのなら、彼女のことで頭がいっぱいになるだろう。さすれば、僕に対する怒りや不満などで頭を悩ませる余裕はなくなり、次第に存在すら薄れていくはずだ。そう思って、ほっとした。

 怒りが薄まろうとも、以前と同じようには過ごせないことはわかっていた。ただ、嫌悪に憎悪、さらには不快というトリプルコンボで嫌われているよりはマシだ。

 二度と見つめられないし、喋ることができないとしても、好きな相手から嫌われているというのはやるせないことだった。

 

 それからの日々は、夏休みに入るまで、変わらずの日常を送っていた。

 久我はバスケ部の高校総体予選で決勝まで進み、あと一歩というところで敗戦してしまったらしい。それでも、久我は抜きん出て上手かったと讃えられ、全国統一模試では上位一桁の成績を収めたこともあり、相変わらずの称賛を受けていた。


 僕のほうは、唯一の趣味であり特技であった絵がまったく描けなくなり、久我とも会えなくなったことで、以前とは違って死んだみたいに鬱々とした日々だった。

 久我と義兄弟になって二週間ほど経ったあたりから描けなくなり、そのままだ。離れたのだから描けるようになると思いきや、まるでだめだった。


 悲しくて、寂しくて、虚しくて、描くことができない。

 描こうとすると、久我を思い出す。

 描こうとしなければ思い出さないのではと、パソコンやペンタブをしまいこんでみても、だめだった。

 同じクラスで視界に入るからとか、噂を耳にしない日がないからという理由も関係なく、ただ、久我のことばかりを考えてしまう。

 以前よりも増して、しかも思い出すのは義兄弟として過ごしていたあの一ヶ月のことばかりだった。

 二度と戻らない日々を、何度も思い返してしまう。マンションにいると、二人で過ごした三連休を否が応にも思い出し、泣きたくなってくる始末だった。


 そうこうしているうちに、季節はいつの間やら夏へと変わり、学校は夏休みに入った。

 僕はそれを機に、久我邸へ帰るのをやめることにした。長期休みになり、通学という外へ出るための理由がなくなると、外出自体が億劫になってしまう、それは毎度のことだった。

 自炊をすればよく、買い物もネットでできるわけで、なんら不自由はない。

 久我の存在を気にして落ち着かない日々を送るよりは、姿をまったく見れなくなったとしても、過去の思い出とだけ対峙していれば済むほうがマシだと思った。


 そして、勉強をしたり漫画を読みつつ、なんとか忘れようと過ごしていたある日、突然母が帰ってきた。


「どうしたの?」

「……一時間前から櫻井に戻ったわ」

「は? ……てことは、また離婚したの?」

「……そういうこと。来週引っ越しのトラックが来るから、あんたは取りに行かなくてもいいわよ。……帰ってこなくなってたってことは、居づらかったんでしょ」


 久しぶりに見た母は、いつになくげっそりとしていた。

 両脇に抱えた荷物を自室へと運び、シャワーを浴びてからまたどこかへ出かけていった。

 おそらくバーかどこかへ飲みに行ったのだと思う。服装的にもそんな感じだったし、離婚したときはどちらが別れを切り出した場合でも、一週間は飲み歩くのが常だった。

 僕はしばし呆気に取られていたが、久我との会話を思い出し、思ったよりも早かった、と考えるだけで完結することができた。

 母のやつれた様子を見るに、おそらく久我の両親が寄りを戻したのだろうと推察した。

 だとしても、仕方がないことだ。

 愛は永遠に続くものではない。母からうんざりするほど学んできていたことなのだから、母のほうはなおのこと、身に沁みている話だろう。

 

 櫻井に戻った、ということは久我とも義兄弟ではなくなったことになる。

 義家族らしく過ごしていたのも最初の一ヶ月くらいだけだった。その後の二ヶ月は、単に食事をいただきに通っていただけで、義父ともろくに顔を合わせることもなく、些細な関わりしかなかった。

 そう考えるとおかしくなってきて、変なスイッチが入った僕は、一人で五分ほど笑い転げた。

 晴れ晴れとしたというのだろうか。

 世界で一人だけになったような気分で、誰にも縛られず、自由になれた気がした。

 親からのしがらみではなく、久我からのものがなくなった、そんな気分だった。


 母の言っていたとおり、翌週のある日、見知らぬ番号から着信があり、翌日の午前十時にトラックが参りますと告げられ、その翌日約束どおり荷物が運び込まれてきた。例のシャビーシックな家具やファブリックはどこにも見当たらず、マンションから運ばれていったものがそのまま戻ってきただけだった。新しく購入したものも中にはあったけど、それを含めて必要なものはすべて手元に揃った。

 と思いきや、ノートパソコンだけが見つからないのである。それからの三日間、何度となくチェックをしてみたが、どこにも見当たらなかった。

 久我が「兄のと同じ」と言っていたマシンだ。

 もしかしたら八神さんあたりが、久我のお兄さんのものだと勘違いをして、僕の荷物に入れなかったのかもしれない。

 もしくは引っ越しの作業中に行方不明となってしまったか、久我邸のどこかに転がっているままかもしれない。

 どこへ行ってしまったにせよ、パスワードを解除されれば久我の絵が山と出てくるあれを遺失物にしておくわけにはいかない。

 なんとしてでも見つけ出さなければならないものだ。


 ということで、夏休みに入って二週間以上引きこもっていた僕は、久我邸へ行くため久しぶりに外へ出たのである。

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