異世界は神を待ち侘びていない!
那蠍はさっそく異世界へ──行かなかった!
さまざまな準備と、超越者によって拡張された能力の確認が必要だ。
異世界の安全確認はその後である。
夏休み初日。
那蠍は電車を乗り継いで都内から出て、隣接する県のとある駅に降り立った。
時刻は夜の9時。
風通りの悪い駅前で、じっとりと熱い。
地方都市とはいえ東京都と隣接し、利便性の高いベッドタウンだけあって街は明るく人は多い。
だが、近年。ここは治安の悪化が懸念されている。
商店街には空き店舗が多く、落書きが目立つ。人口は多いのに、避けられる地域などもある。
那蠍はある目的のため、条件に合致する人物を探していた。
『主様。あのものがいいのでは?』
角短が肩の上で、小さな触覚で通行人を指さす。
買い物帰りらしい外国人だ。
「ダメだよ、そーたん。人種差別は」
『人種、差別?』
角短はなんのことかと、緑に輝く複眼が目立つ頭を傾げた。
高い知能と知覚を持つため人の個体判別はできるが、虫であるため人種といった差異を理解することは難しい。
「か、彼は道を歩いてるだけで、どんな人かもわからない」
不法移民や外国人犯罪が増えているとはいえ、角短が指し示した人がそうであるとは限らない。
仮にそうだとしても、そうであるなら《《利用しにくい》》。
那蠍が探している存在は、ほどよく善良でなく利用しやすい人物である。
差別とか抜きに、功利的判断で通行人は見逃された。
人ならぬ優越感を持つ那蠍は、元々人種差別の意識は低い。ないわけではないが、それは非常に他愛ないレベルだ。同時に人種差別をしてはいけないという言葉も、大変薄っぺらなその場限りの発言である。
『そうですか。差し出がましいこと失礼しました』
角短は以来、この件に関して口を出さなくなった。
那蠍は軽く休憩を挟みながら、夜の街を彷徨う。
その姿は家出少女にも見え、夏休み初日ということもあって、なおさらそのイメージがある。
日付が変わって1時間強ほど経った頃、ついに那蠍は条件に合う実験体を見つけた。
「み、見つけた」
人気が全くない夜の街。近年の予算不足で雑草が処理しきれていない公園の片隅で、遊具や公衆トイレに落書きをしている三人の男の姿があった。
『主、彼らですか?』
「うん、そう。このあたりを縄張りにしてる弱小グループ」
落書きには法則や所属があり、那蠍は前もってこの情報を仕入れてきていた。
グループ名は「剛腕」で、所属人数までは調べきれなかったが、マークや縄張りまではなんとか入手できていた。
防犯カメラが近くにないことを知っているのだろう。三人は悠々と落書きをしている。
だが、無警戒極まりない。
落書きしているメンバーはともかく、手伝っている太った男は面倒くさそうにスプレー缶を振っているだけで、見張りらしき痩せた男はスマホをいじってる。
警察の巡回や、敵対グループからの襲撃があったらどうするのだろうか?
他人事だが余計な心配をしつつ、那蠍のその三人に歩み寄る。
──気が付く様子がない。
さらに歩み寄る。
まだ気が付かない。
ここまでくると、那蠍自身の存在感が薄いのか、三人の警戒力の無さなのかわからない。
手を伸ばせば、痩せた男の背に届く距離まで、那蠍は接近に成功した。
「ウェヒヒヒ!」
思わず笑いだす那蠍。
「うわぁっ!」
「なんだッ!」
「おわ! びっくりした!」
三人の男は飛び跳ねるように、那蠍の笑い声に驚いて地面に転んだ。
「し、しまった。あ、あまりにも順調に近寄れたから、思わず笑ってしまった」
深夜1時すぎ、真っ暗かつ人気のない公園で、いきなり真後ろで不気味で変な笑い声をする少女がいたら誰でもびっくりする。
そういえば──と那蠍はある話を思い出した。
デートの待ち合わせ。先に到着していた女の子に声をかけようと、後ろから近づいたらいつまで経っても気づかれない。
つい調子にのって半歩背後まで忍び寄り、思わず笑い出してしまった男の子。
びっくりした女の子は、振り向きざまにガチなグーパンチを男の子に浴びせ、前歯を叩き折られた。
数ヶ月後、「あの時のあんた最高に気持ち悪かった!」と言われ、その男の子はフラれたという。
「ウェヒヒヒ。驚かせてしまいましたね、す、すません」
那蠍はこの話を思い出し、咄嗟に殴られても悪いのは忍び寄ったほうだなと反省して三人に謝った。
しかし、三人は驚いてすっ転ぶという間抜けな姿を見られ、相手が無害そうな少女と気がつき、驚きが反転して怒り出した。
「て、こ……こ、この、てめーっ! ふざけんなよ!」
「なんなんだよ、チビ! なんのつもりだよ!」
「っすぞ、テメーーっ!」
彼らが怒るのも当然だなぁ、と那蠍はこの罵声を甘受した。
「なんか用か?」
「びっくりさせんじゃねぇよ、クソチビ!」
激怒しているが、男たちの態度が少しぎこちない。
相手が意外な女の子で、対応に困っている様子だ。
ちょっと変わってはいるが、那蠍は美少女である。
体格の割に胸も大きい。
猫背で胸を隠すような体勢は、かえって谷間や大きさを強調する。
ましてや夏場で、今日の那蠍は薄着だ。
小さめのタンクトップで、肩出しで浅く着用するオーバーサイズの袖ないパーカー。
短いスカートからは白い素足が伸び、ほどよく健康的で、ほどよく無防備。
ほのかに蠱惑的な香りまでも、この美少女の身体から漂ってくる。
扇状的なスタイルに、世間知らずそうな美少女。それに加えて甘い香り。
正常な判断を失わせるものを、この不気味な少女は持っていた。
「……へっ」
「は、はは……」
「ふへへへへ」
三人の互いの顔を見合わせ、下卑た笑いをする。
時間も時間であり家出少女と判断した三人の男は、那蠍を取り囲む。
「ウェヒヒヒ……。なんですか? 気持ち悪い笑い方ですね」
いや、彼女も相当に気持ち悪い笑い方だ。しかも常時、普段から、毎日、おはようからおやすみまで、なんなら寝顔も薄ら笑いで、寝言も「ウェヒヒヒ」と寝笑いも気持ち悪い。
三人は、那蠍に挑発されて、覚悟を決めるように互いを見合わせ頷く。
実のところ、彼らはそれほど悪辣なグループではない。
もしも那蠍がただここに現れただけで、通報などもしなければ見逃しただろう。
しかし驚かされ、挑発までされて、紳士でいられるほど彼らは善人ではない。
いや紳士であっても怒る人は怒るだろう。手は出さないだけで。
太った大柄の男が、那蠍の肩に手を回す。
童顔だが体つきだけみれば、大人にも見える那蠍に、男たちは欲情していた。
(私みたいな12歳の子供に、とんでもないロリコンですね)
那蠍は自己評価が低いわけではないが、さすがにこの展開はあまり予想してなかったと困惑した。
しかし、予定に変更はない。
「ウェヒヒヒ…………、ヒヒ」
ここに至って、不気味な笑いを見せる那蠍を見て、痩せた男は背筋に冷たいものを感じた。
「な、なあ、こいつ。幽霊じゃないよな?」
「ん? なにビビってんの?」
痩せた男の同意を求めたいが、そうであってほしくないという探る発言を、太った男は一笑する。
なにしろ実際に触れることができてる。夏の暑さでほんのり汗ばみ、いい匂いまでする少女が幽霊であるわけがない。
「ウェヒヒヒ。ゆ、幽霊ですか。いずれ、作って配置してみたいですね」
「なにいってんだ、こいつ」
さすがに太った男も、この女、頭おかしいんじゃないかと思い始めた。
正解だ。
那蠍は頭おかしい子だ。
だが、危険性にまで気が付く様子はない。
「なあ、お前さぁ。ノーブラなの?」
肩に手を回し、那蠍に寄りかかる太った男は、谷間を覗き込んでそんなセクハラ発言を投げかける。
しかし、彼は気が付いていない。
体重90kgを越える体で寄りかかっているのに、少女の身体が微動だにしていないことに。
「ウェヒヒヒ……、着けてますよ。下に水着を」
「いや、なんで水着やねん。プールの授業でもあるんかい」
妙な切り替えしと、意外な事実に太った男のツッコミが入る。
漫才みたいだな、のっぽの男がそんなことを考えた次の瞬間。
那蠍の胸を掴んだ太った男は弾き飛ばされて、のっぽと痩せの視界から消え去った。
「な、な、なな?」
「ふへ、ウェヒヒヒ。お相撲さんもびっくりのパワーですね。あ、こんなどうでもいい実験はいいんです。ウェヒヒヒ……、し、身体能力はジムで調べてきましたから」
独り言なのかなんなのか、意味のわからない発言に痩せた男は狼狽える。
「こ、こいつやべぇって」
「ウェヒヒヒ、はい。やべぇです」
端然とした那蠍に気圧され、痩せた男が半歩下がる。その肩を掴んで、横にのける影があった。
吹き飛ばされた太った男が、せき込みながら立ち上がってきたのだ。
「ごほ……、ぐ、ちっくしょう……」
突き飛ばされたが太った体型もあって綺麗に転がり、公園の植え込みがクッションとなってダメージが少なかったのだろう。
太った男は目を回しながらも痩せた男を押し退け、猛然と駆け寄って那蠍のパーカーの胸元を掴んで引っ張った。
那蠍は一言。
「触るな」
「……っ! ぐ、ぐわあああっ!」
太った男の手に激痛が走り、肘関節が捩れるようにしてその場に横転する。
地面に転がって、痛みに悶える太った男を見下しつつ、引っ張られて着崩れた服を直し、肌けた大きな左胸をタンクトップへ収めた。
「ウェヒヒヒ……。【触るな】の設定は痛いという程度に設定したのですが…………、ど、どうやら余計な効果も出てますね」
明らかな異常事態。
格闘技とか、合気道とか、柔術とか、そんな話ではない。
のっぽの男は呆然とし、痩せた男は逃げ出すか仲間を助けるか悩んでキョロキョロとしている。
「ウェヒ、ウェヒヒヒ……。いい……いいですね。仲間を置いて逃げないのは、私的に好感度高いですよ」
那蠍が一歩進むと、のっぽと痩せは二歩下がる。
「そんなに怖がらないでください。な、なんでしたら、あなたたちを私の仲間に、そして力を与えてあげますよ」
いったいそんなことするバカは、どこの作者なんだ!




