魔女はドロップしてしまった!
「この森で、なにが起こっているんだ……」
カジミェッシュ王国の西に位置する深い森の中。
この森を所有する領主軍に所属する斥候のトロンビは、弓を片手に森の中を進んでいた。
森林貴族とも、大森林公とも呼ばれるラドヴィライティス公の森、その奥地。
薄暗く下草も藪もない。
腐葉土がうず高く積もる中をトロンビは慎重に足を進める。
彼は部隊の仲間たちとは逸れてしまった。
警戒心より、仲間を探す依存心が打ち勝ちそうな状況。
トロンビは小型弓に残り少ない矢をつがえつつ、警戒しながらすっかり変わってしまった森を進む。
「ヴァラカンベイの蛮族かと思ったが……」
ここ10日ほど、深い深いこの森の奥で、妙な目撃情報が続いていた。
やたら大きい狼がいただの、ツノが巨大なシカがいただの、樹木を倒して木の実を食べている巨大なクマがいただのと。
通常、この森の奥に侵入する者はいない。
森は領主の所有物であり、認められた者でもないかぎり、狩りをしたり木を切ることは許されない。薪の一本ですら勝手に持ち出せば、罰金や労役がある。
森の奥へと侵入するものは、大部分が密猟目的だ。
誰もいない森の奥で、捕まえた獲物を加工して持ち出せば、密猟であったことを見抜くことは難しい。
目の届かない広く深い森ということを利用して、奥地に加工用の小屋を作っていた密猟者もいた。
小さな集落を作ってしまっていた密猟集団ですら、昔はいたという。
森の奥地の目撃情報など、そんなやつらの噂だ。
噂話など信用に値しない。
だが、領主は北の蛮族の侵入を警戒して、斥候部隊を森の奥地へ送ることを決定した。
北の蛮族ヴァラカンベイは、クマの毛皮をかぶって戦いを行う。
たぶん、その姿で斧を使い木を切り倒している姿を見て、前記したような見間違いが起きたのだろう。
ヴァラカンベイは蛮族のわりに、比較的話が通じる。
もう領主の軍が嗅ぎつけたのだから、密猟はやめろ。今回は見逃すから持っている獲物の半分を置いていけ、と警告すれば大体解決できた。
そして領主にはこう報告する。
「やはりヴァラカンベイのやつらでした。警告後に戦闘となり、これを追い返しました」
……と、なるはずだった。
斥候部隊の誰もがそうなると考えていた。
森の木々を薙ぎ倒す巨大なクマと、実際に遭遇するまでは。
斥候部隊に支給されている弓は、森の中で使う前提で取り回しを考えた小型弓だ。
せいぜい皮の鎧や、毛皮を着た人間相手を想定している。
そんな弓では、普通のクマでも牽制にしかならない。
そして小屋のように巨大なクマ相手では、針ほどの効果もない。
斥候部隊はクマの襲撃を回避するため、バラバラになってしまった。
「隊長とあいつらのことだから、無事だとは思うが…………」
心配もしているが、それ以上に信頼がある。
だが合流できない場合、一人で野営をして、あのクマの襲撃に怯えながら森の中を帰ることになる。
「ぞっとしないな」
奥地とはいえまだ帰り道はわかる。しかし、最低でも一夜を明かす必要がある。
通常の野生動物であれば、なんとかなるが、それでも一人では満足に休憩もできない。
トロンビは自然と、人の気配を探すようになっていた。
斥候の仲間たちも、同じように互いを捜しているはずだ。
痕跡を残しつつ移動していけば、かならず出会えると信じて移動していく。
「……っ! 足跡!」
深く積もった腐葉土を、鬱陶しく足で蹴って歩いたような跡があった。
素人の歩き方だが、斥候の仲間がわざとやったというなら納得できる。
今回は戦争や密猟者相手ではない。
人間らしい痕跡は、まちがいなく仲間が残したに違いないと、その痕跡を辿った。
トロンビは追跡の途中、痕跡の主が仲間でないことを悟った。
道中、無警戒に立ち止まって、意味のない植物の採取を行った様子がある。
これが薬効のある植物ならわかるが、薪にもならない細い枝先をわざわざ刃物で切り取る意味がわからない。
「密猟者……いや、迷子? それでも意味がわからない」
森の外縁部に住む村の住人が迷い込み、道標にしたとしても痕跡が小さすぎる。
疑問を抱きながら足跡の先に目を凝らすと、果たして謎を残した存在を発見した。
黒い髪の少女だ。
深い森には不釣り合いなことに、手足の肌を晒すような軽装で、ふらりと森遊びにきた街娘のような子。
さきほど切り取った小枝だろう。
小枝の先には虫の繭があり、それを頭上にかざしてわずかな日光に透かして見ている。
まるで町娘が憧れの男性から貰った花を愛でるように、貴族の令嬢が恋人から贈られた宝石を眺めるように、うっとりと紅潮した微笑ましい笑顔。
その可愛らしい笑顔は魅力的だが……だからこそ、この深い森の中では異様だった!
「おい、娘! ここでなにをしている!」
緊張に耐えられず、トロンビは弓を構えて少女に声をかけた。
少女の可愛いらしい顔から楽しげな微笑みが消え失せ、不気味に口角が釣り上がる不気味な笑みへと変わり果てた。
「ウェヒヒヒ……。こんな人里離れたとこに、人が?」
「それはこっちの言い分だ」
森はすべてラドヴィライティスの所有物である。
勝手に薪のための小枝一つも持ち出すことは許されない…………いや、今はそれは問題ではない。
「娘! どうしてこんなところにいる? 他に誰かいるのか? どうやってこんな奥にまできた!」
「失敗した。ウェヒヒヒ。た、探索とか警戒の能力とかないからなぁ……」
言葉は通じるようだが、会話が成り立たない。
相手は独り言を言っているようだ。
警告のため、トロンビは矢を放った。
あと4本しかない貴重な矢だが、この警告で少女が素直になれば回収ができる。
矢は見事、少女が持つ小枝を撃ち抜いた。
──少女の持つ気配が、激変する。
「……よくも」
不気味な笑みから、笑みが消えて不気味さだけが残った。
少女の長く黒い乱れた髪が、さらに乱れるように蠢く。
いや、それは髪ではない。
長い髪に紛れて、少女の腕より太く足元まで伸びる巨大なムカデだった!
歴戦の斥候兵であるトロンビだが、そんな彼でも次矢をつがえる指先が震えた!
「きさまがっ!」
「誰がっ!」
トロンビが叫び、少女が応じるように答えるが、もはや会話がなりたたない。
かたや恐怖から。
かたや怒りから。
少女が腰のベルトから、大型のナイフを抜き放った。
見慣れた武器を見て、見慣れぬ化け物への恐怖が薄らぎ、矢をつがえる手がいつものように動いた。
狙われる前に、少女は滑るようにトロンビの右へと回り込んでいく。
(こいつ! 弓への対策を知っている!)
弓を左手で持ち、矢を右手で引くという理由から、右へ右へと回り込む相手へは狙いにくい。
これを知っている者は、弓を日ごろから扱う者か、戦慣れしている兵くらいなものだ。
だが、トロンビもただの斥候兵ではない。
この手への対策を知っている。
馬鹿正直に右へ体を、追うため捻るのではない。
後ろへ跳びながら、さらに左へ体を捻って回転!
こうして回り込みすぎた少女が、真正面となる。
トロンビは着地と同時に、不気味な少女へ向けて矢を放った!
銀の閃光が円を描いて交差する──。
我が目を疑うトロンビ。
少女の眼前で、矢が裂けてばらばらとなり四散した光景は、トロンビにとって驚天動地の事態だった。
「両手のナイフで、矢を……割いただと!?」
切ったのではない。
左右からナイフで矢を巻き込み、矢をバラバラに引き裂いてしまった。
「ウェヒヒヒ……。まさか異世界で、巴与願施無畏の相の太刀を使うなんて思わなかった」
その構えは、不気味な少女に相応しい異様さだった。
右手のナイフは肩の高さで、顔の横でやや前に。
左手のナイフは腰の高さで、素肌をさらす左足の横で、やや前に。
しかも両方とも、ナイフの腹部分をこちらに見せている。
通常、刃や剣先を相手へ向けるはずなのに、少女のその構えは……。
「守りの、構えか……」
「ウェヒヒヒ……。怖……。わかるんだ……」
そう、トロンビはわかる。
少女の構えが守り中心であることを。
そしてトロンビが矢をつがえ、一発撃つことはできても防がれる。次の矢をつがえているあいだに、距離を詰められて……。
二本の大型ナイフによって切り裂かれる光景が脳裏に浮かび、ゆっくりと矢筒へ伸ばそうしていた右手の先が震える。
(そもそもなんだ、あのナイフ……)
ジッと見つめてわかる大ぶりのナイフの見事さ。
ナイフの刃にも腹にも、一点の曇りも歪みもない。
混じり物がないという表現ではとどまらない、まさに鍛え抜かれ磨かれた鏡だ。
腹を見せていることで、浅く握られたナイフの柄もよく見える。柄の象眼は精巧極まりなく、左右ともに鏡合わせのように同じ模様だ。
よく見れば、色合いこそ地味だが、着ている服が尋常ならざる艶を持っている。
どうやって染めているのか、いやそもそも織られた糸がいかなるものかも想像できない。
(ただの密猟者、ましてや迷子や薪泥棒じゃない……。ヴァラカンベイの蛮族や、ネリス王国の密偵なんかでもない……)
「あ、あんた、何者だ?」
時間稼ぎのため、話しかけた。
仲間が異常に気が付いて、こちらへやってくることを望みをかける。
「ウェヒヒヒ……。いきなり撃ってきてそれですか? わからないで撃ってきた?」
答えてくれないかわりに、正論をつきつけられてトロンビは返答に窮する。
「…………も、もうしわけない。貴殿はどこかのご令嬢であるか?」
矢筒から手を戻し、わずかに敵意がないことを示す。ほんとうにわずかだが。
あの大きなムカデも、何かの見間違いだったのかもしれない。
疲労からありえない幻でも見たのかも、とトロンビは冷静となっていった。と、同時に問答無用で矢を撃ってしまったことを後悔した。
「あ。もしかして通行も、ご法度?」
「カジミェッシュの民であれば、法に触れんが……」
「ウェヒヒヒ……。困った。違反した場合は?」
やはりか。
少しトロンビは安心した。
「罰金か、鞭打ち刑となっている」
「ウェヒヒヒ、それはやだ。こっちのお金ももってないし」
少女の気配から、敵意が薄らいでいく。
その時、空を裂く音。
四本の矢が同時に飛来した。
不意打ちの矢は、少女の体を射抜く……はずだった。
まったく反応できていない少女の髪から、二匹の大きなムカデが身をくねらせて飛び出し、四本の矢を打ち払ってしまった。
少女は髪から身体を出したムカデを引き戻しながら、構えを解かずに森の奥へと引き下がっていく。
「やはり、そいつも化け物か! 大丈夫か、トロンビ?」
トロンビの仲間たちが現れた。
四人のうち三人はまだ潜んで矢を撃っているようで、姿を現したのは一人だけだ。
この牽制の矢を、少女はナイフでなんなく切り払って下がっていく。
「なぜ撃った!」
「なにを言ってる。どう見ても、お前は窮地だったろ?」
確かに、とトロンビは反論できなかった。
近接戦闘の距離で、矢筒に手が届いていない。
ナイフは持っているが、落とさないように、そしてぐらつかないよう体にぴったりと縛っているためすぐには抜き出せない。
はたから見れば、今にもトドメを刺されそうな状況である。
しかも少女から、奥の手のように髪から飛び出してきたムカデの化け物。
どう考えても、トロンビは絶体絶命の状態であった。
少女は先ほどの守りの構えを万全に生かし、数歩づつ下がっていき、やがて藪の中へと消えて行った。
「逃すな!」
斥候隊長が命令を下す。巨大なクマより組みやすいと考えたのだろう。
しかし、トロンビから見て右手の木々から悲鳴が上がった。
「ぐわっ!」
潜んでいた仲間の一人だ。
隠れていた幹から身を出して、手を抑えていた。
「大丈夫か!」
「う、腕を蜂に、蜂に刺された!」
偶然か?
たしかにハチの巣のある藪へ踏み込んで、刺される可能性はある。
だが、このタイミングで?
「ぎゃあっ! は、蜂だ! こっちも蜂がいた! いや、アブだ!」
左に展開していた仲間からも悲鳴が上がった。
左右に、蜂の巣が、偶然に?
いや、片方はアブか。
ありえない。
あの大きなムカデ、そして潜んでいた蜂とアブ。
「まさか、あの、女の子が?」
トロンビは少女を犯人だと思った。
しかし同時に化け物という印象は、薄らいでいくばかりだった。
なんというか──、少女が持っていた枝を矢で射抜いた時、彼女がみせた脅威さが、今はまったくないのだ。
誤解を解けば、話あえるのではという甘い考えすら、トロンビの脳裏に浮かんでくる。
「怪我を確認しろ」
隊長とトロンビはそのまま動かず、残っていた一人が二人の怪我を確認する。
「アーポスは平気ですが、デアロテスの右手は腫れて弓は無理です」
簡潔な報告の声が聞こえてきた。
アブに刺されたほうは問題ないが、蜂に刺されたデアロテスはほぼ戦力外。
「隊長、下がりましょう」
「いや、追うぞ。トロンビ、右へいけ」
このままではクマに追い返され、蜂にさされて逃げてきただけになると隊長は考えたのだろう。
隊長が追跡を開始したため、トロンビは命令に従って右へと展開した。
「…………あ、右は」
早足で進みながら、トロンビは気が付く。
さきほど、あの少女は弓で狙いにくい方向へと逃げた。
今回も同様に追跡から逃れながら、弓への対策としてトロンビたちから見て右へ右へと進む可能性がある。
もしかしてと思って突き進んでいたら、互いが藪から飛び出したとき、トロンビと少女が鉢合わせとなった。
「あ、おまえ」
「ウェヒヒヒ、びっくり……」
あまりびっくりしている様子がないが、少女は大きな胸を隠すように丸まっている……が、ナイフは両肩に担ぐ形となっていた。
両手を交差させれば、トロンビを切り裂ける体勢である。
「……斬らないですよ」
少女はトロンビの警戒に気がついたのか、ナイフをだらりと下げた。
「ウェヒヒヒ。私は魔物の調査にきただけ」
「ま、もの? 怪異のことか?」
「かいい? ああ……どの国でも魔物って言葉で共通化させる必要もあった、ウェヒヒヒ」
トロンビには、イマイチ彼女が何を言っているのか理解できなかった。
「とりあえず、あなた以外は、私に敵意があるみたいだから、もう帰るね」
そう言った瞬間、彼女の背後が光始め──
タンッ────と、なんの気配もなく、少女の豊かな胸の間に矢が突き刺さった。
「あ……」
「あっ!」
よろめき、光の中へと消えていく少女に、トロンビは思わず手を伸ばした。
倒れそうになった少女が、光に半身が呑まれた状態で立ち止まり笑った。
「罰金の代わり」
そう言って少女はナイフの腹を持ち、柄をトロンビへと差し出した。
無意識に、ゆっくりと、ナイフの柄に手を伸ばし……受け取る。
「ウェヒヒヒ。またね……」
少女は光の中へと消えて行った。
直後に、隊長と仲間たちが飛び出してきた。
「やったぜ! 俺の矢で化け物を倒したぞ!」
「よくやった、アーポス!」
「おい、トロンビ! それ、すっげえ。なんだよ、そのナイフ!」
「ラドヴィライティス様だって……いや、バワディス陛下だってこんなのもってねぇぞ!」
仲間たちから話を聞いてみると、光の中からナイフが落ちてきて、それを受け止めたように見えたようだ。
きっと角度的に、光を背にした少女が手渡しているように見えなかったのだろう。
「……森に踏み入った罰金代わり、か」
興奮している隊長たちと違い、トロンビは心穏やかだった。
「これでラドヴィライティス様にも良い報告ができる」
隊長はナイフを戦果と捉え、これを献上するつもりのようだ。
実際、彼女は罰金代わりだと言ったので、これが領主ラドヴィライティス公爵の手に渡るのは妥当で、必然で、当然だった。
────後日。
巨大クマと謎の少女の報告と共に、このナイフを受け取ったラドヴィライティス公は、トロンビたち斥候隊を英雄のように褒め称えて褒美まで下賜した。
目利きの武器商人や鍛冶屋の鑑定によると、ナイフの品質は王国の宝剣を超えるとも評された。
柄の象嵌ですら価値は計り知れず、ナイフの刀身に至っては神話の領域とまで言われる。
特に鏡のような刀身は、日の光を反射して邪気を払うなどとも国内で評判に上がるほどだ。
これにより、森の魔物を倒すと、素晴らしい武器が落ちると噂が広がるようになった。
こうして…………はからずも、魔物を倒すとドロップ品が出る。という認識が異世界に広がることとなった。
那蠍、まさかの達人……か?




