男爵ハビエル
1週間後、ジェマは朝から〈チェリッシュ〉の入り口前に立っていた。
「品出し、オッケー。お会計、オッケー! よし、開けるよ?」
「ああ。やっとだな」
「ピピィ!」
ひと月ぶりの新装開店。ジェマは〈チェリッシュ〉の看板を掲げ、入口の開店札を回す。
「今日からまた頑張ろうね」
「ああ。店番は我らに任せろ」
「ピィ!」
ようやく戻ってきた日常。ジェマが作業室に籠っている間にジャスパーとジェットが店番をして。
なんて、そんなわけにはいかない。
「ジェマ、これワンスタックくれないか?」
「ジェマちゃん、前に買ったこれが壊れちゃったのよ。修理できるかしら?」
新装開店とあって、街から人が押し掛けた。中には〈チェリッシュ〉には初めてやって来る客もいる。どうやらこの1か月の間に〈エメラルド商会〉で〈チェリッシュ〉の商品に出会って虜になった人たちがいるようだ。
「はい、ただいま!」
ジェマがバタバタと働く姿を、ジャスパーとジェットは棚の上にちょこんと座って見物。物が勝手にふよふよと浮くところを見せるわけにもいかない。ジェットの小さな身体は人混みの中で踏み潰されかねない。
「大変なことになったなぁ」
「ピピィ……」
人がたくさん集まることは、店として悪いことではない。むしろ大歓迎するべきこと。売上もかなり良く、スレートが亡くなった直後の閑散とした状況に比べればずっと良かった。
「まあ、これでもスレートが店を切り盛りしていたころに比べれば、客の数は少ないがな」
ジャスパーの言葉にジェットはくりくりとした目をさらに丸くする。
「別に、毎日がこんな賑わいだったわけじゃない。でも、一定数の客が店に顔を出して、何通も手紙やら宅配が届いてな。新しい道具の作成依頼やら修繕以来やらを受けていたってわけだ」
「ピピィ……」
ジェットはなるほど、と2本の脚を組んでうんうんと頷く。その人間じみた仕草に、ジャスパーは思わず笑ってしまう。アラクネ種は素材の宝庫でありながら、やはり強力な魔物の一種でもある。集団戦を得意とする魔物でありながら、個々の能力も高い。
旅の途中で出会ったアラクネ種の長老たちが相手になれば、きっとジェマも苦戦する。それだけ強力で、本来ならば魔物らしく人間への敵対意識も強い。出会えばバトル、それが冗談ではない。
エレメンタルアラクネの存在は多くは確認されていない。だからその生態についてのデータもほとんど存在しない。けれどここまで人間に懐き、適応する個体はいないだろうと、ジャスパーは苦笑いを浮かべた。
ジェットはジャスパーのそんな様子に首をくりんと傾げたけれど、またすぐに忙しそうに動き回るジェマに目を向けた。
「昼が近くなったら、美味しい昼ご飯を作ってやろう」
「ピッ!」
「ああ、手伝ってくれ」
ジャスパーはジェットのふわふわした頭を撫でてやる。そしてまた店内に視線を戻して考え込む。
「もしもどんどん客が増えるようなら、手伝ってくれる人が一人くらいいても良いかもな」
「ピピィ?」
現状はジャスパーとジェットがお手伝いしているものの、この賑わいではジャスパーとジェットは手が出せない。本格的にジェマの手が回らなくなる前に誰かを雇うべきか、と考えを巡らせる。
「まあ、まだ先の話だろうけどな」
ジャスパーはふっと笑ってくるくると立ち回るジェマを見つめる。忙しそうにしながらも、その表情は明るく楽しそうだ。特に商品の説明をする顔つきは明るい。
「ピッピ?」
そのとき、ジェットがいつもとは違う声を上げた。ジャスパーは不思議そうにジェットを見る。
「どうした?」
ジェット自身にもよく分かっていない様子。店のドアを開けたのは、ハナナによく似た男だった。
「なんだ、ハナナ……とは違うな」
ジャスパーも首を傾げる。ハナナとそっくりではありながらも、全くの別人だ。
「ハナナの兄弟か?」
ジャスパーはそう呟いて、すぐに眉間に皺を寄せた。
ハナナの兄弟であるとするならば、すなわち暗殺者ギルドに登録をしている情報屋兼暗殺者だ。こんなに人が集まっている中で何かをするとは思えないものの、暗殺者というのは時に予想もできないことをやってのけることがある。
「ジェット、ここにいてくれ。何か起きれば、客たちを影に隠して守るんだ」
「ピッ!」
ジェットは注意深く男を見つめる。ジャスパーはジェマの肩に飛び移り、男を警戒する。
ジャスパーの魔法よりも、ジェットの糸の展開の方が早い。客の安全を確実視するなら、ジェットに任せる方が確実だった。
一方で、ジェマの反射神経も凄まじい。シュレッドと対峙したときも、プロの暗殺者相手に引けを取らなかった。スレートの教育の賜物とは言えど、流石にただの道具師ができる範疇を超えている。
もしも攻撃されたとしても、ジェマが攻撃を回避している間にジャスパーとジェマの魔法の準備が完成する。
そして万が一ジェマが攻撃に対応しきれなかったとしても、ジャスパーには奥の手がある。五柱の精霊というのは、伊達ではない。
「ジャスパー?」
不思議そうにしているジェマの肩で、ジャスパーはジッと男を見据え続けた。




