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シヴァリーの拳がそっと開かれたとき、ラルドは慎重に問いかけた。
「シヴァリーのケリーっていう苗字は、その農家の人の苗字?」
「いや。元々父が名乗るはずだった苗字だ。私が騎士になり、小隊長を任されるようになったときに苗字を変えた。両親と一緒にな」
シヴァリーは悲し気に微笑む。苗字を戻して、何が変わったわけでもなかった。
「誰も覚えていない。無くなった領地のことや、亡くなった人間のことなんて。学ぶのは、記憶にあるのは、ただ戦勝という言葉だけ。覚えているのは、家族や友人だけだ」
それも、日が経つにつれて減っていく。記憶が失われていったから、シヴァリーは苗字を取り戻すことができた。けれどそれは、同時にシヴァリーの曽祖父、祖父、祖母、そして失われた領地と民の存在が国の中枢から消え去ったことを意味していた。
「私は、ただ縋っただけだ。幼少期に周りの大人たちから聞かされた祖先の英雄譚に。語り継がれるような英雄になりたかった。だから、剣を握った」
シヴァリーは床を見つめる。古い木目は黒ずみ、どこか焦げたような風合いをしている。シヴァリーも知らない戦火は、どんな色をしていたのだろうか。
「だが、今は違う。この剣で、守りたいもの全てを守ると誓った。家族や、大切な人を守るために私は強くなる。力があれば、失うこともなかったはずだから」
ラルドはシヴァリーのどこか恨みがましい背中を見て眉間に皺を寄せた。そして、バシッと力強く叩いた。
「何言ってんだよ」
声に若干含まれた怒気。シヴァリーは驚きのあまり呆然とラルドを見つめた。
「何って、何が」
「お前が、認めてやれよ。せめてお前の父親だけでも守ろうとしたんだろ? お前の爺さんもひい爺さんも、立派な英雄だろ。それがなかったら、お前はここにいないんだぞ?」
シヴァリーは言葉を失った。そして、また視線を床に落とす。生きたまま焼かれた身体は、どれほどの痛みに焦がされたのだろうか。
「確かに、戦いには負けたかもしれない。でも、大切なものを守ろうとした背中は、今お前が目指しているものそのものだろ? だったら、誇ってやれよ。誰に忘れられたって、お前だけでも、覚えていてやれよ」
ラルドの瞳には涙が滲んでいた。別に自分のことではない。聞かなければそんな歴史があることさえ知らなかった。けれど、自分の大切な家族を自分で愚弄する姿は我慢ならなかった。
手を動かしながら2人の会話を聞いていたジャスパーは小さく笑う。時に、長く生きていない者の方が純粋な目で世界を見ていることもある。綺麗事と嘲笑われても、その綺麗な瞳にしか見抜けないものがある。
そしてそれは、親の背中を追いかけ、その親からの期待を一身に背負ってきたラルドだからこその言葉だ。ようやく生まれた長男として、後を継ぐことが当たり前の環境で育った。エメドにその気がなくても、周囲の反応を見れば何を望まれて生を受けたかなんてすぐに分かった。
そのプレッシャーに押し潰されそうになりながらも必死にもがいた。天才とも言われた父の背中は大きくて、認められるために必死に学んだ。尊敬と、嫉妬の間で何度も苦しんだ。
「恵まれた環境で育った奴に、何が分かる」
シヴァリーは、思わず言葉にしてしまった。ハッとしたけれど、もう後戻りはできなくてラルドに背を向けた。
「全てを独学で学ぶしかなかった。失ったものを取り戻すために、本当にこのやり方であっているのかを教えてくれる人もいなかった。それでも、必死にやってきたんだ。やっと、騎士として認められたんだ。恨みは、私の原動力だった。ああはなりたくない。だから、やってやろうと藻掻いた」
恨みから始まる努力が昇華されることは、まずない。その先に光を見つけ、それを成長の理由にしたからこそ、努力が明るく実ることになる。
「それは、最初だけじゃないですか?」
ジェマは黙々と作業をしながら声を掛ける。聞いていたのかも怪しかったけれど、ただ邪魔をしないようにしていただけだった。
「私は、道具師になることや父の背中を超えることは、昔からの目標でした。でも、道具師になりたてのころは、もう1つの目標を持っていたんです。父を殺した盗賊に復讐をすると」
思いがけない言葉に、その場はシンと静まり返った。ジャスパーも、手が止まる。気が付いていた。けれど、見て見ぬふりをし続けたから。
「そのために、父が嫌った武器の制作にも力を注ぎました。でも、ある時気が付いてしまったんです。武器を手にした人の笑顔と、装飾品や日用品を手にした人の笑顔の違いに。私が見たかったのは、どっちだろうと、ジッと考えたんです」
武器を手にしたときの、残忍さや目標へ近づいた喜びに震える暗い笑顔。そして、未来を望む明るい笑顔。何もかもが、違っていた。
「恨みは、原動力になります。でも、最初だけのことです。次第に、空しくなって、迷って。それで、何度も考えて。いつか、受け入れてしまいます。恨みが残っていても、継続的な行動の理由としては、曖昧になります」
ジェマは重たい空気を吹き飛ばすように、カラッと笑ってみせる。
「まあ、きっとその盗賊が目の前に現れたら、衝動が勝って殺しちゃいますけど」
笑顔には似合わない言葉。シヴァリーは俯き、ラルドは心配そうにジェマを見つめた。ジャスパーは、ただ強く、蹄を握りしめる。
「ピピィ」
空気の重さに耐えかねたジェットは、床板の隙間から物置の外に逃げ出す。
「ピッ! ピィッ!」
けれどその刹那、恐怖に満ちた悲鳴と共に部屋に戻ってきた。




