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小鍋から溢れ出る魔力がようやく落ち着いた頃。ジャスパーとジェットはジェマの指示で、ハナナが買ってきたガラスをジェットの糸を使って眼鏡のフレームの形に合うようにくり抜いていた。隣でフレームの研磨をしていたジェマは、手を止めて顔を上げた。
「そろそろ良いかな」
立ち上がって、小鍋の中身を確認する。滞留していた魔力がなくなり、すっかりただのジェットの糸の溶液に戻っている。ジェマはそれを大鍋の方に戻し、また火にかけてぐるぐるとかき混ぜる。
お湯は冷めてしまっていたけれど、糸はしっかり溶けたまま。より細かく、確実に溶かすための第2工程。
「よし、できた」
すっかりジェットの糸が溶け切った真っ黒な液体。そのおどろおどろしさにハナナの頬が引き攣った。
「これはまた、不思議ですね」
「そうですね。ここに、ジャスパーとジェットがくり抜いてくれたガラスを落として……」
ジェマはガラスが割れることがないように慎重に、荒いネットで包んだガラスを鍋の中に落とす。それをゆらゆらとくゆらせたら、しばらく放置。その間にガラス同士がぶつからないくらいの数だけガラスを包んだネットを追加で入れていく。
しばらくして引き上げられたガラスは、すっかり真っ黒に。興味深そうに見つめているハナナに、ジェマはピシッと人差し指を立てた。
「触れると効果が落ちるので、乾くまではこのネットに入れたまま放置です」
「分かりました」
楽しそうに作業を進めるジェマ。ハナナは目の前の溶液からは目を逸らして、その輝く瞳を見つめて微笑んだ。
暗殺者ギルドに所属していると知っても、変わらずに接してくれる人はほとんどいない。もちろん仕事の都合だけではなく、ジェマならばきっと、という希望を持って話すことを決めた。それでも結果がどうなるかは、話してみなければ分からない。
ジェマたちの話を立ち聞きしながら、ハナナは胸が詰まる想いで出ていくタイミングを窺っていたのだった。
「おい、ジェマ。ハナナにも何か手伝わせろ?」
「ええ? どうして?」
「1人で暇そうにしていられると邪魔だ」
ジャスパーはハナナに聞こえていないことをもどかしく思いながら、珍しくつんけんとした態度を取る。ジェマはジャスパーの子どもっぽい態度にムッとしながらも、ジャスパーのことだから何か考えがあるのだろうと頷いた。
「ハナナさん、こっちのフレームの研磨、手伝ってください」
「はい、さっきジェマさんがやっていたようにやれば良いですか?」
「はい。大方の形はできているので、それを綺麗に整えるイメージでお願いします」
「分かりました」
ハナナは作業を引き受けると、どこか嬉しそうにやすりを手に取る。ジェマはそんな姿を見ながら、暇すぎて退屈していたのかな、ジャスパーはそれに気が付かない私に苛立っていたのかな、なんて呑気に考えていた。
二人の間にある嫁と姑の関係にも似たような空気感には全く気が付かない。当然、ジャスパーのことが見えていないハナナも気が付いていないけれど。
ジャスパーは1人で悶々としながら、ガラスを溶液に浸けたり取り上げたりする作業に集中しようとする。そうでもしないと、気が紛れない。
しばらく同じ作業を繰り返すと、ようやく全てのガラスが黒に染まった。ハナナの研磨も丁寧で、黒に染まったガラスをフレームにはめ込むと、ぴったりとハマってもう抜けなくなった。
「こんなにジャストサイズになるとは思わなかったけど。でも、固定用のジェルだけ塗ったら完成だね」
ジェマが固定用のジェルを丁寧に塗っていく。ジャスパーはジェルが乾くとフレームに耳にかけるためのパーツを合わせて、繋ぎ目に蝶番を置いてねじを締める。そしてそっと折り畳むと、よく売り場で見かける眼鏡になった。
ただ、レンズは真っ黒だが。
「これは、前は見えるのですか?」
「かけてみてください」
ジェマに促されて、ハナナは1つかけてみる。するとハナナの視界が暗くなり、けれど物の形は認識できる。
「これは、凄いですね」
「ジェットの糸の特性を生かしているんです。ジェットの糸は、光を吸収します。光は波のようなものらしいので、阻害したい光の波の形に合わせて糸の密度を変えてもらったんです」
光が波であるというのは、ハナナから預かった資料を参考に得た知識だった。不可視光は目に良くないものもあると知り、目に入るべきではない光だけを遮ることができるようにジェットと試行錯誤をした結果だった。
「よくこの短時間でできましたね」
「それが、本当に偶然だったんです」
数を打てば当たると思って、ジェットに自由に糸の密度を変えてもらった。すると、3回目に丁度良い密度になるという奇跡が起きた。焦っていたジェマには、有難い奇跡。きっと天国のスレートのおかげだと、ジェマは内心感謝していた。
「なるほど。偶然すら味方に付けるとは、流石ですね」
柔らかく微笑んだハナナは、真っ黒な眼鏡を外す。それを受け取ったジェマは、ジッと考える。
「あとは、ジャスパーのお友達に届けてもらうんだね」
「ああ。合格だったら、商品名を付けて道具師ギルドに申請を出そう。そして量産をする。といっても、仮段階でこんなにできているけどな」
ジャスパーは足元にずらりと並んだ真っ黒な眼鏡に苦笑いを浮かべる。成功するか分からないのに、随分と思いきりが良い。その分作業が丁寧になるのがジェマらしさ。
ほんの少しギャンブラーな性格は、誰に似たのかとひっそりとため息を漏らした。