6.婚約者までいたなんて聞いてません
突然現れた男性は今にも私を抱きしめかねないほどの感激度合いだ。助けを求めてチラッとディアを見上げると、彼は大きなため息を吐いて口を開いた。
「ベル、違う。コイツは別人だ」
「何言ってんの。ディアが一緒にいるのが何よりの証拠でしょ。姿形もフレミリア様そのものだし」
「姿が似ているだけだ」
ディアがここ数日間のことを説明すると、ベル、と呼ばれた男性は、「こんなに似ているのに」と呟いて私をマジマジと見つめた。
どうやら私は、本当に"フレミリア様"に似ているみたいだ。
「勘違いして悪かったね。僕はベルフィル=ノースウィンド。北方の魔女を務めているものだ」
「……魔女?」
「当時、魔法が使えたのは圧倒的に女の人ばかりだったからね。男の数は少なかったから、魔女と一括りにされていただけなんだよ」
「なるほど……」
北方の、ということはつまり、西方の魔女だったフレミリア様の同僚のような人なのだろう。
それにしても、魔女の生き残りがいたなんて。いや。こんなことで驚いていたら、心臓がいくつあっても足りないか。
自分を納得させて頷いていると、彼はオーブンを見て、目を輝かせて笑った。
「いい匂いだね。もしかして何か作ってたの?」
「ちぎりパンを作っていました。ベルフィルさんも食べますか?」
「やったぁ! 立ち話もあれだと思っていたんだ。お茶にしよう」
「……お前が言うな」
ディアは嫌そうにそう言って、渋々席に着き、お茶の準備を始めた。どうやらベルフィルさんのことはある程度信用しているようだ。
ディアの魔法でお茶が入ったので、ちぎりパンを一応三等分して席に着く。
今日の出来はどうだろうか。
……うん、美味しい。会心の出来だ。
ディアは仏頂面でお茶を飲んでいるだけだったが、どうやらベルフィルさんは喜んでくれているようで、物凄い勢いでパンを頬張ってくれている。
「うわ、めちゃくちゃ美味しい。ふわふわだぁ。……君、そういえば名前は?」
「ミレリアです」
「ミレリアね。僕のことはベルでいいよ。親しい人はみんなそう呼ぶから」
「ベル、さん」
「どうしてベルはさん付けなのに俺のことは呼び捨てなんだ」
「あ、すみません。でもその、私をフレミリア様と勘違いしてた時に呼び捨てにして欲しいって言いましたよね? だからつい馴染みが……」
ディアはバツが悪そうに黙り込む。そして、「紅茶の茶葉が切れた」と席を立って取りに行ってしまった。
「逃げたな。あんなの魔法で出来るだろうに」
ベルさんはケラケラと笑っている。私も思わず笑ってしまった。
「ディアはフレミリアのことが大好きだったからね。最初は大変だったんじゃない?」
「はい。ものすごく大変でした……」
「だろうね。彼女が亡くなったときなんて、本当に酷かったんだよ。……今はまだマシになった方だ」
ベルさんは優しげな顔で笑う。
あれでマシになったというなら、当時はどんな有様だったのだろうか。
そうだ。ディアをそうさせたフレミリア様というのは、どんな人だったんだろう。ずっと気になっていたことが、言葉になって口から出る。
「あの。フレミリア様ってどんな方だったんですか?」
「……実は僕もあんまり知らないんだよね。一応婚約者だったんだけどさ、ほとんど会う機会なかったし」
「こっ、婚約者!?」
「形上、ね。戦争中だったからさ、次世代に強い血を残さないとっていう政略結婚」
び、びっくりした……。
普通に考えたら分かることなのに、ディアのフレミリア様愛が凄かったから、すごい勢いで聞き返してしまった。
てっきり両想いだと思い込んでいたが、もしかすると片想いだったのだろうか。よく思い返してみれば、師弟関係だとしか言われていない。
「あはは。百面相だ。全部顔に出るタイプ?」
「え」
「ディアと彼女は恋人同士じゃなかったと思うよ。そしたら会うたびに僕は睨まれてなかっただろうし、今も嫌われてないはず」
確証はないが、さっきの態度から考えるとしっくりくる。おそらく当たってるんじゃないだろうか。
「他に、フレミリア様と親しくしていた方はいらっしゃるんですか?」
「あんまりいないだろうね。彼女の魔法はほとんど暴走するみたいな感じで、周囲を焼き尽くすものだったからさ、ディアが来るまではこの森を一人で守ってたんだ」
「一人で!?」
「そう。魔力量が多すぎてコントロールが出来ないからって。この辺も何回か焼け野原にしたらしいし。僕は噂で活躍を聞くぐらいだったんだけど、憧れてたなぁ」
全然フレミリア様像が掴めない……!?
そんな人がどうして、ディアのことを拾ったんだろう。ただ、とにかく強い魔女だったということは分かった。
他にも聞きたいことがあったのだが、ディアが戻ってくるのが見えたので、話を中断して紅茶をいただく。
うん、今日も美味しい。安心する味だ。
「いつまでお喋りしているつもりだ。早く本題を言って帰れ」
「あ、帰ってきたんだ。ディアはせっかちだなぁ。ほら、ちぎりパン食べた?」
「…………ベル」
「分かった、分かりましたよ。本題に入りまーす。今日はね、伝言があって来たんだ」
ベルさんはそう言って、真面目な顔になる。
「シンシアが復活したそうだよ」
「…………っ!?」
その名前は私でも分かる。
シンシア=クローテッド。人魔大戦をたった一人で引き起こした、闇の魔女だ。
最後には人間に倒された、というのが読み聞かせの終わり方だったはず。
あまりの強さと残酷さから魔王と呼ばれた彼女が、復活した?
「シンシアの姿は捉えられてないんだけどね、シンシアを崇めてるクローテッド教団ってあったでしょ? あそこが最近、主は復活したって触れ回ってるの。だから俺も北の森に戻ってる。ディアも気をつけてね」
「……くだらない。アイツの首は、俺が折った」
ディアは、感触を思い出すように、手を広げて握り潰す。
え、何その話。めちゃくちゃ怖いんですけど。
ベルさんは苦笑して、ディアを嗜めた。
「まぁ、教団が厄介になってきたのは本当だし。備えるに越したことはないでしょ」
「……そんな内容なら手紙でいい」
「読まないだろ、お前は」
確かに読まなさそう。
口に出していないのに、ディアは私を睨んできた。理不尽だ。
「じゃあ、ディアがうるさいから帰るとするか。また何かあったら来るね」
ベルさんは立ち上がり、私にも手を振ると、訪れた時と同じように突風と共に消えた。その余韻で、家中の窓や食器がガタガタと鳴っている。
あれが、魔女の力なんだろうか。人間が使っている魔法とは本当にレベルが違う。
北を任せられるということはベルさんもとても強い魔女なのだろうが、あんな人が戦ってもギリギリだったなんて、人魔大戦とはどれだけ苛烈な戦いだったのだろうか。
真偽は定かではないにしろ、魔王が復活したなんて話を聞いてしまっただけに、胸の奥の方がザワザワした。
魔王は獣に力を与え、魔獣として操ることで戦ったと言っていたが、まさか魔王側についた『教団』があったなんて……。
「……おい」
「え、なんですか?」
不意にディアから話しかけられたので、思考を断ち切ってそちらを向くと、何か言いたげな顔をしていた。
「…………いや。なんでもない」
なんでもないのに呼ばないでください。
怪訝そうな顔で見つめたが、彼はお皿やティーカップを魔法で棚に直して部屋へ戻ってしまった。相変わらずよく分からない人だ。
それにしても便利な魔法だな。お皿洗いもしなくていいなんて、と思い、ディア用に切り分けたちぎりパンがなくなっていたことを思い出す。
「結局、全部食べてくれたんだ」
たったそれだけなのに、何か自分が役に立ったように思えて、頬が緩んだ。