5.前途多難な成り行き同居生活
見慣れない部屋で目が覚めた。
パチパチと何度か瞬きをすると、意識が覚醒してきて、床に乱雑に積まれた本が目に入る。
「あぁ……」
ここは、カレンデュラの森のディアの家だ。正確には、フレミリア様が物置として使っていた部屋。
私は数日前から、ここでお世話になっている。
◆
私がフレミリア様ではないと分かり、泣き暮れたディアが涙を枯らした頃には、彼の表情からすっかり感情が抜け落ちていた。
「それでは、お前はなぜここへ来た?」
慈悲の欠片もない冷たい声。
おそらく、本来の彼がこちらなのだろう。さっきまでのあれは、愛するフレミリア様にだけ見せる姿だったのだ。
「もし森を荒らすつもりで来たなら、如何にあの人に似ていようと容赦はしない」
「そんなつもりは少しもありません! 私は孤児院から、その、お使いを頼まれて」
「お使い?」
私が疎まれていたこと。お使いを口実に追い出されたこと。森を彷徨ってここへ辿り着いたこと。順序立てて説明すると、ディアはつまらなさそうに溜息を吐いた。
「……別に、どうでもいい。水晶花ならくれてやるから、森から出ていけ」
「話聞いてました!? 例え花を持ち帰ったとしても、今度は花街に売られるだけなんですって!」
ディアの目をじっと見つめてみる。
すると、やはりフレミリア様と同じ外見には弱いのか、スッと目を逸らした。
「……じゃあ森から出ていけ」
「森の外まで案内してくれるんですか?」
「なぜ俺が?」
「私一人じゃ出れないからですよ! ここに辿り着くまでも散々彷徨ったんですから!」
「…………そもそもここには、あの人以外辿り着けないようにしているんだが」
迷惑そうな顔でそんなことを言われても、辿り着けてしまったんだから仕方ないじゃないか。
ふと、魔の森へ入った者は戻ってこない、という噂が頭の中をよぎる。あのときカレンデュラの花が目に入らなければ、私は死んでいたかもしれないと思うと、今更ながらゾッとした。
「あ、あの。誰も森に入って来ないで欲しいっていうのは分かるんですけど、だからって殺すのはどうなんですかね……?」
「ふざけるな。殺してなどいない。あの人の愛した森をどこの馬の骨とも分からないようなやつの血で汚すわけがないだろう」
「じゃあ、森に入ってきた人たちはどうしてるんですか?」
「力尽きて気を失ったタイミングで外に出している。明らかに邪な考えで入ってきたやつは、警備隊の前に縛って転がしているが」
それなら良かった、と手放しには言えないが、ディアへの警戒度を少しだけ下げる。てっきり、思い出を守るためなら殺人すら厭わないのかと思っていたので安心した。
フレミリア様関係の地雷さえ踏まなければ、案外私のことも助けてくれるかもしれない。
「私、南へ行きたいんです。方角を教えてくれるだけでもいいですから」
「南はダメだ」
「どうして!?」
「今は南に住み着いている亜竜の繁殖期だ。おそらく、縄張りに踏み込んだだけで襲われる。死ぬのを覚悟で行くなら止めはしないが」
「……それは、いつぐらいまで続くんですか?」
「さぁ。月がもう一度満ちるまでには終わるんじゃないか?」
ひと事すぎる。さっきまでとは本当に大違いだ。
それでも私は南へ行きたい。でも、だからといって一度孤児院へ戻り、チャンスを待つわけにもいかない。
こうなったら、やっぱりこの人だけが頼りだ。
「お願いです。その時まで、私をここに置いてもらう、ということは……」
「何故?」
「何故!? ……ええと、フレミリア様はお優しい方だったんですよね」
「そうだ」
「それなら、あなたが身寄りもお金もない上に殺されかけて、心底困っている女の子を見殺しにするというのは、どう思われるんでしょうか?」
ディアは心底嫌そうな顔をして、顔を引き攣らせる。
私も相当卑怯な手を使っている自覚はあるが、こうでもしないとこの人は私を助けてくれないだろう。
黙り込んだディアを祈るように見つめていると、彼は殺意を押し殺したような声で言った。
「…………月が満ちるまで、だ」
「えっ、いいんですか!? やったぁ!」
「もし、お前が家の物を、何か一つでも傷つけようものなら殺す」
「…………はい」
というわけで、私は物置に住むことを許されたのだった。
物置とはいえ、そこそこの広さがあるし、窓も付いている。まるでどこかの独房のようだった、孤児院の私の部屋よりよほど待遇がいい。
「さて、と」
あまりにみすぼらしいから、とディアが貸してくれたワンピースを身に纏い、部屋を出る。
おそらく師匠と同じ顔の女がみすぼらしい格好をしていることが耐えられなかったのだろうが、白い木綿のワンピースは動きやすい上に通気性がよくて、とても気に入った。そして何より、私に似合っている。
「……今日は何をしようかなぁ」
さて、なんて気合いを入れてみたが、しなければならないことは特にない。
家事全般でお礼を返そうと思っていたのだが、何せこの部屋には全自動の復元魔法がかけてある。片付けなんかしなくても、使った物は自動で元の位置へ戻る。
フレミリア様が生きていた頃と同じ場所へ、だ。それどころか、この家には状態を保存する魔法もかかっている。
例えば、机の上にあるホットケーキ。テーブルの上に置かれたホットケーキは食べかけのまま、私が来た日からずっとそこにある。これは恐らく、フレミリア様が食べかけだったものだろう。
上に乗っている苺は今も艶やかな赤色だ。そんなところが、余計に痛々しい。
本当にすごい執念だと思うと同時に、胸が痛んだ。
肝心のディアはというと、ずっと部屋に引き篭もっていたかと思えば、不意にリビングへ出てきて、ぼうっと窓の外を眺めていたりする。
ちなみに、彼は食べ物も食べず、睡眠も取らない。龍族の身体はどうなっているのだろうか。人間目線から言わせてもらうと、生きたまま死んでいるみたいだ。
ただ唯一決まった時間に、綺麗な花束を持ってカレンデュラの花畑へ出かけていく。そこに彼女のお墓があるのだろうか。
とにかく、毎日そんな感じなので、私たちは相互不干渉のまま数日を過ごしていた。
しかし、半ば脅して泊めてもらっている身分でお礼もしないというのは、流石に申し訳ない。
「よし、ディアの分もパンを焼こう」
パチン、と手を叩いて台所へ向かう。
台所の使用許可は取ってあるし、何度か自分の食事を用意するために使ってみたのだが、案外魔法に依存しない作りになっていたので私でも使うことが出来る。
フレミリア様もパン作りが好きな方だったのか、材料もしっかり揃っていた。鮮度に心配はあるが……そこはディアの魔法を信じるとしよう。だって私も久しぶりにパン、食べたいし。
「まずバターを溶かして……」
今日作るのはちぎりパンだ。あれは焼きたてが格別に美味しい。
私は溶けたバターを型に塗り、強力粉に塩、イースト、砂糖、牛乳をボウルで混ぜる。
それがひとまとまりになったら、生地にバターを加えて、生地に薄い膜がはり、弾力がでるまでこね続ける。こうして出来たものを常温で2倍の大きさになるまで放置して、一気に焼くのだ。
その辺に積まれていた本を読んで発酵待ち時間を潰し、生地が膨らんだのを確認してから、ちぎって型に詰める。そして、火の魔法石で予熱したオーブンへ入れた。
中を覗き込むと、どんどん生地が膨らんでいく様子が見えて、久しぶりの光景にウキウキする。やっぱりパン作りは最高だ!
大喜びでパンが焼ける様子を見ていると、パンが焼ける匂いに釣られたのか、部屋からディアが出てきた。どうやら、私が変なことをしていないか確かめに来たらしい。
「何をしている?」
「パンを焼こうかと。一緒に食べませんか? 私のパン、結構美味しいですよ!」
「……やっぱり、違うんだな」
ディアの綺麗な顔には、くっきりと絶望が浮かんでいる。今の会話のどこに絶望する要素があったのだろう。
何が、と尋ねる前に彼は冷たい声で言った。
「食べるわけないだろ。お前が毒を盛ったかもしれない」
「そんなことするわけないじゃないですか。それにこれ、ちぎりパンだからどこかにだけ毒を盛るとか無理ですし」
「……とにかく、俺はいらない」
酷すぎる。やはり彼はフレミリア様の前で特大の猫を被っていたらしい。
なんて傍若無人なんだ、と思いながらも、正直初めて会ったときの様子の方が怖かったので、何故か安心してしまった。
これは私が悪いんじゃなくて、ただ私がフレミリア様じゃないからダメなんだ。そう分かっているからこそ、あの涙を見てしまったからこそ、悲しい。
彼の猫を被った態度も、フレミリア様によほど好かれたかったからなのだろうと思うと、胸が締め付けられて怒る気力もない。
「そうですか? 焼きたては最高の出来なのに!」
ニッコリ笑って、おそらく焼き上がったパンをオーブンから出す。
匂いを浴びるだけでニコニコしちゃう。ふわふわのホカホカだ。最高。早く食べてあげなくちゃ。
「……皿はその棚の中にある」
「ありがとうございます!」
ディアの指示に従って皿を取りに行こうとすると、部屋の中を突風が吹き荒れた。バンッとものすごい勢いでリビング中の窓が開く。
「っ、え!? 今の何ですか!?」
「……面倒なのが来たな」
盾にするようにディアの後ろに隠れると、全開になった窓の一つから人影が現れた。
「お前さぁ、まだ人間みたいな暮らししてるんだ。ほんっと健気だなぁ」
その人は、これまた見たことがないぐらい綺麗な男性だった。クッキリしたアーモンド型の瞳は薄い黄色で、長い黒髪を頭の後ろで縛っている。艶やかな髪は、突風に靡いて揺れていた。
私が思わず見惚れていると、彼もディアの後ろにいた私に目を向けたらしく、パチンと目が合う。
その瞬間、彼は唖然とした顔をしたあと、震えた手で口を抑えた。
「……カレンデュラの君?」
この感極まった様子。まずい。
この人もフレミリア様の知り合いだ。
「生まれ変わったんですか!? まさか、まさか本当にまた会えるなんて!」