46.病める時も健やかなる時も
明日の20時に最終話を更新します!
綺麗な花畑を走っている。ずっと。
どれだけこうしているかは分からない。忘れてしまった。足の感覚もとっくになくなっている。それでも、ひたすらに走り続ける。花畑はずっと先まで続いているし、一度でも休んだら、もう二度と会えないような気がして。
もう迷わないって、なりふり構わないって決めたことだけは覚えている。少しでも早く走らなくちゃ。きっとまだ間に合う。……何に?
よく分からないまま、それでも走り続ける。急いで行くから待っててね。私、絶対にあなたのところへ───────あなた?
そういえばさっきから、ずっと私の名前を呼んでいる人がいる。それが、あなた、なのかな。
ひたすら走る。走り続けた、その先には、今にも泣き出しそうな顔をして私の名前を必死に叫んでいる、あなたがいて。
そうだ。思い出した。私の、何よりも、大切な。
「ディア!!」
早く抱きしめにいかなくちゃ。
ふらつきながらも足に力を入れて、まっすぐ走り抜け、ディアの胸に飛び込む。次の瞬間、まるで高いところから落ちるような浮遊感がして──────。
◆
落ちてもいなければ、ディアの胸の中でもない。私の視界には、見慣れた天井がいっぱいに広がっていた。
「………………?」
花畑は? そしてディアは、どこに行ってしまったのだろう。もう二度と離れないように、しっかり抱きついたはずだったのに。
きょろきょろと見渡すと、ガシャン、と音がしたので音のした方を向く。
「…………ミレリア?」
大きな切れ長の目を丸くして、立ち尽くしているディアがいた。地面には割れたグラス。どうやら先ほどの音は、ディアがグラスを落とした音らしい。
ディアは落としたグラスに見向きもせず、私の元へ走ってきた。
「ミレリア! 目が覚めたのか!?」
「え、と」
「良かった……! あれからずっと目を覚まさなかったから、心配で堪らなかったんだ!」
目を覚まさなかった。そう言われて初めて、さっきまでの花畑が夢だったのだと気がついた。確かに現実味はない景色だったけれど、やけにハッキリ覚えている。花畑はすごく綺麗だったけど、何故だかずっとはここに居たくない思ってしまう場所だった。
ディアと話すために身体を起こそうとして、視線を身体に落とし、傷ひとつないことに疑問を覚える。不思議なことに、どこも痛くない。
そうだ。私はイリヤに刺されたはずで、ディアの腕の中で力尽きたはずだった。あんな傷を負って、奇跡的に生き延びただなんて信じ難いが、私の生命力も捨てたものではなかったということだろうか。
いや。どう考えたってそんなわけがない。
「ディア。私、何で生きてるの?」
おそらく理由を知っているであろうディアの目を見つめて、尋ねた。すると、歓喜に満ち溢れていたディアの顔が、サッと曇る。
え。もしかして危ないことしてないよね!?
「……怒らないか?」
「怒らない……うん。ディアがよほどの無茶をしてなかったら、怒らないよ」
「よほどの無茶というか、その……」
ディアは私から視線を逸らし、少しの間言い淀む。あれ。これ絶対危ないことしてるな。
ディアは心底苦しそうな顔をしていたが、私がしつこく彼の目を見つめ続けていると、ようやく言葉を絞り出した。
「番契約を、結んだ」
つがいけいやく。脳内辞書に検索をかけても、ヒットするのは、龍族が婚姻時に結ぶという番契約しか出てこなかった。でも、私とディアはまだ婚姻していない。
「…………それは、もしかして婚姻時に結ぶ?」
「そうだ。俺の魔力をミレリアに注いで、半分ずつに分けた」
確かに、花畑へ行くまでの最期の記憶で、ディアに口付けをされたことは覚えている。そこから温かい何かが流れ込んできたことも。
あの時のあれが番契約だったのだろうか?
「イリヤにつけられた傷が治らないのは、魔力を阻害するような仕組みがあるからだろう。それなら、阻害しきれないほどの魔力を流し込んだら、仕組みが壊れるんじゃないかと思ったんだ」
「それで、番契約を?」
「あぁ。単に魔力を流し込むだけでは、ミレリアの身体に馴染まないまま流れてしまうから……流した魔力がミレリアのものになるようにした」
確かに、ディアの莫大な魔力をそのまま流し込まれても、死んでいた可能性が高い。今の身体に満ち溢れるほど魔力が宿っているのは分かるが、不思議と馴染んでいる。
私は龍族じゃないから、どうやって私たちの魔力を均等にしたのか全く見当もつかないけれど、出来る限り負荷なく私を存命させる方法を考えてくれた結果なのだろう。
「ありがとう。ディア」
ディアが咄嗟に機転をきかせてくれたおかげで、どうにか生きながらえることが出来た。
「ううん、ありがとうなんて言葉じゃ足りないよね。……だって番契約って、番になった二人の寿命を同じにするんでしょう?」
「どうして、そのことを知っているんだ」
「フレミリアだった時に、調べたの。師匠として、その、あなたのことは知っておかないとと思って」
「……そうか」
大慌てで言葉を選んだ私とは違い、ディアの返事は落ち着いたものだった。
私がいつ記憶を思い出したか、聞かないの。早く言ってくれよって怒ってるかな。記憶の中で美化しすぎてたかもって、失望したりしてない?
私はフレミリアだったけれど、私を好きだと言ってくれたことは、まだ有効かな。
何から話していいのか分からなくて、目尻にじんわりと涙が滲んできた。怖くて何も話し出せない私に、ディアは何も聞かないまま、私と同じぐらい不安そうな顔をして口を開いた。
「……俺は最低だ。俺に出来ることならどんなことでもして償おう」
「え?」
どうしてディアは、私が怒ってると思ってるんだろう。むしろ怒られなきゃいけないのは、ずっと記憶が蘇ったことを隠していた私の方なのに。何を償おうとされているのか分からなくて首を傾げていると、ディアは躊躇いながら言葉を続けた。
「勝手に番にするなんて到底あり得ないことだ。それに、恐らく、ミレリアの寿命を俺に合わせて伸ばしてしまった」
あぁ、やっとディアが申し訳なさそうにしている意味がわかった。この人はまだ、私がディアのことを好きで好きで堪らなくって、ディアを守れるなら何回死んでもいいぐらい愛してるって、知らないんだ。
思わず笑みが溢れてしまう。いつも毅然としたふりをしているディアに余裕がなくなるほど、私は嬉しくて嬉しくて堪らなくなる。本当に、私のことが好きすぎる。
あまりの可愛らしさに一瞬、意地悪しちゃおうか、という悪魔的な考えが芽生えて、やめた。好きな人には一秒でも早く好きって伝えないと、後悔するだけだって流石にもう学んだから。
「私はディアの番になれて嬉しいよ」
ディアの揺れる瞳をまっすぐ見つめて、手を握る。少しでも多く、私の気持ちが伝わるように。
「ディアのこと、世界中の誰よりも愛してるの」
「…………ッ!」
「ねぇ」
私に寿命を合わせたディアは、きっとあと100年ぐらいしか生きられない。
それでも私と生きたいと願ってくれたなら、ごめんね、なんて謝るのは失礼だ。
「私と一緒に死んでくれる?」
「…………あぁ!」
私の一世一代のプロポーズに、ディアは花が綻んだように笑って頷いた。
「ずっと、そうしたかった」




