44.どこにいるの【シンシア視点→ミレリア視点】
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それから、私はイリヤと二人で暮らし始めた。
イリヤは素直な良い子だった。食べ物は好き嫌いせずに食べるし、私がベリーを好むと知ってからは毎朝ベリーを取ってきてくれるようになった。
ただ、私に嫌われないように怯えているから過剰に良い子でいるのかもしれない。
イリヤには、痛々しいほどに虐待の後遺症が感じられる。例えば、彼女は熱いものには近づけない。村に閉じ込められていたとき、熱湯をかけられて背中の皮膚が焼け爛れているからだ。
他には、大きな音を聞くと、身体が飛び上がるほど震えて動けなくなる。耳元で大きな音を鳴らされ続けていたのか、静かなところに留まりすぎた反動なのか。どちらなのかは分からないが、見ているだけで可哀想で、私まで辛い。
「イリヤ。痛いところ、ない?」
「うん! あたし、元気よ!」
サラサラした銀髪を撫でる。イリヤは気持ちよさそうに頬を寄せてきた。
「ねぇ、イリヤ。あなたみたいに酷い目に遭っている魔女は、他にもいるの?」
「えっと、どうなんだろう。あたしの街にはあたししかいなかったはず、だけど、少し前にはいたらしいよ」
「その子は今どこにいるの?」
魔女は人間よりも魔力量が多いから、寿命が長い。私は周りの人間たちが老いたから逃げ出すことが出来たけれど、それは小さな集落だったから可能だったことだ。
街で生まれた魔女は、どうやって逃げ出したんだろう。もし近くにいるならコンタクトを取りたい、と思って尋ねると、イリヤは不思議そうに首を傾げた。
「死んじゃったよ?」
「………………え」
「死んだって、聞いた。自分から死んじゃったんだって」
イリヤはきっと、意味がわからないまま言っている。それで良かった。
そのことを閉じ込められていたイリヤが知っているのは、きっとその魔女がイリヤと同じように虐げられていて、その末路としてイリヤを怯えさせるために聞かされたからだろう。
沸々と抑えきれない怒りが湧き上がる。私たちは何もしていないのに。どうして私たちがこんな目に遭わないといけないの。
今も閉じ込められて、酷い目に遭っている魔女はきっと、たくさんいる。助けたい。でも、私一人で一体何が出来るだろう。もしも私に力があったなら。もっと強い力があったら、今すぐにでも助けに行くのに。
『本当に?』
「…………え?」
声が聞こえたような気がして、イリヤの方を向いたが、イリヤはきょとんとした顔でこちらを見上げている。
「今、私に話しかけた?」
「ううん」
確かに声はイリヤのものじゃなかった。高いような、低いような、なぜか安心出来る声。それなら誰が私に話しかけたというのだろう。
不思議に思いながら日常を過ごし、イリヤの虐待の跡を見て人間への怒りが湧き上がるたびに、声は何度か私に語りかけてきた。
『どんな力が欲しい?』
『人間を根絶やしにしよう』
『可哀想にね』
気のせいじゃない。これは本当に、"何か"が私に話しかけている。イリヤには聞こえていないみたいだから、私だけに。
もしかすると、神さまなのかもしれない。魔女の、神さま。
「魔女たちを助けたいんです。……どうしたらいいですか?」
イリヤがいないタイミングを見計らって、呟いた。すると、すぐに脳内に声が、響く。
『何もかもを捧げるか?』
何もかもを。捧げるものがあるほど、この身体に残っているものは少ない。それでも、一瞬、躊躇した。
今ある生活はささやかで幸せだ。毎日ご飯が食べられるし、当たり前のように陽の光を浴びることが出来て、イリヤもいる。
イリヤ。私の大事な、イリヤ。もし私が先に死んで、イリヤがひとりになったとき、私はイリヤを守ることが出来ない。
生きているうちに変えないと。私が死んでから後悔したって、遅い。そして何より私は、やっぱり、イリヤが酷いことをした人間たちのことが許せない。
『何もかもを捧げるか?』
もう一度、声が頭の中に響く。
─────イリヤ。私、あなたのためなら何だって出来るよ。
強く頷くと、意識が薄れていった。
◆
そこからは記憶が飛び飛びだ。壊れる人間の街。私に味方してくれる狼たち。イリヤに魔法を教えてあげた。血と煙の匂い。イリヤと料理を作った。美味しかったね。たくさん、人が死んでる。
私が望んだのはこんなことだったんだっけ。ずっと声が聞こえる。もっと人間を殺せ。全ての人間を滅ぼすまで終われないと、声が。
イリヤはどこにいるんだろう。イリヤ。イリヤ。
あぁ、もう声も聞こえない。
────イリヤ、どこにいるの?
身体の感覚がない。ひたすら真っ暗で、光がどこにあるのかもわからない。でも、いいか。もともと眩しすぎる光は苦手だったから。
……苦手、だったっけ。わたし。私は、光が好きだよ。庭で太陽の光を浴びながら、ポカポカとピクニックをするのが好き。お父さんの焼いてくれたパンは美味しくてたまらなくて! あれ。お父さんの姿なんて見たことないよね?
自分で美味しいサンドイッチを作って、食べるんだ。サンドイッチって何? そもそも、そんなことをしたら眩しすぎて頭がくらくらしてしまう。でも、じゃあ、私はどうしてピクニックなんてしたんだろう。
──── 一昨日もピクニックだったじゃないか。
呆れた顔で笑うくせに、荷物を持ってくれるから。私の作ったベーグルを食べて、美味しい、と嬉しそうな顔をするから。だから私は、ピクニックが大好きなんだ。
ぼやけていた思考がどんどんクリアになっていく。
ディア。ディアだ。私の弟子はイリヤじゃない。ミレリアって、私を呼ぶ、低くて甘い声が好き。
世界で一番可愛らしくて、愛おしくて、守りたくて、いつまでも傍で幸せそうな顔を見ていたい。そんな人は、ディアしかいない。
どうやら、私はシンシアにはなれなかったみたいだ。当たり前だよね。だってシンシアの記憶があっても、私にはイリヤと過ごした日常はないんだから。
ここはどこなんだろう。早く目覚めて、イリヤの暴走を止めないと。そのためにどうすればいいのだろうと考えて、でもどうにも出来なくて。ぼんやりと暗闇を漂っていると、どこからか声が聞こえてきた。
『目覚めたいか?』
記憶の中で聞いた声だった。正体が何か、なんてどうでもいい。碌でもない存在に変わりはない。
私はシンシアに殺されたけれど、ほとんどこの存在に殺されたといっても過言ではない。どうして私が契約すると思うのだろう。
『元のお前に戻りたいんだろう?』
再度問いかけてきた声に、考えて言葉を返す。
「あなたと契約するぐらいなら、このまま死んだ方がマシ」
嘲笑うような声が聞こえたあとに、ピタリと静寂が戻る。どうせ目覚められないと馬鹿にでもしているらしい。
「……確かにどうすれば良いか分からないけど」
アルバムのようになっているシンシアの記憶を眺めながら呟く。それからしばらく経って、急に上の方が明るくなった。一番星みたいなのに、まるで陽だまりみたいな暖かさを放っている。
「今、声が」
聞こえたような気がする。私の名前を必死に呼んでいた、ような。
────ミレリア!!!!!
また聞こえた。ディアの声だ。
ディアが待っている。早くそこに行かないと。私も好きだって、伝えないと。
這うようにして陽だまりの方へ向かう。上へ向かうにつれて、身体が軽くなってきた。もう少し。あと少し。あと少しで、光へ。光の中へ。
「ッ…………!」
明るくて、眩しい。
慌てて目線を首筋に落とす。キラリと光る星のようなネックレスは、陽だまりによく似ている。私の身体だ。私はちゃんと、ミレリアとして目覚めることが出来たんだ。
霞む視界の中で、銀色と、青みがかった白色が揺れている。ようやく私の目が現実を捉えたのは、イリヤの持ったナイフがディアへと吸い込まれそうになる瞬間だった。
「……わたしの、弟子、に。さわらないで」
魔力が全身を巡る。血が沸き立つ。身を焼き焦がす熱が、発現する。
魔法を使うのって、そうだ。こんな感じだったっけ。




