42.再会【ディア視点】
どうやら兄は、窓から俺の姿を見つけて、わざわざ飛んできたらしい。不躾に飛ばしてきた風の刃を交わして、睨みつける。
「久しぶりだな。そんなに青ざめてどうしたんだ?」
「…………お前が何かしたのか」
「それが久しぶりに兄に会った態度か? あぁ、悪い。化け物は礼儀なんて知らなくて当然だよなぁ」
「いいから答えろ。何故俺を引き留めるような真似をした?」
こんなやつに構っている微塵も時間はないが、今回の件に関して何か知っているかもしれない。何より、いくら憎くても俺に力で劣ることは知っているはずなのに、堂々と俺を襲ってくること自体がおかしい。
そう考えて問いただすと、兄は見たことのある本を取り出した。表紙には狼のマーク。クローテッド教団の証。
「取引をしたんだ。この本さえあればお前も殺せる。お前さえ殺せば、俺が王になれる!」
兄はそう言って禍々しい本を開く。すると、とてつもない勢いで魔力が吸い込まれていった。
「これでお前を……ッ……あ、れ?」
兄は本をこちらにかざしているが、何も起こらない。当然だ。吸い込まれた魔力はおそらく、術者の元へと流れ込んでいる。おそらく兄は、いいように騙されて利用されただけなのだろう。
それどころか、魔力を奪われるということは、生命力を奪われているに等しい。兄の身体はみるみるうちに干からびて、足先からサラサラと崩れてきた。
「待て! なんだ、これはッ……!?」
「……仮にも身内がそこまで愚かだとは思わなかった」
「たす、助けてくれ! 俺たちは兄弟じゃ」
「俺にフレミリア様以外の家族はいない」
縋りつこうとしてくる兄を振り払い、改めて家に向かって降下する。おそらく兄はあのまま死ぬだろう。トドメを刺している時間すら、今は惜しかった。
最高速度で飛び続けても、すぐには辿り着かないことが、もどかしい。ベルのように風を操る魔法がもっと上手く使えば、と永遠のような時間の中で悔やみながら飛び続けると、ようやく家が見えてきた。
「結界が……」
破られている。俺が張った結界を破れるほどの力の持ち主が地上にいるはずがないのに。
焦燥感にかられながらも周囲を警戒するが、家の外観に変化もなければ、悲鳴も聞こえない。ベルだけは例外として、この家は中からドアを開けないと入れないようにしているから、もしかすると入ることが出来ずに諦めたのだろうか。
希望的観測を抱きながら玄関のドアを開ける。
「あら。早かったのね?」
知らない女が座っていた。玄関の段差に腰掛け、無邪気な顔でにっこり笑っている。無害そうな顔立ちだが、目の奥には昏い狂気が宿っていて、一目で分かった。
「こんにちは。あたし、イリヤっていうの」
こいつがクローテッド教団の教祖だと。あの時代を生きていた、魔女。兄を唆し、森に火をつけた、張本人。
「お前がやったのか」
「あははっ。自己紹介ぐらいしてよ。それにしてもあのトカゲ、随分役立たずなのねぇ。色々時間稼ぎもしたけどぉ、おかげで時間がギリギリになっちゃったわ!」
「…………ミレリアはどうした」
「ざーんねん。可愛いミレリアは、あたしのだーいすきなシンシア様になってもらいました!」
イリヤと名乗った女は、ふざけた調子でそう言って、リビングを指差す。慌てて目を向けると、目を閉じて眠るように倒れているミレリアの姿があった。
「んふふ。目が覚めたらシンシア様になってるわよ。あたし、この手の魔法得意なの」
嬉しそうに注射器を振る、女の姿が目に入る。
怒りなのか、悲しみなのか、激情が頭の中を渦巻いている。落ち着け。まだ、何か手があるはずだ。
ミレリアはシンシアになんかならない。俺を置いていかない。絶対に。だって、そう約束したんだ。
「ミレリア! 俺だ! ミレリア!!」
「呼びかけたって無駄よ」
「ミレリア、ミレリア!!!!!!」
声が掠れるまで叫んでも、ミレリアは死んだように動かない。頭がチカチカする。気が狂いそうな中で、身体の構造が変わっていくのが分かる。恐らく、勝手に人化が解けていっているのだろう。
破壊衝動が抑えられない。遠くから落雷が響き出した。きっともうすぐ、この場所に落ちるようになる。
「………………ッ殺す」
「殺せばぁ? あたしを殺したところで、ミレリアにはもう戻らないけどねっ」
衝動的に殴りそうになって、踏みとどまる。ダメだ。こういう時こそ冷静にならなければ。
唇を強く噛み締め、人化を強く保つ。今、龍の姿になれば、この家を壊してしまうことになる。それに、まだ手の打ち用はあるはずだ。
まずはこの女を捕まえて、ミレリアに何をしたのか吐かせないと。それから対処法を探す。大丈夫だ。ミレリアがまだ、生きている限り。
深呼吸をし、今にも狂いそうな頭を落ち着かせる。
そんなことをしている間に、イリヤはいつの間にか手にしていた本のページを捲る。すると、大きな風の鞭が動いて、簡単に天井を壊し、俺の上に瓦礫を降らせた。
こんなもの痛くも痒くもないが、家が。フレミリア様と過ごした、家が、壊れていく。
「あはっ。壊しちゃった。でもいいわよね。だってミレリアがいたら、フレミリアとの思い出なんていらないでしょ?」
「ッ、そんなわけが」
「良かったわね! 代わりが出来て。忘れられちゃったフレミリアは可哀想!」
俺を挑発するために言っていることだと分かっている。分かっているのに、怒りが抑えられなくて、冷静さを失っていく。
「…………ふざけるな」
こっちは殺さないように気をつけて攻撃をしているが、向こうは遠慮なく家を破壊し、俺の急所をついてくる。致死の攻撃をする方が、余程楽だ。
本気で腕を振るうだけで殺してしまいそうで、でも殺してしまったら、ミレリアが一生目覚めないままかもしれなくて。
焼き切れそうな脳で必死に手加減しながら戦っているうちに、気がつけば防戦一方になっていた。
「あたし、強いでしょ? だってあのシンシア様の一番弟子だものっ!」
手足の所々が切られて、血が流れ続けている。致命傷ではないが、血が止まらない。
イリヤは、おそらく、兄の魔力を取り込んで使っている。そうじゃないと、殺さない様に手加減しているとはいえ、ただの人間にここまでのことが出来るわけがない。
いつもなら直ぐに治る傷も、傷跡のまま血を流し続けている。まるでフレミリア様が殺されたとき、みたいに。
「傷、治らないでしょう? ふふっ。シンシア様から教わったの」
その言葉に、生きていることが不思議なぐらい血塗れになった、フレミリア様がフラッシュバックする。
────── 「ごめん、ね。わたし、しっぱい、しちゃったみたい……」
あの時のことを思い出して、一瞬視界が真っ白になった。その一瞬で、イリヤは俺の目の前まで来ていた。
手に持っている刃が、喉元に、吸い込まれるように迫ってきて。
「さようなら」
このままだと致命傷を負う。どう足掻いても庇いきれない。即死とまではいかなくても、大きな傷を負ったらミレリアを助けられる可能性が格段に下がる。
どうして俺はいつも、大事な時に選択を間違えるんだ。大切な人を守ることが出来ないんだ。肝心な時に弱い自分が、心底嫌いで、ミレリアに会えて俺はやっと、変われるって。
今度こそ守りきろうと思っていたのに。
「………………ッ」
奥歯を強く噛み、鋭い痛みを覚悟した、その瞬間。目の前が真っ赤に染まった。
「イヤァッ! 熱い!! 熱いッ!!!!」
イリヤのつんざくような悲鳴が聞こえる。確かに、熱い。この距離でも皮膚がチリチリと痛むほど。
突然現れた燃え盛る業火はイリヤの手ごと刃を包み、身体へと燃え移っていく。よく見覚えのある、全てを焼き尽くすような、眩い炎。
「……わたしの、弟子、に。さわらないで」
もしかして、と夢にまで見た希望が、全身の皮膚を粟立たせる。
「フレミリア、さま」
崩れ落ちるイリヤの後ろには、ふらつきながらも力強い目でこちらを睨んでいる、オレンジ色の瞳が二つあった。




