4.あなたと一緒に死にたかった
私そっくりの女の子は、大きな炎に包まれて、這い寄る魔物達を焼き払っている。
「これ、私……?」
「はい。フレミリア様です。フレミリア様は、西方の魔女でした。そして、800年前の人魔大戦で多くの魔を焼き払い、亡くなった」
人魔大戦の伝承なら私にも分かる。孤児院で行われる読み聞かせでよく聞かされていたから。
曰く、こうだ。
むかしむかし、あるところに悪い魔女がいました。
悪い魔女は獣たちを操って魔獣に変え、人間を滅ぼそうとしました。
良い魔女たちは人間を守り、共に戦いました。
そのおかげで悪い魔女を滅ぼすことが出来ましたが、魔女たちは力を使い果たして死んでしまいました。
しかし、魔女たちが残してくれた本のおかげで人間は魔法を使えるようになり、国を建て直すことが出来ました。
めでたし、めでたし。
毎年行われる盛大なお祭りは、亡くなった魔女に捧げるものだという。私がお世話になっていた教会も、確か爆炎の魔女を助けたという女神様を崇めていた。
魔女に関する伝説は多いが、滅んでしまったとなれば確かめるすべもないので、その存在は謎に包まれている。
だから、今の話も全然ピンとこなかった。
「西の魔女、というのは」
「魔女たちは人間の国を守るために、四方を強力な魔女が守ることを決めました。膨大な魔力を持っていたフレミリア様は、西を。この、カレンデュラの森を守るようにと選ばれた魔女でした」
「あなたも魔女、だったの?」
魔女は女だ。ディアが魔女なわけがない。
私の見当違いな質問に、ディアは服の袖を捲って答えた。腕には、鈍く輝く鱗があった。
「いいえ。俺は、龍です」
「龍……?」
「天から捨てられた俺を、拾って弟子にしてくださったんです。あなたがいなかったら俺は死んでいたことでしょう。だから俺は、一生あなたに着いていくと決めた」
ディアの口元には微笑が浮かんでいる。彼にとってフレミリア様は、師匠であり、恩人であり、愛する人なのだろう。
いや、気持ちは分かる。分かるんだけど、覚悟が重い。重過ぎる。
それに、ディアが龍族ですって?
この大陸には様々な国があり、様々な種族が暮らしているが、圧倒的な力を持ち、その長寿さから不老とも呼ばれる龍族は地上を生きる種族に興味などない。そのため、龍族は大陸の一部を切り取って天空に浮かせて暮らしており、気まぐれに地上へ天災を落とす。
大陸へ降りてくることはもちろん、誰かの弟子になるなんてもってのほかだ。そもそも龍族が人に化けられることも初めて知った。
……そりゃあ龍族なら雷ぐらい落とせるでしょうね。
私は思わず頭を押さえた。叶うならもっと前から押さえたかった。さっきからもうずっと、ずっと頭が痛い。
その師匠が私だなんて、元しがないパン屋の娘には荷が重すぎるよ!!
「フレミリア様が死ぬとき、俺はそばにいました。その時あなたは、『すぐに生まれ変わって迎えにいく』と俺に約束してくれたんです!」
一体なんて約束をしてくれたんだ!?
もう800年経ってるんでしょ。長いよ。フレミリア様とやらは、もっと早く生まれ変わってあげてよ!
ディアは目を潤ませて話しているが、こっちにとってはたまったものではない。
「だから俺は戦争を終わらせて、800年間この森で待っていました。あなたのことを、ずっと」
「戦争を、終わらせて……」
「はい。そしてあなたは、こうして俺を迎えに来てくれた」
もう無理だ。限界。限界です。
さっきから聞かされる話に馴染みがなさすぎてキャパを超えてしまった。
でも、ようやく、なぜ彼が私をフレミリア様だと勘違いしているのかが分かった。彼女と私がそっくりだからだ。髪や、目の色に至るまで。
だから、フレミリア様が生まれ変わって迎えに来てくれたのだと思っているのだろう。私はただ姿が同じだけで、たまたまこの森に『お使い』という名の追放をされただけなのに。
話を聞いて確信した。私には記憶もないし、魔力もないし、前世はしがないパン屋の娘だ。フレミリア様は確実に私ではない。
「……大丈夫です。あなたが俺を思い出してくれなくてもいい。ただ、幸せに生きてくれれば」
切なそうな顔すら、綺麗だな。
私には行く当てがない。このまま"フレミリア様"のフリをしておけば、ずっとここで優しくしてもらえるだろう。
最悪な考えが、一瞬頭をよぎった。
でも、そうするには、あまりにもこの人が可哀想だ。この勘違いを正さなくては。
「フレミリア様は、特にカレンデュラの紅茶がお好きでしたよね」
「分かりません。あの、」
「フレミリア様は、炎の魔法がお得意でしたよね。今世でもきっとお得意なのでしょうね」
「違います! 私、魔法すら使えないんです!」
「そんなはずがありません。あの日見せてもらった花火は、今も覚えて……」
「だから、話を聞いて!!」
ダン、と拳を机に叩きつけた。
ディアが目を丸くして黙った、一瞬の隙をついて言葉を続ける。
「私は、違う。本当に違うの。本当に、フレミリア様じゃない」
「……な、にを」
「私には前世があるんです。今と同じミレリアという名前で、同じ容姿で、250年ほど前に南の方の街でパン屋さんをやっていました」
「…………でも、フレミリア様は」
「魔法も産まれたときから使えない。ここに来たのだって、たまたま。元いた孤児院を追い出されたからなんです」
「たま、たま……」
「もし私がフレミリア様の生まれ変わりだったとして、パン屋の娘だった記憶はあるのに、フレミリア様の記憶がないのはおかしいでしょう?」
ディアの頬を一筋の涙が伝う。
そして、呆然としたように椅子に座り込み、「…………あぁ」と小さく呟いた。
それから、何度も霧の中の"フレミリア様"と私を交互に見つめて。
「私を初めて叱った日の天気は、分かりますか」
「いいえ」
「あなたが、私にくれた花の名前は……」
「……いいえ」
何度も言葉を飲み込んだ後、意を決したようにいくつかの質問を私にしてきたので、全てに首を振る。すると、ようやく私がフレミリア様ではないとわかったのか、彼は子供のように泣き出してしまった。
「……っ、う、あぁ…………」
その様子は小さな子供みたいで、突き動かされるように背中を撫でたくなって、やめる。
それは私に、『ミレリア』に許された行為ではないから。
どれだけ愛していたら、一人この森で800年も待てるのだろう。ふと、彼に出会った一面のカレンデュラの花畑を思い出す。
あれはきっと、彼がフレミリア様のために作った花畑だ。
それだけ愛していた人が、自分のために帰ってきてくれたと思ったなら、私の存在にどれだけ歓喜したことだろうか。そして今、どれだけ失意の底にいるのだろう。
思わず、フレミリア様じゃなくてごめんなさい、と謝ってしまいたくなる。今世の私は誰にも望まれていないから、余計に。そんなことを考えると、何故かまたうなじの傷が痛んだ。
首筋を抑えた私を見て、ディアは何かを思い出したかのように口を開く。
「…………っなら」
「え?」
「置いていかれるぐらいなら、俺はあなたと一緒に死にたかった」
その言葉に応える言葉を、私は持っていない。
何も関係ない私はただ、泣いている彼を見つめることしか出来なかった。