32.何も、なくなっちゃったなぁ
私が前世でパン屋さんをやっていた街は、コリンズという名前で、カレンデュラの森からずっと南へ行ったところにある。
最初にこの森へ来た時は、南の方に住み着いている亜竜の繁殖期だからと、ディアに行くことを止められていたが、既に一カ月と少しが経った今は問題なく向かうことが出来た。
もちろん、ディアが本気になれば亜竜なんて何の問題もなかったんだろうけど。一か月と少し前に私がこの森に来た時には、まさかこんなことになるなんて思っていなかった。それは、フレミリアの記憶を思い出すという意味でも、ディアとの関係性という意味でも。
以前湖へ行ったときのように、私を抱きかかえてコリンズの街まで飛んできてくれたディアを見上げて、そんなことを考える。
ディアは、この街を一望できる展望台のような場所に降り立つと、さらに高く私を抱き上げて尋ねて来た。
「どうだ? 懐かしいか?」
「その前にまず降ろしてください!」
しゅんとした顔をして降ろしてくれたディアにお礼を言って、街を見下ろす。
「懐かしい、けど。……やっぱり、結構変わってるなぁ」
地形を頼りに私の実家だったパン屋さんを探そうとするが、新しく建った建物が多すぎて見つからない。そりゃあそうだ。もう250年ぐらい経っているんだもの。
そんなことは覚悟していた。面影がなくなっているのは悲しいけれど、今回は、ただ懐かしむためにここへやって来たわけではない。
それでは、なぜ私がコリンズへやって来たかというと、前世の死因を思い出すためだ。
ディアと夜のピクニックへ行った帰り。私の部屋になっている物置小屋の窓枠には、見覚えのない手紙が挟まっていた。
確認してみると、それはベルさんからの手紙で、達筆な文字でこう書いてあったのだ。
『当時の文献を漁って調べてみたんだけど、確かに土砂崩れはあったみたい。でも、乗客が20人もいたのに、そのときに死んだのは君一人だけだったみたいだよ』、と。
真冬に冷や水をかけられたように身体が冷たくなる中で、首元で星のような光を放つネックレスが私に勇気をくれた。ディアと平穏に暮らしたいと望むならば、一刻も早くこの問題を片付けるしかない。
そういうわけで、穴の空いた前世の記憶を少しでも思い出すために、ディアとこの街へやってきたのだった。
「ディア、行きましょうか! まずは街を歩いて、何か思い出さないか試してみます……!」
◆
それから私たちは、ゆっくりコリンズの街を見て回った。
新しく出来たオシャレなパン屋さんでクロワッサンを買って食べて、それがあまりにも美味しかったものだから、明日の朝ご飯にしようと決めて、もう一度お店に戻って別のパンを買った。
その近くにあったお花屋さんでは、名前も分からない綺麗な花をディアがプレゼントしてくれた。ディアの瞳と同じ色の可憐な花だった。
絶世の美貌を持つディアが目立たないように帽子を被せてきたけれど、やっぱり美しさが隠しきれないようで、行く店行く店でおまけをしてもらっていた。おかげで、手ぶらで来たのにあっという間に両手はお土産で埋まった。
コリンズは田舎のおだやかな街だ。数刻歩けば、全て見て回れてしまうような。当然、目的を見つけることなんて容易い。
「…………そう、だよね」
歩き回って見つけた私の実家があった場所には、一軒家が立っていた。
ここに、こじんまりとしたパン屋さんがあったなんて。看板メニューはピザ窯で焼いたピザトーストで。それが結構人気で、午前中には売り切れる日もあったなんて。店頭に立つお母さんが近所で大人気だったことなんて、誰も覚えてないし、知らないだろうな。
「何も、なくなっちゃったなぁ」
右の目から涙が一筋、零れ落ちた。覚悟していたことなのに、実際に自分の目で見てしまうと、やっぱり、どうしようもなく悲しくて。
私が大好きだった家族は、もうみんな死んでいる。どこにもいない。どこに埋葬されているのかも分からない。ご近所さんも、幼馴染も、大好きだった店も、何一つ残らずなくなった。
「……ミレリア。その、」
「ディア。手、繋いでください」
「! あぁ」
心配して声をかけてくれたディアに手を繋いでもらって、ぼーっと一軒家を眺めているうちに、さらに涙が溢れて来た。
すごく大事にしてもらった。家族に愛されたのは初めてだった。フレミリアのときも、今世でも、貰えなかった愛をたくさん貰った。
今世のミレリアが、私が、心折れずに生きてこられたのは、前世のあたたかい記憶をずっと抱きしめていたからだ。
上手く言葉に出来ない想いを抱えたまま泣いていると、ディアが横から涙を拭ってくれる。繋いだ手があたたかい。
ディアは、今、生きている。私にはディアがいる。そしてディアは私と同じように、フレミリアを失った傷を抱えて生きている。今も。
さらに溢れてきた涙の端に、この辺りに住んでいるのであろう人の訝しげな顔が映って、私は慌てて涙を拭った。
落ち着け、私。こんなところで号泣している場合ではない。普通の一軒家の前でずっと泣いている女なんて不審すぎる。大好きな土地で不審者だと思われるなんて絶対嫌だ!
「もう、っ大丈夫です。行きましょう」
戸惑うディアを引きずるようにして、私は広場へと向かった。




