30.星が落ちた湖
ディアが部屋から出ていった後、用意してくれた外出用の服に着替える。
そして、自分の着替えた服がやっぱりこの前まではここになかったものだと確信を得てから、私はクローゼットを開けた。
「服、また増えてる……」
あきらかに増えている。知らない服が。勝手に。しかも高そうなやつ。
ディアの貢ぎ癖はおさまるどころかエスカレートしていっている。最初は物置だったはずのこの部屋だって、今となっては物置の面影すらない。むしろちょっと豪華な暮らしやすい部屋だ。
いつの間にか貢がれていたことにショックを受けつつも、返したところで捨てると言われるだけなので、あとで抗議とお礼を伝えることにしよう。そう決めて、テキパキと準備を進める。
動きやすいように髪を纏め、ハンカチなど諸々を籠バッグに詰めて、急いで部屋の外に出ると、そこには準備万端なディアがいた。
「準備できたか?」
「はい! いつでも行けます」
「じゃあ、荷物は俺が預かる」
こういう時のディアは預けるまで譲らないので、有り難く籠バッグを渡す。なんだか私も甘やかされることに慣れてきてしまった。
「楽しみですね。星の見えるところって、この近くですか?」
「あぁ。早速出発しよう」
ディアはそう言って、何故か私に近づいてきた。
「…………え?」
「飛んでいく。早く掴まれ」
「え、え!?」
よく分からないまま首に手を回すと、あっという間に抱き抱えられる。気づけば、いわゆるお姫様抱っこをされた状態になっていた。
ディアの手にはうっすら鱗が浮き出ていて、背中だけ変身魔法を解いたのか、大きくて立派な翼が生えている。
え? あの、もしかしてこのまま飛ぶんですか?
「で、ディア!? あの、ちょっとそれは無理があるというか!」
「大丈夫だ。間違っても落とさない」
「それ以外にも問題っ……きゃあ!?」
一瞬の浮遊感。のち、突風。髪を結んできて本当に良かった。一つ結びにした髪を払ってうっすら目を開けると、私は満天の星の中に浮かんでいた。
星に手を伸ばしたら届くと錯覚してしまいそうな距離感。まるで夢の中にいるみたいだ。
「……空の上って、素敵ですね」
「そうだろう。寒くないか?」
「寒くないです。案外風がないんですね」
「それなら良かった」
案外風がない、なんて呑気に言ったが、それはディアが魔法で極力、揺れや風を抑えてくれているからだと途中で気がついた。ディアは高度な魔法を使いながらギュンギュンと飛んでいく。
近くだと言っていたけれど、それはディアにとって近いだけだ。既に私だったら歩いて数刻はかかる距離まで来ている。
「着いた。ここだ」
そう言ってディアが降り立ったのは、森の北の方にある湖の辺りだった。透明度の高い水に空の星が反射して、湖はまるで星空が落ちてきたように輝いている。
「うわぁ、すっごく綺麗な場所……! いつこんな素敵な場所を見つけたんですか?」
「ずっと前だ。考えごとをするときに、たまに来ていた」
考えごと。思い当たる節がありすぎて返事が出来ないままいると、ディアは静かな湖畔に、家から持ってきた大きめの布を敷き始めた。
「ディア。暗くて見づらくないですか? 怪我しないように気をつけてくださいね」
「大丈夫だ。……クロ。頼む」
「了解! 了解! ミレリアを元気にするよ!」
突然クロの声が響いたかと思えば、私たちの周りに柔らかくて優しい光がいくつか浮かび始める。淡いオレンジ色で球体のそれは、まるでランタンのようだ。
「すごい! これ、クロの魔法なの?」
「そう、そうだよ! それじゃあ、楽しんでねっ」
「え、行っちゃうの!?」
瞬きをすると、次の瞬間にクロは消えていた。気まぐれでいつも嵐みたい。
でも、きっと今回は気を遣ってくれたのだろう。ピクニックが大好きなクロは、いつもならきっと一緒にピクニックをしたがるから。
ふわふわと浮かぶ明るい光に照らされながらピクニックの準備を進める。
ディアが作ってきてくれたのは、色とりどりのサンドイッチとミネストローネだった。あたたかい紅茶も淹れてくれる。野外とは思えない充実ぶりだ。
「いただきまーす」
「あぁ。どうぞ」
はむ、とサンドイッチを一口。具材はチーズとハムとキュウリの簡素なものだったけれど、使われているソースが美味しい。ピリッと辛くて、でも後味はマイルドだ。
「すごく美味しいです! さすがディア!」
「……それなら良かった」
「ディアって本当に何でも出来ますよね」
弟子だった時もそうだった。あの時の私は料理も農業も出来なくて、ダメダメで。そんな私のお世話を焼いてくれたんだった。
前世のパン修行と、今世の召使い期間を経て、私も随分成長したものだなぁ。今世は辛かったけれど、そのおかげで家事に磨きがかかって、ディアに美味しいものを作れるようになったと思えば案外悪くないかも。
懐かしいことを思い出して、思い出し笑いをしていると、ディアは真剣な顔でぽつりと口を開いた。
「何でも出来る、と。そう思っているなら、どうして俺を頼ってくれないんだ? 何故俺じゃなくて一番にベルを頼りにする?」
「……え、と?」
「俺は、いつでもミレリアの頼りになりたいと思ってる。何でもする。何だって出来る。だから、悩んでることがあるなら相談して欲しい」
そう言ってくれた、ディアの瞳は寂しそうだった。
思わず言葉に詰まる。私はディアが一番大切だ。でも、だからこそ、ディアには話せないことがたくさんある。
よく分からないことに巻き込めない。出来れば何も話したくない。昔だって本当は戦争に参加させたくなかった。ディアには、切り傷ひとつだって傷ついて欲しくない。
いくらディアが強くなったって、私はディアの師匠だから。だった、から。
でもそれは、ディアに寂しい思いをさせたいわけでも、信頼していないわけでもない。私だって全部話して救われたいって、今までに何度も考えた。その度に立ち止まるのは、自分の感情にも、私の事情にも、何にも整理がついていないからだ。
それなら、私の事情を知る手伝いを頼むぐらいなら、許されるのではないだろうか。
涼しい風が頬を撫でる。夜空の星も私の背中を後押ししてくれているような気がした。話してみよう。
「……ありがとうございます。相談、してもいいですか?」
途端にディアの顔が輝く。
その表情にさらに後押しされて、心配させないように上手く言葉を選びながら口を開く。
「私が悩んでいるのは、前世のことなんです。どうやって死んだのか記憶が曖昧だってことに、最近気がついて。もしかしたら何かあるのかもな〜って」
「前世というと、パン屋の?」
「そうです。ベルさんって錬金術とかに詳しいじゃないですか。だから、前世のことも詳しいかなと思って相談してたんです」
「そう、なのか」
「はい。これからはディアのことも頼りにしていいですか?」
ディアが断るわけがない。答えなんて分かりきってるのに、わざとらしく聞くと、ディアは耳を赤くしてふいとそっぽを向いた。
「最初から頼れ。愚か者」
「はい。愚か者です」
「……ふん」
「ふふ。じゃあ、早速頼っていいですか?」
完食したサンドイッチの包みを置いて立ち上がる。
実はここに来てからずっとしてみたいことがあったのだ。ディアなら無茶なお願いでもきっと叶えてくれる。
「私、ディアと湖でボートを漕ぎたいです」




