3.他人行儀、じゃなくて他人です
私の前世の名前は、『ミレリア』という。
小さい頃の私が自分をミレリアだと言い張り、それ以外の名前に反応しなかったので、今世も前世と同じミレリアという名前になった。
だから、『フレミリア』という名前だったことなんて人生で一度もないし、こんな綺麗な人は二度の人生を通しても知り合いにいない。
それなのに、このディアと名乗る美しい人は、私を『フレミリア様』だと確信しているようだった。
ディアと名乗った彼は、未だ涙を流しながらも感極まった表情で私の手を握り続けている。
「フレミリア様? どうかされましたか?」
「ええと、ごめんなさい。……あの、人違いでは」
「いいえ。間違いありません!」
どこからくるの、その自信は。
そもそも誰なんですか、あなたは!?
クラリと目眩がした。
そうだ。まず、状況を把握しよう。この人が何者なのか尋ねなければ。
「あなたはこの森に住んでいるんですか?」
「……フレミリア様、なぜ昔のように話してくださらないのですか?」
「え」
「なぜそんなに他人行儀なのです。今更知らない人のフリをしているんですか? おふざけならやめてください」
「いや、あの」
顔が綺麗な人が顔を顰めるだけで、こんなに迫力が出るものなのか。
彼から目を逸らして思わず空を見上げると、辺りに暗雲が立ち込めていた。さっきまであんなに天気が良かったのに!?
暗い雲は彼の上で留まり、雷鳴を轟かせる。
「ひゃっ」
落ちた! すぐ真後ろに! 雷が落ちた!!
無意識でディアの胸に飛び込む。すると、彼は慈しむように私の背中に手を回して、壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
「すみません。感情が、昂ってしまいました」
今の雷はあなたがやったんですか!?
腕の中で震える私に、彼はとろりと甘い視線を向けて、より一層強く抱きしめる。若干苦しい。
「ふふ。俺はあなた以外にこんなことはしませんよ。……やっと、あなたを抱きしめられた」
「……………」
もう黙っていることしか出来なかった。
どうしよう。もうこれ、どうすればいいの。そもそも感情が昂っただけで雷を落とせるって、一体何なんだ。怖いよ。
この人に慕われているフレミリア様っていうのは、一体何者なんですか。
森の中を延々と彷徨っていたときも絶望感でいっぱいだったが、今も正直同じレベルの絶望を感じている。
「それではフレミリア様。俺たちの家に帰りましょう!」
ディアは私を腕の中から解放して微笑んだ。
こんなにカッコいい人に迫られるなんて、手放しで喜びたい状況のはずなのに、一体どうしてこんなことに……?
私が返した笑みは、引き攣っていなかっただろうか。
◆
目の前で雷を落とされた上で、もう一度私がフレミリア様ではないと告げるなんてことは出来なかった。今度こそ死ぬかもしれないから。
これから家に向かうと言うし、一度ゆっくり話を整理させてもらってから結論を出した方がいい。
そう考えた私は、慣れた様子で森の奥へ向かう彼に大人しく着いていくことにした。そして、ガッツリ繋がれた手に怯えながら少し歩くと、想像していたよりも庶民的な、煉瓦造りのあたたかな家が見えてきた。
「こちらですよ」
「……お邪魔します」
「お邪魔するも何も、あなたの家なんですから。ただいま、でいいのに」
そんなわけがあってたまるか。初来訪だよ。
脳内でツッコミを入れるのも疲れてきた。早く誤解を解かなければ。
「あの、ディアさん」
「……ディア、と。昔のように呼び捨てにしてくださらないのですか?」
「だから、えっと……ディ、ディア。私、話したいことが」
「俺もたくさんあります。でも、まずは紅茶と菓子の用意をしましょう」
彼は嬉しそうに笑って、パチンと指を鳴らす。
すると、茶器が自動で動いて、数秒後にはテーブルが完璧にセットされた。
す、すごい……! こんなに高度な魔法は見たことがない。
街の人たちが使える魔法は、火や水を出したり、そよ風を起こしたりとシンプルなものだけだ。本当にこの人、一体何者なんだろう。
そっと見上げると、彼は無邪気に笑った。
「あなたが帰ってくると思って、ちゃんと部屋はそのままにしてありますよ!」
そんなことは一切心配していません。
思わず顔が引き攣るのを感じながら、席に着く。
淹れたてをどうぞ、とディアからしきりに進められるので、席に着いて紅茶を一口いただいた。
わぁ! すごく美味しい。
薬草の味がするのに甘みがあって、渋みはいっさいないのが不思議だ。
すると、頬を緩めた私の様子を見たディアが「フレミリア様が一番好きなお茶でしたよね」と微笑むので、私はついに腹を決めた。
とにかく、早く切り出さないと。
「あのね、ディア。話さないといけないことがあって」
「何でしょう」
彼は相変わらず、愛おしくて堪らないということが溢れて仕方がないような目を私に向けているが、それは私を明らかに別人の誰かと勘違いしているからだ。
今。今だ。今、言わないと。絶対後悔する。
意を決した私は、バクバクとうるさい心臓を鎮めるように深呼吸をしてから、口を開いた。
「私の名前はミレリアといいます」
「……それが、今世のフレミリア様のお名前ですか?」
「ええと、私はフレミリア様ではありません。ただの、ミレリアです。あなたには会ったことがありません」
言った。言って、しまった。
ディアの反応を恐る恐る確かめると、彼は大きな目をパチパチと瞬かせている。
「…………忘れているのですか?」
「忘れているとかではなく、私は……!」
「……そう、ですよね」
分かってもらえた!
喜んだのも束の間、彼は変わらない笑顔を私に向けた。
「生まれ変わったのだから、記憶の欠落があってもおかしくありません。……あぁ、だから様子がおかしかったのか。俺がちゃんと説明しなければなりませんね」
「え?」
「俺がどうやってあなたに出会ったか、お話します」
ディアがそう言うと、目の前に白くて薄い霧が現れる。その中には私と怖いくらいにそっくりな女の子の姿が映っていた。