19.帰らないと
「……シスター」
「あらあら! 庭に誰かいると思って来てみたらミレリアじゃない! あなた、あの森から帰って来れたのね?」
「……はい。でも私、水晶華は見つけられませんでした。だから」
ここから出ていきます。
そう繋げようとしたけれど、出来なかった。
「いいのよ。あなたを『お使い』に行かせたことを私、すごく後悔していたの」
シスターがギュッと強く私を抱きしめたから。
「…………後、悔?」
「えぇ。まずはお茶でも飲みながら話をしましょう。許されないことをしたのは分かってる。それでもせめて、謝らせて欲しいの」
ずっと、私を虐げてきた人。遂には森へ追放した人。
頭では何かあるんじゃないかと怪しんでいる。それでも、心が喜んでしまっているのは、確かで。
「……分かりました」
ちゃんと、話を聞いてから判断しよう。
そう決めた私は、シスターの後をついて久しぶりに孤児院の中へ入った。
案内されたのは応接室だった。
孤児院の掃除はほとんど私がやっていたけれど、大事なお客様が来るからと一度も入れてもらったことがなかった部屋だ。
こんな造りになっていたのか、と内装を眺めて、ふかふかのソファへ座る。
シスターは高級そうな茶器を二つ出して、お気に入りだという紅茶を淹れてくれた。
こんなことは、私の16年間の中で考えられないことだ。
「どうぞ。美味しいのよ」
「……いただきます」
美味しいけど、やっぱりディアが淹れてくれた紅茶の方が美味しい。
そういえば財政難だと言っていたのに、こんな高級な茶器がある、なんて──────。
「あ、れ……?」
まるでクロに飛ばされた時みたいに、視界がグニャリと歪む。頭がぼおっとしている。何これ。強烈な眠気で目を開けてすらいられない。
歪んでいく視界の中で、シスターが歪に笑っているのが見えた。
◆
気がつくと私は見覚えのない部屋にいた。手足は縛られていて、台の上に横たわっている。
ここ、どこ─────?
ぼんやりとする頭で考えても、何が何だか全くわからない。
「あら、起きた?」
シスターの声が聞こえた。シスターは手に禍々しい色の本を持っている。
「し、すた」
「あなたを追い出してから、本当に惜しいことをしたと思ったのよ。教団でも怒られたの。あの人たちも、もっと早くこの本を読ませてくれたら良かったのに」
「なん、でこんな」
「魔力がないってことは、あなたの中身は空っぽだってことなのよ。シンシア様を下ろすのにピッタリ。あとは人格さえ消せば完璧ね」
「しんしあ」
聞いたことのある名前。
────シンシアを崇めてるクローテッド教団ってあったでしょ?
不意にベルさんの言っていたことを思い出す。
復活したとか、してないとか。今、シスターは『シンシア様を下ろす』と言った。
それはつまり、復活させるということ? 下ろすというのは、私に?
「さぁ、早くあなたを空っぽにしましょう」
逃げなければならない。
そんなことは分かっているのに、おそらく薬を盛られた上に縛られているせいで、身体はピクリとも動いてくれなかった。
シスターは禍々しい本を見ながら、何やら呪文を唱え始めている。
本が光るたびに頭がぼんやりして、何も考えられなくなる。頭が、グラグラする。私の大切なものがどんどん消えていくような、そんな気持ち悪い消失感。
ディア。ディアのところへ、帰らないと。
早くあの森に帰らないと。帰らないと、いけないのに。
「たす、け」
「助けなんて来ないわよ。何のために私がシスターになって、あの忌々しい森の近くで機会を見計らってきたと思ってるの?」
シスターが何かを言っているが、何も頭に入ってこない。
それより私は、早く、あの森へ─────。
本がより一層禍々しく光った、次の瞬間。
ブツッ。頭の中で音がして、私の意識は途切れた。
「さぁ、教えて。あなたの名前はなぁに?」
「……わたし、わたしの名前、は」
「そう。あなたの名前よ」
「ふれ、みりあ」
「……え?」
「私はフレミリア。フレミリア=カレンデュラ」
「あなた、一体何を言って」
「私は、西の魔女。許さない。絶対に守る。死なせない。あの子のことは、私が。私が、わたしが、わたし、わたし、わたし?」
圧倒的な何かが身体の中から溢れ出す。
それは周囲の全てを薙ぎ倒して、すぐに消えた。




