11.衝撃の生い立ち
天気が良くて風の気持ち良い午後。
私はパンの発酵が終わるのを待ちながら、ひたすら読書に耽っていた。過去のことや、フレミリア様についての手がかりを探すためだ。
前世の記憶があるといっても、私が生きていたのはたった250年前。しかもしがない街のパン屋だった私が、約800年前に起こった戦争の詳細なんて知る由もない。
しかし、中途半端に片足を突っ込んでしまった以上、過去にどういうことがあったのかは気になる。
本当はディアに聞くのが一番良いのだろうが、どこまで踏み込んでいいかも分からないので、こうして自分で調べているのだが……。
「よく分かんない単語ばっかで話が進まない……!」
今はなくなった地名や物の名前につまずき、調べて続きを読むことの繰り返し。物の名前かと思ってたら人名だった、なんてことも沢山あって、お手上げ寸前だ。
「そもそも魔法使えないからなぁ」
フレミリア様のものであろう本は魔法書が多かった。
どうやら、人間の使う魔法と、魔女が使っていた魔法は違うらしいが、そもそも魔法を使えない私はスタートラインにすら立っていないので何の話かさっぱり分からない。
一旦休憩しよう、と顔をあげてパンの発酵具合を確認する。
「よし。次はオーブンに……っ!?」
突風が吹いた。
机の上に置いていた本が、バラバラとすごい勢いで捲れる。これは、もしかして。
はためく髪の毛を必死に抑えていると、風と共にフワリと人影が現れた。
「ベルさん!?」
「こんにちは。また来ちゃった」
ピタリと風が止むと、ベルさんはそう言って穏やかに微笑む。その姿は、まるで重力がないみたいに軽やかだ。
「これお土産。ディアは?」
「花畑の方にいます。お客さんがいらしたみたいで」
ベルさんから渡された籠の中には、立派な甘夏がたくさん入っていた。目を輝かせた私を見て、ベルさんはニコニコ笑っている。
「いいでしょ〜、それ。うちの森で立派になってたから、ミレリアにあげようと思って」
「すっごく嬉しいです! 今からデニッシュを焼くところだったので、早速使いますね。完成までちょっとかかるんですけど、良かったらベルさんも食べて行きますか?」
「やった。実はこの前のパンがすごく美味しかったからさ、また作ってくれないかと思ってたんだよね」
ベルさんが片手のひらをこちらに向けてくるので、私も手を伸ばしてハイタッチ。手のひらがやけにひんやりしていて、ちょっと怖い。
「ベルさん、今日は何の用事ですか?」
「ディアに話があって来たんだけど、取り込み中なら仕方ないからなぁ。ところで、なんでここじゃなくて花畑の方にいるの?」
「その、お恥ずかしい話なんですけど、私が弱すぎて心配らしくて……」
首を傾げたベルさんに、私が森で狼に襲われてからディアが過保護になってしまったことを説明すると、彼も私の弱さにちょっと引いていた。
もしかしてベルさんも、お腹に穴が開いても死なない人なんだろうか。直接尋ねる勇気はなかったが、きっとそうなんだろうな。ディアと同じ匂いがするし。
「私は自室にいるから問題ないと言ったんですけど、私に危害が及ぶかもしれないから自分が出ていくって言って聞かなくて」
「あはははっ! いつの間にかめちゃくちゃ仲良しになってるじゃん」
「仲良しというか……これって仲良しなんでしょうか? どちらかというと保護者みたいな感じしません?」
思わず渋い顔をしてしまう。
ベルさんはというと、手で輪っかを作って目に当てている。少しの間そうしていたかと思うと、彼は手を下ろして私の方を向いた。
「……まぁ、そうだね。今魔法でちょっと"視て"みたけど、同族が来てるんじゃ心配かもなぁ」
「同族!? え、龍族ってことですか!?」
「うん。ああ見えてあの人、王子様だからね」
「王子様!?」
最初に驚かされすぎて、もう驚くことはないだろうと思っていたけど、思わず大きい声をあげてしまった。
ベルさんは「声大きいって」と笑っているが、え、いや、え!?
「だって王子様ですよ!? めちゃくちゃ偉い人じゃないですか! あれ。でも前に、天から捨てられたとか言ってましたけど……?」
「そうそう。権力争いに巻き込まれて追放されたらしいよ。でも龍族って清々しいぐらいに実力主義だから、当代で一番強いディアに王位を継いで欲しいって300年前ぐらいから押しかけて来てるんだよね」
「すごい話ですね」
一般庶民が聞くには荷が重い話すぎて、顔が引き攣ってしまった。
ディアは、想像以上にハードな人生を生きすぎている。自分を拾ってくれたフレミリア様にあれだけ執着するわけだ。今世の自分もそこそこハードモードだなと思っていたが、比べ物にならない。
そもそも、空の上に土地を浮かばせて住んでいるってだけでも想像がつかないのに、その中で一番強いってどういうことなの。
「ま、王位は継がないらしいけどね」
「フレミリア様を待ってるから、ですか?」
「もちろん」
キュッと胸が締め付けられる。
どうにか、彼女とディアを出会わせてあげられないものだろうか。




