1.追放から始まった誕生日
「痛ッ……」
うなじにある傷の痛みで目が覚めた朝、18歳の誕生日を迎えた。
思えばこの時から嫌な予感はしていたのだ。
大切に使っていたブランケットはついに寿命を迎えて破れ、朝ごはんの片付けをしていたら皿が割れて破片が指に刺さり、トドメには髪留めが壊れた。
この孤児院で暮らし始めて18年になるが、誰一人として祝ってくれる人がいないのは毎年のことだとしても、ちょっと運が悪すぎる。
でも私、今日誕生日だから。うん、そうだ。これからきっと全てをひっくり返すような良いことがあるはずだ。いや、むしろないとおかしい!
そう考えていた私に、想像以上の誕生日プレゼントが降ってきた。
「…………お使い、ですか?」
お願いがある、と私を呼び出したシスターは名をアネスといい、この孤児院の院長にあたる。
彼女は、初めて見るような優しい顔で口を開いた。
「えぇ。カレンデュラの森まで行って、水晶花を取ってきてくれないかしら?」
「あの森へ!?」
カレンデュラの森。帝国最西の街、つまり私が住む街のさらに端にある森は、『魔の森』と呼ばれている。
昔、大きな戦争が起こった時に戦地となった場所らしく、面白半分に入った者はみんな行方不明になっている。そのため、今もその地に残った怨念が祟りを引き起こしているのだと言い伝えられ、地元の人間ならまず入らない。
手付かずの森の中には過去の遺産があるに違いないと、一攫千金を狙った冒険者気取りの者たちが森へ向かうのは何度か見たことがあるが、もちろん帰ってきた者はいない。
そんなことはシスターも知っているはずなのに、どうして?
何かの冗談だと信じたくて、唖然とした表情で聞き返したが、シスターはゆったりと微笑むだけだった。
「うちの孤児院の経営が危なくなってきていてね? 最年長のミレリアには、一肌脱いで欲しいのよ」
「もちろん、お力になりたい気持ちはあります! 確かに水晶花は売れば高値がつくと思いますが、カレンデュラの森に水晶花があるという保証なんてありません!」
「いえ、あるはずだわ。図書館にある古い文献に記録が残っていたもの」
「そもそも、経営が危ないなんて話は聞いたことがっ……!」
「ミレリア。あなた、今日で18歳でしょう? 花街へ行く、という選択もあるけれど……どちらがいいかしら?」
そこまで言われて、ようやく理解した。
これは私を孤児院から追い出すための口実なのだと。
◆
花街に売られるぐらいなら、一か八か生存の可能性がある、森へのお使いを選んだ方がマシ。
そう判断した私は、すぐに荷物を持って孤児院を出ることになった。元々少ない荷物はあらかじめ玄関にまとめられていたし、別れを告げる相手もいないので、孤児院を出るのに時間はかからなかったのだ。
そのため、すぐにカレンデュラの森へ連れてこられて、森の中を彷徨うことになった。
見張られていなければこっそり逃げ出そうと思っていたのだが、シスターが森の入り口で見送ると言ってきかなかったのだから仕方がない。
あの人はどうも、本気で私に帰ってきて欲しくないらしい。
薄暗い森の中は、雨上がりの匂いがする。私はこれからどうなってしまうのだろうか。
そんなことを考えた瞬間、急に力が抜けて、その場に座り込んでしまった。そのまま、後ろにあった大きな木に背中を預ける。
「…………あっけないな」
この18年間、本当にあっという間だった。
何せ0歳のときに孤児院の前に捨てられてからずっとここで暮らしてきたというのに、全く馴染めなかった。
嫌な思い出ばかりではないけれど、まともに会話をした人なんて片手で数えるぐらいしかいない。いつも、不気味がられていたから。
「やっぱり、前世のせい?」
ポツリと呟いた声は森の中で響くばかりで、返事はない。
私には前世の記憶、というやつがある。自分でもたまに妄想なんじゃないかと思うが、違う自分として生きていた記憶がハッキリあるのだ。
前世の私は、約250年ほど前に、ここよりももっと南の街で、両親とパン屋さんを営んでいた。
両親や街の人たちに愛されながら毎日パンを作って、恋には全く縁がなかったけれど大好きな友人はたくさんいて、21歳になった春に、乗っていた馬車が土砂崩れに巻き込まれて死んだ。それでも幸せな21年間だったと思う。多分。
このことをハッキリと思い出したのは私が5歳になったときだったが、その前から既に片鱗は出ていたらしい。年不相応なことばかりする子供だった私は、悪魔が憑いていると噂され、預けられた教会の孤児院でさえも気味悪がられた。
これで魔法の才能があったなら話は違ったかもしれないが、私の魔力はゼロ。前世でなかったものが今世であるはずもないのだが、みんながあまりにも悪魔憑きだとか言うからちょっと期待していたのに。当時はしょんぼりしてしまった。
ここは狭い街だ。おまけに、濃紺の髪に深いオレンジ色の目と、やけに珍しい容姿をしていれば、私が悪魔憑きだという噂はあっという間に街中に広まる。
こうして私は、どこか気味が悪いのに誰もが当たり前のように使える生活魔法すら使えず、職も結婚も望めないという究極の穀潰しになってしまったわけだ。
そういうわけで、せめて役に立とうとシスターから任せられた雑用全般を必死にやっていたわけだが、これが案外楽しくて!
前世の母にたっぷりしごかれたおかげで家事に苦手意識がなかった私は、それはもう全力で取り組んだ。本気でやっているうちに、いつしかこだわりも芽生えてくる。
料理に洗濯に掃除に! シスターは色々なことに挑戦させてくれたが、そんな中でも一番楽しかったのは、半ば放置されていた裏庭を開拓することだった。
前世でどれだけ美味しいパンを作れるかに情熱を燃やしていた私は、ついにレシピのみならず材料にこだわり始め、家の小さな庭で慎ましく土いじりに精を出していた。それが今世では広大な裏庭を好きにしていいと言われたのだから、もう堪らない。
育てた野菜たちが美味しいパンに変わる瞬間は最高だ!
孤児院のみんなが顔を出してくれたことは一度もなかったけれど、私がいない間もちゃんと水やりぐらいはしてくれるだろうか。それだけが心残りだ。
「……誰も水やりしてくれないだろうなぁ」
本当は知っていた。
自分がどれだけ嫌われていたかも、追い出そうとされていたかも。
それでも、役に立ってさえいれば孤児院にいてもいいと思い込んでいた。
普通に追い出されるだけならまだしも、魔の森へ"お使い"だなんて、シスターは余程私のことを疎んでいたらしい。知ってはいたことでも、やっぱり傷つく。だって今日誕生日だし。
今世でもいつか、パン屋さんになりたかった。俯いて、若干湿った地面を見つめながら、ふとそう思った。
両親のレシピは今でも覚えている。
小さな店でいい。パン屋を開いて、両親のレシピを再現し、あの頃の知り合いがもう誰もいなくなってしまったこの世界で、少しでも独りぼっちじゃないと思いたかった。
──────これから、どうしよう。