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6、戦力転換点

 フラレシアの攻勢から数日の時が経った。戦線は膠着し、お互いに決定打が無い中で睨み合いが続いていた。

 指揮官がやる気にならないと、我々もすることがない。せいぜい、敵の攻撃があった際に対処をするくらいなものだった。

 アリスレークルとフラレシアの国境西部の地形は山間であり、開戦以来はフラレシアが若干戦線を押したものの、元の地形が地形なので、そちらも膠着していた。

 おかげで新聞を読むとか、ニュースを見るとかして状況に一喜一憂するくらいしかやる事がなかった。

 そんな日々を送っていると、ついに待ち侘びた新聞記事が目に入った。


――内閣不信任案可決 戦争集結の第一歩か?――(セルアス・テレグラム紙 2008年6月9日朝刊)


 昨日8日、西方議会議場にて、ロレイル・エルメネーヌ首相の不信任案決議が賛成多数で可決された。これによりエルメネーヌ首相は内閣総辞職の手続きに入らなければならず、エルメネーヌによる政治体制が終わりを迎える事を意味する。

 自由協調党(FCP)の公式発表によると、この不信任決議はティレト大陸東部の国家、フラレシア社会共和国とアリスレークル共和国の間で発生した一連の戦乱である、東ティレト戦争が原因であり、首相がこれに消極的な姿勢を取り続けていた事が今回の決議に繋がったという。

 東ティレト戦争は、開戦から既に2週間を数えるが、未だに多くの民間人が犠牲になり、王立魔法軍の兵士達が戦いを続けている。

 アリスレークルに派遣されている第3遠征軍の司令官は、7日の記者会見で、「とにかく兵力が足りない。本国の増援が無いと戦いを続けられない」と、繰り返し厳しい戦局を示す声明を発しており、また、「エルメネーヌ首相が判断を躊躇う間、現場の兵士達がより多く犠牲になる」と、エルメネーヌ内閣の姿勢に憤慨する姿勢を示した。

 今回の戦況を鑑みて、議会では閣僚内でも不和が発生している様子が見られ、「それでは、魔法軍の兵士達は保護すべき自国民ではないのですか?」と質問した、民主主義と労働者の党(DALP)所属のサティル・エメリース議員に対し、シェロフィー・ロレーゼ外務執政院長が「保護すべき自国民です。()()()()()()()そう思っております」などと答弁した様子は、これを示す論拠たり得るだろう。

 次期首相については、現在外務執政院長のシェロフィー・ロレーゼ氏が最有力候補であるが、他にもFCPの議員や一部閣僚が立候補の意向を示している。

――


『セルアス・テレグラム』という新聞の一面記事がこんな感じであった。他の新聞を見ても、やはり同じような記事が一面に載っている。

 ようやく、政治の表舞台から、エルメネーヌが姿を消した。これで少なくとも、エルメネーヌは近日中に最高指揮官としての実権はなくなることになる。軍人達は安堵している事だろう。

 しかし、そこから更に時間がかかるとなると、私は安心していられなかった。海軍のおかげで制空権はマシになってはいるが、フラレシアはまだ兵力を持っている。本国から増援を送らない限りは厳しいだろう。増援が送られるのは、果たしていつになることやら。

 パサリと投げ出すように、私は机の上に折り畳んだ新聞を置いた。

 すると、リメリールがいきなり、「あっ」という声を上げた。

「どうしました?」

「ああ、いえ。羽が抜けただけです」

 リファレールの質問に、リメリールは抜けた羽をまじまじと見ながら答えた。

「良い兆候ではありませんわね」

 四つ葉のクローバーを見つけると運が良いとか、黒猫が前を横切ると不吉な予兆とか、そんな感じの占い的な物の一種に、フォーレドラギアンの羽が抜けると不吉な事が起こるという言い伝えがシャルステルにはあった。ウェステーリスが言ったのはそれだ。

「痒かったんです」

 リメリールは持っていた羽をゴミ箱に捨てた。

「痒いなら仕方ありませんわね」

「まあ、根も歯もない噂よ」

 ディルメースの言うように、結局は根拠のない話だ。フォーレドラギアンの羽が抜けようが、雨が降ろうが、黒猫が目の前を横切ろうが、運が良い時もあれば、そうでないときも当然あるものだ。

「しかし、不吉というか、厄介な事には既になってますからね」

「何がです?」

 リファレールが呟くと、リメリールが反応した。

「戦線の膠着です。エルメネーヌ首相が退陣するまでの対策として、フラレシア方面を除く国境防備を手薄にしたじゃないですか。そのおかげで戦線は、よく言えば安定しましたけど、悪く言えば停滞しているんですよね」

 数日の間に、上の人達も手を(こまね)いていたわけではなかった。国境守備隊の名目で遊兵となっている南方管区司令部管轄下の部隊を、なんとか戦線に投入できないかと、遠征軍司令部や南方管区司令部に度々掛け合っていたのだそうだ。

 南方管区司令部は乗り気だったが、遠征軍司令部の方は政治家の理解が得られないという理由で、消極的な態度を取り続けていた。そのせいでゾラニーラの戦いが勃発したのだ。

 もしあちらの部隊が投入できていれば、敵は我々の兵力の多さに恐れ、攻撃を躊躇ったかもしれない。もし攻撃があったとしても、追撃戦に移れるほどの余力があっただろう。

 ちなみに、あの戦いで追撃をしなかった事を一部の物知らずから非難されているのだが、これは兵力の不足が原因であった。川を越えて追撃しても、敵の縦深は深く、比較的余力のある敵の予備部隊にやられていた可能性が高かった。

 いくら敵の夜戦の能力が下がったとはいえ、それは歩兵戦力に限る。その後ろに控えている戦車や装甲車、砲爆撃でやられる可能性は大いにありえたし、そうならない保証はどこにもなかった。

 だから、管区司令部も、管轄地域の旅団長も、追撃はしないという事で一致したのだ。私もそれを支持し、結果、兵力の温存に繋がった。

 そもそも本国の支持が取り付けられていない時点で、無理に進撃してもたかが知れている。最悪の場合は見捨てられて終わりだ。

 物事には順序があり、それに従わないと、大抵の場合は悪い結果を残す事になる。今回もそのパターンだ。おそらく追撃戦をした場合、余計な犠牲を払うハメになっただろう。

 それでも対フラレシアの兵力は結果的に増強されたし、それで戦況も少しはマシになった。しかし、リファレールはそれでは不満な様子だった。

「攻撃ばかりされていた時に比べたらマシでは?」

「まあそうなんですけど、それでも戦争が終わらせられないじゃないですか。フラレシア側が何か手を打ってきた場合に、対応できますかね?」

「兵站の都合から空挺降下はできないでしょうし、制海権の都合から着上陸もない。そう考えると、結局フラレシアは手を封じられていると思いますけど」

「サイバー領域もからきしですし、宇宙なんて手が届いてませんものね」

 ミラリスとウェステーリスがリファレールに説明したが、彼女は納得しなかった。

「後は空爆ですよ。これがどうにかなれば良いんですけどね……」

「海軍に続いて、空軍がやる気にならないと無理ですよ」

 リメリールが言うと、リファレールはため息を吐いた。

「結局、政府を変えるのが一番早いんですか……」

「急がば回れって奴ですわよ。我々にはどうにもできませんし、気長に待つのが一番ですわ」

「焦る気持ちもわからなくはないけどね」

 私はリファレールの心の奥底に、不安という感情がある様に見えた。彼女も所詮は一人の人であり、怖い物は怖いのだ。気弱な性格ゆえだろうか。

 なんてことを話していると、電話がかかってきた。電話は室内にいる中で最も階級が低い者が取る決まりがあるので、リファレールが電話に出た。

「はい、参謀事務室。はい――」

 受話器を取ったリファレールが、段々と動揺していく様子が、声色と表情から見てとれた。

「……旅団長がですか?」

 リファレールが電話先に返したその一言で、天幕の中の皆がざわつき出したり、別の人を見たりなどして、明らかに動揺し始めた。旅団長に何かあった事が想像出来たからだ。

 私はリファレールの様子を観察し続けた。

「――わかりました。ありがとうございます。では……」

 何度かの相槌を打ってからやり取りを終え、リファレールは受話器を置いて、ディルメースを見た。

「……副旅団長、野戦病院から報告です」

 連想される事など言うまでもない。私はディルメースに報告するリファレールの様子を、じっと見ていた。

「旅団長が何らかの兵器による爆発に巻き込まれ、意識不明の重体だそうです」

 リファレールがそう言った瞬間、ディルメースは両手で顔を抑えた。私も驚きはしたが、その可能性自体は覚悟していたので、意外と冷静ではいられた。

「……冗談ではないのよね?」

 ディルメースの質問に、リファレールは黙って頷いた。

「……他に、被害はありました?」

 今度はミラリスがリファレールに聞いた。

「はい、副官のロイナス・イルメアン少佐は意識はある様ですが、かなりの重傷だそうです。運転手は亡くなられたみたいで……」

「……そうですか」

 私は呑気にも、これは大変な事になったなと考えていた。覚悟できていたのだろう。それより、これが敵にバレないかがまず気がかりだった。

 おそらく、地雷を踏んだか、不発弾を爆発させたかしたのだろう。

 なんにしろ、ジュレーニーツは指揮を執れる状況にはない。当面の指揮はディルメースが引き継ぐことになるだろうし、ディルメースの後任の人も気になった。とはいえ、ディルメースもミラリスも、見たことがないくらい動揺している。ディルメースは動かないし、ミラリスもキョロキョロと周囲を見渡しているだけだった。おそらく今は頼りにならない。

 旅団長がやられたのは、方面管区司令部に向かう途中の道すがらだ。

 薄情かもしれないが、こうして考えておけることはやっておかないと、後で自分達が割りを喰う。いない者に足を引っ張られてはならないのだ。

 とりあえず、私は二人に見切りをつけて、席を立った。

「……作戦参謀、どちらに?」

「私が代理として、お見舞いついでに方面管区司令部に報告してきます」

「それなら私が……」

 私はミラリスの質問に背中で答えると、ディルメースが止めてきた。

「いえ、副旅団長……旅団長代理に何かあってはいけません。副旅団長代理もです。ですが、ジュレーニーツ大佐の残した仕事は誰かがやらなければなりませんから、私がやります。私の代理は居ますが、旅団長代理はすぐには見つからないでしょうから」

 私はそれだけ言って、反論がないかしばらく待って、それを確認すると、無言で天幕を出た。

 ジュレーニーツ達が搬送された野戦病院は、おそらくそれなりの設備のある病院だろう。情報保全と搬送の迅速性の観点から、民間の病院ではおそらく手当しない。とすると、場所は限られた。

 私は車を手配して、それでしばらく走った場所に位置する、保護標章がデカデカと貼ってある天幕に入った。

 中佐レベルの階級の者が来るのは珍しいので、私は奇異の目で迎えられた。旅団長がやられたとは、流石に医者の口からは言えないのだろう。

 しかし、困った。誰に話しかければ良いのかわからなかった。少し彷徨っていると、陸上迷彩の作業服の上に白衣を着た女性の軍医が声をかけてきた。

「中佐、失礼ながら、お名前と所属を伺ってもよろしいでしょうか?」

 話しかけてきた軍医の階級章は私と同じ中佐の物で、序列を配慮してか、敬語で話しかけてきた。整えられた黒髪にお団子の髪型で、黒縁のメガネを掛けている。真面目そうな印象を受けた。

 まさか馬鹿正直に名乗るわけにもいかない。そうすればパニックを誘発する事になる。それは避けなければ。

「コアネ・レーリンツと申します。ここに知り合いが入院していると聞きまして……」

 私は軍医の配慮を無碍にしないつもりで、敢えて婉曲した自己紹介をした。

「しかし、面会は事前の許可がないといけないんです」

「それは承知していますが……」

 私はその軍医の耳に、口を近づけた。

「(フィンファーレル・ジュレーニーツという大佐の方が入院していませんか?)」

 そう言うと、軍医の顔つきが明らかに変わった。

「(旅団司令部からですか?)」

「(ええ。彼女に代わって上に報告をしなければならないので、せめてその時持っていた書類だけでも回収して持って行きたいのですが)」

「失礼しました。こちらです」

 軍医は先程とは打って変わった態度で、私を案内してくれた。

「すいませんね。なにぶん急なもので……」

「いえ、そんな。こちらもこんな事は初めてなもので……」

 お互いに若干気まずさを感じる中、私は軍医に案内される形で、イルメアンのいる病床まで連れて行かれた。

「あ……中佐……」

 真っ先に私の存在に気づいたイルメアンが声をかけてきた。

 彼女も相当重症みたいで、人工呼吸器を着けて、点滴や、心電計らしい物も繋がれていた。頭には血の滲んだ包帯も巻かれており、見るからに痛々しかった。

「無理はしないで。管区司令部には私が行くから」

 そう言いつつ、持っていくべき書類はどこにあるのだろうかと病床の周りを少し見ると、イルメアンの足があって、盛り上がっているべき場所の毛布が盛り上がっていないことに気が付いた。

 傷口からの感染症を考慮して、落とされたのだろうか。とても見ていられる様な物でもなかったので、私は見なかったことにして、書類を探すことにした。

 イルメアンの私物らしい物の入ったカゴは、病床の下にあった。

「すいません……。本当に……」

「これも仕事よ。それより、書類はこのカゴの中?」

「はい……」

 私はカゴを引っ張り出して、中身を探ると、イルメアンの鞄があった。

「鞄開けちゃうよ」

 形だけの確認をしつつ、鞄を開けて見ると、その中には大判の封筒が入っており、更にその中には紙がある感じがした。これが持っていくべき報告書だろう。

 報告書の入った封筒を取り出した瞬間、私はイルメアンに服を掴まれた。見ると、イルメアンは涙を浮かべていた。何かに怯えている様に見える。

「中佐……」

「なに?」

「怖い……です。目の前で……瓦礫が……旅団長が……」

 正直、どう声をかけてやればいいのか迷い、何も言えなかった。さっさと去りたい気持ちもあったが、下手に突き放すわけにもいかなかった。

 イルメアンと繋がった心電計から鳴る音の頻度が早くなっている。脈が速くなっている様だ。

「大丈夫、大丈夫だから……」

 私が声をかけて宥めてやったが、イルメアンの掴む力が強くなっているのを感じた。

「いや、です……助けて……」

 そう言ったかと思うと、いきなり手を離され、イルメアンがぐったりとした。

 その様子を見ていた軍医が、慌てた様子で駆け寄ってきた。

「すいません、失礼します」

 軍医が私を半ば押しのけるかの様に退けつつ、イルメアンに掛けてある毛布を剥いだ。

 見ると、ない方の足先に巻かれた包帯から、血液が染み出していた。

「傷口が開いている……」

 イルメアンの状況を呟くと、軍医はナースコールのボタンを押した。

「邪魔でしょうから、私はこれで……」

 一応それだけ声をかけてから、私は封筒だけ回収し、邪魔にならない様に病院を出た。処置はプロに任せるのが一番だろう。

 そこから、私は手配した車で、方面管区司令部に向かっていった。

 ゾラニーラ市内の様子は、以前のそれと明らかに変わり果てていた。

 そこかしこに黒く焦げた跡がある。地面の黒焦げは何かが爆発した跡だろうし、建物は火災で燃え尽きたであろう物もある。車両の瓦礫も歩道に退けられ、放置されたままだ。

 人出は以前にも増して減り、交通整理に出ていた警官の姿も消えている代わりに、道路にコーンが立てられ、通りそのものが一般車両通行止めになっている。

 民間人以上にたくさん見かけるうちの軍の兵士たちは、おそらく生き残りの民間人の捜索と、不発弾処理に駆り出された者たちだろう。

 以前向かった際とは違う道のりを辿って行っている。道路のど真ん中に大きな穴が空いていたり、倒壊した建物で道が塞がれているせいだ。かなり遠回りをしているみたいで、時間も思った以上にかかっていた。

 地元の行政組織はかろうじて生きている模様で、時折サイレンを鳴らして走る救急車と何度か見かけた。

 少し広い公園に差し掛かると、民間人やフラレシア兵、シャルステル兵だった遺体が、数えられないほど多数、規則正しく並べられて、放置されているのが見えた。収容が間に合っていないのだろう。綺麗な身体のまま横たえられている者は少ない。何かしらの目に見える外傷があるのが、遠目でもわかる程だった。

 街の建物のほとんどが廃墟になっており、完全に崩れた建物も多数ある様で、建物の骨組みだけとか、敷地一杯に瓦礫の山が出来ているとか、そういった物の方が多かった。

 わずか数十時間程度の戦闘で、かなりの変わり様だった。正直、驚いた。

 現代の兵器の破壊・殺傷能力が向上しており、犠牲者も馬鹿にならないという話は伝聞では聞いていたが、いざ目の当たりにすると、なんとも言えない、痛々しい物だった。

 管区司令部のある地域は流石に防御が堅かったみたいで、近づくにつれて、土嚢や鉄条網、固定式の機関銃陣地、即席で作ったであろうバリケードなどが置かれているのが目につく様になった。

 管区司令部の建物は一応残ってはいたが、やはり砲撃を受けたであろう痕跡があり、どこかの室内が丸見えになる程度の大穴が数箇所空いていた。駐車場はアスファルトの一部が焦げ、灰が落ちていた。機密書類の処理を慌ててしたであろう。

 プレハブや天幕が足りていないみたいで、司令部のある施設はそんな有様でもそのまま使われているみたいだ。危ない気がするが、大丈夫なのだろうか。

 入る時は下手なお化け屋敷よりも怖かったのだが、中に入ってみると、ある程度の補強がされていることがわかり、少し安心した。魔法はこういう時に便利だ。

 私は管区司令部の狭い会議室に通されて、数十分程度待たされた。

 遅れた上に旅団長本人が出なかったためだろうが、事情を話したので納得はしてくれているだろう。

 応接室に現れたのは、長く黒い髪をお団子にしている、若干長身の女性士官だった。航空迷彩の作業服を着ているその人は、管区司令部の参謀長、レシェット・ロイメール准将だった。

 見たことは何度かあったが、二人きりで会話を交わすのは初めてだった。

 彼女が入ってくるのが見えた瞬間に、私は立ち上がって、お辞儀の敬礼をした。

「お疲れ様です」

「ご苦労様です。お待たせしました。確認がようやく取れまして……」

 私が敬礼をすると、ロイメールは答礼をしながらそう声をかけてくれた。

「待たされることには慣れておりますので、問題ありません」

「にしても、大変でしたね」

「お気遣い痛み入ります。報告書はこちらに」

「ええ、ありがとうございます」

 私は封筒ごと報告書を手渡すと、ロイメールは座りながらそれを目の前で開けて、流し見た。

 私も座って、ロイメールが書類を読み終わるのを待った。

「……それで、旅団長の容体はどうでした?」

「未だに意識が戻らないそうです」

「そうですか。それはそれは……」

 それだけ聞くと、ロイメールはまた黙って書類を読み始めた。素っ気ない態度に見える。ロイメールに対しては口下手な印象を持っていなかったが、実はそうなのだろうか。

「管区司令部の施設も結構手ひどくやられましたよね」

「ええ、何発かロケット弾が命中したんです」

「やはり、結構人員もやられましたか?」

「そうですね。司令部要員も何人かやられたおかげで、私のする仕事の多いこと多いこと……」

「それは、気の毒に」

 また、会話が途切れた。間を持たそうと会話を振るのも気まずいし、手持ち無沙汰になっていた。

 少しあたりを見回していると、ロイメールが挙動不審になっている私に気づいた。

「……暇なら席を外してもらっても大丈夫ですよ」

「良いですかね?すいません。ではお言葉に甘えさせていただきます」

 私は席を立つと、ロイメールは頷いた。

「いつ頃に戻ってくれば大丈夫ですかね?」

 聞くと、ロイメールは部屋の時計を見た。

「……1時間後にしましょう」

「わかりました。では、ひとまず失礼いたします」

 私はお辞儀の敬礼をして、部屋を出た。

 さて、ここに来たからには会っておきたい人がいる。ミーコヴェル准将だ。あの激戦を生き抜いたのかどうかが不安だったのだ。

 施設内を数分程度歩き回って、参謀事務室でその姿を見つけた。

「あら」

 私が行こうとすると、ミーコヴェルの方が気が付いて、デスクからこちらまで歩いてきてくれた。

「無事で何より」

「准将こそ、ご無事な様で」

 私はミーコヴェルと敬礼を交わしつつ、彼女の姿を見て安心感を抱いていた。

「話はうちの参謀長から聞いているけど、大変だったみたいね」

「ええ、まさか旅団長が負傷するとは……」

「憲兵隊は今頃大変なことになっているでしょうね」

 ミーコヴェルは哀れみの表情を浮かべながら言った。

 軍が使用する道路の維持管理は、うちの軍の場合は憲兵隊の管轄になる。地雷処理を実際にするのは工兵隊だが、あくまでも憲兵隊が依頼をして行うという形を取っているため、責任は憲兵隊が取ることになる。

 部隊長、しかも旅団長クラスの人がそんなところで負傷したとあっては、憲兵隊としても大問題となっているはずだ。担当の人は今頃大変な目に遭っているに違いない。

「まあ、あなたがここに来るときに怪我がなくてよかったわ」

「お気遣いありがとうございます」

 ミーコヴェルは片手を横に出し、歩こうと仕草で示して歩き出したので、私もついていく形で歩き出した。

「しかし、こうなると次の部隊長が気になりますね」

「ディルメース中佐じゃないの?」

 私から話を振ると、ミーコヴェルが聞いた。

「今のところはそうですね。ただ、いずれにせよどこかのポストは空席になるじゃないですか」

「まあ、そうね……」

 少し会話が途切れ、廊下を歩く私達の足音と、微かに聞こえる遠くの人の話し声が私の鼓膜を叩いていた。

 私は周囲に誰もいないと判断し、ミーコヴェルに不安を打ち明けることにした。

「……それに、ディルメース中佐は少し不安です」

「言うわね。年も序列も上の人でしょう」

「ええ。ですが、指揮官に向く方には見えないんです。なんというか、判断が鈍いというか……」

「参謀向きと?」

「私が言うのもなんですがね……」

 ミーコヴェルは納得したように、何度か小さく頷いた。

「まあ、それ以上に不適なというか……、それ以下の人材もいるわけだし……」

「と言いますと……」

「具体名は避けるけど、部下将兵や地元住民の生命より、政治的配慮を優先する士官とかいるじゃない」

 それで顔を思い浮かべたのは、この管区司令部の作戦参謀、フェルナート・トラヴェス准将だった。彼もまた、エルメネーヌなどと同様にこの戦闘に消極的な態度を示しているらしく、ここ数日の膠着状態の原因の一つに、彼の反対があった。攻勢作戦の立案を強い態度で反対しており、あの手この手で妨害をしているのだ。

 彼の言い分では、「兵数がまだ充分ではない」とか、「やるなら徹底的にやらないといけない」とか、「補給作戦の立案などに時間がかかる」などの理由で反対の意見を持ち続けており、管区司令部の指揮官であるシェールコールが手を焼いているとかいう話を噂程度に聞いた。

 また、彼は「ゾラニーラから更に後方にあるレールカットまで引くべき」とかいう意見を開戦当時から結構強く主張していたらしく、主戦派の多い管区司令部の面々に煙たがられていた。

 結構偏屈な爺さんであり、挨拶を返してもらった試しがないので、私もあまり良い印象を抱いていない。実はエルメネーヌの息のかかった将校なのではないかという話をミーコヴェルから聞いたので、そう連想した。とはいえ、私は違うと思っている。ミーコヴェルも彼を嫌っている人の一人でもあるため、意見が捻じ曲げられている可能性もあるからだ。

 私の中ではそういう主張は陰謀論の域を出ないと思うが、アリスレークルの民間人の生命を考慮すると主戦派に立った方がいいだろうとも思っているので、彼と話をするときは多少の衝突を覚悟する必要があるだろう。

「まあ……、なんとかしますよ」

 ここで「トラヴェスはそういう人ではない」とか言うのは絶対に違うので、私は無難な返答をした。ディルメースとトラヴェス、果たしてどっちがマシだろうか。結局、私はどっちも変わらない気がする。

「それはそうと、ようやく司令が管区司令部の人員の一部の異動を決めたみたい」

「異動を?」

「ええ。人事参謀曰く、司令部内の面々を主戦派で固めるみたい」

 司令部の中で意見の相違があるのは悪いことではないと思うのだが、シェールコールはそう思わないらしい。私の目には少し危ない動きに見えた。気持ちはわかるが、それで良いのだろうかとも思う。

「とすると、作戦参謀あたりが異動ですか」

「そうね。異動先は決まっていないそうだから、その異動先が決まり次第みたいだけど」

 異動先がうちの旅団になる可能性もあるということか。まあ、誰に仕えることになっても、私は辞令が出ない限りは変わらず参謀をやり続けることになるので、別に誰でもよかった。ディルメースがなるなら、それはそれで受け入れるしかないことも理解はしているので、そうなったなら精一杯サポートするまでだ。

「そうですか」

「まあ、あなたの旅団はジュレーニーツ大佐の意識が戻り次第かしらね。もし戻らなければディルメース中佐が決めてくれるはずよ」

「なるようにしかならない感じですか」

「ええ。まあ、お互い頑張りましょう」

 結局、苦労することには変わりない。私は甘んじて受け入れる他ないのだろう。

 やがて、自動販売機の前にたどり着いた。また何かおごってくれるのだろう。

「どうする?」

「コーヒーで。カフェインが抜けた気がするので」

 それを聞いたミーコヴェルは、硬貨を何枚か自販機に入れ、缶コーヒーのボタンを押した。

 そうして落ちてきた缶コーヒーを、私に手渡した。

「はい」

「ありがとうございます」

 私に缶コーヒーを渡すと、ミーコヴェルは水を買った。

「そういえば、話は変わるけど……」

 ミーコヴェルがペットボトルの蓋を開けながらそう切り出した。

「なんでしょう?」

「少し前の話なのだけれど、リティレアの基地所属のアリナーレ海軍の艦隊が、フェレト湾の北で確認されたみたいよ」

 世界的に展開する海軍を外洋海軍、ブルーウォーター・ネイビーと言うが、そんな大規模な海軍を有する国の中でも、世界一の規模を誇るアリナーレ合衆国海軍は、我が国と同様に、それを維持するために世界中に海軍基地を置いている。

 アリナーレ海軍の第6艦隊はその中でも、リーシャス海、アルトラ大洋東部、エルテア海西部地域を管轄する部隊であり、このアリスレークルの近海を含む、フェレト湾地域も管轄である。リティレアはその第6艦隊の母港のある国であるため、おそらくアリナーレの第6艦隊がこの近くで活動しているのだろう。

「アリナーレがですか?」

「ええ。その時、艦隊が取っていた針路は南。ここの近海に向かっているみたいね」

 とすると、アリナーレ合衆国か、AOTO(アルトラ大洋条約機構、西側諸国の軍事同盟)が動いていると見るべきだろう。

「介入するつもりですかね」

「おそらくね。まあ、アリナーレ人のやりそうな事よね」

 アリナーレ合衆国の近年の傾向として、国際的介入の思想がある様で、世界大戦以降発生した、かなりの数の紛争に関与している。それは「世界の警察」とか形容されるほどの量であり、表に出ているものから出ていないものまで、かなり手広くやっているみたいだ。

 我々の内紛とも言えるシャルステル革命の際にも、アリナーレ合衆国は若干の介入をしており、現行の革命政府が正当な政府であることをアリナーレに担保し、革命の際に国際社会における正当性を確保したこともある。

 我が国においてはそういう歴史もあり、アリナーレは戦争の度に首を突っ込む国という認識が、国内外を問わず広く行き渡っている。

「まだ声明はない感じですか」

「あちらにもあちらの都合があるのでしょう」

 海上戦力の特性として、他国とのエスカレーションをコントロールしやすいというものがある。

 陸軍が国境付近に展開し始めたら、その国境線に接する国は間違いなく警戒するし、空軍の航空機が間違って領空侵犯なんてしようものなら撃墜される恐れすらある。

 一方で、海軍は一隻一隻の軍艦がすぐにでも戦闘に従事することができるため、そこにいるだけで威圧感を演出することも可能な存在であるのにも関わらず、攻撃を受けにくい。国際法の中に「無害通航権」というものがあるため、「そこに存在しているだけ」なら軍艦でも商船でも攻撃をしてはいけないことになっているからだ。

 そんな存在なので、上からしたら扱いやすいのだ。だから、今でも第三国に対する軍事介入で真っ先に駆り出されるのは、まず海軍である。

「なるほど……。それで戦況が好転すればいいんですが、戦後を考えるとうるさそうですね」

「その悩みを抱えるべきは政治家だし、気にしない方が良いわよ」

「そうは言っても、それだけ仕事は増えますからね」

「まあ、それも仕事のうちよ」

 話しているうちにすっかり軽くなった缶コーヒーを、私は飲み干した。相変わらず、その味は薄かった。

 そんな感じでやり取りを終えると、私はミーコヴェルと別れ、ロイメールのところに戻り、報告書の手直しをしてから受領の旨を聞き、旅団司令部に戻った。

 私が出ている間、流石に旅団司令部の動揺は収まっており、事務室や休憩室の中の話題は空いたポストの後任の話で持ち切りだった。

 そんな中で、私は戻って早々、ディルメースに呼び出しを受けた。

「作戦参謀、入ります。どうされました?」

「来たわね。少し話をしたくて」

 司令部になっているC型クルナティアの中で、私はディルメースと二人きりになっていた。上の人と二人きりとは、嫌な予感しかしない。こういう時は決まって怒られるか、そうでなくても嫌な話をされるのが相場だ。

「なんでしょうか」

 若干身構えつつ、私はディルメースを見た。ディルメースは少し不安げな表情だ。何か言い出しにくいことを言いそうな感じだ。

「……その、次期指揮官の件で少しね」

 私は相槌を入れず、ディルメースをジッと見て、次の言葉を待った。

「……正直、どう思う?私が指揮官って」

「正直、ですか?」

「おそらく、不安だと思うのよ。私は感情を隠すのが下手くそな自覚があるから、みんなにそう思われていると思って……」

 随分と重い話題だ。それに、私に振る話題だとも思えない。

「その話題を私に振っている時点でいかがなものかと思いますが」

「やっぱそうよね……」

 正直に思ったことをはっきり言うと、ディルメースは深刻そうに何かを考える素振りを見せた。

「以前、旅団長……、ジュレーニーツ大佐にも言われたのよ。『お前は指揮官より参謀の方が向いている』って」

「そうですか」

 下手に何かを意見すると失礼にも思えたので、私は適当に相槌を打った。

「……まあ、わかったわ。ありがとう。それだけ」

「そうですか。では、私からも一つ、よろしいでしょうか」

「ええ。なにか?」

「私はどんな指揮官の下でも働く用意があります。それが誰であろうと、辞令が出ない限りは誰でも構いません。それが軍人という職業です。その意識は私だけではなく、他の方々も持っているでしょう。自信があるかどうかは知りません。命令があれば従うのみです。しかし、私は指揮官にその命令順守の意識が欠けている場合、不安を抱きます。それだけは覚えておいてください」

「……肝に銘じておくわ」

「では、失礼します」

 私はそれだけ言って、クルナティアを出た。


――西側諸国、東ティレト戦争に介入を表明――(セルアス・テレグラム紙 2008年6月12日朝刊)


 11日の午前4時(SMST/シャルステル中部地域標準時、UTC+1)、アリナーレ合衆国の大統領官邸の記者会見で、アリナーレ合衆国軍をはじめとするアルトラ大洋条約機構(AOTO)の構成国が、東ティレト戦争紛争に介入する事を発表した。これにより、開戦以来劣勢に立たされていたアリスレークル・シャルステル両軍が優勢に転じる可能性を軍関係者が明かした。

 また、一部有識者の間では、アリスレークル国内に与える影響が大きくなりすぎる可能性も示唆されており、アリスレークルの国内世論の都合で軍の行動が制限される可能性や、戦後の国内情勢を懸念する声もある。

 既にアリナーレ合衆国空軍を中心とする多国籍空軍がアリスレークル共和国内の空軍基地に展開しているとの情報もある。今後、戦争が終結に向けて大きく動き出すことになるだろう。

――


 あれから数日、情勢が大きく動いた。

 9日の夜、機密扱いで、アリナーレ合衆国をはじめとする多国籍軍の派遣に関する情報が、本国や遠征軍司令部から、旅団長クラスの士官にまで届いていた。

 手始めに、身軽な航空戦力と海上戦力の投入から事態は動いており、ミーコヴェルからの情報がかなり的を射た物だったことを示していた。

 また、航空戦力の派遣については、既に10日の時点で、整備で用いる替えの部品を積んだ輸送機が投入され始め、公式発表のあった11日の時点では戦闘機も投入され始めていたそうだ。

 その翌日、12日にはアリスレークル空軍やシャルステル海軍の戦闘機に混ざって、多国籍空軍所属の戦闘機や空中給油機などの支援航空機が多数出撃していく様子が見られるようになったそうで、制空権は拮抗に至り、わずか一日のことを境に、爆撃が明らかに少なくなった。

 噂程度だが、多国籍空軍はフラレシアの航空戦力を一網打尽にする計画も立てているそうで、空がアリスレークルの物になる日も近いだろう。

 また、国境付近に展開するフラレシアの陸上戦力も、目に見えて減少した。これは、今までノーマークだった沿岸地域に対する戦力を増強した結果であるらしく、強襲揚陸を警戒する意図があるみたいだった。敵が攻勢を諦め、守勢に転じたことを示す事柄の一つと言えよう。

 言ってしまえば、こちらに増援が来たことにより、この戦争はここで戦力転換点に達し、我々が優勢になったことを示しているのだった。

 いつも拙著、『青空から最も遠い場所』をお読みくださり、誠にありがとうございます。

 投稿を始めてしばらく経つ中、毎話お読みになってくださる方がいらっしゃることは承知しております。大変ありがたい限りで、この小説の投稿の励みになっております。

 そんな中で、新年度に入り、私自身もより忙しくなりはじめ、更新頻度がより落ちる可能性があります。

 ただでさえ私の更新頻度が遅いのは承知しておりますし、それは本当に申し訳ない限りなのですが、なにぶんこれは私にとって、あくまでも趣味であり、他にやるべき事も多い中で投稿しているものであります。

 続きを心待ちにしている方のお気持ちは理解できますし、そのような想いは作者として大変うれしい限りですが、私はあくまでも「無理せずにマイペースで」をモットーに活動していきたいと考えておりますので、どうか、気長にお待ちいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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