5、ゾラニーラ防衛戦
戦闘が起きたのは、昼下がりの事だった。白昼堂々とくるのは考えなしにも見えるが、真意はわからない。天候は雲がまだらにあるが、扱いでは晴れ。雲量は10中4で、風は穏やかだった。
突破は犠牲が多くなる戦術行動だ。無理矢理に相手の前線を引き裂くので、その無理が犠牲者という形で現れるのだ。
私は旅団の戦闘指揮所で、部下のロネリースとリファレールと、司令部の愉快な仲間達と共に、戦況を眺めていた。一度作戦行動が始まると、後は我々はトラブル対応に回ることになる。停電しても良い様に、双方の動向は紙の地図の上の兵棋で示されている。時代錯誤も甚だしいが、停電のリスクは付き物なので、仕方のない事だろう。
動きとしては、フラレシア側が小手調べとして偵察部隊同士でまず接触。その後、敵の主力部隊が前線に到着し、まさに今、スラント川の突破を図っているところだった。
偵察部隊は川向かいに展開していたが、既に撤退済みで、川岸から敵に対して我々が、ちまちまとちょっかいをかけているのが現状だ。
魔装歩兵は低高度とはいえ飛べるので、渡河作戦ではかなり有利な部隊だ。そこらの歩兵の様に橋を渡る必要も、泳ぐ必要もない。だから追撃のしすぎを引き起こす恐れがあり、それについては厳格に規定を設けている。
問題になっていたのは敵の物量だった。とにかく兵や砲などが多く、こちらのキャパシティの限界に迫ってきていた。
始めは散発的な攻撃だったが、徐々に押されていき、今やまるで沸騰する湯の様に、戦線全体で激しい攻勢に遭っていた。時を追うごとに敵の圧力が増大し、2個旅団程度では対処しきれなくなりつつあった。それに従って、司令部の空気も悪くなり始めていた。
「……回線が遅いですわね」
ウェステーリスは画面を睨み付けていたかと思えば、深く息を吐き、立ち上がった。随分と機嫌が悪そうだ。
「回復したとはいえ、こんなに遅いのではないのと一緒ですよねー……」
不満を漏らしたロネリースも、キーボードのエンターキーを連打しながら頬杖をついている。ネット環境があるのはいいが、やはりみんなが同じ回線を使うため結構重いみたいだった。
ひとたび戦闘が始まると、状況把握が極めて難しくなるので、上層部にできる事は限られてくる。
現状の行動は防御だ。内心では後退に移るべきだと思うが、それは防御陣地を放棄する事をも意味する。易々とやるものでもない。
だが、このままでは破られる可能性もあった。それで後方に回られ、包囲されるような事があったなら壊滅だ。
それに、第1旅団もまだ戦っている。引くなら歩調を合わせなければならない。
「作戦参謀、よろしいですか?」
話しかけてきたのは副官のイルメアンだった。
「はいはい?」
「旅団長が御用みたいです」
イルメアンの視線の先を見ると、ジュレーニーツと目が合い、私を見るなり、彼女が手招きをした。
「ありがとう」
私はイルメアンにお礼を言って、旅団長のところに行った。
「お呼びでしょうか」
敬礼をしながら、ジュレーニーツに話しかけた。顔は真剣そのものだった。
「これはまだやらないんだけど……、撤退案を検討したい。どう思う?」
ジュレーニーツも同感か。私は唾を飲んだ。あくまでも冷静に、作戦参謀としての責務を果たさねば。
「……やるのなら、第1旅団と歩調を合わせなければなりません。我々単独では決めかねる事かと」
「なら、あちらの意見を聞きたい。頼める?」
「お任せください」
私は敬礼をしてからジュレーニーツの目の前から去り、ひとまず、第1旅団に電話をかけた。
数人の人間を経由して、第1旅団の参謀長に電話が繋がった。
『はい』
「もしもし、第2旅団の作戦参謀、コアネ・レーリンツと申します」
『伺っております。ご用件はなんでしょうか』
第1旅団の参謀長はおそらく余裕が無いようで、言葉の端々に棘を感じた。
「そちらの作戦の方針についてお伺いしたく、お電話いたしました。データリンクがあの有様なので、電話の方が早いかと思いまして」
『こちらは防御の体制を取っています。そちらも同様なのでは?』
「撤退案を検討などはございませんか?」
『こちらはゾラニーラ市民20万に加え、北方管区司令部やあなた方の補給路にもなっているレールカット港を擁しています。撤退なんて有り得ません』
語気がかなり強い。あまり話したことのない相手ではあったが、私は電話先の相手の意識というか、無礼さとでも言うべき物に、少し不信感を抱いた。
「随分と勇ましいですが、それはそちらの旅団長の意向という事で間違いありませんか?」
『ええ。間違いありません。旅団長は撤退なんて考えておりません。我々が撤退した場合に困るのはあなた方ではありませんか?』
確かにそれはそうだ。現状、こちらの補給物資のほとんどを、第1旅団管轄の地域にある港に頼っているのは事実であり、そこを敵に抑えられると、こちらとしても危うい。
「確かに、それはそうですが……、まあ、わかりました。ありがとうございます」
『ええ、では』
相手に電話を切られる形で、通話が終了した。あちらの参謀長は随分と強気だが、言っている事の筋は通っている様に思えた。
私はジュレーニーツの元に行き、電話の内容をそのまま旅団長に話した。
「……まあ、それなら我々だけで引いても、第1旅団に迷惑がかかるだろうね。わかった。防御は継続しよう」
「ちなみにですが、管区司令部の方はなんと?」
「一応、新たな命令は入ってないね。防御は継続しろって事だろう」
「ですが、あの様子だといつまで持つか……」
「川を抜けられたらあっという間だろうね。まあ、あちらを気に病むべきはリースレア達の方だ。せめて、我々だけでも助かる用意はしておいて」
「……了解しました」
他所の部隊に口出しをするのは越権行為だ。私はせめて、あちらの方にいる友人が無事である事を祈る事しかできなかった。
そんな不安感に駆られながら、私は後退の作戦案を立案していると、慌てた様子で伝令役が駆け込んできた。
「旅団長、報告です!スラント川の南岸、統制線ガレット付近に敵の戦車部隊、機甲大隊規模を確認!友軍部隊が押されています!」
その伝令の言葉で、指揮所内にいる人達の作業の手が止まった。
ついに来てしまったのだ。砲撃をすり抜け、敵の主力と言っていい規模の部隊が、我々の間近に迫ってきているのだ。
統制線ガレットから、この指揮所のあるテニソートまでは直線距離で20kmもない。最悪の場合は、ここに敵が乗り込んでくる可能性すらあった。
部屋中の視線が、ジュレーニーツに集まった。
「旅団長、直ちに第2魔装歩兵大隊を投入すべきです。このままでは押し切られます」
予備兵力の投入をリファレールが意見具申すると、ジュレーニーツはちょっと待てと言わんばかりに、リファレールを手で制した。
「まあ落ち着いて。統制線の具体的にどの辺?」
「ゾラニーラ市街地東部です。管区司令部から見て東北東、24kmの地点です」
とすると、我々の管轄外ということになるのだが、それでもまずい状況であることに違いはなかった。
「情報参謀、どう見る?」
「はい、敵の目標は2通り考えられますわ。レールカットか、ゾラニーラか。おそらく前者が目標ですわ。もしやられたら、我々の補給状況に著しい悪影響を及ぼすことになりますもの」
レールカットは、ゾラニーラの東にある都市であり、結構な規模の港湾がある都市でもある。現在の我々は、補給物資のほとんどをそこからの輸送で賄っており、ここが落とされると戦えなくなる、我々の重心とも言える場所であった。
「同感だね。作戦参謀、我の可能行動は?」
「こちらの予備兵力をレールカットに送ることです。ただ、我々の兵力は圧倒的に少ないですから、敵がテニソートにも猛攻を仕掛けてきた場合に、対処できなくなる恐れはあります」
「ですが、補給線を切られるよりかはマシだと思いますよー?」
ロネリースが私の説明に補足をすると、フィルナールから反論の声が上がった。
「お待ちください。それだと第1旅団の指揮系統に混乱を来す可能性があります。仮に増援を第1旅団の指揮下に入れた場合、旅団司令部のキャパシティ的にせっかくの増援を上手く使えない可能性もあります。まさか我々の指揮下のまま行動させるわけにもいきませんし、今の余裕がないであろう第1旅団司令部に、増援を上手く扱える可能性は低いと見ます。私は反対します」
「人事参謀の言うことはわかりますが、兵力不足なのは明らかですよー?」
「結局のところ、送ろうが送るまいが変わらないと思うんです」
「わかりませんよー?それに、手駒が増えることは旅団にとって、願ったり叶ったりではありませんかー?今は一人でも多くの人手が欲しいでしょうから、送った方が良いと思いますけどー」
ジュレーニーツは手を挙げて、二人を制した。
「第1魔装歩兵大隊に下達だ。第1旅団の援軍としてレールカットに進出せよ、とね。それと、あちらの司令部のキャパオーバーってんなら、こちらからも将校を誰か派遣すれば文句はないでしょ。というわけで、レーリンツ。頼める?」
私かよ、と驚いたが、上官に言われた以上はやるしかあるまい。
「わかりました」
そう返事をしつつも、内心では嫌な感じがしていた。
旅団長のサイン入りの命令書を携えて、私は第1魔装歩兵大隊の大隊長の元に行った。
第1魔装歩兵大隊はあのファルロン・エーレの戦いで一度壊滅しかけ、その上で生き残りを他の部隊に回したため、補充兵ばかりで、練度に若干の不安が残る部隊であった。
大隊長は引き続きアレーナ・ネールファンス少佐であり、それに付く参謀たちは様変わりしていた。みんな死んでしまったので、仕方がないことだろう。
ネールファンスは以前会った時より若干やつれており、目つきも鋭くなっていた。随分と疲れている様にも見える。
「作戦参謀、お疲れ様です」
大隊の指揮所に行くなり、私は敬礼を受けた。
「お疲れ様。命令よ」
答礼を返し、ネールファンスに命令書の入った封筒を手渡すと、彼女は封を開けて、中身を読み始めた。
「……旅団作戦参謀帯同の理由はなんです?」
ある程度のところまで読み進めると、私は質問を受けた。
「私も第1旅団司令部の増援として派遣される羽目になったのよ。人事参謀が第1旅団がキャパオーバーなんじゃないかって懸念したから」
「それは……、気の毒でしたね」
「まあ、私は気にせずに任務にあたってちょうだい」
「わかりました」
ネールファンスは命令書を机の上に置くと、指揮所内の無線で彼女の隷下の部隊長に呼び出しをし始めた。
「参謀、少しよろしいでしょうか」
その様子を見た、ある士官に話しかけられた。大尉の階級章を身に着けている。ふちのあるメガネをかけ、金髪のセミロングを団子にしている女性士官だった。見るからにたたき上げの軍人で、おそらく私よりも年上だ。
私は頷いて、彼女に連れて行かれる形で指揮所の外に出た。
「なにか用事?」
「その、大隊長の件で少し報告がありまして」
少し気まずそうに、また辺りを警戒しながら、その人は言った。
「その前に、あなたの名前と所属は?多分第1魔装歩兵大隊の司令部の人なのはわかるけど」
「おっと、失礼しました。私は同大隊の副大隊長、レイフェン・ミリエールと言います。元は南方管区司令部の方の部隊で作戦参謀をしていましたが、補充としてここにまわされてきました」
敬礼をしながら、その女性士官はそう名乗った。
「第2旅団の作戦参謀、コアネ・レーリンツです。よろしく」
私も答礼を返し、ミリエールと握手を交わした。
「よろしくお願いします」
「とすると、南方管区司令部の方から士官がまわされているのよね?」
「はい。私が聞き及んだ話だと、あちらはガワだけの軍隊になりつつあります。兵士はいますが、士官は北の方に逐一送られてきているみたいです」
やはり、政治ショーに軍がつきあってやる義理はないということだろう。軍が政府に対して抱く、面従腹背の姿勢が伝わってくる。
「それはそれは。いわゆる『政治的配慮』に飽きた人たちにしてみれば朗報だったでしょうね」
「まあ……」
ミリエールは苦笑いで答えた。
このやり取りで、ミリエールが良識ある士官であると私は思った。軍人が政治に関わると碌なことにならないと教わった上に、一般常識として、初対面の人に政治的な話題を振るのはご法度だということも認識しているのだろう。
「それで、大隊長が何か?」
「ええ、ネールファンス少佐の姿はご覧になったかと思いますが、どう思いました?」
「結構疲れてそうよね」
「同僚の方がやられて参っているんです。しばらく碌に寝つけていないみたいで……」
「なるほど……」
なんとなく想像はついていたが、やはりそういう事情だったのか。無理もないだろう。
「ですから、旅団長と人事参謀の采配は素晴らしかったと思います。もちろん、レーリンツ中佐もです。お越しいただき、誠にありがとうございます」
「そんな。買いかぶりすぎよ」
フィルナールにそんな器用な真似ができるとは思えない。旅団長のジュレーニーツは知らないが、おそらくたまたまではないだろうか。それに、私はただ言われて来ている立場に過ぎない。
いや、少し考えてみると、ジュレーニーツの判断は少し奇妙だった。わざわざ私を送らずとも、第1旅団の仕事を手伝わせるだけならリファレールとかで良いだろう。
もしかすると、彼女はそれを見越して私をここに送り込んできたのだろうか。だとすると、ジュレーニーツがただ者ではない感じがして、薄気味悪い感じがした。
「いずれにせよ、大隊長はそういう状況なので、ご理解の程、よろしくお願いします」
「ええ。ありがとう」
ひとまず、私はミリエールにお礼を述べた。
その後は大隊司令部は調整や準備などにしばらく時間を割いてから、第1魔装歩兵大隊は移動を始めた。
レールカット港近辺の地形は平地であり、市街地でもあった。市街地から外れると、林が点在する畑や丘陵が目に入る。
市街地は視界や射界の効きにくい地形で、戦術的にやりにくい地形だ。市街地を攻略する際、攻撃側は兵糧攻めをするのが基本なので、おそらくフラレシア軍の意図としては、初めは市街地を避けて、レールカット市街地を包囲するのが目標であろう。
我々の目的はそれの阻止になる。
兵力として、敵はおそらく1個旅団程度の戦力を有する。我々と比較して4倍近い差があり、時間稼ぎ程度しか期待できない戦力差だった。
第1旅団の方からは謝意を伝える電報と共に、激戦区になりそうな、レールカット市街地から西に外れた平原が割り当てる旨の命令が届いた。私の扱いについてはノーコメントであったため、ひとまずネールファンス達と行動を共にすることにした。
こちらの大隊が進出する頃には日が沈み始め、敵はゾラニーラ市街地に達していた。レールカットのあたりも危うい状況になりつつあり、戦略的防衛ラインであったスラント川を完全に越えられ、民間人のいるゾラニーラで市街戦が生起したり、第2旅団のいるテニソートに砲弾が降ってくる様になったりして、あのあたりは気づけば20kmも戦線が後退していた。おかげでゾラニーラ市内が孤立しかけており、このままでは第1旅団の司令部を含んだ一部部隊が全周包囲に至る危険さえあった。
援軍として我々の大隊が助太刀に入る頃にはそのような状況であり、第1旅団と連絡が取れないありさまであった。
我々が入る場所に既に展開していた第1旅団の隷下部隊は、シルフィー・ユール少佐率いる第3魔装歩兵大隊もとい、それを発展させた諸兵科連合部隊だった。
ユール少佐の部隊も上級司令部と連絡を取れないせいで混乱している様子で、そこの指揮所内では参謀たちがてんてこ舞いしていた。
「失礼します。第2旅団より派遣されました、第1魔装歩兵大隊のアレーナ・ネールファンス、以下600名、ただいまより貴部隊の指揮下に入ります」
そんな参謀たちを尻目に、ネールファンスが指揮所に入るなり、真っ先に名乗った。
「ああ、来ましたね。シルフィー・ユールです」
ユールは銀髪のショートヘアで、うちの行政参謀と同じ、フォーレドラギアンという、背中から翼の生えた種族であった。清廉そうな印象を受ける。
「よろしくお願いします」
ユールとネールファンスが握手を交わした。
「お疲れのところ悪いですが、早速……あれ?」
ユールは私の姿に気が付くと、困惑の面持ちでこちらに歩み寄ってきた。
「……なぜ中佐が?」
「第1旅団の司令部の応援として派遣されました、コアネ・レーリンツです」
軽く命令の内容を説明しつつ、私はそう名乗った。
「私よりも階級が高い方の応援は聞き及んでおりませんが……」
「一応ということで送られました。私はあくまで参謀で、口出しはあまりするつもりはないので、そこはご心配なく」
そう説明すると、ユールはしばらく何かを考える様子を見せた。
「……まあ、とりあえず了解です」
おそらく邪魔者扱いを受けており、居心地の悪さを感じているのだが、ネールファンスのお目付け役としての使命もある。去るに去れない。ミリエールがこちらを見ているのに気が付いたが、私と目が合った瞬間に視線を逸らした。
ユールは机上の資料をネールファンスに手渡した。
「それでは、情報共有を。敵はおよそ1個旅団程度の規模の機械化歩兵基幹の部隊です。内訳は3個機械化歩兵大隊、1個砲兵大隊、1個偵察大隊、1個機甲中隊に支援部隊が合わさった部隊で、兵員数は3500~5000人程度です。
これに対して我々は2個魔装歩兵大隊、1個機甲中隊、1個砲兵中隊、1個偵察中隊に加え、工兵小隊をはじめとする支援部隊、兵員数では1500人程度で対抗します」
聞いた感じでは、フラレシア軍は同じような編成を使いまわしているみたいだった。そういう兵術思想みたいだ。おそらくサーバードの編成をモデルにしている。
「敵の機甲大隊が展開していると聞きましたけど、ここにはいないんですね?」
「どうやら敵の機甲部隊の主力はゾラニーラの方に展開しているみたいです。指揮官はおそらく補給拠点よりも司令部の方を優先させたかったのでしょう」
資料を見ながらネールファンスが聞くと、ユールが答えた。
「それはなぜ?」
「おそらくですが、こちらが制海権を有しており、港湾が使えないからだと考えます。苦労して港湾を取ったところで、あちらの補給状況はあまり改善されないでしょう。それなら司令部の方にダメージを与えた方が、影響は大きいと踏んだのでしょう」
つまり、うちの旅団の読みは外れたというわけだ。敵主力がゾラニーラではなく、レールカットに来るとジュレーニーツが考えたのが、我々がここに来た理由の一つであった。
しかし、第1旅団の命令でもここに来るように連絡を受けたということは、ゾラニーラの防衛は第1旅団だけでやるつもりなのだろう。
「どっちにしろ厄介ですけどね……。まあ、それならここの兵力は比較的まばらだということですね?」
「そうですね。あくまでも『比較的』ですが」
まあ、まばらと言っても、我々よりも2~4倍敵の兵力が多いわけだから、厳しいのは確かだろう。
「……で、こちらの可能行動はせいぜい防御ですかね」
ネールファンスが聞くと、ユールは頷いた。
「そうですね。兵力差と士気の観点から、攻撃は無理でしょう」
「制空権も敵側ですからね。ただ、できれば押し返したいですが……」
「敵側に何か弱点みたいなのはないものですかね?」
「補給の上で過大な負担を強いられていることくらいですね」
敵の補給線の問題は先の会議で指摘もされていたことで、管区司令部の楽観的な空気の根本はそこであった。それが敵の弱点なら、何か活かせるはずなのだが、思い浮かばない様子だった。
「それが何かに繋がっていないか……何か引っかかるんですよね」
「しかし、弾薬類が尽きる様子はありませんけどね」
「それでも、どこかで無理をしているはず……」
私も考えてみることにした。重要度として、兵糧はまず第一で、次に燃料、そして弾薬、装備品、被服類、築城資材、医薬品類、整備用の部品、嗜好品といった順だろう。
私がフラレシア軍の補給担当将校になったとして、負担を軽減するためにケチるとすればどこになるだろうか。
装備品、特に歩兵装備に着目すると、銃本体や弾倉は絶対必要になる。後はヘルメット、アーマー、無線機、暗視装置……、そうだ。暗視装置。あれはかさばるし重い上に、電池で駆動する奴だ。それに最悪ケチっても、夜戦を避ければ良い。私が補給の負担を減らそうと思ったらケチりそうなものだ。
「……ねえ、敵の暗視装置の充足度はどのくらい?」
「暗視装置ですか?」
ユールは私に怪訝な表情を見せた。
「ええ。補給の負担を軽減するとしたら、多分まず名前が挙がるのよね。どう?」
そう聞くと、ユールははっとした表情を浮かべ、メモ帳を取り出した。
「……なるほど、あり得ますね。早速その線で当たってみましょう」
「あと、対魔装歩兵向きの装備の充足度を知りたいですね。ほら、時限榴弾や散弾銃みたいな」
ミリエールもそう付け加えた。ユールは何度か頷いた。
「わかりました。ISR(情報、偵察、監視の略。転じて、ここでは情報収集活動のこと)はそれで当たってみましょう。ありがとうございます」
ユールはペンを胸ポケットに差し込んだ。
そうして、日が暮れてしばらく経つと、偵察部隊から情報が届いた。
報告書によると、威力偵察として、少し離れた二箇所から小銃による射撃を加えた結果、敵の機関砲による射撃を受けたそうだ。その際、小銃弾による射撃はいずれも戦車砲弾や機関砲弾の射撃方向と連動しているという事実が判明した。その二箇所から同時に射撃をした際には反応が鈍く、敵の射撃の方向が大きく外れていたそうだ。
また、状況からしても、夜間の敵の攻勢は昼のそれよりもかなり弱いみたいだった。
やはり、これらの兆候から勘案すると、敵の暗視装置の充足度は低い様で、夜間戦闘の能力は著しく低下しているらしいということがわかった。
これは新たな知見であり、昼間の戦闘を避け、夜間の戦闘に徹すれば勝機があった。
とはいえ、戦闘車両はそれ自体の機能として、暗視装置がデフォルトで付いているため、そこは気を付ける必要があろう。だが、それでも大きな違いだった。
これを受け、日付が変わる頃、ユールが大規模な攻勢をすることを決断した。
レールカット近辺に点在する林の中に敵が陣地を構築している様で、そこを襲撃し、敵の陣地構築と戦力増強を妨害するという内容だった。
作戦が開始されてからは、私は夜通し、その動静を指揮所の中で見ていた。
「レーリンツ中佐、正直どう思いますか?」
地図の上の兵棋を眺めていると、ミリエールが聞いてきた。
「何が?」
「成功の公算です。行けると思いますか?」
ミリエールは真顔だった。不安感から来る質問なのか、あるいは私を試しているつもりなのか、判断がつかなかった。
「……まあ、どうにもならない作戦ではないと思う」
私は正直に答えると、ミリエールは黙ってこちらをジッと見ており、次の言葉を待っている様子だった。
「完璧な軍隊はあり得ない以上、必ず敵の弱点はあるはず。それが今回は補給線であっただけでしょ?」
「ですが、もし情報が間違っていたとしたら?」
ミリエールの視線が鋭くなった。
「まあ、補給線の負担は常識的に考えて事実だと思うけどね。ただ、万が一そんなことがあったなら、白い旗を振るパフォーマンスをフラレシア兵に見せつけてやるつもりではいる」
ミリエールは私の発言にしばらく返事をしなかった。若干の動揺が見えた気がした。
正直、打つ手なしとなるからには、降伏するか逃げるかの2択になる。兵站ですら勝てないのであれば、政府に対してささやかな反抗――つまり、降伏してフラレシアの軍門にでも下るか、落ちこぼれの生活に戻るか、それよりも酷い生活を送るか。いずれにせよ、その時はその時だ。
「……本気ですか」
まあ、ほとんど初対面の人を信頼できはしないのだろう。至極真っ当だ。
「私にできることがなくなったならね。ちなみに言っておくけど、おふざけではないからね?」
ミリエールは視線を逸らし、少しぼーっとし始めたのかと思いきや、またこちらを見た。
「……中佐、出身はどちらでしたか?」
今度は世間話に移るらしい。まあ、ミリエールが話をしたければ、断る理由もない。
「スロレア州のメローラ。いい思い出はないけどね」
「ご家庭は貴族とかで?」
「そんなまさか。ブルジョワだった落ちこぼれよ」
「なら、ご両親が革命か何かで失業されたということでしょうか?随分と苦労なされたでしょう」
「そうね。でも、あの時代はみんな苦労してたでしょ。私はまだマシよ」
マシとは言っても、窃盗をしないといけないほどに生活が困窮していたわけだが。それでも路傍のやせこけた死体よりはマシだっただろう。……ああ、嫌な記憶が蘇る。道端で見た新生児とか、あの時代の暗い雰囲気とか……、私は手を額に当てた。
「ですが、よくそこまで這い上がりましたね。絶望に打ちのめされなかったんですか?」
「それだったらここにはいないでしょうね。若かったのよ。あの頃は、いつも何かに対して腹を立てていたわけだし」
あの頃はとにかく必死だったことを記憶している。考えてみると、家を出てからはこれからの事を見据えて必要そうなものを無理して買い、それ以降も生きるために必要なことはなんだってした。ただそれだけのことに過ぎないのだ。
「まだ30やそこらの方が何を言いますか」
「それを言われると弱いのだけれどね……」
年齢を盾にされると口出ししにくくなる。若干の気まずさを感じた。
「……ですが、中佐、あなたはお強い方です。きっと良い士官になれますよ」
「……それはどうも」
そうは言いつつも、私は賞賛の言葉を素直に受け取れなかった。自分にそんな自覚はないからだ。人の本質はたかが知れており、良くも悪くも人には期待していない。私を見誤っているミリエールに若干の申し訳なさを感じると共に、人を見る目がないんだなと、失礼なことを思っていた。
そんな会話をしていると、やがて、無線機から報告の声が聞こえてきた。
『ホワイトフェザー、こちらリリー!目標ヘレナを占領!敵は敗走中!』
随分と興奮した声調の無線が入ってきた。
「ホワイトフェザー」は、この指揮所を示すコールサインだ。無線の内容は、林の一つを占領したという意味だった。
『こちらウェール!――を占領!』
発信者のテンションが上がりすぎて聞き取れないところすらあった。嬉しそうで何よりだ。
その後も続々と占領したという旨の連絡が入り、やがて敵軍は敗走を始めた。
いち早く状況を察知した敵軍が増援を差し向けてくることはあったが、所詮は夜間装備のない上に空を飛ぶことさえできない連中で、あっさりと撃破されていった。
指揮所内の空気も一気に明るくなり、目に見えて士官たちが興奮していた。今まで敗戦一色だったので、逆転勝利の喜びの気持ちはわからないでもない。
このお祭り騒ぎは夜明け近くまで続き、この戦いの戦果は想定以上の物だった。
装甲車を中心に、敵の戦闘車両を多数撃破ないし鹵獲し、また敵兵も相当量が撃たれるか捕虜になり、速報値では一千と数百人程度の死傷者と、百数十人程度の捕虜を得たそうだ。
一方、こちらの損害は23名の負傷のみだった。大勝と言って差し支えない戦果で、おそらく今後、世界中の軍事関係者に研究される戦いとなるであろう結果だった。
夜も明けて、戦闘がひと段落すると、敵の接触が絶えた。どういう事情なのかわからなかったが、この間に第1旅団との通信が回復した。
ひとまず、戦線の整理のため第1魔装歩兵大隊は第2旅団の管轄に戻すことが決まり、管区司令部の命令に従って、私もジュレーニーツのところに戻ることになった。
報告のために行ったジュレーニーツの執務室……というより執務する空間は、あの攻勢の後からは、専らC型クルナティア(「クルナティア」はシャルステル語で段ボールという意味)という、APC(装甲兵員輸送車)を改造した移動型指揮車両の中になっている。
SN-25-Cこと、C型クルナティアは、軍用車らしいごつごつした外見をしており、「段ボール」と言われるだけあって、外観も四角い。ここでは深緑を基調とする迷彩柄だが、本国の平原地域の迷彩を施したら、外見は完全に段ボールになる。元は歩兵輸送車両なので、後ろの大きな扉、というかハッチとでもいうべき物が下に開くギミックがある。
ここでも後ろのハッチが開いており、そのすぐ前で話をしていた。
ジュレーニーツに加え、そこには参謀長もいた。うちの旅団の参謀長、エイルローネ・ミラリス中佐は、我々参謀の直接の上官で、参謀のまとめ役である偉い人だ。偉いと言っても、部隊の直接の指揮権などは有さず、やはりその職責は我々参謀と同程度の範囲に限られる。
参謀長の主な仕事は、参謀の人事に関する実務的な事項や、参謀同士の調整などである。
例えば、副旅団長のディルメースは、参謀同士のいざこざには関与しないが、参謀長のミラリスは間に入るし、他にも、給与査定に響く人事評価は彼女が書いている。もちろん、最終的には司令の承認をもらいに行っているが、その元になる物はうちの軍では参謀長が書いている。
二人とも何か落ち着かない様子だった。ジュレーニーツは少し動揺しており、ミラリスは歩き回っては座ってという動作を繰り返している。
「お疲れ様です。報告に参りました」
「ああ、お疲れさん……。ええっと、報告ね?」
そんなジュレーニーツに話しかけると、口調からして明らかに動揺している様子が伝わった。
「大丈夫ですか?もし都合が悪ければ出直しますが……」
「いや、いいよ。大丈夫。続けて」
本当か?と思ったが、本人が良いというのなら、まあいいだろう。どうせ後で書面でも報告をするので、聞いていなくても問題はない。
「では報告します。旅団長の命を受け――」
私の報告を聞いている間も、ジュレーニーツは何やらソワソワしていた。私が口頭で報告をするのが時間の無駄に感じられたが、それも給料のうちだと割り切ることにした。
「――以上です」
「とすると、そっちもか」
報告を終えると、ジュレーニーツは変な感想を言った。
「やっぱり、あの情報は正しそうですねえ」
ミラリスは南西訛りの抜けない丁寧な口調で、ジュレーニーツに言った。どの情報なのかわからない私は、話についていけなかった。
「どういうことです?」
「不確定な情報なんだけどね、どうやら海軍がやってくれたとかいう話があってさ……」
「やってくれたというのは、どういう?」
詳しく聞こうとすると、ミラリスが口を開いた。
「まず、海軍の空母基幹の艦隊がこの近辺に展開している事は知っていますよねえ?」
「はい。第42任務艦隊ですよね?」
先日の会議でも話題に出たのを覚えている。確か開戦の時期にたまたま近海にいたせいで、邦人救出に駆り出されることになった人たちだ。
「その艦隊が昨日、ミサイル攻撃を敢行したみたいです」
ミサイル攻撃?一瞬だけ言っている意味がわからなかった。
確かに、あの艦隊をなす軍艦の中には、巡航ミサイルを搭載している艦もあった。だが、彼らの任務はあくまでも邦人救助と民間人や外交官の引き上げであり、敵の陣地などに対する攻撃行為は任務の中になかったはずだ。
おそらくエルメネーヌ政権はそれを許さないだろうから、愛想を尽かしたということなのだろうか。
「まあ、無理もないよね」
私がポカンとしていると、ジュレーニーツが苦笑いをしながら言った。
「いや、ですが、なぜそうなるのか理解に苦しみますが」
「私らも詳しいことは知らないんだけど、それに合わせてフラレシア軍は尻尾を巻いて逃げてったってのは事実みたいだね。私にもわけがわからないけど」
「そんなこと……」
あり得ないと言いかけたが、実際起きたことだし、もしフラレシア軍が引いていなければ、もう少し首都に近いところでこの報告をしていることになっていた。私の見立てでは、第2旅団が敵の猛攻をはねのけられるだけの戦力を持ち合わせてはいなかったと思う。
いずれにせよ、幸運ではあった。九死に一生を得るとはこのことだろう。
ひとまず、報告は終えたので、私は参謀たちがたむろしているであろう、事務所になっている天幕に行った。
休憩室代わりの天幕はないので、そこが半分休憩室みたいなものになっている。
天幕の中に入ると、紅茶の茶葉の香りがした。どうやらウェステーリスが紅茶を淹れているみたいで、彼女の手には紅茶入りのティーカップがあった。
「……紅茶臭すごい」
「入ってきた人みんな言いますわよね。それ」
私が呟くと、ウェステーリスが言った。
「他に匂いを発する物がないし」
そう言いつつ、私は自分の席に座った。
「レーリンツ中佐も飲みます?」
「銘柄は?」
「シルテ(エルテア北部原産の茶葉、クセがなく、芳醇な香りと強い味が特徴)ならありますわね」
私の好みはレーラン(エルテア南部原産の茶葉、清々しい味が特徴)なのだが、ないなら仕方がないだろう。
「ティーバッグなら3回までは許すけど」
「これは使い捨てですわよ」
ウェステーリスは小馬鹿にするような笑いを浮かべた。
「もったいなくないの?」
「あなただって、コーヒープレスのコーヒー豆を使いまわさないじゃありませんの」
「紅茶は薄くても許せるけど、コーヒーは違うのよ」
「違いがわかりませんわね」
ウェステーリスは肩をすくめた。
「紅茶はリラックス用で、コーヒーは気合を入れる用よ。カフェイン含有量が違うじゃない」
「それならお湯でも飲んでいた方がいいですわよ。それより、飲みますの?」
「頼むわ」
そう言うと、ウェステーリスはポットの中のお湯を空のカップの中に入れて、その中にティーバッグを入れて、ソーサーを被せた。
「どうでも良いのだけれど、ティーバックって、なんで下着と同じ発音なのかしら?」
唐突にディルメースがそんなことを言った。
「お茶入りのカバンで、『ティーバッグ』ですわ。発音は違いますわよ」
「え、そうなの?知らなかったわ……」
「あれ?ティーパックじゃないんですか?」
今度はリファレールが言った。
「違いますわね。意味だけならそれでも通りますから、通じればそれでもよろしいかとは思いますけれど……、これは包みではなく小袋ですわ」
「そうなんですね……」
そんな会話を尻目に、私はテレビを点けた。
朝らしくニュース番組をやっている。相変わらず、戦争の話題はかなり少ない。
アリスレークル共和国の公用語はシャルステル語と違う言語だが、衛星放送でシャルステル語の番組もある。通信部隊のおかげで、こういう放送も気軽に見られるのはいいことだろう。
すると、速報は入ってきたみたいだった。
『――今入ってきた情報です。東ティレトにおける一連の戦争において、海軍がフラレシアの領土に対し、ミサイルによる攻撃を行ったという情報が入ってきました。これに関する声明として、政府や軍は沈黙を貫いており、詳しい状況は未だ不明です。これが事実なら、今までのエルメネーヌ政権の消極的介入主義が覆される結果となり、政権にとって大きな転換点となるでしょう。なお、この攻撃は海軍の一部将校の独断で行われた可能性も噂されており、海軍参謀本部は詳しい状況を調査している模様です――』
ニュースにもなる程の大ごとになったからには、おそらくあの件は事実なのだろう。
最後の、「一部将校による独断」という内容が引っかかったが、いずれにせよ、海軍のおかげで我々は命拾いしたのだから、正直、どうでもよかった。
「できましたわよ」
すると、ウェステーリスが紅茶を持ってきた。
「ありがとう」
「ストレートで大丈夫ですわよね?」
「ええ。コーヒーもブラックだし」
「そう。では、ごゆっくり」
私はニュースを見ながら、紅茶を飲んだ。クセはなく、若干熱かったが、美味しかった。