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4、後方のお偉方

 あの戦いを終えた私は、書類仕事に追われていた。大規模な戦いには、それに見合う書類仕事がついてくる。作戦部の3人で手分けをして書類を片付けつつ、今後の作戦計画を立てる必要があった。

 今後の作戦計画について、ジュレーニーツの示した方針は、「ファルロン・エーレの防御を盤石にし、敵の侵攻を拒否する」と「増援が来るまで地域を占領、維持し、アリスレークル国民の生命、および財産を可能な限り守る」との事であった。

 つまり、当面はアリスレークル国民を守るために、私達はこのファルロン・エーレに留まるそうだ。これには私も異存はなかった。

 気がかりだったのは敵の航空優勢下である事で、空挺降下や補給線の分断などの事態だった。

 特に後者は面倒だ。ここは山間部である以上、隘路や険しい地形も多い。補給路も少ないため、必然的に補給もやりにくくなる。おまけに鉄道による補給は川を挟んでいるので、鉄橋をやられると後退するしかない。だが、補給線の維持に戦力を割かれると、今度は敵の攻勢に対して脆弱になるというジレンマがあった。

 そんな最中に、北方管区司令部の方で召集がかかった。今後の作戦方針を策定したいとの事であり、ジュレーニーツは作戦参謀の私、それに加えて行政参謀のサフィア・リメリール中佐を帯同して、管区司令部の所在地のゾラニーラに行くことにした。

 今回はジープでの移動だったので、トラックの荷台よりは快適な旅だった。敵襲も予期されないとの事で、陸上迷彩の作業服一枚という軽い装備で済んだ。荷台には一応E-MAR-7という自動小銃はあるが、お守り程度の物だった。

 管区司令部のあるゾラニーラは、ファルロン・エーレの東80kmの地点にあり、車では片道5時間程度はかかる。

「そういや、リメリールとあんま話してなかった気がするんだけど」

 出発してまもなく、ジュレーニーツがそう口を開いた。

「あまり会話の機会もないですからね」

 リメリールはフォーレドラギアンと言われる種族で、翼や羽毛の生えた改造人間の末裔だ。焦げ茶色のショートヘアは人間と同じだが、ミミズクの様に耳まで毛で覆われている。翼は背中から生えており、それ以外に人間とはあまり変わらない。翼以外に四肢もある。普段は、翼先を腿や膝、脛のあたりに置き、翼で胴体を巻いているかの様に格納されている。

 翼は白く、艶のある羽毛だった。曇り空の下なので今見ると若干暗い印象を抱くが、太陽光の下だと綺麗な艶のある色になる。

「出身はどこだっけ?多分東部地方だとは思うけど」

「セミルコーレです。お察しの通りラライレ州の都市です」

 少数種族や少数民族は、東部であるラライレ州やソフィニア州の出身の場合が多い。山間の人目につかない場所で、ひっそりと生き残ろうとしつつ、その実一番危険なサーバードとの国境地帯に近い場所で生き残る事を許された、という暗い歴史があるのだ。悪い言い方をすれば、隣国の生贄みたいな扱いだったのだ。少数種族や少数民族が、迫害されるか同化するかを迫られるのは、どこの国でも変わらない事なのだ。それが今の話か、過去の話かの違いはあるが。

 とはいえ、我が国ではもはや過去の話だ。今は東部地域は観光地として知られる都市ばかりだし、本土の国防を担う軍隊は、少数民族や少数種族も守る覚悟でいる。

「セミルコーレか。知ってるよ。あそこの酒と魚を合わせるとうまいんだ。これが」

「ええ。物流の中心地ですからね」

 リメリールの言う通り、セミルコーレはラライレ州屈指の地方都市で、州都ではないものの、今や州一の経済規模を誇る。古くからの物流拠点でもあり、コルマメースみたいな沿岸部で取れた魚介類や商業作物、加工品が集まり、昔は街道、産業革命以降は鉄道で西の人口密集地へと運ばれる。おかげであそこの市場も未だに栄えている。

「一回行ってみたいんだよなぁ……。あそこの定期市とか絶対楽しいよ」

「色々な物がありますよ。ぶどう酒にノルフェ(魚介料理。刺身に粗塩をかけた物。ジャリジャリした食感が特徴)、あとはルーニ(果実を用いたスイーツの総称)や、珍味で言えばジビエとかも絶品ですよ」

「あー、食いたくなるからやめてー……」

 私は苦笑いしたが、まあ、そう言うジュレーニーツの気持ちはわかる。戦場は食べたい物もあまり食べられない環境なのだ。

 それに、郷土料理というのも羨ましい。地元にはそんな物はないので、なおのことだ。

「旅団長はどこでしたっけ?」

「ノールケルエン。ミフェール州。川と家しかないよ」

「都会のイメージですけどね」

「いやいや、マジでなんもないよ。昔は街道だったから宿場町だったそうだけど、今は電車使えば良いからね」

 確かに、私も地名以上の知識はない。今度ノールケルエン市について調べてみよう。またやりたい事が出来てしまった。

「作戦参謀はいかがですか?」

 いきなり私に話が飛んできた。リメリールに言ったことはなかったか。とは言え、あまり良い思い出もないのだが。

「スロレア州のメローラです。栄えてはいますが……栄え過ぎです」

「と言いますと?」

「電車はいつも満員、道を歩けば酔っ払いに絡まれ、人に足は踏まれ、道端には汚物があるし、道路は交通量に見合わないほど狭い。そんな街です」

 私が街の感想を述べると、二人は微妙な顔をした。

「ああ……。都会はそうですよね」

 二人は何かを察した顔をした。

「おかげで出て行きたくて仕方がなかったです。良い思い出もありませんし」

 思い出すだけで嫌になる。未だに地元の名前を聞くだけで嫌気が差す程だ。親も親だったわけだし。

「それはそれは……。まあ、私も都会に幻滅したクチですから、気持ちはわかります」

 地方出身の人は意外とそういう人が多い。実際、都市部の現実とはそんな物なのだ。

「酷いで言えば、セルアス市内も似たような感じだった気がするけど」

 ノールケルエンはメローラと比べて、セルアスから離れているので、違いが分かりにくいのだろう。

「あそこはまだ酒屋が少ないですから、マシですよ。それに、首都だけあって、それなりに品位を持った人ばかりですから。メローラは酒の加減を知らない学生が多いので……」

「……なるほど」

 皆まで言わずとも察してくれるのはありがたい。汚い事は口にしないに限る。

「ですから、リメリール中佐の様に、地元に誇りを持てるのが羨ましいです。うちの市長はそんな過密都市を更に発展させるとかほざいていますし……」

「……まあ、良い面もあれば悪い面もあるよ。どんな物でも」

「地元に良い面はないと思いますけどね。……いえ、失礼しました。もはや愚痴と嫉妬でしたね」

 ジュレーニーツが私を宥めている事に気がつくと、私は話を切り上げた。聞いていて面白い物でもあるまい。

「……わからない話ではないですが、高速鉄道の開通は早かったじゃないですか」

 リメリールがそう励ましてくれたが、私は会話をする気を失っていた。これ以上話しても愚痴しか出てこない気しかしなかったのだ。

「新しい物くらいは独占させてくれないと、割には合いませんから」

 そうして会話は途切れ、私は再び書類に視線を落とした。そんな風に、書類を読んでいる間にゾラニーラに着いてしまう。時の流れの何と早い事か。

 流れて行くゾラニーラ市街地は、いつもの調子だった。以前よりかは人通りは減っていたが、まるで戦争なんてないかの様に市民達は振る舞っていた。市民達の内心はともかく、私の目にはそう見えたのだ。

 私の乗る車を追い越す自転車、消えた信号の代わりに手信号で交通整理をする地元の警官、談笑しながら道を歩くご婦人方、親と手を繋いで歩く子供。そこには確かに日常があった。

 いつも通りじゃない景色もあった。手信号の警官もそうだが、銀行や一部の店舗はシャッターが降りているし、開いている店には人が殺到し過ぎて、警官が群衆を道路からどかしていた。それ以外の通りの人通りの少なさもそうだ。それと、アリスレークル国防軍の義勇兵募集の広告や、なんかの文字が書かれた落書きなども目に入った。それなのに、人々は知らんぷりをしている。まるで現実逃避をしているか、戦争を知らないかの様に。

 管区司令部のある建物は無骨な白い横長のビルで、学校とか言われても信じそうな見た目をしている。屋上の三本の旗竿には、高い順に国旗と魔法軍旗、そしてアリスレークル遠征軍の部隊旗が翻っている。一目で軍事施設とわかる見た目だった。

 背景の空は雲の方が面積を占めており、所々に晴れ間が見られる程度の天気だった。上空の風も強いようで、雲が流れている。

 門衛をしている兵士に身分証を見せつつ、私達は庁舎内に入ると、案内の兵士が待ち構えていた。その人の誘導で広めの会議室に連れて行かれ、部屋の所定の位置に座った。

 開始時間前に着いたが、部屋には既に結構な人数が入っていた。どれも見知った顔のお偉いさんだ。

 衣服はバラバラだった。作業服だけでも陸上迷彩の人、航空迷彩の人と分かれているし、紫色の制服姿の人もいる。一応部隊ごとには統一されている様に見えるが、統一感に欠ける印象は受けた。

「あらー、ジュレーニーツ大佐?」

 我が旅団長に声をかけてきたのは、メルリーネ・リースレア大佐だった。彼女は第3遠征軍第1旅団の旅団長である。第1旅団の担当区域は確か、このゾラニーラ近辺だったはずなので、いつもお偉方に見られている人だ。心労も凄まじい物だろう。少し同情する。

「おお、リースレア。久しぶり」

「久しぶりねー。元気でしたー?」

「銃口は向けられたけどね。まあ今のところは」

「あらあらー、それはそれはー」

 リースレアの出身はシロラール州のローカスだったか。南西訛りが強い。あの地域の人は、文節ごとに語尾を若干伸ばす上にゆっくり話すので、ほんわかしている印象があるが、実は腹黒いというのがステレオタイプだ。彼女が実際どうかは知らないが、誰しも心には影がある物だ。第一印象との落差だけで腹黒いと言うのも違う気がするというのが私の考えだ。

「しかし、無事で何よりだ。そっちはどう?」

「まー、そうですねー。フラレシア軍はとりあえず川で抑えられていますけどねー……やっぱり兵力がもう少し欲しいですねー」

「まあ、どこもそんなもんか」

 ジュレーニーツはため息を吐き、椅子に座り直した。

「そういえばー、聞きましたー?エルメネーヌ首相がまたやってくれたみたいですよー?」

 ロレイル・エルメネーヌは、立憲君主制を擁する我が国の現職の首相だ。保守穏健派の政治家で、軍備縮小を唱えている政治家であった。特に魔法軍の撤兵を考えていたそうだが、今我々がここにいるということは、何もできていないと見るべきだろう。おかげでタカ派の多い軍や、穏健派が行き過ぎて外交官にすら嫌われている有様だ。政治はよくわからないが、周囲との衝突も多いと聞く。私からもあまり良い政治家には見えなかった。

「あいつが?あのハト野郎には辟易するね。撤兵するかどうかくらいはっきりしやがれってんだ」

 ジュレーニーツも確かエルメネーヌを嫌っていた。というより、軍内部での評価は平均してかなり低かった。

 別に魔法軍に限らず、海軍や空軍、陸軍も嫌っていた。軍縮そのものに怒っているというよりは、サーバードに接近する姿勢を見せる態度が嫌われている要因に見える。「シャルステル人をあのアカ共の奴隷にするつもりだ!」なんて言う過激派もいる。それだけシャルステルとサーバードとの仲は悪いわけだが、実際あの国の態度からして、明確に我が国を下に見ているので、信用できないという人の言い分もよくわかる。

 それに、エルメネーヌ自身が優柔不断という事もある。よく言えば調停に向くのだが、軍人からすれば、首相は即断即決を求められる仕事の最たる例だ。それができない人は指揮官として評価に値しないし、実際、私もそこは、彼の評価できない部分だと思っている。

「まー、自国民の避難が終わったら、我々も帰れるみたいですけどねー」

「つまり、あたしらは自国民ではないって事だろ?全く酷い話だ」

 おそらく、リメリールの話からすると、エルメネーヌはまた増援派遣を見送ったのだろう。いずれニュースに出るだろうが、自国民を逃げさせたら我々も引き上げさせるつもりなのだろう。

 それならなんで集団安全保障体制を作ったんだという疑問が残るし、これ以上、我々魔法軍の立場を悪くされるのも堪った物ではないというのが、軍内の一般論になるだろう。

「でも、ここからが面白いんですよー。エルメネーヌ内閣に対する不信任案を議会で採決する動きが出ているみたいなんですよー?」

「それならさっさとやって欲しいね。別にあいつを引きずり下ろすってんならなんでも良いけど、戦争が泥沼化すればするほど、死ぬ人や苦しむ人は増えるって事を誰もわかっちゃいないんだ」

 目に見えてジュレーニーツの機嫌が悪くなっていた。会議にまで引きずってほしくはないのだが。

「まあ、同感ですねー。それで私達のせいにされるんですから、目も当てられませんよねー」

「……二人とも、面白そうな会話をしているのね」

 すると、唐突に二人の背後から、誰かが声をかけた。なんとも冷ややかで、何かを見下しているかの様な声色に聞こえる。そして、それは私の知っている声であった。

 私が声のした方を見ると、案の定、紫色の制服を着ている、北方管区司令部のナンバー2、ロシェッテ・ミーコヴェル准将がそこに居た。一見無表情ではあるが、若干機嫌が悪そうだ。

「これはこれはー、副司令。お疲れ様ですー……」

「どうも、副司令……」

 二人は気まずそうに立ち上がり、副司令官に対して敬礼をした。私も二人の片っぽの部隊の一員なので、二人に倣って敬礼をする。

 ミーコヴェルが答礼をして、手で座る様に促した。

「二人はそのまま。あなた達と話をしたいの」

 リースレアとジュレーニーツが座ろうとすると、ミーコヴェルが止めた。これは完全に二人を怒る流れなので、私は知らんぷりして、耳だけ傾ける事にした。

「……面白そうな話ね。次の選挙まではまだあったと思うけれど」

「そうとも限らないかもしれませんよ?」

 ジュレーニーツがそう答えると、ミーコヴェルが眉を顰めた。目に見えてわかるレベルで表情を変えるのはかなりまずい状況なのだが、果たして二人は知っているのだろうか。

「……軍人たる者、過度に民主政治に干渉してはならない。士官学校で教わったはずだけれど」

「ええ、存じ上げております」

「なら、せめて部下の前では口を慎みなさい。政権批判をするなとは言わないけれど、現職の軍人が大っぴらに自分の思想をばら撒くと碌な事にならないわ」

「わかりました……」

「了解ですー……」

 二人よりも体格の小さい女性に、二人がああまで言われて、しゅんとしているのを見ると、やはり軍の上下関係を垣間見られる。

 ミーコヴェルが二人を叱ると、彼女は今度は私の肩を叩いて、親指で廊下を指した。

 廊下に出ろという意味だと解釈した私は席を立って、ミーコヴェルに付いていく形で廊下に出た。

 部屋から出て、数歩進むと、ミーコヴェルは立ち止まって、振り返ってこちらを見る。綺麗なショートの黒髪が少し舞った。

「……久しぶりね」

 そう声をかけたミーコヴェルの表情は、少し綻んでいた。

「どうも。お疲れ様です」

 私は改めて敬礼をすると、彼女もしっかりと返してくれた。少し嬉しかった。

「怪我はなさそうね。元気そうで何より」

「まあ、疲労はすごいですけどね」

「それは、お互い様だと思う。それよりも、ジュレーニーツ大佐はどう?」

 さっきの件だろうか。別に意見は人それぞれなのだから、なんでも構わないと私は思うのだが。

「どう、とは?先程の件でしょうか?」

「いや……聞き方が悪かったわね。彼女の下で働く事について、どう思っているのか聞きたかったのよ」

「悪い人ではありません。部下には人気のある士官です」

「まあ、そういう士官は往々にして、上の受けが悪い物なのだけどね」

 ミーコヴェルは私から目を逸らし、裏に会議室のある方の壁を見ながら、そんな事を言った。

「部下()()人気があっても、上官に人気があるとは限りませんからね」

「全くね。とはいえ、八方美人もそれはそれで気味が悪いけれど」

「まあ、不気味ではありますね」

 さて、会話が途切れた。次は何の話を振ろうか考えると、ミーコヴェルが先に、腕時計を見ながら口を開いた。

「……ちょっとついて来て」

 そう言われてついて行くと、自販機の前にたどり着いた。

「また奢るわよ。コーヒー?それともココア?」

「そんな、申し訳ないですよ」

 そう言った私を無視し、ミーコヴェルは自販機の中に硬貨を何枚か入れた。流石に掴みかかるのも失礼なので、私が何もできないまま見ることしか出来ず、やがて彼女はジュースが一本買える程度の量の硬貨を入れ終えた。

 仕方がないので、私はため息を吐きつつも、それに甘んじる事にした。

 出てきた缶コーヒーを手に取り、プルタブを引き起こす。それを横目に、ミーコヴェルは自分の分の飲み物を買った。甘いココアという、地味に可愛いチョイスだった。

 相変わらず、缶コーヒーの味は薄い。メリオールで淹れたコーヒーに慣れてしまうと、ドリップコーヒーはどうも薄味に感じてしまう。

「それで、さっきジュレーニーツ達が話していた事なのだけれど……」

 ミーコヴェルが缶を開けながら、そう切り出した。

「……やはり、派兵はないそうよ」

「そうですか」

 なんとなく察していたので、あまり驚きは無かった。

「あなたはどうするの?このままだとジリ貧だけれど」

 暗に私の身を案じてくれているのだろうか。だが、心配には及ばない。

「別に、行く当てもありませんし。命令とあらばあの世にも行ってやりますよ」

 私は缶コーヒーを一口飲んだ。口の中にコーヒーの味が広がり、吐く息にもコーヒーの味が混ざり合う。

「そういえば、未婚だったのよね」

「ええ。皆さんが幸せなら、私はなんでも結構です」

「……良い人は死神にすら愛される、ね」

「死神でも、愛してくれるだけマシですよ。私はほら、都合の良い女ですから……」

 自虐ネタも心が痛む割には受けが悪い。だが実際、事実として重くのしかかっているのだ。

 30も後半となって未婚の女性。世間的に見ても、相手にすらされなくなりつつある年齢だ。見た目は悪くないと思うのだが、やはり性格だろうか。

「……まあ、せめて自分の意見は持っておきなさい。何かできる事があるなら、私も力になるから」

「……ありがとうございます」

 別に女の幸せは結婚だけではない、というのは強がりだろうか?だが、何かを極めるのも悪くはなかろう。

 なんて事を考えていると、ミーコヴェルがこちらをジッと見ている事に気がついた。

「……師匠とか師範代とか言われるだけはあるわね。その落ち着き様。そんなケロッとした顔で、部下や敵をあの世に送り込んでいるのよね……」

 そんな感想を淡々と述べられたわけだが、さて。どう返そうか。

「准将こそ、まるで心がないかの様な顔ですよ」

 私も負けじと、笑顔で彼女の無表情具合を皮肉ってやると、ミーコヴェルはこちらを見た。

「これは元からよ」

 真顔でそう言ったかと思うと、彼女はクスッと笑った。私もそれに釣られて、クスクス笑ってしまった。

 すっかり缶が軽くなってしまった。私は空き缶をゴミ箱に捨てると、続いて、ミーコヴェルも空き缶を捨てた。缶の飲み物は値段の割に量が少ないのが難点だ。奢ってもらっている分際で言える事ではないのだが。

「では、行きましょうか」

「そうね。開始時刻まで……後5分ね」

「少し急ぎましょうか」

 そういうわけで、私達は会議室に戻った。

 会議の主役は北方管区司令部の指揮官、カーレット・シェールコール少将だ。金髪で、横に突き出た耳はやはり彼女がエルフなのを物語っている。後頭部には大きなお団子があるのも特徴だ。

「さて、時間になったので、会議を始めましょう。まずは……背景事情から行きましょうか。参謀長」

 シェールコールに指されて、管区司令部の参謀長、レシェット・ロイメール准将がその場に立った。真面目そうな印象を受ける。肩にかかるか微妙な長さの髪を、後ろでまとめている。いつもはショートで、髪を留めていることはないので珍しいのだが、切る暇もないのだろうか。やはり彼女も大変そうだ。

「はい。私からは、我の状況をお話しします。まずは政情から。

 エルメネーヌ内閣は軍務執政院の要望を退け、当面は増援を見合わせるとの結論を発しました。これにより、我々管区司令部は今持ち合わせている兵力に加えて、南方管区司令部の隷下部隊の一部のみが対フラレシアに使える戦力です。また、法的にはアリスレークル国防軍の要請に従うという形で出ておりますので、アリスレークル国防軍がどのような方針を出すかにより、今後の我々の動向も変化するでしょう。

 今のところ、アリスレークル軍から北方管区司令部に対する要請がある場所は、国境中央から東部にかけての防御で、具体的にはファルロン・エーレからレールカットに至るまでのラインの維持を要請されています。可能な限りこの線を維持する様に命令を受けていますので、我々の作戦目標も必然的にそれに従います」

 管区司令部の参謀長から、淡々と現状が語られる。皆は黙って聞いているが、空気は悪かった。番犬が客を威嚇する時の様な視線が、参謀長のロイメールに向けられていた。気持ちはわかるが、彼女は関係ない。だが、ロイメールはそれを気にする様子もなく、凛とした雰囲気を保ったまま話を続けていた。

 我々第2旅団の担当する区域は、シャルステル軍の担当区域の西端に位置する。ある意味では難しい場所だ。アリスレークル軍との連絡を緊密にしなければならないし、山岳地域でもあるので、シャルステルお得意の機動戦がやりにくい地形でもあるからだ。守りやすく、攻めにくい地形ではあるものの、敵航空優勢下にある現状では、補給線を塞がれるのが一番避けたい状況だ。それに、起伏に富む地形であるということは、それだけ橋梁や隘路の数も多い。どこか一つが塞がれるだけで、戦うどころか食っていく事すらままならない状況になる。それだけは何としても避けなければ。

「国際情勢ですが、西側諸国は概ねフラレシアを非難する見方が強い様です。もしかするとアリナーレあたりが派兵を検討するかもしれません。東側諸国も同様ですが、西側ほど急進的ではなく、フラレシアについては表向き不干渉を貫く姿勢が見られます。強いて言えばカルカスタンが非難声明を上げたくらいでしょうが、サーバードが隠れて武器類の支援を行なっているという未確認情報もありますので、中で割れていると見るのが適切でしょう」

 ロイメールは書類を捲り、それに倣う様に、部屋は書類を捲る音で一瞬だけ埋め尽くされた。試験監督がテスト開始の合図をしたときの様子を思い出す。

「では、敵情に移ります。敵は第4軍、特にその隷下の第2師団、及び第3師団をゾラニーラに指向しており、我々はこれに対処する必要があります。敵はおそらく突破を図るつもりで、圧倒的な陸上戦力と航空戦力を持って、我を圧倒しようというのが腹構えでしょう。特に厄介なのは航空戦力で、これの拡充が急務でしょう。ですが、それは我々の範疇ではないことは、皆さん承知の通りです」

 航空戦力が現在の戦争では欠かせない存在になっているのは、もはやこの業界では常識だろう。後方連絡線や補給幹線への攻撃、近接航空支援、縦深攻撃、通信線の破壊、敵司令部の破壊、それに空挺降下やヘリボーンなど、陸上戦力に直接関連するだけでも、それだけの威力を持っている。航空優勢を失っているという事は、それだけ我々が不利な状況である事を示している。

 説明を終えると、ロイメールは管区司令部の情報参謀を見た。本来、敵情云々については情報参謀の所掌だからだが、あまり言うこともなかったのか、それとも勢いで言ってしまったのだろうか。いずれにせよ、情報参謀の方は特に異存がないみたいで頷いていたので、ロイメールは話を続けた。

「幸いなのは、我々の行動に海軍の第42任務艦隊の方々が理解を示して下さった事で、海上については制海権を取れていると見て良い事です。上の命令、すなわち自国居留民の保護という命令を、敵に対する攻撃を以て遂行すべきだと解釈した様です。フラレシアの海上戦力と比較して、我々の海上戦力の方が上回っていますから、制海権については沿岸のミサイルにさえ気をつければ、問題ないとのことです」

 すると、誰か見知らぬ人が手を挙げて、ロイメールがその人を指した。

「その第42任務艦隊の編成を教えて下さい」

「はい、ええと……まず、航空母艦のエレノア・フェロノールと、ミサイル巡洋艦のメルディア、イベネーラ、ミレール、そしてミサイル駆逐艦のココット、ラトロール、アリラスの7隻です」

「これら7隻でフラレシアの海上戦力を上回ることが可能と?」

「その通りです。フラレシア社会共和国は……、正確には、最高指揮官たる同国の政府の方針で、海軍に関しては実質的に沿岸警備隊程度の戦力しかありません。それも排水量が多い方でも、千何百t程度の舟艇ですから、ほとんどあってないような物と見て差し支えないかと思われます」

「なるほど、ありがとうございます」

 これは質問のチャンスと思い、私は手を挙げた。

「その海軍は海上封鎖の任には当たっているのですか?」

「いえ、流石にそこまでは……。ただ、おそらくその用意はあるかと思われます」

 やはり、政治の軍事に対する干渉が強い様だ。参謀本部や作戦指令本部の人も、優柔不断な上を持っていては大変だろう。少し同情する。そして、そんな上に犠牲を強いられる兵士達も、やはり可哀想な限りである。同情以上の事はできないが、なにせこの会議室にいつ爆弾が降ってくるかもわからないのだ。私とて、本来は政府を恨むべき側の人間であり、安心はできないのだ。

「わかりました。ありがとうございます」

 私は席に座った。

「さて、質問がこれ以上ない様なら、続けます。次は……アリスレークル軍の方針ですね。

 方針としては、国境防備と対フラレシア戦の二つに兵力を分けて、フラレシア側の国境西部をアリスレークル国防軍が、東部を我々北方管区司令部が、国境防備を南方管区司令部がそれぞれ指揮を執ります。アリスレークル軍によると、今のところ、この方針に変更はないそうで、作戦は引き続きこの方針に従った物となります。

 そこで、遠征軍司令部がこの戦争に関する計画を発出しました。お手元の資料の『第3-17作戦計画』をご覧ください」

 言われた通りの書類を見つけ出して、捲った。

「これからはこの内容についての説明を行います。

 この作戦計画は作戦、および戦略階梯の内容です。目的はフラレシアを和平交渉の席に着かせる事ですが、表向きはあくまでも協同という形をとって実施されます。これはアリスレークルの主権を尊重するという意味合いなのですが、一番の要因はアリスレークルの国内世論です。我々を信頼しきれていない様子でした。戦力的に見ると我々が指揮権を有するべきなのですが、これを無視してしまうと、今後の作戦行動や活動に支障を来す恐れがあると遠征軍の司令部が判断したため、我々はあくまでも協同という形式を取っています」

 すると、隣にいる行政参謀、リメリールが手を挙げた。ロイメールもそれに気がついた様子を見せた。

「当のアリスレークル国防軍は我々の協同について、どの様な立場ですか?」

「はい、概ね支持している様子です。戦力も経験もこちらが上ですから、国防軍の方は『致し方ない』とか、『シャルステルの指揮の方が勝てる』という認識が多い様子です。特に上層部はその認識が強い様なので、世論と乖離している様子ですね」

「ありがとうございます」

「そういうわけですので、アリスレークル軍を傀儡の指揮官として、我々が作戦行動を監督する立場、というのが実態になっています。この事はアリスレークル、シャルステルの軍人の中ではいわば公然の秘密と化していますから、ここにいる皆さんもそのつもりでお願いします。

 さて、そういうわけで、次に以上の目標を遂行するために作成する、具体的な目標、及びその遂行のための作戦行動の方針についてお話しします。この目標はシャルステルの遠征軍司令部の発した、それぞれ5つの領域について明記した作戦目標となり、これを基に我々は作戦を立案します。

 その内容は以下の通りとなります。

・(陸軍)アリスレークル共和国の開戦以前の領土を回復し、必要があれば越境攻撃を実施する。

・(海軍)フラレシアの経済活動を妨害する。

・(空軍)航空優勢を奪取する。

・(宇宙・サイバー)宇宙、およびサイバー領域での優位を活かし、敵の情報などを必要に応じて周知する。

 ここでポイントとなるのは、宇宙やサイバー領域の活動があくまでも補助的な物であると見られている事です。フラレシア軍はあくまでも地域大国程度の軍事力を有しますが、かなり無理をしています。陸上戦力や航空戦力は確かに圧倒的ですが、それ以外の点では大した能力を有しておりません。もし長期戦になれば、工業力の差からして、敵は時間を追うごとに不利になります。要は泥沼化すればこちらに軍配が上がるということですね。……というところで以上ですが、質問はありますか?」

 ロイメールの話は終わった様で、司令のシェールコールを一瞥してから、スッと席に座った。

「さて、それでは具体的な作戦内容に行きましょう。まず、第1旅団」

「はいー」

 シェールコールがそう言うと、第1旅団の指揮官たるリースレアが席を立った。

「第1旅団は引き続きゾラニーラを防衛する事。質問は?」

「特に変化なしですねー、わかりましたー。質問はありませんー」

 一瞬のうちに終わったが、命令はこれくらい簡便な方がやりやすい。戦術の原則にも則る物だ。それに特に変化がないなら、伝えたり聞いたりする事項も少ないだろう。

「次、第2旅団」

 次に呼ばれたのはジュレーニーツだ。命令は指揮官に対して与えられる物なので、参謀の私は隣で見ているだけだ。

「はい」

「第2旅団は第1旅団に加勢し、ゾラニーラの防衛にあたる事。質問」

「ゾラニーラ防衛部隊の指揮系統はどうなりますか?統合ですか?」

「いえ、地域で分けるつもり。具体的な地域割りは後で伝えるわ」

「わかりました。次に、ファルロン・エーレの防衛は誰がやりますか?」

「第4旅団が引き継ぐ予定ね」

 北方管区司令部の隷下には、第1旅団から第4旅団まである。これらは戦時編成としてついこの前、諸兵科連合旅団として再編成されたものだ。これらは元は旅団ではなく連隊で、連隊の指揮官は基本的に大佐が務める。旅団の指揮官は准将が普通なのだが、そんな理由があるので、旅団長が大佐で揃っている。

「最後にもう一つ、なぜ一番離れた我々をゾラニーラに?地理的には第3旅団が隣接していますが」

「練度の都合よ。まず、あなた方は演習の成績が他の旅団よりも良い。それで、始めはアリスレークルとの連携を重視していたから、あなた達は西部に置いたのだけど、東部地域の敵が増強されるという事は、こちらも増強する必要がある。そして、敵は圧倒的な陸軍と空軍だから、ある程度本気の編成でないと、突破されて作戦目標が達成できなくなる。……これで納得できたかしら?」

「つまり、練度が高いから東部に移動させられる、という認識で大丈夫ですか?」

「ええ。その通り」

「わかりました。後は実務面ですが、人員の補充についてはいつに……というより、そもそもあります?」

「一応アリスレークル国内にも予備の人員はいるから、それを補充兵にしようかと。ただ、旅団としての練度は下がるから、そこは覚悟しておいて」

 ジュレーニーツはちらりと私を見た。まあ、それでもどうにかするのが作戦参謀の責務ではあるし、ない物は仕方がない。恨むべきは旅団長ではなく、戦争という名の、物資や人員を失う状況そのものなのだから。

「質問は以上です」

 そう言って、ジュレーニーツは椅子に座った。

「次、第3旅団。あなた達は――」

 この様な様子で、命令下達が進んでいった。

 戦争は何も生み出さないと言うが、少なくとも人命や資源を失う物ではある。そして面倒な物だ。精強なる筋肉ダルマやゴリラ、あるいは私みたいなインテリが、銃弾や砲弾、時には飢餓や病気で、命や身体の一部を失う事になる。

 その裏にある物は何だろうか。誰かが利益を得るからか、あるいは復讐心、あるいは政治的野心という事もあり得た。だが、背景にある物が何であれ、結局のところ、戦争を起こすのは人だ。それはどれだけ兵器が発達して、戦場の在り方が複雑化しても、変わらないものだ。

 メディアは軍人を戦争屋だと糾弾し、不利な戦争が起これば、必ず軍人は悪人扱いされる。だが、我々も戦争は望んでいない。我々とて人であり、本来糾弾されるべきは、戦争を引き起こした政府なのではないだろうか。

 しかし、我々が平和を乱す行為を実行している以上は、仕方のない事なのかもしれない。だが、せめて我々も戦争を望んでいない事は、もっと理解されても良いのではないかと、私は思っている。

 軍人とは、面倒な仕事だ。それも戦争中の軍人なら、尚更だ。

 会議が終わると、私達は更なる会議を旅団内で行い、そして移動のために引き継ぎなどの雑多な業務を行い、ゾラニーラの少し西にあるテニソートという街に転進した。これで、前線戦力が東部に固まり、西部が少し疎かになった。

 移動中は予備役の練度がどれほどかを確認していた。とりわけ深刻だったのは士官不足だ。先の戦闘では、前線戦力のみでは2割程度だが、士官は実に半数以上がやられた。第1大隊司令部の生き残りがネールファンスだけだった状況が、その深刻さを物語っているだろう。

 聞くところによると、敵襲の対応の協議のために集まっていたところを爆撃されたらしい。ネールファンスは、たまたま別件で前線近くの陣地に出ており、それで助かったそうだった。

 しかし、士官たる者の存在は、近現代の戦争では欠かせない存在だ。旅団司令部が頭脳なら、前線指揮官は脊椎や末梢神経にあたる。いくら頭があっても、体が動かなければ戦えない。

 そういうわけなので、人事参謀のフィルナールの提案で、第1大隊の生き残りを損耗分に回し、そこで空いた人員に補充兵を入れることにした。そして、そんな第1大隊は前線から離れ、しばらく休養と訓練の時間とし、何かあった場合に呼び出す予備兵力とした。いずれにせよ予備兵力は必要なので、これが妥当なところだろう。

 我々がゾラニーラの西、テニソートに進出する頃、ゾラニーラ市街は砲火に晒されたそうだった。

 リースレア率いる第1旅団が迎撃にあたっているそうで、第2旅団の出る幕はなさそうだった。おそらく敵の企図は渡河と突破になる。報告を見る限りは第1旅団が守り切れる気がするが、その後はわからない。もしかするとこちらに来る可能性もあった。

 いずれにせよ、備える必要はあった。川に沿って陣地を敷き、防衛線を急ピッチで増強されていった。

 地形的にはスラント川という大きめの川を挟んで、敵と対峙している事になる。この川がアリスレークルとフラレシアを隔てる国境でもあり、作戦目標的には、これの突破を許してはいけない事になっている。

 おおよそ2日ほどかけて、その準備を行った。この間、敵はゾラニーラの突破に失敗し、散発的な攻撃をするに留まっていた。おそらく敵も大きな作戦を計画しているのだろう。動きがわからないのは気味が悪いが、それは敵も同じことだろう。

 準備が終わり、最終確認の段階に入った頃、私は一人、前線で第4魔装歩兵大隊の視察をしていた。

 これを率いる大隊長はリュネース・フィミラーク中佐であり、彼女から説明を受けながら陣地を見て回っていた。

 フィミラークは私と同程度の体格で、一見小柄で華奢な印象を受けるが、胸囲は私より大きい。迷彩服の上だと控えめだが、着痩せするみたいで、脱ぐと結構大きい。キャラメル色のボブの髪の毛は手入れがやりやすそうに見えるのだが、くせっ毛らしく、手入れには毎度苦労していると聞く。

 見学した陣地については問題はなさそうだった。対戦車壕や地雷、有刺鉄線などの障害物が置かれ、徒歩で渡るのは面倒くさくなっている。

「こんなところでしょうか」

「ありがとう。これならとりあえずは大丈夫そうね」

「ええ。工兵隊に感謝です」

 フィミラークはかなり落ち着いている様子だった。おおよそ初陣の軍人とは思えない落ち着き方だ。一応後送されてくる遺体や欠損した人を見たとは思うのだが、少し不気味さも覚える。

「……緊張してる?」

 カマを掛けるつもりで、私はフィミラークに聞いた。

「……そう見えます?」

 フィミラークは私に健気な笑みを浮かべて見せた。それは困惑の笑みにも見えるが、真意はわからない。

「いえ、むしろ不気味なくらいの落ち着き様に見えるけど」

「それならよかった……」

 部隊長たる者、部下や上官に弱みは見せられない、という事だろう。人はある称号を与えられると、その称号に従って行動するという心理が実証されていた。確か、「看守と囚人」とかいう実験だった。詳しい内容は省くが、一般人が看守として、別の一般人が囚人としての役割を与えられると、その肩書きを忠実に実行してしまう物なのだそうだ。

 フィミラークに限らず、指揮官というのは頼れる相手でなくてはならない。おそらく、無意識のうちに「頼れる指揮官」という役割を自分自身に振っているのだろう。私はそんな彼女を哀れんでいた。

「……まあ、私はあなたと比べたら気楽な役目だから、何かあったら恨み言の幾らかは聞いてあげるから」

「……ありがとうございます。ですが――」

 すると、フィミラークが私の目をジッと見つめた。真顔で、若干怒りの感情を感じて取れた。

「そんな事言わないで下さい。気楽な役目なんてありませんよ。難民の方も、参謀も、前線で戦う兵も、後方で戦う兵も、誰一人、気楽な物ではありません」

 そう言われると、自分の発言が、彼女の部下の作戦参謀に対する侮辱とも取れると気がついた。それは怒られても仕方ない事だ。

 特に、フィミラークは人を大事にする。誰であっても敬意を払い、嫌われている人であってもその人の良い点を見つけ出して、それを全力で推して、その人の評価を上げる。

 そして、それは上官に対する大胆不敵さにも繋がっている。生まれてくる人に優劣はなく、皆が平等な存在だと考えているのだ。尊敬もするが、ダメな点もはっきり述べる。リュネース・フィミラークという人は、そんな素直で、天真爛漫な性格をしているのだ。

「……ごめんなさい。失言だったわね」

 それに気づき、すぐに謝罪すると、フィミラークは小さく息を吐いて、目線を正面に戻した。

「……いえ、私を気遣って出た言葉なのはわかります。それに、参謀に悪気は無かったことも」

「発言に気をつけておかないとダメね……。本当にごめんなさい」

「大丈夫ですって。むしろ聞かれたのが私で良かったじゃないですか。これが他の方だったなら、怒鳴られていたかもしれませんよ?」

「まあ、私がそれくらいの事をしでかしたってだけだし、それならそれで、怒鳴られようと、殴られようと、仕方ないでしょ」

「上官を殴る人も中々だと思いますけどね……」

 さて、これ以上やる事もないので、そろそろ帰ろうかと思うと、伝令役の兵が駆け寄ってきた。

「大隊長、作戦参謀。報告します。偵察部隊が敵と接触したそうです」

 そう言われると、私の中で緊張が走った。いよいよ来る。私は確信した。

「規模はどれほどですか?」

「現時点では不明です。ただ、既に前衛部隊は警戒陣地を放棄したそうです」

 フィミラークの質問に、伝令役は不安げな気持ちを押し殺すかのような気持ちで答えていた。

 警戒陣地は川のあちら側に拵えた、分隊レベルの偵察部隊の根拠地として使っていた場所だ。陣地と言っても穴を掘っただけだが、それでも頼れる弾除け、掩蔽体になる。

 それを放棄せざるを得ない状況とは、すなわち、機動部隊を伴う大規模な侵攻が生起したと見るべきだろう。

「参謀、どうされます?司令部に戻りますか?」

 フィミラークはそんな状況でも、冷静に私の動静を聞いてきた。

 こうなっては司令部にも非常呼集がかかるだろう。私はフィミラークの質問に頷いた。

「そうね。多分、司令部から呼び出しがかかるだろうし」

「わかりました。では、すぐに車を手配します」

 そんなわけで、私は旅団司令部に戻る事になった。

 旅団司令部も、やはり皆が忙しそうに動き回っていた。そんな中で私は、当初の予定であった陣地の評価について、概ね問題はない事をジュレーニーツに口頭で伝え、現状の把握に努めた。

 ひとまず、副旅団長のディルメースのところに行って、現在の状況を聞く事にした。

 ディルメースは指揮所とされている天幕の中で、情報収集にあたっていた。他の参謀もいる。

「お疲れ様です」

「ああ、戻ったのね」

 お互いに敬礼を交わしつつ、挨拶をする。

「どうです?状況は」

「まあ、見てわかる通り、情報が錯綜しているのよね」

 指揮所内の人が忙しなく何かの作業にあたっており、たまに怒気を含んだ声が聞こえるところを見ると、司令部の人にあまり余裕がなさそうな様子が伺える。

「敵情は不明ですか?」

「規模についても錯綜しているわね。ただ、敵部隊に結構な縦深があるのと、戦線の広さ的にかなり大規模だと見て結構よ。報告の範囲を見る限りでは、旅団の担当地域だと、推定1個師団規模が投入戦力としては妥当だと思う。まあ、それが全部使えるわけじゃないから、おそらく今相手している敵は、同程度か少し多い程度かしら」

「そんなに投入するのに、補給線は大丈夫なんですかね?」

「兵站参謀曰く、『相当な無理をしている』そうよ。制空権が取られたら、フラレシアは持たないでしょうね」

 うちの国には、こんな諺があった。「巨人には、それに見合った大きさの家具や食事がいる」と。巨大な組織を維持するには、それだけスケールの大きな物を支えられる土台が必要であるという意味だ。

 軍隊においては、その土台とはすなわち、兵站を始めとする後方業務の事を指す。それだけ膨大な物流や資源、管理能力などを有して、初めて強大な軍が出来上がる。

 おそらく、フラレシアはその土台はあるのだが、かなり不安定に見える。

 もちろん、根拠はある。フラレシアの兵站は、鉄道と内水船、末端はトラックで、場合によっては航空機の輸送に頼っている。鉄道は確かに強力だが、同時に航空攻撃に脆弱だという弱点もある。なにせ線路は動かせないし、線路がなければ鉄道は走れない。落とされたのが橋やトンネルの出入り口だったなら最悪だろう。

 こちらは鉄道か長距離トラック、もしくは外航船が現状の輸送手段で、航空優勢が取れれば、航空機による輸送も可能だ。

 どちらもあまり変わらない様に見えるが、問題は運搬量にある。

 うちの管区司令部には2万人の人員がいるが、その規模の部隊が消費する物資は、一日あたり700t程度になる。これを運ぶには、牽引式の大型トラックは70台、輸送機なら14機、鉄道なら、貨車一両あたり25tとするなら36両が、毎日前線と後方を往復する必要がある事を意味する。

 船舶だと、これがかなり改善されて、外航船向けのコンテナ船1隻(200TEU級)で6日分の物資を一度で港に送り届ける事ができる。

 数字の上では単純でも、貨物の種類の関係で、車両を上手く管理するのもまた難しいそうだ。例えば、冷凍じゃないコンテナを使って肉類は運べないし、タンクローリーで弾薬を運ぶ事はできない。そんな制約もあり、兵站系の業務はかなり大変な仕事である。

 だが、それは敵も同様だ。そして、敵は運ぶべき物資の量が、我々よりもはるかに多い。およそ2倍から4倍程度、下手するともっと多いかもしれない。

 つまり、敵は自滅しかねない潜在的なリスクを抱えているということだ。あまりにも多い兵は、兵站に対し過大な負担を強いることになる。

 敵が大々的な攻勢に出られないのは、その理由もあるだろう。前線に行き過ぎると兵站線が追いつかなくなり、やがて物資不足になり、そして崩壊へと至る。これを軍事用語で攻勢限界点なんて言うが、フラレシアはこれがかなり近い位置にある様に見える。

 そして、大規模な戦力があっても、それを維持できないので、大した数を前線に投入できないままでいる。だが、それだと技術格差で我々に対してジリ貧になる。

 こういう事情があり、後一押し、つまりは航空優勢の確保さえ出来れば、我々が勝つであろうと見込まれているのだ。敵の鉄道網をちょっと小突くだけで、敵の土台は崩れ落ちる。軍の内部ではそういう認識が多数派であった。私もディルメースも、他の士官達もそう考えているのだ。

 私の疑問の真意は、その背景を踏まえると、フラレシアの物資の輸送能力に比べて兵の数があまりにも多いのではないか、という事になる。今までよりも規模が大きいのだ。

「それにしても、フラレシアは急に方針を変えましたね」

「まあ、多分……焦ってるんでしょ。敵も。思った以上に時間がかかって、当初想定していた期間で占領出来なかったんでしょうね」

 それにしても、舐めてかかられている気分だった。これでは人命の無駄遣いもいいところだ。兵力の小出し、つまりは逐次投入は、愚策中の愚策だ。いくら敵であっても、人命を無駄遣いする指揮官は殺人犯と変わらない。見ていて気分の良いものでもなかった。

「ですが、無計画過ぎる気もします。確かに戦線全体では統制が取れた動きには見えますが、その動きの内容に一貫性がない気がします。始めは山間で大規模な攻撃を、次にここの、平地から。まるで足踏みしているみたいです」

「連携攻撃をしたいんじゃないかしら。サーバードのアレよ」

「全戦線同時連携攻撃ですか?ですが、それは地形と正面幅的に効果が微妙ですよ?やるなら一気に突破とかできる兵力があるじゃないですか」

「それができる頭があれば、まだよかったんだけどね……」

 ディルメースの言葉で、なんとなく察しがついた。

 フラレシアは近年になって、急速に軍拡を押し広げた国だ。それも数年で数倍レベルの拡大という規模だった。元から人口もそれなりにいて、ティレト大陸では一番に工業化、近代化した国でもあるため、世界レベルとは言えずとも、周辺諸国を凌駕する基礎国力もある。

 だが、そこで問題が発生する。急速に軍事力を拡大すると、それに見合った数の指揮官もいる。それはつまり何を意味するか。

「……もしかして練度ですか?」

 ディルメースは頷き、ため息を吐いた。

 世界大戦時代のアリナーレも、全く同じ問題に苦しめられた。アリナーレは流石は超大国だけあって、数ある軍人の中でも選りすぐりの有能な士官を選び出し、自国で軍事理論を体系化して、士官候補生に身につけさせて、使える士官に育て上げた。

 だが、フラレシアはそれほどの能力のある士官がいるとは思えないし、そもそもこの問題を認識しているのかどうかすら怪しい。

 時代遅れの領土的野心を燃料に、見せかけの軍事力だけを拡大したところで、中身が伴わなければ意味がない。

「おそらく士官や兵の質が総合的に低いんでしょうね。三重や四重のミサイル防空網を敷くまでもなく、敵の航空作戦さえ払い除けられちゃってるもん」

 肩をすくめながらディルメースが言った。この傾向は陸軍に限った話ではないという事だろう。おそらく政府首脳や参謀総長レベルも軍事に対する認識が甘いのだ。

 私はため息を吐いた。

「……酷い話ですね」

「戦争自体が酷い話の見本市でしょうに。まあ、いずれにせよ哀れなフラレシア人のためにも、さっさと決着をつけましょう」

「そうですね。では」

 私は切り替えて、敬礼をしてからディルメースの元を去った。

ストックが切れたので、これ以降の更新は不定期となります。

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