3、ファルロン・エーレの撤退戦
私達は最初の補給ポイントにたどり着いた。まもなく日没で、山岳地帯のここでは山に日が遮られるので、既に大分暗くなってきていた。遠くで鳴り響く砲声や銃声も、そろそろ慣れて始めていた。
作戦は今のところ上手くいっている様だが、敵がこちらの意図に感づいた時の対策が急務に思えた。一番怖いのが空挺やヘリボーンで、戦闘ヘリなども怖い。増援が来るまで対空車両がなく、航空機に対抗できる手元の唯一の装備は、個人携帯型対空ミサイルの「対空型アルーウ」こと、「AEM-Vj.4」くらいしかないので、かなり心許ない。おまけにレーダーも貴重品なので、前線の魔装歩兵部隊や機甲部隊に迫る戦闘機の捕捉に使っているもので終わりで、残りは敵に壊されてしまったそうだ。むしろよく一台は平気だったものだが、それもいつまで持つのやら。
ひとまず、私は隙を見て、敵の包囲の可能性をジュレーニーツ達に示した。すると、皆も深刻そうな顔をした。
「それは私も気がかりではあったんだけど、どうすればいいかがねえ……」
ジュレーニーツが悩ましそうに呟いた。
「一応、敵ヘリボーン部隊の集結の情報は入っておりませんけれど……」
「でも、小隊レベルでもまずいと思うよ。兵力が分散されるだけでこちらには充分痛手なんだ」
ウェステーリスの話には、ジュレーニーツが反論した。私もジュレーニーツと同意見だった。
「対策を打つに越した事はありません。あちらの指揮官の思いつきでやられては溜まったものじゃありません」
私が言うと、ジュレーニーツが頷いた。
「仮に対策を打つにしても、空軍のレーダーサイトと協力出来れば良いのですけれど、ジャミングの影響が残っておりますのよね……」
ウェステーリスが腕を組みながら言った。
アリスレークルとフラレシアの国境地帯には、両軍の空軍が有するレーダーサイトがそれぞれの国境沿いに無数に点在している。それをミサイル攻撃で全て破壊する事は頑張ればできなくはないが、現実的ではない。面倒だし、ミサイルの用意に時間はかかるし、おまけにミサイルは高い。お金の浪費もいいところだ。そこで、敵はジャミングという手段を取って、レーダーを一時的に無力化するという手段を採った。
この影響を排除するにはジャミング設備を壊せば良いが、それがどこかもわからない。特殊部隊を編成して、それを壊せと言っても、時間がかかる。少なくとも、今できる事ではない。
「第1魔装歩兵大隊から一部の人員、一個分隊くらいを抽出して、即応の防空任務に充てるべきだと思います」
フィルナールの提案に、ジュレーニーツが頷いた。
「それくらいだよね。ただ問題は、それほどの余裕が第1大隊にあるかどうかなんだけど……」
ジュレーニーツは唸って、考え込んでいた。
「それに、情報伝達はどうしますの?手元にレーダーがないと、仮に防空部隊を編成しても対応はできませんわよ?」
「それなら増援の対空戦車に備え付けのレーダーと、前線のレーダーの情報を無線かなんかで共有すれば良いんじゃない?届く範囲だと思うけど」
ウェステーリスの懸念には私が答えたが、彼女は首を傾げた。
「低空飛行のヘリが捕捉できない可能性がありますけれど……」
「でも、それしかないと思うね。決まりだ。ネールファンス少佐はどこに?」
「あっちで食事中ですね」
フィルナールが指差すと、確かにレーションを食べているネールファンスの姿があった。周囲には部下らしい人が一緒に食事を摂っていた。
今日はナポリタンの様で、赤い麺がプラスチックのフォークで掬われている様子が見えた。
腕時計を見ると、針は1630時過ぎくらいを指していた。晩御飯には少し早いが、食べられるうちに食べておくのが吉だろう。私もお腹が減ってきた。
ジュレーニーツがネールファンスの方に歩き出したので、私もそれについて行った。
「ネールファンス少佐。食事中に失礼」
「旅団長、お疲れ様で――」
ジュレーニーツが声をかけると、ネールファンスは立ち上がって敬礼をしようとしたので、ジュレーニーツが手でそれを制した。
「ああ、敬礼は良いよ。食べながらでいいから」
「わかりました」
そうは言いつつも、ネールファンスは食事の手を止めて、ジュレーニーツを見ていた。
「それで、どうしました?」
「防空部隊の抽出を頼めないかな?」
「目的はなんです?」
「敵が後方連絡線を遮断する恐れがあってね。来るならヘリボーンか空挺だろうから、それ対策にいくらか人手が欲しいんだ」
ジュレーニーツが言うと、ネールファンスは頷いた。
「確かに、そうですね……。必要性はわかりましたが、どれほどの規模を?」
「一個分隊くらいかな。出来れば小隊レベルで欲しいけど、それは無理でしょ?」
「ええ。流石に前線から全て引き抜くのは無理です。ですが、一個分隊規模ならどうにかしましょう」
随分とすんなり受け入れてくれた。おそらく彼女も航空部隊に対する脆弱性は認識していたのだろう。
「ありがとう。それと、これは戦術レベルの案件だから、抽出した部隊は私が直接指揮を執るよ」
「では、抽出が終わったら、その分隊長を大佐のところに派遣すればよろしいでしょうか?」
「そうだね。それでお願い」
「わかりました。食べ終わったら始めます」
「頼んだよ」
ジュレーニーツが去ったので、私もネールファンスに敬礼をして去った。私は要らなかったか。
「さて、私らも飯にしようか。今日はナポリタンみたいだけど……あれ?二人は?」
私以外が付いてきていない事に気がつき、ジュレーニーツが聞いてきた。
「さっきの場所ですね。私が呼んできます」
「じゃあ、先食ってるから」
「わかりました」
私は返事をしつつ、二人のところへ歩いて行った。
「あら、おかえりなさいませ」
二人は立ち上がって、敬礼をしながら私を迎えた。
「食事だって。取りに行きましょう」
答礼を返しつつ、私は二人に言った。
「ジュレーニーツ大佐は?」
「先に取りに行ってる」
「じゃあ、私達も行きましょうか」
フィルナールの言葉に頷き、私達は歩き出した。
「献立はなんでしたっけ?」
「ナポリタン」
ウェステーリスの質問に私が答えると、フィルナールが軽く眉を顰めた。
「あれ苦手なんですよね……」
「美味しいじゃありませんの」
「そうですか?」
心底意外そうにフィルナールが聞き返した。
「ルーレ軍かアリナーレ海兵隊のレーションを食べたら美味しく感じられるわよ」
「あれは話を聞く限り、もはや肥料じゃないですか」
肥料ねえ。不味い飯は埋めてしまうから肥料か。これだからシャルステル人は皮肉屋だとか言われるんだ。
「一応、人間が食べる物ですわよ。植物ではなく」
ウェステーリスは呆れた様子でフィルナールに言った。
「噂には聞きますけどね……。レーリンツ中佐は食べたことがおありで?」
「ええ。噂に違えぬ不味さだったわ。あれ」
おそらく人生で食べた中でかなり不味い部類に入る食べ物だ。毒じゃない物ならトップ3に入る程だ。
「どんな風にです?」
「どっちも違うベクトルで不味かったんだけど……」
「なら、アリナーレ海兵隊のはどうです?」
「あれは固形物のブロック型の奴なんだけど、パサパサで口の水分が消える感じがしたし、明らかに味付けが濃すぎる。意図してああしているそうなのだけれど、カロリー大国の本国の人ですら微妙そうな顔だったのに、私らはもうダメね」
「アリナーレ軍の人はよくレーションを交換したがるという話も聞きますわね」
「それは事実ね。いつも同じの食べてるから、違うのが欲しいんでしょう」
私も一度好奇心で交換し、その際に口にしたのだが、あれを一口食べた瞬間に二度とやらないと誓った。
「なら、ルーレ軍のは?」
「単純にルーレ料理よね。クラッカーは味付けが薄くて、付いてたイチゴジャムとかいう物の中身をかけたら逆に酸味が広がって……、ぶっちゃけアリナーレ軍のそれより不味かったわ」
「甘いものですよね?イチゴジャムって」
「ルーレでは違うみたいね」
「本国の人はどう食べてましたの?それ」
「普通に何も付けずに。ああ、そういえば……。紅茶用のスティック砂糖かけてた奴がいたな……」
「それは普通に美味しそうですけれど、つまりはレーションというよりはイチゴジャムが不味いという事ですわよね?」
「まあ、そうね」
「なら、イチゴジャムさえ避ければ問題ありませんわね」
「それを当時の私が知っていればよかったのだけどね」
「まあ、私が今後食べる機会があったら参考にさせて貰いますよ」
今後、食べる機会に恵まれれば良いのだけれど、とは思ったが、言わないでおいた。不吉な言葉は口にするものでもない。
さて、そんな会話をしていると、レーションの配布場所にたどり着いた。
下士官達と一緒に列に並んで、名簿の自分の名前のところに、受け取ったレーションのロットナンバーを書いて、受け取りは終わり。後は食べるだけだ。
ジュレーニーツはすぐ近くにいたので、彼女が居た岩場に腰掛け、私達もレーションを食べ始めた。
レーションは深い緑色の袋に入っており、それを袋ごと熱湯に数分浸して出来上がる。補給部隊の人が既にそれはやってくれているので、私達は封を切って食べるだけだ。
ちなみに、レーションにはナポリタン以外のバリエーションもある。私は「鳥のササミ入り混ぜご飯」がアタリ食だと思っているが、うちのレーションは食べられる物ばかりなので、正直なところ、なんでも良い。
『シャルステル・ウェルス王国魔法軍 戦闘糧食 ナポリタン』と白い文字で書いてある、深緑色のレーションの封を切ってみると、袋の中に内ポケットがある事がわかる。その中にカトラリーが入っているので、そこからプラスチック製の先割れスプーンを手に取る。
それで巻き取って食べたナポリタンの麺は、ものすごく柔らかかった。私は硬めの麺の方が好みなので、味は特別美味しいわけでも、不味いわけでもなかった。
ジュレーニーツは掬って啜っており、ウェステーリスは巻き取って食べている。食べ方で育ちが出るとはよく言う物だ。私も厳しく躾けられた事を思い出す。親に対しては良い思い出がないが、これに関しては感謝すべきだろう。
さて、その一方、フィルナールは……袋の中身を手で潰している。ご丁寧に袋の封を少し切って、空気を抜いて潰しやすくしている。ストレスが溜まっているのかと思えば、袋の封を完全に切って、ペースト状にした中身を食べ始めた。あの食べ方は私も知らない。
「……珍しい食べ方ね」
衝撃を受け、気づけばそんな言葉が口を突き抜けていた。
「これで水を流し込めば、食べられなくはないので……」
フィルナールはそんな事を言いながら、水を飲んだ。偏食という事だろうか。
「クッキーみたいな硬いお菓子ならともかく、普通のご飯でやるのは微妙な気分になりますわね」
ウェステーリスは食事を摂るフィルナールをジッと見つめていた。少し引いている様にも見える。
「それなら離乳食はどうなんだって話だし、本人が良いなら良いんじゃない?」
ジュレーニーツは気にしない様子だった。言う事には一理ある。
「それはそうですけれど……まあ、全部食べられるのなら、文句はありませんわね」
「ええ、そのためにそうしているんですから……」
フィルナールは見るからに嫌そうに食事を進めていた。レーションはあまり好きではないそうだが、栄養を摂らないわけにもいかないので、嫌々そうしているのだろう。偏食は何かと苦労する。
もちろん、レーションを食べないという選択も出来はするが、その場合はそこら辺の草や葉や虫などを食べるしかない。私はそれは嫌だし、フィルナールもおそらく嫌なのだろう。少しでもマシな選択をしようとすると、レーションを無理して食べるという結論に行き当たるのだ。可哀想に。せめてもう少しバリエーションがあれば、誰かと交換もできたのだろうに。
私はそれを横目に、そそくさと食べ終えた。食事は早い方で、私はいつも真っ先に食べ終わってしまう。そのおかげで待たされるのには慣れっこだ。
とりあえず、レーションの入っていた袋を捨てなければ。集積所までの道が分からず少し彷徨いつつ、私はゴミを集積所のゴミ袋の中に捨てた。
そこから戻る道中、私は見知った顔と会った。
「あ、そこにいらっしゃったんですね」
会ったのはフィルナールだった。彼女も食べ終わったみたいで、手には空のレーションの袋があった。一応食べ切ったみたいだ。
「さっきからいるけれど」
「いえ、ゴミを捨てに行ったっきり戻って来られませんでしたので」
「少し迷っただけよ」
「そうでしたか。ちなみに、移動は1700時頃だそうで、それまでは小休止みたいです」
私の腕時計は1647時を指している。10分少々あるが、何をして暇を潰そうか。
「そう。ありがとう」
そんな返事をして、私はさっきまで食事を摂っていた場所に戻った。
さっきの場所に戻ると、ウェステーリスが一人で本を読んでいた。ジュレーニーツはどこかに行ってしまったらしい。
「あら、戻ってこられましたわね」
そう言いながら、ウェステーリスは本に栞を挟んで、こちらを見た。
「旅団長は?」
「お呼ばれですわ。人気者は辛いですわよね」
人気者ねえ。士官はむしろ嫌われ役な気がするが。
「私達とは違ってね。まあ、暇なのは良いけれど」
「そうですわね。軍人が暇であるに越した事はありませんわ」
私も地面に座って、一息つく。
「それで、その本は?」
「フィルナール中佐から借りましたの。中々面白いですわよ?」
題名は『影法師』であった。文学的な香りの漂うタイトルだが、私の知らない本だ。少し内容が気になった。
「ジャンルは?」
「ミステリー、推理ですわね。単発の事件が何度か発生するタイプの奴ですわ」
その手の小説なら、有名どころは暇つぶしに読んだ事がある。内容や題名は忘れたが、未必の故意の殺人とかは印象に残っている。
「そうなのね」
しかし、戦争と殺人か。不思議と照らし合わせてしまう。本質は同じなのに、扱われる命の重さが桁違いに違うせいだろうか。
戦争は、誰が犯人なのだろうか。私みたいに送り出す人なのだろうか?それとも、それより上の人か?結局、戦争をしている以上、関わっている全員が悪人なのだ。みんなで揃って地獄に行くのなら、それも一興だろう。
すると、ジュレーニーツが戻ってきた。その顔は深刻そうで、足取りは重そうだ。
「ああ、戻ってたか。レーリンツ」
「ええ、先程」
ジュレーニーツの口調が若干荒々しい。聞きようによっては不機嫌そうな声にも聞こえる。
「二人とも、申し訳ないけど、休憩は取りやめてもらうよ。敵のヘリボーン部隊が後方に来やがった」
先程話していた懸念は、見事に的中してしまった。むしろ外れて欲しかったが、そういうわけにもいかないみたいだった。
「さっき話してた奴ですわね」
「ああ。見事に後方連絡線を塞いでくれやがったね。それで、ウェステーリス。敵の可能行動は?」
流石は旅団長。動揺は見せているが、こんな状況でも頭は働いているみたいで、ウェステーリスに質問を投げた。
「包囲攻撃ですわね。遅滞の意図に気づいたのでしょう。おそらくこちらが有力な防空部隊を編成できていないと踏んで、こうなりましたわ。いずれにしても、我々を挟撃する意図はあるでしょうね」
「敵の砲兵についてはどう?」
「移動中との事みたいですが、具体的な到着時間は不明ですわね」
「なら、我の可能行動は?」
今度はジュレーニーツがこちらを見た。私の本領発揮だ。
「はい、増援が来るまでこのあたりで応急防御、もしくはヘリボーン部隊に対する強襲あたりだと考えます」
私は即座に、出てきた作戦案を口頭でジュレーニーツに伝えた。
「詳しく」
「まず、応急防御。これは消極的な案ですが、早く済めば犠牲は少なく済むかと思われます。ただ、長引けば補給の問題を考える必要があります。それと、士気もですね。完全包囲下の兵士は間違いなく動揺するでしょう」
「もう一方は?」
「ヘリボーン部隊に対する強襲は、積極的な作戦案です。速度が必要なのであればこれも一つの手でしょうが、無理矢理行うので犠牲は多くなるでしょう。これは、ヘリボーン部隊の落着地点にもよっては増援の第2魔装歩兵大隊と挟撃する事も可能ですが、敵の企図が挟撃なら、既に来ている部隊にどう対処するかが問題になるでしょう」
「位置的には、我々と増援の間だね。挟撃は狙っていけそうだ」
すると、ゴミを捨てに行っていたフィルナールが戻ってきた。
「……皆さん、どうかしました?」
真剣な顔で議論している様子を見て、ただごとではないと察知したのだろう。フィルナールが真面目な面持ちで聞いた。
「フラレシア軍が後方にヘリボーンによる攻撃を仕掛けてきましたわ」
「なるほど……」
ウェステーリスが説明すると、フィルナールは頷いた。
しばらく皆が黙り込んだかと思えば、ウェステーリスが口を開いた。
「……しかし、私達と増援の間に落着したなら、敵は増援の遅滞を狙っている可能性もありますわ」
「そういえば、ヘリコプター部隊の集結に関する情報はなかったっけ?」
「いえ、私も知りませんわ」
「聞くところによると、中隊規模のヘリボーン部隊が落着したそうだ。普通なら事前に集結して、少しは予行をすると思うけれど……」
それだと結構多い。普通ならそれほどの兵力を入れると、補給の問題を考えなければならない。おそらく、予行の件は情報部も掴めていなかったのだろうが、中隊規模の兵力を使っているのなら、明確に戦術レベルの行動だ。それも浸透の様なやっつけの物ではなく、がっつり攻撃しているとみなす事が出来る。
「もしかすると、基地同士の連絡量が増えたのはそれもあったのかもしれませんわね。基地ごとで示し合わせて、こちらに多くの部隊を送る事自体は可能ですもの」
「ここはそんなに重要かねえ?」
「敵の指揮官はそう考えているみたいですわね」
敵の指揮官が何を考えているのかは知らないが、現状、我々が攻撃を受け、孤立しつつあるのは間違いない。早めに対応しなくては、最悪の結果になりかねない。
「いずれにせよ、我々が攻撃を受けている事に変わりはありません。どうしますか?」
「ヘリボーン部隊に対する強襲で対応しよう。ヘリボーン部隊の企図は、我々が増援と合流する事の阻止だと判定するよ」
「そうなると、問題は今まで相手していた方のフラレシア軍ですが」
「うちの火力部隊はそっちに割こう。代わりに増援の火力部隊でヘリボーン部隊に対応するよ。機動戦力は魔装歩兵は1個中隊を、機甲戦力は1個小隊を残して、ヘリボーン部隊の攻撃に充てる。後は、前衛は半々でいいと思う」
「了解」
こうして、ファルロン・エーレの戦いの中で最も激しい戦闘となる、「37号線の撤退戦」が、幕を開けた。
時刻は1700時より少し前、日暮れの時間帯であった。
夜襲は古来より行われた奇襲の一つで、分類としては時期的奇襲にあたる。
この作戦においては、フラレシア、シャルステルの両軍共に夜間戦闘向けの装備、例えば赤外線暗視装置やナイトビジョンなどの装備が揃っており、能力的には互角であった。
制空権はフラレシアが航空優勢を獲得していたため、我々はヘリコプターなどからの火力支援は期待できず、航空支援もない。敵の航空機を食い止めるのはかなり難しい状況だった。
補給状況も大差はなく、士気も互角。強いて言えば敵は調子に乗っていそうな感じはあるが、こちらの兵士は疲労困憊に近いというニュアンスの違いはあるが、それはあまり大きなものでもなかった。兵数は敵が圧倒的で、後はその使い方になる。
敵の方針は知らないが、おそらくこちらを挟撃する意図がある。こちらの方針は、後ろに落着した敵のヘリボーン部隊を強襲し、無力化して、当初の遅滞戦闘を再開する。ただ、ペースは考える必要がありそうだ。
この作戦はとにかく速さが求められる。機動力でもって敵のヘリボーン兵を突破し、増援との合流を達成する。機甲戦力はなく、砲兵火力も少ないはずだ。
山間からの敵はいないと推定できる。森林内は移動に時間がかかるし、こちらの偵察部隊が、接触はおろか痕跡一つ見つけていない以上は、今のところは問題ない。
後は、時間との戦いだった。長引けば敵に有利になり、こちらが不利になる。それに、この場にいるほとんどの兵にとっては初陣なのだから、そこも未知数だ。そして、敵の砲兵部隊が到達してしまったならば、私達の負けだ。ある種の博打に近かったが、それしか道はないとジュレーニーツが判断したのだ。
いずれにせよ、追手を碌に相手にせず、かつ航空戦力に対処できれば勝てる。それは私も胸を張って言える事だった。そんなにないけれど。
結局、作戦の開始は、ヘリボーン部隊が落着してから数十分後、1728時となった。
この時点で、増援の第2魔装歩兵大隊基幹の諸兵科連合部隊は、我々と合流するまで、後2kmの地点まで来ていた。敵のヘリボーン中隊がスナイパーを投入した恐れがあり、そういう連中は士官を狙う可能性があったため、ほとんどの人に階級章を外させ、階級をわからなくした。これで私達も撃たれる可能性は低くなる。顔がバレていなければだが。
私達は先程と同じ要領で部隊の指揮を執ることになったが、今度は二正面作戦になる。ジュレーニーツが業務過多にならないと良いのだが。
すると、無線手が「どうぞ」と私達に声をかけて、ジュレーニーツが無線機を取った。私達も聞き取れる様にスイッチが切り替わっている。
『ノースポール。こちらパペットマスター。どうぞ』
声の相手は副旅団長のディルメースだった。という事は、増援の諸兵科連合部隊の指揮は彼女が執っているのだろう。やはり司令部内でも、この戦闘がかなり重く見られているみたいだ。
「パペットマスター。ノースポール。どうぞ」
ジュレーニーツが返答すると、再度無線が鳴る。
『ノースポール。まもなくこちらは砲迫攻撃を実施する。そちらの状況を求む。どうぞ』
情報共有がなされていないらしい。それとも混乱しているのだろうか。ディルメースはそんな質問をした。
「パペットマスター。現在こちらは北側の部隊とは小規模な戦闘が発生しているが、ヘリボーンの方とは接触がない。物資は問題なし。こちらはヘリボーン部隊に強襲をかける事にした。そちらはどうか。どうぞ」
『ノースポール。こちらもヘリボーン部隊に強襲をかける腹積りである。誤射の恐れがあるため砲迫撃はこちらのみで実施すべきだと意見を具申する。どうぞ』
「パペットマスター、少し待たれよ」
ジュレーニーツは送話器を下ろして、こちらを見た。
「ねえ、火力部隊はどうなってたっけ?」
「ええと、ほぼ全てをヘリボーンに向けて、準備が完了していますね」
「ならそれをやめて、北の部隊に当たるように今から命令を変えて。砲の向き以外は変えなくていいから」
「了解しました」
今度は私が送話器を取った。
「フィーネ・サーベル。こちらはノースポール。どうぞ」
反応がなかったが、忙しいだけの場合もある。よくある事だった。十秒くらい待ってから、再び呼びかける。
「……フィーネ・サーベル。こちらはノースポール。どうぞ」
『……ノースポール、こちらフィーネ・サーベル。どうぞ』
返答までに時間はあったが、返事が来た。
「作戦内容に一部変更が生じた。貴部隊は北の敵部隊に対応せよ。ヘリボーン部隊に対しては増援の火力部隊が支援にあたる。内容了解か。どうぞ」
『それは全ての部隊か?どうぞ』
「全ての砲兵部隊は、北の敵部隊に対応せよ。どうぞ」
『フィーネ・サーベル、了解。北の敵部隊に火力を指向する。終わり』
私は送話器を戻し、ジュレーニーツのところに戻った。
「旅団長。こちらの砲兵部隊に対する命令下達は完了しました」
「ありがとう。ディルメースからは、もうすぐ攻撃を始めると無線を受けた。攻撃準備射撃は1732時から2分ほどかけてやる。その後はうちと増援の方とで協同して、突破口を開いて、ヘリボーンを拘束している間に私達が抜けていく感じになる。その後は、当初の作戦通りで」
「了解」
時計は、1730時を回ったくらいを指していた。私は双眼鏡を覗き込んで、敵の状況を見た。
敵がいるらしい場所は空気のせいで霞んで見えた。赤外線暗視装置付きの物で、赤外線をよく発する物は白く、それ以外の物は灰色か黒く見える。
言ってしまえばサーモグラフィーみたいな物で、人体は体温のために、車両はエンジンが熱を発するため、レンズ越しでは白く見える。一方の地面は太陽が当たらない夜は地面がそれよりも冷たいので、その分だけ暗く見える。
それでも森の木々に遮られているせいで敵は見えなかった。だが、誰かいる感じがする。何かが動いている様子はなんとなく見てとれた。
無言で観察を続けていると、突如、無線が鳴った。
『フィーネ・サーベル、砲撃を開始する』
砲兵隊の砲撃開始の報告からしばらく経つと、周囲に爆音が響き渡り、双眼鏡の視界が真っ白く染まった。肉眼で見ると状況がよく分かった。
敵は散開しているとみて、敢えてバラけた砲撃を行なっている。おかげで森のあらゆる所で連鎖的に爆発が発生していた。
榴弾の破壊力は凄まじく、そのせいで世界から城塞や要塞が消えた。いや、これは語弊のある言い方だが、原因の一つはそれなのだ。薄いと貫徹するし、厚くても砲弾が壁どころか山一つを飛び越えてしまえるほどには、大砲の性能が上がったのだ。あいつらは歴史を変えた兵器の一つなのだ。
だが、どんな兵器であっても、対抗策はある。ある戦術家が言った様に、新兵器が開発されると、それに対抗する何かが必ず開発される物なのだ。剣には盾、銃には装甲、核兵器には核抑止、そして大砲には、塹壕や蛸壺といわれる、掘っただけの穴で対抗できる。
穴の中に隠れれば、榴弾の爆発やそれで吹っ飛ばされる破片などからは避けられる。最悪伏せておけば、生存率は棒立ちよりかは上がる。
それに、わざわざ掘らずとも、砲弾が落ちるとクレーターが出来る。その中に隠れれば、それはそういう陣地と同じ効果をもたらす。
そういうわけなので、大砲だけでは敵を潰しきれない。だから、仕上げに歩兵や戦車がいるのだ。
爆発は見ていて凄まじい物を感じたが、あの中にも生き残りはいる。そう確信しているので、自然と双眼鏡を持つ力が強くなる。恐怖心と興奮が入り混じった、変な感覚だった。内なる生命力が雄叫びを上げている。
どれほどの敵兵が死傷したのか、ここからはわからない。だが、私は明確に、硝煙の匂いと一緒に、そこに混ざる魂の香りを感じていた。嗅覚というよりは第六感に近い。これこそ、私達が死霊術師と呼ばれる所以なのかもしれない。
自ずと空気は張り詰め、言葉を発する者は砲兵部隊や観測手の無線くらいだったろう。
『全局へ、パペットマスターより一方送信。砲撃完了。繰り返す、砲撃完了』
無線の声で我に帰った。ジュレーニーツを見ると、彼女はいつの間にか持っていた送話器を握りしめて、こう叫んだ。
「ツリーハウス、作戦開始!」
『ツリーハウスは了解。終わり』
こちらの興奮とは裏腹に、無線の声は冷静だった。ネールファンスは冷静さを欠かない気質の指揮官に見える。
一方のジュレーニーツは、私から見ると、歴史家から猛将と言われそうな感じの指揮官であった。戦場に興奮し、敵をも凌ぐ勢いと大胆不敵さで戦場を生き残る。そんな指揮官だ。現に私を始めとする参謀がここにいる時点で、その根拠たり得ると思う。戦闘があると、ジッとしていられないのだ。
ネールファンスは、この作戦の現場指揮官としては適切な人材に思えた。強襲という作戦の性質上、猛将タイプだと必要以上の犠牲を出す。目標を見失い、敵を攻撃する事にしか意識が向かなくなるからだ。この作戦では、最低でも引き際を弁えている必要がある。ネールファンスはおそらくそれを理解していて、作戦目標を達成する事に全力を注ぐ。彼女以上に適切な人材は、おそらくこの旅団にはいないだろう。
「皆さん、朗報ですわ」
ウェステーリスの声で、彼女に視線が集まった。何か嬉しそうにニヤけている。
「前線側の敵砲兵隊の、大隊火力統制本部をやったそうですわ」
「それは本当か⁉︎」
ジュレーニーツが驚きの声を上げると、ウェステーリスが頷いた。
「ええ。どうやら砲兵隊がやってくれたみたいですわね。誘導砲弾が見事に火力部隊本部の車両に命中したそうですわ。予備はまだな様ですから、敵の火力もバラけているみたいですわね」
火力統制本部は、自軍側の部隊から来た砲撃要請を受け入れるか否かの判断を下す、砲兵隊の本部だ。全ての要請に応える事はまず不可能だし、砲火力は分散するとその分弱く、効果が薄くなる。だから取捨選択をして、本当に必要なところと判断された場所にのみ、砲弾をお届けする様に命令を下す重要部署だ。
敵の規模が旅団であるので、この戦闘においては欠かせない存在だ。代わりも効きにくいだろうから、今頃敵の砲兵隊は混乱しているだろう。
私は不安要素が消えたことに安堵した。これで、部隊の完全壊滅という、最悪の未来は消えたのだ。「幸運を掴むには、まずはその掴む手を大きくせよ」という諺があったが、私達は見事、大きな手を作り上げる事が出来たのだ。
やがて、旅団はヘリボーン中隊を無力化し、一気にファルロン・エーレ側に抜けた。これで遅滞作戦を見事に完遂してみせたことになる。
ちなみに、国境方面に通じる道は3本あったとの事だったが、そのうち2本にあったトンネルの爆破、および封鎖に成功し、敵は更に接近経路を失う結果となった。
残りの一本は我々が防御を固めているので、そう容易には突破できないだろう。おまけに隘路である以上は、投入出来る戦力も限られるため、そう簡単には突破できない。我々はまだ戦えるのだ。
我々司令部がファルロン・エーレ駐屯地に戻る頃には、夜が明けていた。休憩中や移動中にやった、細々とした睡眠を除けば、ほとんど2日は徹夜してた事になる。
流石に寝ないわけにはいかないので、私は帰還を果たしてから、午前中を使って、溜めていた命令書の半分くらいを書面に起こし、ある程度引き継いでからはロネリースやリファレールに投げ、翌朝まで暇をもらい、食事すらすっぽかして、ぐっすりと寝た。寝ないと寿命が縮んでしまう。特にこんな状況下ではなおのことだ。
私の故郷は、スロレア州のメローラという都市だった。学都と言われる街で、市内には多数の学校や図書館が存在している。そこの生徒や教師の家族が近くに住むため、メローラ市は良い言い方をすれば、かなり栄えている街だった。悪い言い方をすれば、人でごった返しているうるさい街なのだが。
そんなメローラ市は首都のセルアスに程近く、電車に数十分程度乗れば辿り着ける程には近かった。
「コアネ」という名前の由来はなんだったか忘れてしまった。まあ、あの親の事だ。深い意味はないだろう。
実家はごく普通の中流階級の家庭であり、私は幼い頃から本を読んでばかりいる、大人しい子供だったそうだ。その頃の記憶はほとんどなかったが、本を読んだ記憶はあるので、おそらく事実だろう。
時間があれば図書館に行って、本を読む日々を過ごしていた。親はお小遣いをくれないタイプの親だったので、仕事に就くまでの私は本どころか自販機のジュースすら買うことは出来ず、本を読むなら、図書館にある様な、飲み物のシミの入った本や、カビの香りの漂う古本、ページが飛んでいる本を読むしかなかった。
当時は図書館はそういう本を取り替えなかったので、何かあってもずっとそのままになるのだ。
そして、メジャーな本は大抵そうなっているので、必然的にマイナーな本にシフトしていった。だから捻くれた。人気の物に、どうせ私はありつけないのだ。
学生時代は、頼りにされてはいた。勉強を教える側にいつもいた。だが、私に頼るべき人はいなかった。それだけに苦労したが、結局は周りにとって都合の良い子供だったのだろう。
いつしか、そんな自分に疑問が生じた。私はいつも周りの顔色を伺っており、自分自身の意見が何一つないではないかと。私はそこで、反抗期に入った。親にキツく当たり、クラスメイトの誘いを断り、自分のためにだけ時間を使った。それを阻む者は、何であっても抵抗した。
そんな生活を続けていると、気づけば私は一人になっていた。親は私の態度に愛想を尽かして、会うたびに筋の通らない事で私に怒鳴ってきたし、クラスメイトは私をいない者かの様に扱っていたし、教師は私なんかを見ている余裕はなく、いつも私以外の誰かに付いていた。私には友達と呼べる様な人はおらず、相談できる相手もいなかった。おまけに世情まで私を追い込んできた。私が学生の頃は丁度、アントレビスの独裁政権下であり、あいつが国を破滅に追いやっていた。空気は重苦しく、外を歩けば絶対に物乞いかジャンキーに遭遇する様な時代だった。
そして、親もその憂き目に遭い、ある日突然、学費が払えないとかほざき出した。もう少し前から言えば良いものを、私がとにかく邪魔だったらしい。そして、学校に行きたければ自分で稼げとか言う。そう言われると、私の中で何かが切れた。堪忍袋の緒だろう。今まではいくら理不尽に怒鳴られても、口喧嘩で済ませていた。だが、その日はもうダメだった。それで、初めて親を殴った。そもそも中等部学校には親に行けと言われて行っていたし、学費はそちらが出すのが筋だ。にもかかわらず、私に学費を払えと言う意味がわからなかった。我慢の限界であったのだ。
親は恩着せがましい事しか言わなくなり、面倒くさくなった私は、服を何着かと親の財布から紙幣を何枚か抜き取って、家を出た。それ以来、実家には一度も帰っていない。
家を出てからは、路頭に迷った。世情が世情なので、働ける場所といえば法律に触れる場所ばかりであった。
そんな中で、唯一働けそうな場所が、シャルステル王国軍であった。軍の斡旋所に行って、話を聞いているうちに、私は軍人を志す様になった。体力もなく、馴染めなさそうだったので、身体を活かす兵士や下士官にはなれそうもなく、必然的に頭脳を活かす士官を目指す事になった。
元より人に教える事が出来る程度の知識はあったので、士官候補生試験は突破できた。勉学上の問題はなかったが、苦学生ではあった。家はなく、食にもありつけない。親から金を奪い取ったとはいえ、それもそんなに持つ額ではなかった。どうせなら財布ごと奪ってやるべきだった。
着る物は公園で洗濯をし、食事は炊き出しと、図書館で知識を仕入れて公園の野草を食べ、時には人の家の庭に生えている果物や飲食店の食べ残しのゴミ、酷いときは観賞用の魚を盗んで食べた。そうでもしないと餓死してしまう程、ひもじい時代だったのだ。住処は転々として、橋桁の下や人気のない森の中、出入りの少ない民家の軒先などで夜を明かした。風呂はないので、公衆トイレの中で濡らしたトイレットペーパーで身体を拭く程度しかできなかった。
士官学校に入るまでの勉強は、捨ててあったチラシやビラを裏紙にした物や、足りなければ公衆トイレのトイレットペーパーすらも使って、ノートにした。シャーペンは偉大なる発明であり、替芯を一つ買えば何年も持った。親から奪った金でそれを買っておいたのは正解だった。
結局誰も頼れなかった私は、そうまでして縋りついた。当時の私は、もはや辛うじて文明人の立場を維持している、野生の人間に他ならなかっただろう。
そこから、私は士官学校に合格し、無事に入校した。合格した時の心情は嬉しさより、解放感の方が強かった。ようやくこんな生活とおさらばできる、という心情だ。
一気に生活水準が上がり、久しぶりに三食きっちり食べた日の夜は、嬉しすぎてベッドの中でこっそり泣いたほどである。制服が支給だったのもありがたかった。
だが、入校にあたって問題になった事もあった。頭髪だった。私はお金がなかったため、散髪屋に行くどころかハサミを買う余裕すらなく、ずっと伸びっぱなしだった。
軍隊においては髪は短くするか、最低でもまとめる必要がある。見てくれの問題というよりは、機械類に髪の毛を巻き込まれる可能性が高い仕事なので、どうにか短くしておかないといけなかったのだ。これはいつの時代のどこの軍隊においても、同じ様な服務規定になっている。
一応うちはお団子でも問題ないので、当初、私はそこら辺の木の枝を折って簪にしていたが、それを見かねた先輩が散髪代を奢ってくれた。以降は頻繁に髪を切ってショートにしている。それすらも私には贅沢だったのだ。
成績は、士官学校では10位台、その後の魔法軍士官候補生学校ではトップ10以内を推移していた。士官学校400人、魔法軍士官候補生学校100人程度の中では、良い水準だったと思う。
私の目には周囲の人間の怠惰さが際立って見えており、どうしてそうもやる気になれないのか、当時の私には不思議でならなかった。
だが、私は上官を見下す様な真似はしなかった。立場はわきまえているつもりで、どんな相手であっても、その相手や相手の職務を尊重し、尊敬の念を欠かさなかった。この考えは今でも持ち合わせており、どんな相手であっても、歩み寄る姿勢を見せる必要はないといけない物だと思ってはいる。行動に移すのは、難しいのだが。
そのおかげか、士官学校では友達もできた。一緒に勉強を教え合った仲で、今でもよく会いに行く友人だ。少なくとも私はそう思っている。
そして、世情的には革命が起きたのもその頃だった。革命中は数日間、学生隊舎から出られなかったが、それ以外は特に問題はなかった。だが、世間の魔法軍に対する視線は劇的に冷たくなった。革命に際して内戦が発生したのだが、その際に魔法軍の上層部で意見の食い違いがあり、首都のセルアス市内で激しい戦闘が起きたのだ。その後の国民は軍服で闊歩する我々を見るたびに怯える様になり、他の陸海空軍からも蔑まれるようになっていた。後者に関しては奴らが男性中心の社会を築いているからという点もあろうが、いずれにせよ、当時はそんな時代だった。
そんな私もやがて卒業し、部隊配属となった。部隊配属後は、着る物が士官学校の黒い制服から魔法軍の紫色の制服に変わる。国鳥のフクロウの羽根をあしらった、銀色のバッジが付いたベレー帽か、バッジがそのまま髪飾りになった物を頭に被るか付けて、胴は白いYシャツに、冬なら紫色のジャケットを着る。その下のズボンとベルト、それとブーツは黒だが、膝まである丈のスカートは紫色だ。
ちなみに、魔法軍は元は女性のみで編成された軍隊だということもあり、今のところ世界で唯一、制服の規定に髪飾りがある軍隊になっている。かつての先輩方も、やはりオシャレをしたかったのだろう。こんな女の顔をしていない環境であるのだから、気持ちはわからなくはない。もちろん、嫌なら髪飾りである必要もないのだが。
そうして、私は少尉に任官されると、時折階級を上げつつ、小隊長や、偵察部隊や兵站部隊、会計部隊の小間使いなど、幅広い部隊で経験を積んだ。これはどの幹部も通る道で、実務の上で広く浅い知識を身につけるためだそうだ。とは言え、私は周りの人よりも更に幅広い分野をやらされ、他の人はあまりやらない他所の軍の連絡将校とかもやらされた。おかげで人一倍苦労したが、同期の中でメダルや徽章の類いが一番多く、給料も多かったのが救いだろうか。
正直、勲章の類は胸元が重くなって、胸が無いくせに胸元の生地が余計に伸びるだけだったし、給料があってもそれを使う時間が無いという、典型的な社会人のジレンマに陥っていたので、大きな意義があったわけでも無いと思う。当然、無いよりはマシではあるのだが、いかんせん使い道に困った。昔では考えられない、贅沢な悩みだった。
そして、私は更なるテストや課程を乗り越えて、少佐に昇任し、佐官になった。そんなレーリンツ少佐に割り当てられたのは、教範の執筆という仕事だった。
当時はセヴィールのリステリア侵攻で起きた半島戦争やラサルティーア紛争が終結し、様々な情報が出てきた時代で、そこから得た戦訓を教範に取り入れる動きが起きた。
私もそれに参加する様に命じられ、魔法軍軍事研究所で現代戦術の研究に打ち込んだ。本土の書類仕事は楽かと言われればそんな事はなく、とにかく忙しかったのを覚えている。暇さえあれば何かの文書を読んでいたし、それをまとめる仕事も楽な物ではなかった。
その際に出会った人がいる。ロシェッテ・ミーコヴェル大佐で、現在は昇進して准将だ。私達は彼女の指揮の下で教範の改訂に勤しんだのだが、かなり良くしてくれた人だった。
寡黙な人であるのだが、わからない点を丁寧に説明してくれるし、やらかしても上手くフォローしてくれるし、飲み物を奢ってくれるしで、とにかく素晴らしい上官だった。私の場合は、ミスって必要な書類をシュレッダーにかけても大して怒らず、再手配してくれた。口数は少ないくせに有能で、彼女の同期の中では序列がトップだったと聞く。実際、今まで付き従った上官の中では一番良い上官だったと思う。
私の事も気にかけてくれていて、ある日、私のデスクの上に、缶コーヒーが付箋に書かれた激励の言葉付きで置かれていた時は感服したものだった。
そんな彼女も、実はこの戦争の最中にいる。北方管区司令部の副司令官が彼女だ。私のいる第2旅団の上位部隊にあたる。おそらく私と同じで、このアリスレークルを取り巻く状況が厳しくなって呼び寄せられたのだろう。
さて、やがて教範の執筆を終えると、私はその経験を活かして魔法軍幹部候補生学校の教官に命ぜられた。教官という仕事は普通にこなせたと思うが、生徒の名前はあまり覚えられないダメ教官だった。やはり私には指揮官としての器はなさそうだと再認識した場であった。
そんな生活を続けていると、私はやがて、アリスレークルへと行くように命令が降った。現在の職場である。そうして、今に至るのだ。