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第一章 魔王様に憑依されてしまいました



 リーサ・マガレットは、自他ともに認める落ちこぼれだった。


 マガレット家は、その昔、魔法使いの中でも取り分けて高い魔力を誇り数多の魔法を操る存在である”賢者”の末裔であり、今もなお、優秀な魔法使いや魔女を輩出する名家だった。


 リーサ・マガレットが、マガレット家に生を受けたのは、今から18年前。

 リーサには、血を分け魂をも分けた双子の妹がいる。妹の名前は、ラフィーナ。ラフィーナは、生後1ヶ月で魔女としての才能を開花させた。庭に咲く花の色を変えたり、鮮やかな蝶を召喚したり、朝露を宝石に変えたり。言葉をしゃべれるようになると、使える魔法はますます増えた。

 一方、ラフィーナの姉であるリーサは、魔法を使うどころか、言葉を覚えるのですら一般の子供よりも時間を有した。

 両親は、みるみるうちに才能を開花させていくラフィーナを大層可愛がり、大切に育てた。そして、リーサの世話は、乳母に任せ、次第に娘として扱わなくなっていった。リーサが6才で初めて魔法を使った瞬間も、その場にいたのは、乳母一人だった。


 やがて、リーサとラフィーナは、貴族の魔法学園、フェアリエスト学園に入学した。

 リーサは、学園に入学してからも、思うように魔力が開花せず、成績はずっとワーストランクだった。それに反比例するように、ラフィーナは、ぐんぐん魔力を伸ばし、初等部、中等部、高等部、9年間ずっと主席の成績を維持し続けた。


 そして、二人がフェアリエスト学園を卒業する日が近づいていた。



 ***



「……ハッ」


 わたしは、顎をつたうひやりとする水の感触で、目を覚ました。


「う……わっ」


 急いで身を起こし、口元を手の甲で拭う。顎をつたった水の感触は、自分の唾液だった。どうやら、図書館で勉強中、居眠りをしてしまったようだ。

 机には、魔導書がひらかれたまま。わたしは、そのひらかれた魔導書の上に突っ伏する形で眠っていた。……なんてこと。魔導書によだれが垂れている。


 わたし(リーサ・マガレット)は、自他ともに認める落ちこぼれである。

 成績が悪いだけじゃない。わたしは、何をやってもダメなのだ。朝は寝坊するし、教室までの階段で転ぶし、制服のスカートに料理をこぼすし。今だってそう。卒業試験が近いのに、試験勉強中に居眠りをしてしまうなんて。しかも、教科書をよだれで汚してしまった。


 お父さまもお母さまも、わたしのことはとうに見放している。学園の同級生たちも、みんな、わたしのことを『マガレット姉妹の落ちこぼれのほう』と呼ぶ。双子の妹のラフィーナが、とても優秀な魔女だから、ますますわたしのダメさが浮き彫りになっているんだと思う。おかげで、もうすぐ卒業だというのに、わたしにお見合い話はひとつも来ない。

 ラフィーナには、高等部に進学した約3年前からお見合いの申し込みが殺到していた。そして、1年前、この国の王位継承権第一位をもつフレイド王子と婚約が決まった。王子さまと婚約なんて、ラフィーナはさすがだ。


 ……わたしにも、現れないかな。王子さまじゃなくてもいいから、素敵な人。


 さてと。もうすぐ下校時刻だ。試験勉強の続きは、寮に帰ってからにしよう。

 わたしは、机に広げた魔導書や紙やインクをいそいそと鞄にしまい、椅子を立った。

 あたりは、すっかり暗くなっていた。わたしが居眠りをする前に図書室にいた生徒たちは、一人残らずいなくなっていた。


 そういえば、と、図書室の窓から空を覗く。真っ黒な夜空のスクリーンにまあるく浮かぶ、赤い月。

 今日は、紅月夜だった。

 紅月夜は、1年に1度だけ訪れる、月が赤く染まる夜。赤い月が現れる夜は、人間が魔王を召喚できる日といわれている。

 その昔に、邪な考えをもつ人間が魔界から魔王を召喚し、世界を破滅へと導いたという伝説がある。けっきょく、魔王は勇者の手で倒され、世界にはふたたび平和が訪れたらしいけど。


 嘘か本当かもわからない、あいまいな話。でも、わたしは、この話がけっこう好きだった。なぜなら、お父さまとお母さまのかわりにわたしを育ててくれた乳母のリーンが、眠る前によくこの話を聞かせてくれたから。


 リーンの話の中では、魔王は、そんなに悪いやつじゃなかった。強い魔力をもっているけれど、実は世間知らずで、ちょっと俺様で、自信家で、なんだか憎めないやつ。世界を破滅に導きたいってよりも、自分の魔力を人間たちに知らしめたいと思っている。そんなやつだった。


 リーンが昔聞かせてくれた話を思い出しながら、図書室を出ようとした、そのとき。


「……?」


 図書室の奥から、かすかに光った。

 見逃してしまうほどの小さな光だったが、ちょうど手をかけた金属製のドアノブに、しっかりと反射した。


「んん?」


 一瞬、見間違いかと思い、振り返り、目を凝らしてよく見る。見間違いなんかじゃなかった。図書室の、奥の本棚。その一点から、赤い光が放たれている。赤い……まるで、今夜の月のような、光。

 わたしは、ゆっくりと本棚に近づいていく。


 近くで見ると、光を放っているのは、本棚の中に収納された一冊の本だった。

 光を放つ本を、本棚から抜き、手に取る。やけにずっしりと重たい本だった。皮の表紙に印字された題名は、異国語で書かれていて読めない。

 おそるおそる本をひらいてみる。と、次の瞬間、本のページから赤い光があふれだした。まるで、そこに封印されていた何かが解き放たれるかのように。


「っ!?」


 まぶしい……! 

 あまりのまぶしさに目を開けていられず、思わずぎゅっと瞼をつぶる。


 何かが……何かが入ってくる!

 しっかりと質量をもったその何かは、足元からわたしの中に侵入してきて、徐々に上へ上へとせりあがってきた。


 かと思うと、突如、身体が軽くなった。


 何が起きたか分からず、目をひらく。本のページから放たれたまばゆい光は消え、辺りは静まり返っていた。

 と、次の瞬間。


『ほう。これが俺様の新しい身体か』


 どこからか、声がした。


「えっ!? な、なに!? 頭の中で声が……」


 頭の中で聞こえる聞き覚えのない男の声に、わたしは、動揺し一歩あとずさった。


『ふん。貧弱そうな小娘だな。でも、俺様を召喚したってことは、それなりにでけえ野望があると見た。てめえ、名前はなんだ?』


「貧弱そうな小娘って……わたしのことですか?」


『てめえ以外にだれがいるってんだ。さっさと名乗りやがれ、小娘』


「だ、だれですか? なんでわたしの頭の中でしゃべってるんですか!?」


『ったく、うるせえ小娘だな。今さっき、てめえが俺様を召喚したんだろうが』


 召喚!? 

 もちろん、わたしは、召喚魔法なんて使っていない。


「わたし、召喚なんてしてないです! 急になんなんですか!?」


『ああ? じゃあてめえがその手に持ってる本はなんなんだよ』


 ……本?

 わたしは、とっさに手に持っていた本を閉じて、本棚に戻した。

 この本が原因で頭の中にこの男がとりついちゃったってこと? 

 言われてみれば、この本をひらいたら、赤い光があふれだしてきて、身体に何かが入ってきて、その直後に男の声が聞こえるようになった。なんなの、この本……もしかして、呪いの本?


『はーん。なるほどな。俺様を召喚したのはてめえの意思じゃねえってことか。でも、今更おせえよ。俺様は、てめえによって召喚された。今日からてめえの身体は俺様のものだ』


「そんなの知りません! どこの誰か知りませんけど、本の中にお帰りください!」


『俺様を知らねえなんて、嘘こくな。俺様は、この世界を滅ぼしかけた魔王だぞ』


 …………魔王?


 わたしは、息をのんだ。思わず、目が点になる。

 え? なに、この人、魔王なの?



 ***



「わたしの名前は、リーサです。リーサ・マガレットです」


 図書室の椅子に腰かけ、わたしは、頭の中にいる魔王にむかって名乗る。

 魔王召喚なんて、些か信じがたいけれど。でも、起こってしまったことは、もうどうしようもない。


『マヌケな名前だな』


 せっかく丁寧に名乗ったのに、それに対して魔王は、冷たい声でひとこと呟いた。


「なっ……! これでも名前は気に入ってるんですけど!」


『叫ぶな。それと、いちいち声に出さなくても聞こえてるから、口を閉じろ』


「え? どういうことですか?」


『そのまんまの意味だ。てめえの心の声は、言葉にしなくても俺様に筒抜けってわけよ』


 そ、そんな!

 頭に入り込まれただけじゃなく、心も読まれてるなんて。


『じゃ、じゃあ聞きますけど……あなたはなんていう名前なんですか』


『名前?』


 あ。本当に声に出さなくても意思疎通できるんだ。すごい。


『俺様に名前なんざねえよ』


『名前がないんですか? じゃあなんてお呼びすれば……?』


『魔王様とでも呼べ。過去に俺様を召喚したやつは、そう呼んでいた』


『魔王様……。あのう、つかぬことをお聞きしますが』


『なんだ?』


『魔王様は、本当に魔王なんですか?』


『なんだ、信じられねえってか?』


 魔王様の声が、少し不機嫌そうな色をまとう。しかし、ここで嘘をついても心を読める魔王様には見透かされてしまうだろう。わたしは、正直にうなずいた。


『はい。正直、信じられません。あなたが魔王である証拠を見せてください』


『ちっ。仕方ねえな』


 その瞬間だった。身体を、なんとも言えない感覚が襲った。魂がふっと宙に浮かぶ……という表現がしっくりくるかもしれない。魂が身体から離れるような、自分の身体が自分のものじゃなくなるような、誰かに身体を乗っ取られているような、そんな感覚――。


「いいか、小娘。しっかり見とけ」


 えっ? なんで? 今の、わたしの声? 声が勝手に……身体が……


 自分の指先が熱くなるのを感じる。

 次の瞬間、わたしの指先から、おどろおどろしい黒色の魔法が放たれた。それは、わたしが扱ったことのない、そもそもわたしの魔力では到底扱えない、いや、現代を生きる人間には使いこなせないであろう闇属性の魔法だった。

 わたしの指先を離れた闇魔法は、図書室の壁にすさまじい音をたてて直撃した。砂埃が舞い上がり、石造りの壁がぱらぱらと崩れる。


「どうだ、これが俺様の魔法だ。闇魔法なんて、人間には使えねえだろ?」


『……すごい。あなた、本当に魔王なんですね』


「今のはかなーり加減してやったほうだ。俺様が闇魔法で本気を出したら、この建物くらい簡単にぶっ壊せる」


『そんな強い力が……?』


「闇魔法だけじゃねえ。火魔法、風魔法、水魔法、土魔法。俺様にかかれば、たいていの魔法は使いこなせる。ただひとつ、光魔法を除けばな」


『光魔法ですか。聖属性の魔法のことですね』


「ああ。あの魔法は、俺様には不向きだ。それに、好きじゃねえ。魔法の見た目も、音も、性質も」


『なるほどです……』


 光魔法は、闇魔法の次に威力が強い。闇魔法を扱える人間はほとんどいないため、現在の世界において最も高難易度な魔法が、光魔法だ。でも、まあたしかに、魔王様に光魔法は似つかわしくないか。

 と、ここで大事なことを思い出す。


『てかわたしの身体! 返してください!』


 納得している場合じゃなかった。今、わたしの身体は、完全に魔王様に乗っ取られている。魔王様の意思で動き、魔王様の意思で声を発している。


「わかったよ、返してやる。そのかわり、何か食わせろ。腹が減った」


 魂が、すうーっと身体に戻っていくのを感じる。

 身体が自分の元に返ってきたのを確かめるように、手を握ったりひらいたりしてみる。さっき、この指先から闇魔法が放たれたんだよね。なんだか変なかんじがする。

 わたしの身体にはそんな高い魔力が備わっていないのにどういう原理なんだろう、などと考えていると、わたしのお腹が、くぅ、と小さく鳴った。


『そういえば、わたしもお腹ぺこぺこです』


『そりゃそうだろ。俺様が腹が減ってるってことは、てめえも同じはずだ』


『わたしたち、そういう感覚まで共有しちゃうんですか?』


『ある意味、俺様とてめえは一心同体だからな。空腹、痛み、痒み、熱い、冷たい、そういう感覚は二人共通だ。程度は互いの感じ方次第だが』


『じゃあ、たとえばわたしが怪我をして痛いって感じたら、魔王様も痛いってことですよね?』


『はっ。俺様はちょっとやそっとの怪我くらいじゃ”痛い”なんて感じねえけどな。てめえは、すっころんで怪我したらびーびー泣きそうだな』


『そっ、そんなことないですよ……!』


 ちょっぴり意地悪なことを言う魔王様に、ついむきになってしまう。

 実際、泣き虫なのは当たっているのだけれど。でも、さすがのわたしも、転んで怪我をしたくらいでは、泣きわめいたりしない。


『まあ、てめえが泣いてたら俺様が泣きやませてやる。安心しろ』


『そんなこともできるんですか?』


『むりやり身体を乗っ取って泣きやませるってことだよ』


 それは、できれば避けたいけど。ただ、リーンが亡くなってからずっと独りぼっちで生きてきたわたしは、ちょっとだけ思ってしまった。自分の中にいるもう一人の存在が、心強いと。




 

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