一夜の夢、かぼちゃ頭の照らす先で
はい、修正したので一日遅れですがハロウィン特別短編です。昨日とは大分違うので、昨日一度修正前を読んだと言う方も是非再読下さい。
「「「とりっく おあ とりーと!!」」」
魔女、狼男、フランケンシュタイン。可愛らしい仮装をした子供達は、口を揃えて元気良く言う。
「はーい、ハッピーハロウィーン」
そんな子供達に対し、一人のやや優しめの腐り方をしたゾンビ――田宮幸成はそう返し、菓子の入った袋を渡した。
「おにいちゃんありがとー!ばいばーい」
「気を付けろよー……ふぅ」
笑顔で走り去る子供達を見送り、幸成は疲れた様子で空を仰いだ。
十月三十一日。言わずと知れたハロウィンの日に、彼は駅前で朝から菓子を配っている。
何故こんなことになったのか――思い返せばそれは、一週間ほど前のことだ。
〜
「幸ちゃん、お願い!」
その日の放課後。いつものようにケーキ屋のバイトにやって来た幸成は、バックヤードに入るなり店長から完璧に近い形の土下座を見せられた。
「美しい本気の土下座だ、私がこの域に達したのは二十代後半――って、いきなり何してんすか店長」
いつも通りの気楽な気分で店に入った幸成は、突然の衝撃的な光景に若干引いていた。
ちなみにだが、店長は屈強な体躯のオカマである。それが土下座の体勢でいきなり目の前に現れる……と言えば、その時の感情は語るべくもないだろう。
「二十代後半も何も、幸ちゃんまだ大学生じゃない……ってそんなことはどうでも良くて、大変なのよ!」
「だから、何が大変なんですか……」
「ハロウィンの日、ほとんど誰も入ってくれないのよぉぉぉ!!」
その絶叫を聞き、幸成は思わず硬直した。
ハロウィン。その行事がここ日本と言う国のケーキ屋に於いてクリスマスにも並ぶ重大事項であることは、この店でバイトを始めて半年の彼にも容易に想像できる。
「何でまた、そんな事態に」
「それがね、皆「彼氏とハロウィンデートで」とか「友達とハロパするんで」とか用事があるみたいで……アタシとしては、そう言うプライベートな人間関係も大事にして欲しいから駄目とは言えないのよ」
「ああ……まぁ、店長らしいですね」
店長は過去、人間関係で色々苦労したらしい。それだけに周りの人間関係には良く気を遣う人なのだが……今回は、それが裏目に出てしまったようだった。
「今年のハロウィンは日曜日だから、尚更忙しくなりそうで……現時点で入ってくれてる子達だけじゃ、流石に人手が足りないのよ。
そこで聞きたいんだけど、幸ちゃんは何か予定があったりする?」
「……悲しいかな、何も」
「じゃあ……お願いできる?」
リア充ひしめくこの店で唯一、自分だけ非リアであることを幸成は良く知っている。それを分かった上で断る選択肢など、彼の前には存在していなかった。
「…………分かりました」
〜
……こうして、今に至る訳だ。
まぁ、バイト自体は良い。働けばその分給料が入る訳だし、店長はこういう激務の日には追加手当を出してくれる人であることも知っている。
ただ――ただ、だ。
「……コスプレするとは、聞いてないんすけど」
朝、店に着くなりロッカールームに引き摺り込まれた幸成はいつの間にやらこの姿になっていた。
「ハロウィンと言えば、コスプレでしょ!て訳で幸ちゃん、今日のお仕事はその格好で駅前行って子供達にお菓子配りをすることよ!」
……当日朝に伝えられた仕事内容がコレである。
多分言ったら来ないと思ったんだろうな――とは理解しているし実際そうしただろうが、せめて一言くらい伝達が欲しかった。
「まぁ、言っても仕方ないんだけど……」
最悪、知り合いにさえ会わなければ良いか――そう考えながら時計を見ると、そろそろ休憩の時間だった。
「……一旦店に戻るか。店長への文句はそこで――――」
と、踵を返したその時。
「……………………」
「……お?」
少し遠くの角に、もじもじしている少女を見つけた。
恐らく、六歳か七歳くらいだろうか。隠れているつもりのようだが、ほとんど隠れられていない。
「……………………」
少女の視線は、明らかに幸成の持つ菓子入りバスケットに向けられている。それに気付いた幸成は少女の方へ近付いて行き、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「ほい、ハッピーハロウィン」
「……ふぇ?」
「欲しかったんじゃないのか?要らないなら、持って帰るけど」
「あぅ……えと」
少女は手を伸ばしたり引っ込めたりしながら目を泳がせ、どうすれば良いか困っているように見える。ただ、目線だけは菓子袋から離れないあたり欲しがっているのは明白だった。
どうするか――そう考えて、出した結論は。
「あー……俺、今から休憩なんだけどさ。店にこの量持って帰ったら、多分店長に怒られちゃうんだよなぁ。だから、一つでも貰ってくれると助かるんだが」
そう言った瞬間、少女の顔は見て分かるほどにぱあっと明るくなった。そして、嬉しそうにこくこくと頷く。
「う、うん!も、貰う……!」
「ん、ありがとな」
嬉しそうに、けれどおずおずとお菓子を受け取った少女の頭をぽんと撫でてから立ち上がる。
「それじゃあな。気を付けて帰れよ」
ひらひらと手を振り、幸成はその場を立ち去った。
あそこまでする必要は無かったかもしれないが……まぁ、ちょっとした善行ということにしておこう。
ほんの少し良い気分になった幸成は店長への文句も忘れ、軽い足取りで店の方へと歩いて行った。
◇
休憩後。元のように仕事に戻り、気付けば空はすっかりと夜らしい暗さになっていた。
そろそろ上りかな――そう思っていた時、不意に携帯が着信を告げる。
「何だ、突然……ん?」
画面を見ると、そこには「店長」と表示されていた。
何事かと慌てて通話ボタンを押す。と、通話口からやたら嬉しそうな声が聞こえて来た。
『もしもし幸ちゃん?いやぁ、アンタも隅に置けないわねぇ!!』
「い、いきなり何です?」
『アンタに会いたい、って子が店に来てるのよ。すっごく綺麗な女の子なんだけど、同級生?』
聞かれて考えるが、自分を訪ねてくるような女子はこれまでの人生全てを遡っても記憶にない。
「取り敢えず、すぐ戻ります」幸成は店長にそう伝えて通話を切り、急ぎ足で店へと向かった。
…
店に戻ると、凄まじいニヤケ顔をした店長に手招きされる。それに従って近寄ると、店長のすぐ側には一人の女性が佇んでいた。
その女性は店長の言っていた通り――いや、それ以上の容姿をした美しい人物だった。
腰まで伸ばした髪は黒の中に薄らと赤の混じった珍しい色をしている。染めているのかとも思ったが、瞳も同じ柘榴石のような色をしているあたり地毛なのだろう。
そんな濃い色の髪や瞳に対し、肌は驚く程に白い。けれど不健康な青白さではなく、真珠のように美しい乳白色だ。
目鼻立ちはきりっと整った感じで、確かに可愛いよりは綺麗の方が近い。けれど、可愛いと言われればきっとそうも見えるのだろうと思えてしまうのが不思議だ。
美しい人物を指して「人形のよう」と表現することがあるが、それさえも少し失礼に思えた。人の作るそれよりも、彼女の美は圧倒的に完成されている。
「………………」
彼女は何も言わず小さく微笑み、呆けている幸成に向けて一礼した。そんな何気ない動きさえも丁寧かつ洗練されており、ますます惹きつけられてしまう。
「えと……あの」
辛うじて捻り出した言葉は、そんな意味の分からないものだった。その様子を見ていた店長から「何やってんのよ」とでも言いたげな視線を向けられたが、そんなことを言われたところで他に何も出て来はしない。
明らかに狼狽し、まともに話せなくなっている幸成の姿を――彼女は、心底愛おしそうに見つめていた。
「……な、何か?」
「ああ、いえ……すみません、つい」
必死で聞くと、彼女は申し訳なさそうな態度でそう答えた。
声も綺麗だな――なんて考えていると、女性は突然深々と頭を下げ始める。
「えっ!?い、いきなりどうしたんですか!?」
「妹が、お世話になったと聞いたので……そのお礼に」
「い、妹……?」
「昼過ぎごろ、恥ずかしがって出られずにいた子にわざわざ話しかけてお菓子をお渡ししたでしょう?」
「え?……ああ、あの子の!?」
言われてみれば……確かに、少し似ている。彼女が美し過ぎたこともあり、全く気付いていなかった。
「いや、あんなことでわざわざ……」
「いえ。あの子は本当に引っ込み思案で、いつも一人ぼっちだった子なので……お菓子を貰えた時は、本当に嬉しかった……と、言っていたんです」
「そ、そうなんですか……ん?」
何か今、違和感があったような。が、気のせいかと話を続けることにした。
「と、とにかく……あれぐらい、大したことじゃありませんよ。本当に、ちょっとしたお節介で」
「それでも、何かお礼をさせて欲しいんです」
女性は退くつもりが無いらしく、そんな押し問答を数分続けることになり……結局、店長の「取り敢えず、二人でデートでも行って来たら?」という言葉を仕方なく結論とすることになった。
「……………………」
「……………………」
二人で夜の街を歩く……が、その間に会話はない。
しかし「気まずい」という空気感ではなく、どちらかと言えばその空気は僅かな甘味を含んでいる。
デート、という言葉のせいだろうか。「並んで歩く」というたったそれだけの行為が、幸成には途轍もなく愛おしいもののように感じられていた。
「…………あ」
と、その時。彼女が不意にそんな声を漏らした。
「……どうか、しましたか?」
覗き込むように、彼女の視線の方に目を向ける。するとそこには、ごく平凡な一軒家が建っていた。
二階建ての、おそらく築十年は経っていないであろう比較的新しい雰囲気の家。子供がいるのだろうか、玄関前にはプラスチックのスコップや三輪車などの外用おもちゃが散乱している。
そして、扉の前には――――
「ああ、ジャック」
かぼちゃをくり抜いた「ジャック・オー・ランタン」が飾り付けられていた。かなり拙い出来なところを見る限り、おそらく子供が彫ったのだろうと予想できる。
「ハロウィンらしいですね」
丁度良い話題ができた。そう思って視線を向けた瞬間、不意に気が付いてしまう。
――――彼女が、どこか寂しげな目をしていることに。
「……嫌い、なんですか?」
聞くと、彼女は少し悲しそうに笑って言った。
「嫌い……と、言うほどでは無いです。ただ――あまり、良い思い出が無いので」
そう語る彼女の姿を見て、幸成は己の浅慮を恥じた。
余計なことを聞いた――そんな事実を遅れて理解し、空気を読めなかった自分に心底からの嫌悪が湧く。
折角良い雰囲気だったのに、自分が台無しにしてしまった。それに気付いた幸成は――
「……あっ……」
――――無意識に、彼女の頭を撫でていた。
自分でも理由は分からない。ただ、なんとなくそうするべきだと思ってしまったのだ。
しかし、完全に無意識の行動。我に帰ると、急激な羞恥が幸成を襲う。
「――――ッすすす、すみません!つい、無意識で……」
慌てて手を離そうとする――が、離れかけたその手を彼女の手がそっと包み込んだ。
「……え?」
「……ああ……やっぱり、温かい。きっと、この人なら――――」
「やっぱり……?えと、あの……」
幸成が俯いたまま自身の手を握り締める彼女に困惑していた時、彼女が不意に顔を上げた。
「その……田宮幸成さん、貴方にお話ししたいことがあります」
「は、話したいこと?」
「えと……私は、月下秋と言います。それで、あの……実は、私は――」
彼女――秋は、少し戸惑うように。あの、お菓子を貰うかどうかで悩んでいた少女とそっくりの姿で言い淀みながら――けれどすぐに覚悟の宿った瞳になり、はっきりと告げた。
「――――私はもう、この世にいません」
◇
秋の言葉は、あまりにも信じ難いものだった。
「妹――と言いましたが、あれは嘘です。
昼前、貴方にお菓子を貰ったのは私。信じられないとは思いますが、あの子と私は同一人物なんです」
「え、いや……えっ!?」
「そういう反応になるのは分かります……けど、どうか最後まで聞いていただけませんか?」
そう言って、秋は懇願するような目を幸成に向ける。
……参ったな、と幸成は思った。自分が、こういう目に弱い人間であると知っているからだ。
「わ、分かりました……聞きます」
そう答えると、秋は表情をぱあっと明るく綻ばせた。その顔は、まさにお菓子を受け取ったあの子と全く同じで……ああ、本当に同一人物なんだなと認識させられてしまう。
「それで……えっと」
「ああ、はい。さっきも言った通り、私はもうこの世にいない人間……有り体に言えば死人です。今ここに居られるのは、ハロウィンという特別な日だからですね」
ハロウィンと言う行事は今でこそコスプレイベントと化しているが、実際の意味合いは日本に於ける盆に近いものである。そう考えれば、彼女の言うこともあながちない話では無いのかも知れない。
「私が死んだのは去年のことです。
私は生まれつき不治と呼ばれる病気を患っていて、ずっと入院していたのですが……去年、ついにそれが悪化して命を落としました。
でも、あることが心残りで……ハロウィンの日を利用して、一時的に帰って来てしまったんです」
「あること……?」
「はい。私は……その、見た目はこんなですけど中身は昼過ぎの姿の頃と変わらなくて……
世間知らず、と言うんでしょうか。私はこの歳になるまで、一般的な少女らしい時間というものを全然経験したことがないんです。
身勝手なんですが、それがずっと心残りで……その、つまり、なんと言うか……」
秋は恥ずかしそうに、けれど期待のこもった瞳で幸成を見る。その様子を見て――なんとなく、察した。
「えと、つまり……今晩だけ、一緒に遊んで欲しいってことですか?」
「……です」
気恥ずかしそうな顔で頷く秋を見て、幸成は思わず大きな溜め息を吐いた。呆れた、というのが理由ではある――が、その対象は自分自身に対してである。
自分は一体、何を緊張していたのだろうか。見た目は確かに美しい女性だが、中身は彼女も言うようにほとんどあの子と変わらないじゃないか。そう思うと自然、女性に対する緊張感は消えて親心のようなものが湧いて来た。
「……分かった、良いよ。今夜一晩、付き合う」
「ほ、本当に?良いんですか!?」
鼻息荒くずいっと詰め寄ってくる秋に、幸成は苦笑いしながら告げる。
「良いよ。と言っても夜だし、できることはあんまないと思うけど」
「あ……ありがとうございます!!それで十分です!!あははっ、何をしようかなー?」
そう言って楽しげにステップを踏む秋の姿は、本当に子供らしく見えた。そんな姿にほっこりしながら、幸成は駆けていく彼女の背を追いかけるのだった。
◇
「わぁ……ここが、ゲームセンター……!」
秋の希望で二人がまず初めにやってきたのは、ショッピングモールのゲームセンターだった。
初めて見るものに目を輝かせる秋の姿は幸成にこそ子供らしく見えているが、それ以外の目にはそう映っていないらしい。その証拠に、ちらちらと客の視線が彼女に向けられていることに幸成は気付いていた。
「幸成さん、どうかしました?難しい顔してますけど」
「いや……何でも」
……気を付けてやろう。そんなことを考えながら、幸成ははしゃぐ秋の後ろに着いてゲームセンターを歩き始めた。
「幸成さん、これは何ですか?」
「ああ、それはプリクラだな」
「ぷりくら?」
「そう。まぁ……写真機みたいなものかな。撮る?」
「あー……私、多分写真には映れません。幽霊なので」
……言われてみればそうか。あまりにも当たり前に接することができるせいで忘れそうになるが、彼女は生身の人間では無いのだった。
「んー……なら、アーケードとか?」
「アーケードゲーム!あれですよね、「おとげー」とか、あと「かくげー」とか!」
「プリクラは知らないのに、アケゲーは知ってるんだな」
「病院で、小学生くらいの男の子が友達と話してるのをたまたま聞いたんです。その様子がとても楽しそうだったので、一度来てみたいなぁって」
「へぇ……それでゲームセンターなのか」
「はい!さぁ、それじゃあ早くアーケードゲームのコーナー……へ……」
と、その時。ずっと楽しそうに話していた秋の顔が急に曇り、言葉も力を失っていく。
「どうかしたのか?」
「あ……えと」
その顔は、つい先刻も見たものだった。もしやと思い近くを見渡してみると、クレーンゲームの機体の中にかぼちゃを模したぬいぐるみがあることに気付く。
「ああ……苦手だって言ってたか、ジャック」
「は、はい……ごめんなさい」
すっかり落ち込んだ様子の秋。ただ苦手なだけ――と言うには、その様子は明らかに行き過ぎている。そう感じた幸成はそのエリアから離れ、休憩用の椅子に秋を座らせた。
「大丈夫か?」
「はい……すみません、こんな……」
「いや、良い。それより――――」
言いかけて、躊躇する。
……何をやっているんだ、俺は。ついさっき、同じことをして空気を悪くしたじゃないか。そんな思考が頭をよぎり、ゲームセンターの喧騒以外の音が二人の中から消える。その半端な静寂を破ったのは、他でもない秋自身の言葉だった。
「……トラウマ、みたいなものなんです。と言っても、馬鹿みたいな自己嫌悪なんですけど」
「…………え?」
「一度だけ、病気が安定期に入って退院できることになったことがあったんです。
それが丁度ハロウィンの時期で、珍しく機嫌の良い両親からハロウィンパーティーをしようって言われて……
私、大喜びしてました。ずっとできなかったことの一つができるんだ、って本当に嬉しくて。
でも、退院の前日……私は父から「折角だから作ろう」と言われていたジャック・オー・ランタンを作っている途中、張り切り過ぎて発作を起こしてしまったんです」
「……それは――」
「……はい。結局退院は無くなってしまい、父は母から強く責め立てられました。その結果、元々私のことで拗れていた二人の間の溝は修復不可能なほどに深くなってしまったんです。
以来……かぼちゃを見ると喧嘩をする両親を思い出してしまって、辛い気持ちになるんです。
別に、かぼちゃが悪いって訳では無いんですけどね。ただ、自分の失敗を思い出して自己嫌悪に陥ってしまうと言うか……馬鹿みたいですよね、本当」
その告白を聞いて、漸く納得が行った。
月下秋。子供みたいだと思っていたが、意外と――――
「大人、なんだな」
「……え?」
「自己嫌悪に陥れるのは、責任感がある奴だけだ。本当に責任感のない子供なら、他人に責任転嫁する。
お前は自分の内面を子供のままだって言ったけどさ、今の話を聞く限りじゃあ十分大人だと俺は思うよ」
「えと……あの。笑ったり、呆れたり……しないん、ですか?」
「する訳ないだろ、俺を何だと思ってるんだ。人の苦手意識を笑うほど、性根腐った人間じゃないよ」
そう言うと、秋はどこか安堵したように笑った。そして、隣に座る幸成にそっと手を差し伸べる。
「……?何だ?」
「その……大人、って言ってくれた後にどうかとは思うんですが……手を、引いてくれませんか?
そしたら、きっと……さっきの場所を乗り越えられると思うので」
「ああ、勿論それぐらい構わないぞ。……まぁ、確かに子供みたいではあるけどな」
「あー、笑いましたね!?」
……そんなやり取りもありつつ、幸成は秋の手を握る。
その場所は――ちゃんと、歩いて越えることができた。
◇
「……?何でしょう、騒がしいですね?」
ゲームセンターを出た後、歩いていると近くの公園から賑やかな声が聞こえてきた。
「あー……確か、今日はイベントをやってるな」
「イベント!面白そうです、行ってみましょう!」
「ちょっと待て、今日のイベントは――と、ととっ!?」
好奇心に駆られた秋に握ったままの手を引かれ、半ば引き摺られるようにして幸成は公園に入って行く。その姿は子供と言うより犬っぽいな、なんてことを考えたりしていると、突然秋の足が止まった。
その原因は――幸成には、既に分かっていた。
「…………あ…………」
「……だから言ったのに」
この日公園で行われていたのは、所謂ハロウィンイベント――それも、ジャック・オー・ランタンを主題にした「かぼちゃ祭り」である。
外に出たことのない秋は知る由も無かっただろうが、幸成は毎年この日にこのイベントが開催されていることを知っていた……が、基本的に関わることがなかった為前を通るまで失念してしまっていたのである。
「悪い、覚えてたら迂回したんだけど……」
……幸成がそう謝罪するのとほぼ同時。その手に、強い力が込められた。
見ると、秋が自身の手を強く握り締めている。それに気付いた幸成が顔の方に目を向けると、そこに映る秋は先刻の悲しげなものとは違う表情を浮かべていた。
その感情は――恐らく、好奇。
「……大丈夫ですよ、幸成さん。今の私には「コレ」が付いてますからね」
そう言って、秋は強く握られた手を見せてくる。そして、好奇心に満ちた明るい表情で笑った。
「行きましょう!私、イベントって初めてなんです!」
引かれる手には、無理や我慢など感じられない。
その後、イベント会場を回る秋の顔は――一度も曇らず、明るいもののままだった。
◇
「……ふーっ、疲れましたね!」
秋はそう言って、座ったまま大きく身体を伸ばした。
公園を出た後、次に訪れたのは二十四時間営業のファミレスである。食事なら他でも良いのでは、と思ったが秋が強くファミレスを熱望したこともあって一番近いこの店を選ぶこととなった。
「結局、何でファミレスなんだ?」
「私、ジャンクって経験無いので。それに、高級なお店なんかよりこっちの方が少女らしいと思いませんか?」
「まぁ……人によるけど、確かにそうかもな」
そんな会話をしながらも、秋の目線はテーブル横に立てかけられたメニューに釘付けになっている。「見れば?」と促すと、秋は飛びつくような速度でメニューを手に取った。
「わぁぁ……!凄い、病院じゃ見たことない食べ物ばっかりです……!」
「そりゃ、こんなとこの食事は病院では出ないだろうな」
「あの、幸成さん!これ、これはどんな味がするんですか!?」
秋は興味津々と言った表情を浮かべ、メニューの料理一つ一つに説明を求めてくる。それに毎度答えながら、幸成は楽しさで口元を綻ばせた。
「……?どうしたんですか、急に笑って」
「いや、楽しくてさ。目まぐるしい……と言うか、ころころ表情が変わるから見てて飽きないなって」
「ッ……そ、そうですか……」
驚いたようにそう言って、秋はメニューで顔を隠す。
僅かにはみ出た額部分は、ほんのり赤いように見えた。
◇
「ふぅ……ご馳走様でした、美味しかったです!」
「滅茶苦茶食ったな……どこに入ってるんだ、アレ」
「さぁ、私にもそれは――……あ……」
……そして、夜も深くなった頃。ファミレスを出たところで、秋が不意に足を止めた。
「……?どうかしたのか?」
「ああ……いえ、そろそろだなぁ……と」
「そろそろって、何……が……」
言いかけて、気が付いた。
秋の身体が――徐々に、薄くなっていることに。
「え……あ――――」
そうか、そうだった。
今夜――と言うから朝までを連想していたが、違う。
ハロウィンは……零時で、終わりなのだ。
「ッ……」
時計を見る。二十三時五十二分――後、八分。
「そんな……」
「なんで残念がるんですか?楽しかったですよ、私は」
「でも――まだ、ほとんど何も」
そう、まだあまり何かはできていない。ゲームセンターでゲームをして、公園でやっていたハロウィンイベントを見物して、ファミレスで食事をして……たった、それだけしか。
彼女の望む「少女らしい時間」は、きっとこんなものではない筈だ。もっと、沢山ある筈――そう思って焦る幸成に対し、秋はずっと楽しそうに笑っている。
「私は、十分楽しかったです。一番したかったことは、ちゃんとできていましたから」
「一番、したかったこと……」
どれだろう――そう考えていた、その時。
不意に、秋の顔がすうっと幸成の前に来た。
「ん…………」
「ッ………………!?」
ふ、と優しく唇が触れる。
ほんの数秒だったが――その感触は、幸成の心にはっきりと強く刻み込まれた。
「な、え……!?」
「……一番したかったこと。理想の相手と、デートがしてみたかったんです」
「理想、って――――」
「昼過ぎ。幽霊の本領は夜なので、あの時間帯は子供の姿と心にしかなれないんです。
それで、夜を待っていた時……たまたま、駅前でお菓子を配る貴方を見かけて。ハロウィンもまともに経験してなかった私は貴方が羨ましくて、陰からこっそり見てました。
そんな時、私に気付いた貴方が来てくれて……優しく笑いかけて、お菓子をくれた。
生きてた頃、私って両親からも厄介者扱いされてたんですよね。だから、初めてだったんです。人の優しさに触れるのも、頭を撫でて貰うのも。
それで……なんと言うか、胸にきゅーっと来ちゃったんですよね。我ながら、ちょろいとは思いますけど。
だから――貴方が良い、って思ったんです。そしたら、これ以上ないくらいの正解でした」
そう言って、秋は心から嬉しそうに笑って――そして、もう一度幸成にキスをした。
「……あーあ、でもある意味失敗したかもです。
やりたいことができたら、それで良い筈だったのに……貴方のせいで、未練が一つ増えちゃいました」
「秋ッ……!」
幸成は薄れゆく秋を抱き寄せ、初めて名前を呼ぶ。秋がそれを抱き返すのとほぼ同時――温かい雫が、幸成の肩を僅かに濡らした。
「……幸成……貴方と、離れたくないよ……!」
その言葉を最後に、幸成の体を締め付けていた力と熱はふっと消える。目を開くと、そこには誰もいなくて――けれど、濡れた肩だけが。奇妙なほどに、熱く思えた。
◇
……あれから、一年の時が経つ。
「幸ぢゃぁぁぁぁん!」
「分かりましたよ、出ますって!」
今年も店長に泣きつかれ、幸成はハロウィンにバイトをすることになった。
けれど――元々、頼まれずとも出るつもりではあった。
「…………秋」
今も、あの日を覚えている。最初で最後の、愛しく切ないあの時間を。
思い出す度、肩が少し熱く思えた。ほんの少し胸が高鳴り、唇が感触を思い出した。
もう、会えないのかも知れない。いや、きっとそうなのだろう。
けれど――ほんの少し期待して、幸成はまたそこに立つ。
「「「とりっく おあ とりーと!!」」」
「はい、ハッピーハロウィン」
あの、幸福な時間を――いつまでも、忘れないようにする為に。
良ければ評価、感想よろしくお願いします。