バッグの中の金庫②
「う、うん」
「ならよーし!」
「なに? 見られちゃまずいものでも入ってるの?」
「女の子はみんなそうなんです~」
おどけた笑顔で立花さんが言う。
言われずとも、恋人とはいえ女性のバッグの中を覗くなど言語道断だ。絶対しない。
「ほら、あそこだよ!」
そうこうしているうちに、本日の目的地たどり着いたようだ。
彼女が楽しそうに指差したお店の中に入ると、どことなく郷愁感を感じさせるカントリーミュージック風のBGMが出迎えてくれた。白を基調とした清潔感のある店内はそこそこ広く、昼間であるにもかかわらず、オレンジの間接照明がムーディな空間を演出している。
「テラス席もあるよ!」
「せっかくだし、テラスにしようか」
「やった~!」
店の奥には、海を望むソファが鎮座したテラスがあった。別途500円かかるとの説明を受け、席に案内される。外に続くドアを抜けると、見るからにフカフカなL字型のソファが僕たちを出迎えた。
「気持ちいいね!」
「晴れてたらもっと良かったんだけど」
「そう? わたしは曇りの日が好きだな~。直射日光はお肌の大敵だしね」
そう言いながら、ぼふんと勢いよくお尻をソファにダイブさせる立花さん。上機嫌で両足を交互にパタパタさせて、かかとをソファに打ち付けている。
「てか今更だけど……君、プロ選手目指してるのにクレープなんて食べて大丈夫なの?」
「まぁ、今夜はランニング多めにするよ」
「さすがストイックだねぇ」
立花さんはそう言って、僕の肩を人差し指でツンツンしてくる。
「ていうかわたし、バスケのプロ選手のこと全然知らないや……」
「そっか。何か知りたいことある?」
「ん~、お給料とか?」
「はは……。お金の話でいうと、ピンキリだよ。日本にはBリーグっていうプロリーグがあって、B1とB2に分かれてるんだけど……」
「1の方が強いってこと?」
「そうだね。B1の選手だったら年俸何千万あったりするらしいよ」
「へぇ」
NBAだと何億とか何十億っていうレベルらしいが……日本じゃさすがにそうはいかない。僕はお金にこだわりはないから、別にいいんだけど。
「生活リズムとかは?」
「意外と自由みたい。合同練習は1日2時間とかで、あとは自主練とかトレーニングしたりとか」
「ふ~ん」
「あとはプロじゃなくても、実業団で頑張ってる人もいるよ」
「じつぎょうだん?」
「バスケやりながら、普通の会社員としても働くって感じ。午前中は会社に行って、午後から練習したりとかね」
「色々あるんだぁ」
なるほど、といったふうに立花さんが頷く。
「じゃあ、君はどうしてバスケのプロ選手になりたいの?」
「……それは」
ドキリと、心臓が脈打つ。
答えに窮する僕に、立花さんが「?」というふうに小首を傾げる。
「まぁ、憧れっていうか……そんな感じ」
「あ~、バスケ選手ってかっこいいもんね!」
それらしいことを言って、ごまかした。
本当のことは、言いたくなかったから。
僕は、プロになりたいのではない。
--ならなくてはいけないのだ、と。
「君がデビューしたら試合見に行くね!」
「うん。絶対呼ぶよ」
「ふふっ、楽しみだな~」
立花さんはそう言って笑顔を見せてから、テーブルの上に目を移す。
「さてさてそれでは……、どれにしようかな?」
メニューと睨めっこを始める立花さん。見ているのは、お目当てのクレープの写真が所狭しと並んだページだ。
クレープとは言っても、具材を生地で巻いた、持ち運び性重視のよくあるタイプのやつではない。オシャレな皿にオシャレな感じで盛られたオシャレなタイプのやつである。
「き、決められないっ!」
「ゆっくり選びなよ」
「うぅ……ダメだ! わたしのことは置いて先に行って!」
「そうはいかないなぁ」
死亡フラグって、日常会話の中で立つものなのか。
立花さんは手にしたメニュー表を顔面スレスレのところで広げ、しばらく唸っていたが、
「これだぁ!」
バシーン!とメニューをテーブルに叩きつけ、シュビッと人差し指を突きつけたのは……お店の名前を冠する、一番豪華なクレープ。ボリュームも一番ありそうだ。
ようやく決まったところで店員さんを呼び、注文を済ませる。ちなみに僕はキャラメルバナナクレープを頼んだ。
他愛のないことを楽しげに話す彼女を横で眺めつつ相槌を打っていると、店が空いていたためか、それほど待つことなくクレープが到着する。
「すっごーい!」
電子レンジのターンテーブルを彷彿とさせる大きな皿に載ったそれは、美術館に置いてあっても違和感がないと言ってもいいほどに、鮮やかだった。
「これどうやって作ったんだろー!?」
「確かに」
それはおそらく一枚と思われるクレープ生地の両端をくるりと折って直立させた、まるで建造物のように立体的な作品だった。僕は何となく社会科の教科書に載っていたシドニーのオペラハウスを思い出した。
「しかもすごい大きさだね」
「ね! 早く食べよ~!」
「写真はいいの?」
「もちろん撮ります!」
早速写真を撮ろうと、スマホを求めてハンドバッグの中をまさぐる立花さん。程なくしてスマホを探し当て、いそいそとバッグの中から取り出した時--
「あっ……!」
よほど焦ったのだろうか。スマホを取り出した拍子に、バッグの口から何かがこぼれ落ちた。
とっさに彼女が手を伸ばすが、間に合わない。“ソレ”はウッドデッキの上に落下して、カツン……と無機質な音を立てた。