バッグの中の金庫①
「今日、あったかいね!」
「そうだね。上着要らなかったな」
「ね~、わたしも着る服ミスったかも」
その日はあいにくの曇り模様だったが、外の空気は暖かい。上着が必要ないくらいには過ごしやすい気温だった。
今日の立花さんはというと、膝がぎりぎり隠れるくらいの丈のニット生地のワンピースに黒タイツという、ザ・女子という表現が相応しいファッション。さらに足元にごつめのブラックのブーツを持ってくることで、甘さの中にもアクセントを加えている。
眺めているだけで目の保養になるようなその姿を横目で堪能しつつ、歩を進める。
「これから行くお店ね。前に友達がインスタに上げてて、ずっと行きたかったんだ~」
「そうなんだ」
僕たちは、馬車道駅から10分ほど歩いたところにある『MARINE&WALK YOKOHAMA』という、海辺のオープンモールに来ていた。シンプルかつスタイリッシュな、どことなくヨーロッパの島国を彷彿とさせるような空間だ。
「甘いもの食べに行くことってあんまりないから、俺も楽しみだよ」
「たしかに君って、あんまり食に関心なさそーな感じするかも」
「ん、そうかな?」
「休みの日とか3食カレー食べてそう」
「…………」
……やったこと、あるかもしれない。
「え、マジ?」
「冷蔵庫の中が緊急事態の時は……で、でも、さすがにアレンジ加えたりはするよ?」
「どんなアレンジ?」
「……とろけるチーズ載っけたり」
「あははっ! アレンジしょぼっ!」
「はは……」
立花さんはとても話しやすい女の子だ。
性格は明朗快活。好奇心旺盛でおしゃべり。そして場の空気を暖めるのが上手い。今みたいに僕をからかって会話を楽しくしてくれるのもその一つ。些細なことにも目をキラキラさせたり、オーバーに反応したりと、見ていて飽きないのだ。
しかもこんなに美人なのに気取った雰囲気が全然ないし……もう舌を巻くしかない。
「立花さんは確か、自炊する人だっけ?」
「めっちゃお料理するよ!」
その上家庭的ときた。
彼女には『男の理想像欲張りセット』の称号を与えるべきだな。本当に。
「ほんと偉いなぁ」
「いいでしょ~? 家庭的な女の子!」
「最高だね」
「ふふっ。そのうち手料理作ってあげるね!」
「ホントに?」
彼女の手料理。
そんな最上級の幸せを、僕なんかが享受していいのだろうか。
「カレーでいい?」
「か、カレーか」
「カレー大好きだもんね~?」
立花さんはそう言って、いたずらっぽくニヤリと笑う。
カレーはよく食べるし、せっかくなら他の手料理を……というのは、やはり思ってしまう。その考えを見越してのニヤケ顔なんだろうけど。
「でも立花さんの作ったカレーなら、1週間毎日でもいけそうだな」
「お、言ったね? ……よ~し、じゃあ超辛口にしちゃおう!」
「そ、それは……」
「冗談だよ。カレー以外でなんか作ってあげるね!」
「あ~、うん。その方が嬉しい」
「ふふっ」
(僕の考えはお見通しか……)
そんな他愛のない話をしながら、目的地に向かう。そんなちょっとした時間でも、僕にとっては幸せだった。
しかし同時に、僕は機会を窺っていた。
「た、立花さん--」
「あ、見えてきたよ!」
「あ、うん……」
「ごめん、なんか言おうとした?」
「え、えっと」
それは無論、“あの言葉”の真意を確認する機会である。
『もう二度と、好きって言わないで欲しい』というあの言葉。
(どうして、あんなことを……)
好きと言われるのに抵抗があるのだろうか? それとも過去の彼氏とのトラウマがあるのか?
だが確かめたいと思う一方で、本能的に恐れてもいた。それを聞いたら……何かよくない事実が発覚してしまうのではないか、と。
「そういえば立花さんって、俺の名前、あんま呼ばないなと思って」
「え? あーごめんごめん! そういうのは徐々に、ね」
「ああ、うん。そういうことなら」
話を変えるために言ったが、本心でもあった。恋人に名前を呼んで欲しいというのは、ごくごく自然なことじゃなかろうか。
とはいえ、無理強いはしたくない。待ってほしいというなら、いくらでも待とう。
それに気になるのは“あの言葉”の方だった。
(タイミング見て、軽い感じでそれとなく聞こう)
そう心に決めて、一旦そのことは頭の隅に追いやることにする。今は彼女との時間を楽しむべきだ。
「あ」
「え? なに?」
「立花さん。バッグ、開いてるよ」
彼女の肩にかかった黒のハンドバッグ。その留め具が外れて、上部のカバーがプラプラしている。普通に歩いてる分には大丈夫そうだが、何かの拍子に中身を落としそうではあった。
僕がそう言うと、彼女は素早く上カバーをバッと押さえた。
「……中、見てないよね?」