表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/27

食事

 眼下に広がるのは、数えきれないほどの--光。

 それはまるで、宇宙に煌めく無数の星々を映す、巨大な鏡のようだった。

 曇一つ見当たらないガラス越しにそれを眺めつつ、私は料理の到着を待つ。

 全席個室の、六本木の高級フレンチ。学生の“契約者”と来るようなことは、まずない。二人分払ったら、1ヶ月分のアルバイト代が吹き飛んでしまうような価格設定だ。

 さらりと肌に心地よい、真っ赤なドレス。

 それに全身を包まれていると、ラグジュアリーな気分が高まる。こういうお店で食事するなら、それ相応の格好をしないと。

 私よりも歳上のビンテージワインが満ちたグラスを、ゆっくりと傾けていると、目の前に座る大柄な男--蘇芳(すおう)が、口を開いた。


「さすがにまだ、ドレスに着られてるな。“お嬢”」

「なにそれ。似合ってないって意味?」

「いいや。口を閉じていれば、十分及第点だ」

「あっそ。別にどうでもいいけど」


 蘇芳は私より7、8歳くらい上だし、持っている知識がとにかく幅広い。どこぞの俳優と比較しても遜色のないような甘いマスクで、饒舌(じょうぜつ)にそれを披露すれば、大概の人間の女はイチコロだろう。

 だけど食べ物に関する知識だけは、私の方が上だという自負がある。


「お待たせいたしました」


 そこに料理が到着した。マトンの赤ワイン煮込み。ゴロリとした大きい肉が、芸術的なあしらいで皿に盛り付けられている。真っ白な厚手のテーブルクロスの上にそれが置かれると、食欲を猛烈に刺激する香りが、鼻の中に充満した。


「いただきます」


 ナイフを入れると、まるで待ちかねていたように、ほろりとお肉が崩れる。口に入れると、私の頰のお肉が崩れ落ちそうになった。

(美味しすぎる……っ!)


「美味いのかい? ラム肉ってのは」

「蘇芳。これはラムじゃなくてマトン」

「何が違うんだ?」

「んー。ラムの方が柔らかくてクセが少ないから食べやすいけど……。マトンの方は旨味がギュッて詰まってる感じなの。私はどっちも好き!」

「さすが詳しいね、お嬢」


 蘇芳はそう言って、手慣れた所作で赤ワインのグラスを傾ける。


「蘇芳の家はお金持ちでしょ。羊のお肉食べたことないの?」

「蘇芳家は牛肉と仲良しなんだ。そんでもって浮気はしない主義らしいんだな、コレが」

「もったいないな~。こんなに美味しいのに!」

「俺としては、みんなと仲良くしたいんだがね。全く面倒な家だよ」


 心底うんざりした様子でそう言った蘇芳は、スーツの胸ポケットからタバコの箱を取り出す。


「食事中にタバコはやめて」

「一本くらい許せよ。こっちは毎日、お前さんのために汗水垂れ流してんだぜ」

「食事中は駄目」

「へいへい」


 蘇芳はやれやれといったふうに、ライターを探っていた手を止めた。そして口に咥えたタバコを名残惜しそうに箱に戻しながら、言う。


「で、どうなんだ」

「何が?」

「今回の標的(ターゲット)--例の、哀れな子羊<ラム>くんのことさ」


 誰のことを言っているのかは、明白だった。


「別に。いつも通りだけど」

「それにしちゃ、随分とご執心なんじゃないか?」

「……どういう意味?」

「『契約』に2ヶ月もかけるなんざ、らしくないじゃないか。お前さん、いつもなら早々に見切りつけちまうだろ」

「……引き際を見誤っただけ。結果的に『契約』できたんだし、文句ないでしょ」

「文句は無いさ。そんなのは畏れ多くて、とてもとても」


 そう言ってわざとらしく肩をすくめる蘇芳。言ってることとは裏腹に、恐縮した雰囲気を微塵も感じない。

 そして蘇芳はワイングラスをテーブルに置き、続けた。


「で、“言葉”の方はしっかり食べてるんだろうな?」


 思わず、手が止まる。

 ……実を言うと、最近の“言葉集め”は難航している。

(特にあの人間は--…)

 件の契約者--藤間悠也は、今までの男の中でもかなりの曲者だった。


「必要な分は食べてるよ」

「お嬢、いつも言ってるだろう。《言素(ゲンソ)》は常時多めに摂取しておけ」

「私、食べ物はお腹8分目までって決めてるの」

「8分目も食ってないだろう」

「…………」

「わかってるだろ? お嬢」


 蘇芳の声が、部屋の空気を、重たく揺らす。


「《言素》を切らしたら、お前さん--お陀仏なんだぞ」

「……わかってるよ」


 蘇芳から目を逸らし、再び窓の外に目をやる。

 何百万、何千万という人々の“言葉”に溢れた世界。

 私にとって“言葉”は--この料理と同義なのだ。

 わずかに力を込めたナイフが肉を断ち、カチャン……と皿を鳴らした。
















挿絵(By みてみん)


ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。

誠に勝手ながら、小説の連載はここで終了とさせて頂きます。

現在、小説とは別の形で発表できるよう、邁進していきたいと考えております。

どこかでお会いできましたら、またお付き合い頂けると幸いです。


ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ