異変②
スゥーッという衣ずれの音。僕の腕に絡み付いてくる彼女の腕。そして、手のひらになめらかな感触。
細長い指が、僕の指の間にするりと滑り込んでくる。まるでその一本一本が、意志を持つ生き物みたいに。
僕の身体は、息をするのを忘れていた。どんどん胸の辺りが苦しくなってくる。それが酸素不足のせいだけでないのは明らかだった。
「……っ」
ようやく僕の喉が音を鳴らし、息を吸い込む。
何枚もの布を隔てても、ハッキリ伝わってくる立花さんの体温。きっと僕の体温は、それとは比較にならないほどに彼女に伝わっているのだろうと思うと……さらに体が熱くなって、負のスパイラルに陥る。
「わたし……今、すごくドキドキしてる……」

「君は……どう、なのかな……?」
絡ませた指にギュッと力を入れ、彼女が上目遣いにそう訊いてくる。
とっさに僕の瞳は彼女のそれから逃げてしまう。
「……俺も、ドキドキしてるよ」
僕は何とか、その言葉を絞り出す。
喉仏が上手く動かず、声がかすれそうになった。
「…………うん」
立花さんが、さらに身体を寄せてくる。
彼女の瞳は、その続きをせがむように、うるうると揺れていた。
--“好き”は、大事な時のために取っておいて欲しい。
昼間、クレープの店で彼女はそう言った。
だけど。
その時、僕の中に、小さな灯火がともった。
(やっぱり、僕は--…)
--彼女にもう一度、“好き”だと伝えたい
告白した時にも、立花さんに“好き”だと伝えた。
(でも……あんなのじゃ、ダメだ)
迷い。
疑念。
不安。
そんな不要な感情たちで溢れかえっていて、ロクなものじゃなかった。
だが今の僕が気持ちを伝えても--結局それは、“ウソ”になるんじゃないか?
どれだけ頑張ろうと、僕には『人を好きになる力』がないのだから。
こんな気持ちのまま、その言葉を口にするなんて--…
『ユウちゃん。ウソをつくのって、必ずしも悪いことじゃないと思うの』
(……そうだ)
コートの胸ポケットに手をやる。
そこには、いつものお守りの感触。
僕は、母さんの言葉を思い出していた。
『その人が大事だからこそ、ウソが必要なこともあるから』
普段は、おちゃらけた言動が多い人だった。
言うことはほとんどテキトーだし、話に一貫性がない。おまけにそのテキトーな発言を鵜呑みにした僕があたふたするのを、ニヤニヤと眺めるのが趣味みたいな人。
そのくせ、時々ふと考えさせられるようなことを言うのだ。普段とのギャップなのか、妙に説得力があったりする。
だけど、その言葉は到底納得できなかった。
だってウソはよくないだろう。人を騙すなんて、絶対にあっちゃいけないことだ。それが大切な人なら……、なおのこと。
絶対に間違ってる。
『でもね』
間違っていると、思った。
そう思ったのに--その言葉はどういうわけか、心に響いたのだった。
『大切な人にウソをつくのが……苦しくて苦しくて、どうしようもなくなったら--』
『…--自分を騙すと、ちょっぴり楽になるの』




