キュウリ⑥
グッと握った男の手首は思った以上に細かった。
思い切り握ったらポッキリと折れてしまいそうで、反射的に少しだけ握る力を弱める。
「ってぇな……。マジなんなのオマエ? シメられてぇの?」
「嫌がってます」
「あのなぁ、バイト同士コミュニケーションが大事なんだよ! シンボク深めようとしてんの!」
「でも、嫌がってるじゃないですか」
「新人がセンパイの誘い受けんのは当たり前のことだろうが!」
「そんなことないと思います」
「俺の店はそうなんだって! つか手ぇ放せや! ケーサツ呼ぶぞコラ!」
この男が発する言葉を、これ以上聞きたくない。
好き勝手に自分の気持ちをばら撒き、周りのことなど考えない。
無自覚に相手を傷つける。
気づいた時には、もう遅いのだ。
腹が立つ。ふざけている。
視界が暗転する。段々、目の前の景色が薄れていく。
「あぁ!? テメェいい加減に……イデデデッ!」

男の手首を握る手に、力を込める。
頭はいたって冷静だった。万力のようにジワジワと力を強めていく。
「やめてください」
「イテェって!! マ、マジで折れるから!!」
耐えかねた男の手がすずさんの腕を放す。
だが僕はまだ、男の手首を放さない。
「スズ!! こいつ何とかしてくれ!」
「…………」
すずさんは答えなかった。そしてチラッと僕の方に視線を投げる。
数秒、場が膠着した。
コツッという音がそれを破る。ブーツがアスファルトを叩く音。
彼女が後ずさりする。ジリジリと……無言で、男と距離を取った。
それで僕の心は完全に決まった。
「やめろって」
「わかった! わかったから!!」
ついに、男が音を上げた。
僕はホッとして、男の手を放した。これ以上強く握ったら本当に折れそうだったから。
「……ったく。何なんだよ……」
手首をさすりながら恨み節を吐く男。そしてこちらに目もくれず、早足に去っていく。
存外あっさりしたものだった。去り際に彼女の方をじろっと見ただけで、謝罪の言葉の一つもなかったのは気に障ったが。
「…………」
「…………」
そして後には、僕とすずさんと……重苦しい空気だけが残された。……さっきまでの緊迫した空気の方がまだマシだった。
(……さっさと行こう)
やるべきことは終わった。去り際にペコリと頭を下げるが、目も合わせられなかった。そのまま彼女に背を向けようとした時、
「あ、あのっ」
控えめな声が、僕を呼び止めた。
言うべき言葉を探すように、彼女の瞳が揺れている。
2、3秒ほどそうしていただろうか。やがて、彼女は気まずそうに視線を逸らし、
「……ありがとうございました」
吹けば飛んでいってしまいそうな声で、そう言った。
「いえ……でしゃばっちゃって、すみません」
「そんなこと……。あの人、割といつも絡んでくるんですけど……今日はかなりしつこくて、ホントに助かりました」
「そう、なんですね」
「…………はい」
「気をつけてくださいね」
再び、沈黙が降りる。
「……それじゃ」
「ま、待って!」
--?
まだ、何かあるんだろうか。
「さっきは、その……ごめんなさい。初対面の人にあんなこと……」
すずさんがチラチラと僕の顔を窺いながら、途切れ途切れに言う。
「気にしてません。大騒ぎして迷惑かけたのは事実ですから」
「…………そうですか」
「あと……大事な食べ物を無駄にして、本当にすみませんでした」
「えっ?」
「僕、お店の壁に貼ってあった貼り紙を見ちゃって。農家の人と店長さんが一緒に写った写真が載ってる……」
「……あっ。あれか」
わざわざ彼女にこんな話をして……、罪滅ぼしのつもりか。
こんなのは、単なる言い訳にすぎない。それなら初めからやらなければいいのだ。
そう思いながらも、動き出した口を止められなかった。
「このおじいさんが頑張って育てたキュウリで遊ぶようなことして、無駄にして……って考えたら……せめて店長さんには謝りたいな、と」
「…………」
「今から謝りに行くところだったんですけど……」
彼女はじっと僕の顔を見つめ、相槌も打たずに話に聞き入っていた。
その眼差しは真剣そのもので、僕は話しながら、ちょっと落ち着かなかった。
「…………へぇ……」




