宝箱
ぽつりと、そう言った。
「そういうのって……?」
「言葉に込められた、気持ちみたいなの!」
「き、気持ち……?」
僕はよほど怪訝な表情を浮かべていたらしい。すかさず彼女が、おどけたふうに抗議してくる。
「その顔、さては信じてないな~?」
「いやぁ……う~ん」
「も~、ホントなんだから!」
「そ、そうなの……?」
「そうなの!」
そう言ってから、藪から棒に、とててっと走り出す彼女。その先にはエスカレーターの乗降口。僕はそこで初めて、歩道橋の目の前までたどり着いていたことを知る。
立花さんは勢いそのままに、ピョンとエスカレーターに飛び乗った。僕も小走りで追いつき、彼女の一つ後ろの段まで上る。
「だからね!」
その言葉と同時に、前に乗った彼女がくるりとターンしてこちらを振り向く。
(顔、近っ……)
反射的にのけ反って落ちそうになるが、何とかそれは耐えた。
僕は日本人にしてはかなり高身長の方だ。それでも160cm後半くらいある立花さんの身長にエスカレーター1段分の高さがプラスされると、少しだけ彼女を見上げる形になる。
「だから、安心していいよ」
その状況にドギマギする間もなく、彼女の声がした。
「君の言葉も、そこに込められた気持ちも--わたしの宝箱の中に、大切にしまってあるから」
僕の数センチ前にある彼女の表情は、まるで窓から差し込む朝日のような、柔らかい微笑みを湛えていた。
その、言葉。“宝箱”という彼女の言葉は、全身にじんわりと染み渡る感じがした。
「自分の言葉を信じられないなら、わたしの言葉を信じて。そしたらきっと--…」
「君はいつか--…君自身で、君の言葉を信じられるようになるよ」
「…………わかった」
何がわかった、なのか。わからない。
分からないけど、僕の口は動いていた。
立花さんが、僕を想って、僕のためにここまで言ってくれている。
今は、少しだけ……。
(少しだけ、その気持ちに甘えてもいいかな--)
驚くほど素直に、そう思っている自分がいた。
そして、彼女の気持ちに報いるために、僕ができること。
立花さんのことが、好きだ、と。
一片の迷いなく、そう言えるように。
彼女のために、そうなりたい。
だから、言った。
「立花さんの言葉、--“信じる”よ」
その瞬間だった。
喉に鋭く走る、針で突かれたような痛み。
(これは--…)
どこかで感じたような感覚。
(立花さんに告白した、あの夜と同じ--?)
“好きです”と伝えた直後に感じた、あの不自然な痛み。
結局その後腫れたりすることもなく、原因はよくわからないままだった。
「……ありがと。今の“言葉”も、ちゃんと伝わってきたよ」
彼女は、囁くようにそう言った。
嚙みしめて、咀嚼していくように、じっくりと時間をかけて。
そしてすぅっと目を細め、か細く微笑む。
その顔も、知っている気がした。
「どしたの? じーっとわたしの顔見つめちゃって」
「え、いや……」
こんな時だというのに、僕は場違いなことを考えていた。
僕らの唇の間に残されたわずかな空間を、今すぐに埋めてしまいたい、などと。
しかし僕の思いとは裏腹に、彼女はくるりとターンした後、歩道橋の上にシュタッと降り立つ。
「そんなに見つめられると恥ずかしいんですけど~!」
再び振り向いてからそう言い、「きゃっ!」という効果音とともに顔を覆う立花さん。
そこにはいつも通りの、明るくて楽しい彼女がいた。
自然と頰が緩むのを感じる。
……本当に、敵わないな。
「……すごいなと思って。本当に俺の気持ちがわかってるみたいだから」
「だからそう言ってるでしょ~?」
「はは……そうだね」
喉の痛みは……帰りにドラッグストアで喉薬でも買おう。
幸い痛みは大したことないし、頻度も少ない。でも、もし風邪だったら立花さんにうつすと大変だ。体調の変化には気をつけよう。
そして、気を取り直す。
しんみりした空気は、これで終わりにしよう。
付き合って初めてのデートなのに、思い切り水を差してしまった。ここまでの失態を挽回しないと。せめてここからは、最後まで楽しい気持ちでいて欲しい。
僕は鼻から新鮮な空気をいっぱい吸い込み、ふぅ~と吐く。そして一拍置いてから、言った。
「どうやったら、人の気持ちなんてわかるの?」
「企業秘密でーす」
「いいじゃん。教えてよ」
「え~? うーん……」
相手の気持ちがわかる。
そんな力があったら、どんなに便利なことだろう。もちろんデメリットもあるだろうけど、僕にとってはメリットの方が圧倒的に大きく感じられた。
「……そんなに知りたい?」




