トラウマ②
空を見上げると、相変わらずの曇り模様。むしろさっきより雲の厚みが増しただろうか。
オープンモールの出口を抜けると、特徴的なサークル状の歩道橋が視界の隅に映り始めた。形状もそうなのだが、歩道橋にしては珍しくエスカレーターがついているのが変わっていた。
目的の駅に行くにはあれを渡るのが一番早い。来る時も通ったから渡るのは2回目になるが、改めて見ると、大きい。それは僕たちを向こう側に通すためのものなのに……、まるで行く手を阻む壁みたいに感じられた。
「わたしたちって、初めて会ってからどれくらいだっけ? 全然経ってないよね」
「2ヶ月経つか経たないかくらいかな……」
「そんなだっけ!? 全然そんな感じしないなぁ」
「……そうだね」
「時間経つの早いね~」
「……うん」
立花さんが、僕たちが出会った頃の話を始める。
だけど、今はそんな話をする気には到底なれなかった。
脳内では先ほどの会話が反芻し続け、思考の沼に僕をズブリと沈めた。
「……さっきから元気ないよ?」
ひょこっと、彼女の顔が横から現れる。そこで僕たちは、歩みを止めた。
右隣から僕を覗き込むその表情は、心配そうに曇っていた。
「……ごめん」
「もしかして、さっきのこと気にしてる?」
「…………」
勝手に口が「いや……」と動きそうになるのを、すんでのところで耐える。
(このままじゃ、ダメだ)
限界だった。
他のことが考えられない。
立花さんの隣を歩くのが、つらい。
「…………立花さん」
「なに?」
「俺、できないかもしれない」
「…………え?」
「気持ちを言葉で伝えるっていうの、できないかもしれない」
立花さんが、困ったふうに眉をひそめる。
「どうして?」
「怖いんだ。……俺の言葉で、立花さんを傷つけるのが」
「どういうこと……?」
「……高校の時、俺は大切な人を深く傷つけた。自分で気づかないうちに、俺自身の言葉で」
ずっと胸の奥に沈んでいた言葉が、次々に溢れ出す。
「その人のことを想って言ってたはずだった。『支えになる』『ずっとそばにいる』って……。なのに逆に傷つけてたんだ」
わずかながら、声の震えを抑えきれなかった。
「今回も同じことになるんじゃないかって、俺はそれを恐れてる」
「…………」
「だから……、だから--…」
その先を言葉にすることを、ためらう。
だけど、止められなかった。
止めてはいけなかった。
「そんなことになるくらいなら、今別れた方がいいのかもしれないって……そう思っちゃってる」
言ってから、後悔が全身を駆け巡った。
だけど、僕の彼女に対する想いが決断させたのだと。そう思いたかった。
じゃないと、空が落ちてきそうだった。
「……ずっと、不安だったの?」
「うん……。付き合う前から、ずっと」
「なかなか告白してくれなかったのも、そのせいだったんだ」
「……ごめん」
告白するまでに彼女とデートした回数は、7回。
二つの相反する気持ちを天秤にかけながら、僕は彼女とデートを重ねた。彼女と会うたび、天秤の両皿に増えていく重り。両方の皿にそれを交互に載せ続け、天秤は絶え間なく揺れていた。
「結局最後も、わたしが催促したみたいになっちゃったしね」
「……立花さんがきっかけをくれたから、告白できたんだよ」
彼女が期待してくれているのは、薄々感じていた。
本当のところ、彼女の気持ちが決め手だったんだと思う。もしそれがなかったなら、天秤は逆側に傾いていただろう。
「だけど……自分の言葉を全く信じられなかった。そこに必要な気持ちがこもってるのか、自信がなかったんだ」
それ以上、言葉は続かなかった。
立花さんはしばらく何も言わずに、僕の胸の辺りを見つめていた。
「……さっきは、本当にごめん」
立花さんは僕の胸に向かってそう言ったかと思うと、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、しっとりと潤んでいるように見えたけれど、揺るぎなくこちらを見据えていた。
「冗談でもあんな言い方ダメだったね。わたしといると楽しいって……せっかくそう言ってくれたのに」
「立花さんが謝る必要なんて、これっぽっちもない。全部俺の問題だ」
「ううん。謝らせて。君が苦しんでるの、全然気づいてあげられなかったんだから」
「いや、そんな……」
「--でも大丈夫!」
言葉を詰まらせる僕に、彼女はニコリと笑いかけ、
「わたし、そういうのわかるの」




