告白
「立花さんのことが、好きです。俺と付き合ってもらえませんか」
一瞬、唐突に喉仏の辺りが鋭く痛んだ。
縫い針で軽く突かれたようなその痛みに、思わず顔をしかめる。
(虫にでも刺されたか……?)
いや--今そんなことはどうでもいい。
僕は、正面に向き直る。
その言葉の届け先である、彼女--立花すずに。
徐々に冷たさを帯びつつある、10月の夜の空気。今日は特に肌寒かった。
公園で相対している僕の前で、彼女は静かに両目を閉じ、口を閉ざしたままだった。
みじろぎ一つしないその姿は、まるで、格式高い美術館を彩る絵画の一つになってしまったみたいだった。彼女の表情は、僕の言葉をゆっくりと味わっているようで--絵画の中の貴婦人が、その口に含んだワインを舌で転がすようでもあった。
気が気でなくなる。
僕の心中はどす黒い液体に浸食されつつあった。ドロドロの、真っ黒な液体に。過去のトラウマが、僕をさいなみ始めていた。
--今の言葉は、僕の本当の気持ちなのか?
上着の胸ポケットを、ギュッと握る。
母の残したお守りの感触が、手のひらに伝わってきた。
--僕は彼女に、“ウソ”を吐いているんじゃないか?
トラウマという暴力が僕の全てを覆い尽くし、不安のシャボン玉が無数に生まれてくる。それらはいつになってもパチンと割れることはなく、僕の中でねっとりと漂い続けた。
--今からでも、取り消した方がいいんじゃないか--
そんなことすら思い始めた時、
「……やっと、言ってくれたね」
「え……?」
「ありがとう。君の気持ち、すごく嬉しい」
思わずゴクリと喉を鳴らすが、そこに飲み込むべき唾はない。
一切の水分が蒸発し、消え失せてしまったのではないかと思うほどに、僕の口内はカラカラの砂漠状態だった。その感覚に耐えながら、彼女の薄紅梅色の唇をじっと見つめる。
「こんなわたしで良ければ」
ふわり、と。
その言葉は、舞い落ちた。
僕の目を真っ直ぐに見つめ、彼女が言う。
ぽかん、と間の抜けた表情を浮かべているであろう僕の顔を見て、彼女はいたずらっぽく笑みを浮かべる。
そして、おどけたふうにペコリと頭を下げ、言った。
「よろしくお願いします」
「…………ほ、本当に?」
「ふふっ、わたしが君にそんなウソつくと思う?」
「……思わない」
「でしょ?」
「……よ、良かった……」
安堵のあまり腰を抜かしそうになる僕を見て、彼女はくすくすと楽しそうに笑っている。
「も~、遅いよ! わたし、ずっと待ってたんだからね!」
「ごめん……」
「でも、ちゃんと言葉にしてくれて嬉しかった」
「……うん」
お世辞でもそんなことを言ってくれるのが嬉しくて、僕は無意識に右頰をポリポリとかく。
あれ、そう言えばさっき……。
喉の辺りが痛かったけれど、何があったんだろう。
自分の喉仏を触ってみるけれど、違和感はもうない。
気のせいか。
そう思いつつ、腕時計に目をやると、時計の針は11時近くを示している。
「寒いのにこんな時間まで付き合わせてごめん。もう遅いし、今日は帰ろうか」
「そうだね~。早く帰ってあっついお風呂入りたい!」
彼女は小ぶりなバッグを持った両手を後ろで組み、くるりとターンする。駅の方角だ。彼女の背を追おうと、僕も足を踏み出す。
(本当に……立花さんと恋人になったんだ)
何だかまだ、実感が湧かない。
今日この日まで、散々迷い、悩んできた。
僕は、恋人を作ることを許されるような人間じゃないから。
でも……きっと、これでよかったんだ。
そう自分に言い聞かせる。
そして僕は、彼女の手を取ろうと手を伸ばし--…
「一つだけ、約束して欲しいことがあるの」
その手に触れる直前。
顔を前方に向けたまま、彼女が唐突に言った。
「ん……? なに?」
伸ばした手をゆっくり戻しつつ、彼女の背中に問いかける。
「あのね」
彼女は小さく一歩、僕から距離を取り、言葉を紡ぎ始める。
「もう二度と--…」
そう前置きをした後、彼女は顔だけを僕の方に向ける。
周囲の街灯に照らし出され、半分だけ見えた彼女の表情。
それを見て、戸惑った。
その目には、もの哀しげな色が宿っているように見えたから。
彼女が、小さく息を吸う音がする。
そして彼女は、その言葉を--
僕の前に、そっと置いた。
「もう二度と--私に、『好き』って言わないで欲しい」
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本日8/12と、明日8/13は、それぞれ一挙7話分(+キャラ紹介)を公開します!
15:00〜22:00で、大体1時間ごとに更新予定ですので、是非ご覧ください!