ビーフ・ブルハート
「……ふう」
朝から飲むコーヒーは格別うまい。
特に良いことがあれば、なおさらのことだ。
俺の名前はビーフ・ブルハート。国内でも指折りの私立探偵である。
王都の中央、貴族の邸宅からも、市民の住宅地からも程よい距離の一等地に事務所を構えている。
『ビーフ探偵事務所』とでかでかと書かれた看板。それに、中折れ帽を被った雄牛のロゴが目印だ。
何故、雄牛かって?
それは当然、俺の名前、『ビーフ』が由来になっている。
ビーフと言えば、牛肉のこと。
そして、牛肉と言えば、雄牛が連想できるだろう。
そんな俺だが、今まで数多くの事件を解決してきた。
荒野の魔女殺人事件、人魚スリップ事件、三億ゴールド事件、ダークドラゴン誘拐事件。
中でも、特に凄かったのは……。
怪盗プディングの事件だな。
その女は強固なセキュリティーを軽々と突破し、巧みな陽動作戦で厳重な警備網の裏をかいてみせた。
しかし、俺は奴の逃走経路を先読みすることで、彼女から宝を奪い返すことに成功。
こうして、国の至宝とも呼ばれる芸術品が国外に流出せずに済んだ。その功績を認められ、俺は騎士団より表彰状を頂いたのだ。
それがつい先週のことで、そこから多くの記者がひっきりなしに俺の事務所に押しかけてくる。
まったく嬉しいやら照れくさいやら。
俺は探偵として当然の責務を果たしただけなんだがな……。
それに俺が欲しいのは、富でも名声でもない。
俺の心を躍らせてくれる難事件なのだ。
時計の針は九時を指そうとしている。コーヒーを飲み終えて、ようやく頭も冴えてきた。
そろそろ、仕事を始めることにしよう。
「さてと……」
今日はどんな事件が俺を楽しませてくれるのかな。
「コギー。仕事を持ってきてくれるか?」
俺は扉近くの机に向けて話しかけた。
あそこには助手のコギーがいて、俺に仕事を用意してくれるのだ。
しかし、様子がおかしい。
彼女の声がなかなか聞こえてこないのだ。
「おい、コギー。聞こえないのか? 返事をしろ」
『…………』
妙だな。五分経っても、返事がない。
のっそりとした俺とは違って、彼女は手早く、普段はテキパキと仕事をこなす。
俺は不審に思って席を立った。
確認してみたところ、やはりコギーの姿はない。
代わりに、机の上に走り書きしたメモがある。
『あなたにはうんざりしました。出て行くことにします』
「おいおい……」
冗談だろう?
☆
助手がいなくなってしまった。
なんの前置きもなく、忽然と。
一応、出て行く前にメモを残したようだが、これでは何も分からない。
俺にうんざりした ⇒ 何故?
出て行った ⇒ どこへ?
困った。コギーがいないと俺は非常に困ってしまう。
なにせ、仕事のことはほとんど彼女に任せきり。自分で仕事を探したことなどもう何年もないのだ。
俺を楽しませる新しい事件は?
これではせっかくのやる気が萎えてしまうぞ。
「……いや、待てよ」
そのとき、 俺はピンときた。
よく考えれば、これも立派な事件じゃないのか。
コギーの失踪という謎。そして、俺はトラブルに見舞われている。
さらに、俺の手元には謎解きのヒントになりうるメッセージまで。
「題して『ビーフの助手失踪事件』。よし、これで行こう」
ストレートなネーミングだが、別に構わない。
名前は重要じゃない。中身が重要なのだ。
そう考えれば、わりとよく思えてくる。
突然の失踪というところに、ケレン味を感じる。助手という身近な人物なのも、ドラマを盛り上げる良いスパイスに……。
「おお! 面白くなってきた!」
早速、捜査だ。しばらく記者の相手で忙しく、大きな事件にありつけていなかった。ちょうどいいウォーミングアップになる。
「メモによれば、『出て行く』と書いてあるが」
まだ眠っていた頭が急速に回転を始めた。
事件を解くには、まず犯人の心理を知る必要がある。
自分がコギーなったつもりで考えてみよう。もしも、俺がコギーなら……。
「部屋からは出ない」
そうだ。『出て行く』と書いてあるが、これはフェイク。本当はまだ室内に潜んでいるのだ。
「つまり、コギーは俺がこのメモを読むことで、すぐさま部屋から飛び出すと踏んでるわけだ」
きっとコギーは俺が慌てふためくさまを見て楽しみたいのだろう。
となれば、部屋全体を見渡せる場所。俺の姿がよく見えるように、高い位置にいるはずだ。
「例えば……」
この本棚。分厚い資料でも入るように、縦に長く設計されている。
中には専門書や、資料を綴じたファイルがびっしり並んでいる。
俺には何が書いてあるかさっぱりだが、コギーは活字中毒のきらいがあって、よく難しい本を読む。他にも音楽や美術品に詳しかったり、チェスの世界大会に出場経験があったり。どちらかと言えば、インドアな趣味を多く持っているのだ。
俺はファイルの背表紙にシールが貼られていることに気づいた。
このシールは昨日まではなかったものだ。
「何か印字されてるな」
手帳に書き出してみることにしよう。
3 5 12 15 19 20
ファイルに一つずつ、合計で六つの数字。
「……ふむ。暗号だな」
来た! おそらく、事件を解くカギに違いない!
俺は数字を眺めて、顎に手を当てた。それから、グルっと近くを一周し、数字を思い浮かべた。
どれも聞き馴染みのない数字だ。俺やコギーの誕生日とも一致しない。日付とは無関係なのか。
数字に法則性があるのかもしれない。
どれも20以下の小さい数字だが……。
「そうか! アルファベッドだ」
アルファベッドは全部で26文字。
つまり、上の数字は全て英字に置き換えることができる。
3⇒C 5⇒E 12⇒Ⅼ 15⇒0 19⇒S 20⇒T
C、E、Ⅼ、O、S、T
繋げて読むと、CEⅬOST!
「意味不明だ」
この単語が何かを表しているようには思えない。
まだ不足していることがあるのだ。
六つの数字は紙に書かれず、ファイルの背表紙に印字されていたのだ。
何故、わざわざそんなことをする必要がある?
「順番を変えるためだ。要するに、このファイルの並びは間違っている」
綴じられた資料を確認しながら、元の順番に戻していく。
数字は正しい順番に置き換わった。
3 12 15 19 5 20
これを再びアルファベッドに置き換える。
C、Ⅼ、O、S、E、T
繋げて読むと、 CLOSET!
「なるほど。そういうことか」
俺はクローゼットの前に立ち、呼びかけた。
「コギー。そこにいるのは分かってるんだ。開けるぞ」
しかし、開けてみてもコギーの姿は見当たらず、トレンチコートがハンガーにかかっているだけだ。
そのうちの一着にはまた貼り紙が。
『残念ハズレです。私は部屋の中にいませんよ』
「…………」
いや、まあ、名探偵にも失敗はある。
何事も、トライ・アンド・エラーだ。当たって砕けろの精神だ。
「……コギー。おまえ、いったいどこに行ったんだ?」