10.墓穴
今日は彼が来る。
いつもよりも早く目が覚めたカレンは覚醒した瞬間から意識してしまい、そわそわと部屋を行ったり来たりした。
寝着から仕事へ向かう服に着替えると、いつもより少し明るい色のスカートを選んだ自分に気が付き、苦笑して違う服を手に取る。
結局、シンプルな白ブラウスとマーメイドラインの黒のスカートを選んで着替えると、普段通りの自分が鏡に映り、心が落ち着くようだった。
白粉を多めに叩き、顔色が悪く見えぬよう、しっかりと頬紅をのせる。
お気に入りの宝石が光るピアスをつければ、長い黒髪と輪郭の間に輝きを添えてくれた。
登庁すると、早速今日の打ち合わせに向けて準備を始めた。
応接室の手配は一昨日済んでいるため、今日の仕事は資料の最終確認が主だ。
昨日はヒューゴにも確認をしてもらい、問題ないと太鼓判をもらっていたが、相手が誰であろうと、初めて顧客に自分の作った資料を見せて提案するとなると、また別の緊張が吹きあがった。
途中、トラヴィス達に意見を求められ、量産案の打ち合わせに加わったりしながら、就業していると、あっという間にお昼前だった。そろそろ食堂へ行こうかと考えを巡らせながら、自席につくと、ふと視界の端がちらつく。まさかと思い、窓の外に視線をやれば、ベンチに見慣れた姿が横たわっていた。
半月と少しぶりの彼の姿は何も変わらなかった。
上着をかけ、まくった袖を頭の下に敷いて、銀の髪をふわふわと漂わせている。ここからは見えないはみ出した足先は傷一つない革靴におさめられていることをカレンはもう知っていた。
「今日はランプが灯らない日ね」と壁に目を向けても、もうそこにランプはない。
背後に気配を感じ、不思議に思いながら振り返れば、珍しく楽し気な表情をしたヒューゴが立っていた。
◇◇◇
食堂に連れ出されたカレンは気味の悪いともいえるヒューゴの行動に意図をはかりかねていた。
これまで彼と二人でここを訪れたことはない。たいていはアリシアやブレットがカレンたちに声をかけた場合に、同席する程度で、二人きりというのは初めてのことだった。
カウンターでそれぞれ食事を注文し、トレーを手に席に着くと、育ちのうかがえる整った所作で、手を合わせて食事を始める。
「窓辺の君を射止めた想い人は彼だったわけか」
唐突に投げかけられた言葉に一瞬目を白黒させる。
「ダレルさんね。見る目あるじゃん」
ニヤリ、と口端を上げたヒューゴの意図が伝わり、カレンは水の入ったグラスを傾けた手を、危うく引っ込めた。
「なぜそれを」という気持ちを込めて、ヒューゴを見つめれば、彼はどこ吹く風と言った様子である。
「窓辺の君ってなんですか」
「君のことだよ。あまりにもじっと外を見ているから、席替えしようか、なんて話があったくらいだ」
仕事は速くて正確だったから、息抜きになるならいいかってすぐなくなったけどね
そう続けられた言葉に、カレンは安堵の息を漏らす。
あの狭い部屋で、熱心に窓を見つめていたのだ。気が付かれないはずがない。アリシアにもたびたび声を掛けられていたし、窓の外に誰かいることは筒抜けだったのだろう。
「まさか相手も知り合いだとは思わなかったけど。初対面じゃなかったわけだ」
「交歓会が初対面です」
探るような口調につい答えてしまう。
日ごろ人に興味がないヒューゴが、このように問うてくるのは、思ってもみないことだった。
「一目ぼれってこと?そういうところもあるのか」
「違います。確かに綺麗な方だと思ってみてましたけど、見ているだけで十分だったっていうか‥」
「だった、ね」
言いよどむカレンに、また意地の悪い笑みを浮かべる。
新しいおもちゃをみつけた、と言わんばかりの彼の詰問から逃げるように、そそくさと昼食を詰め込んだ。
◇◇◇
いつもより早く昼食が済んだことは、ヒューゴに感謝しても良いかもしれない。
午後からの打ち合わせに備え、彼と別れて少し早めに食堂を出たカレンは、いつもよりも念入りに化粧を直してから、執務室に戻った。
既に揃っている紙束の辺をトントンと机に打ち付けて、また揃える。
部屋にアリシアが居たら、落ち着くようにと紙束を取り上げられていただろう。
コンコン、と控えめな扉をノックする音に大げさなほど肩を揺らした彼女が慌てて返事をすると、扉の外には白衣姿の見知らぬ女性が立っていた。
「クレイバーグ嬢でしょうか?ダレルさんから伝言を承ってきました。「もうすぐ連絡いただいた応接室に向かう」とのことです」
「承知いたしました。丁寧にありがとうございます」
平静を装って、事務的な返事を返せば、伝言をしてくれた彼女は小さく頭を下げてすぐに去っていく。
ついに打ち合わせの時間がやってきた。揃いすぎた紙束とペンを持ち、応接室へと歩を進める。応接室は塔の1階北側で、論理回路応用室の執務室からはそう遠くない。
そういえば、このあたりに置いていた機械はよく泣く子だったわね。
思考を他所にやり、無理やり気持ちを落ち着かせながら、足を動かしていくと、目的地にはすぐ到着した。
空室を知らせる開いたままの扉から、中へ入り手近な台に荷物を置いて、大きく息を吸い込む。
「ちょうどよかったようだな」
「きゃぁあ」
「っと。驚かせたようですまない」
深呼吸をしようと息を吸い込んだ瞬間、背後から声がかかり、吸い込んだ息がそのまま悲鳴となって口から飛び出した。
何事かと幾人かが様子を見に来てしまったようで、ダレルが「なんでもない」「驚かせてしまっただけなんだ」と廊下に向かって詫びている。
口元に手をやり、肩を揺らす彼はおかしくて仕方がないといった様子だった。
廊下が静かになると、入室した彼が、そうっと扉を閉める。大きな音を立てぬよう、気遣われているのが明白でカレンは今すぐ逃げ出したい気持ちになった。
「先ほどは大変失礼しました!」
勢いよく腰を折ると、ばさりと髪の揺れる音が聞こえるようだった。
「いや。こちらこそ、突然声をかけてすまなかった」
口元に添えられた手こそ下ろされているものの、まだ笑みの残る顔つきで簡単に詫びられる。
「まさかあんなに大きな声を上げて驚かれるとは」
俺は不審者か、と続けられる言葉に、また慌てて謝罪を重ねた。
「すみません、ちょうど深呼吸をしようと、息を吸い込んだところで‥‥」
「それであの大声か」
続けるカレンの言葉に、またぶり返した様子で、肩を揺らし始める。
ひとまずそちらへ、とソファへ進めると揺れる肩から一片の緑が落ちた。
「あ」と思わずこぼれた声に気が付いたのか、彼もその葉に意識がいったようだ。
「あぁ先ほど薬草園に居たから」
「ベンチで寝ていたからではなく?」
思った言葉が口をついて出てしまったと気が付いたのは、振り返って目を見張る彼を認めた時だった。
「見られていたか」
「あ、いえ。すみません、今日はたまたま久々に窓の外が見えたっていうか」
「今日だけじゃないことまで知っているのか」
完全に墓穴を掘っている。いっそ墓堀人に転職した方がいいかもしれない。
下唇を小さく噛み、溢れそうな涙をこらえる。
普段のクールで大人しいと評される彼女とは別人のようで、カレン自身も、なぜこんなことを口走ってしまったのか理解できなかった。




