第89話 キス-2
「ママもパパも大好きだったのにッ! いきなり死んだ! なんの脈絡もなくおかしくなって死んだの! 明日また同じ景色になるかもしれない! どれだけ平穏が続いてもある日突然壊れるかもしれない! ミモちゃんがまた子供を産みたいとか言い出したら私はきっともう――ッッ」
だめだダメだ駄目だ。感情を消さなければならない。
いちいち心を動かしていては、いつかまた痛い目を見る。
楽しいと思ってはいけない。
嬉しいと思っちゃいけない。
心の位置を一番底に沈めておけばどんなことが起こっても大丈夫だから。
「モア様! あたしがそばにいるよ! ずっと隣にいさせてくれるならッ!」
ミモが引き上げようとしてきたので、モアはつい泣きながら叫んだ。
「ほっといて! ほっといてよ!」
「ほっとけないよ!!」
はじめてモアに怒鳴られてショックで心臓が止まりそうになったが、即答した。
「ほっとけないからっ! 何度でも言ってやる! あたしは貴女をおいてかない! ずっと傍にいてやる! ずっと! ずっとッ! あたしがモア様の神様になってあげる!」
「わたしがいたら、みんな不幸になっちゃう。みんなおかしくなっちゃうの!」
「でもあたしは幸せだったよ? モア様と一緒にいられて!」
「誰も助けてくれないよ!? どうせ続くでしょ? わたしたちの中ではずっと!」
それがモアには苦しかった。
ミモといると心がグチャグチャになる。
好きとか、ずっと一緒がいいとか、そういうことを気軽に言わないでほしかった。
希望なんて持っていてもまた別の宇宙人が壊しに来るかもしれないんだから。
そういう、好きになってしまうようなことを考えなしに言うのは本当にやめてほしかった。
「ミモちゃんは誤解してますよ? 愛すれば、同じだけ愛が返ってくるわけじゃないんだよ……」
「ッ」
モアに目を逸らされて、ミモは怯んだ。
折れそうになるが、そこでルナに背中を押された。
それを合図と受け取って、ミモはしゃがみこんでモアと視線を合わせた。
ただ息を吸ってみたものの、何と声をかければいいのかわからない。
だからこそモアと出会って感じたものを、ほんの少しだけ与えたい。
今の自分の気持ちをほんの少しだけでも感じ取ってもらえればそれでいいと思った。
その方法は――、わからない。
わからないから悩む。
そうしていると、かつてルナに言われたことを思い出した。
「あ」
ルナが目を丸くする。
というのもミモはモアの頬に顔を近づけ、舐めたのだ。
「まあ……!」
ルナは両手で口を覆う。
ミモは恥ずかしそうに頬を赤くしながら、震える舌で優しくモアをぺろぺろ舐めた。
「ッッッ???」
月神は困惑して言葉を詰まらせる。隣ではルナが嬉しそうにコクコクと頷いていた。
「お兄様! 私がねぶりまわしなさいと言いました!」
「ね、ねぶ……?」
月神は意味を聞こうとしたがやめておいた。
◆
頬が温かい。
モアは昔を思い出した。
あれは寒い日だった。雪が降っていた。
小さなモアは、モタモタと雪が積もった道を歩いていた。
お顔が寒い。耳が痛い。もう少しで家に帰れる。
そうすればママが温かいスープを作ってくれている。
でも痛い。苦しい。
モアは泣きそうになった。
一瞬だけ母の顔が見えた気がする。口から鉄骨が伸びていた。
「モアさまぁー!」
気づけばモアは成長していた。雪が降っていた。とても寒い日だった。
でも痛くて苦しくはなかった。
「寒いでしょ?」
ミモはニカッと笑って、自分の両手をモアに耳に当てた。
ミモの両耳は真っ赤になっていた。
モアは微笑んで、自分の両手をミモの両耳に添えた。
「これじゃあ歩けないよ」
二人で笑った。
鐘が鳴っていた。
幼いモアはそれだけを覚えてる。
朝、目覚めた彼女は怒った。たくさんたくさん怒った。
パパとママと一緒に新年を迎えたかったのにと。
そうしたらパパは申し訳なさそうに、気持ちよく眠っていたから起こしたくなかったと笑っていた。
そのパパは――
ダメだ。
モアはそれを思い出したくない。
だからモアは別のことを思い出した。
あの雪がチラチラ舞う日の夜、ミモは首がカクンとなって動かなくなった。
しばらくするとスヤスヤと寝息を立てていた。
モアはそれを見て笑った。パパの気持ちがよくわかったからだ。
でもそれじゃあ昔の自分と同じ想いを味合わせてしまう。だからモアはミモを起こした。すると彼女は嬉しそうに笑った。
「モア様と一緒に新しい年を迎えたかったから!」
そう言って笑ってくれた。
モアは、幼いモアに戻っていた。彼女は誕生日が嫌いだった。
パパとママを思い出すからだ。思い出して、悲しくなって、誰もいない部屋で泣く。
そんな辛いイベントなら、無くなってしまえばいい。
でも大人になったモアは誕生日になるととっても嬉しかった。
子供たちがお歌を歌ってくれる。一緒にケーキを食べてくれる。
「お誕生おめでとー! モア様! 生まれてきてくれて本当ッ! マジでありがとね!」
ミモがプレゼントをくれた。
私のためを思って必死に選んでくれたんだと、モアはとても嬉しくなった。
「モア様、大丈夫だよ」
夜。モアは酷い汗をかいていた。
うなされていたのだ。両親が死ぬ。鉄骨。よくわからない奇声。
モアは必死に何かを掴もうと手を伸ばした。
そして掴んだ。それは隣にいたミモの手だった。
「ここにいるから。あたしはどこにも行かないから……」
ミモは両手でモアの左手を包み、そして額に当てる。
「神様、あたしが全部請け負いますから、モア様を苦しませないで……!」
それは、確かに耳に入っていた。
「わー! やばッ!」
ある日、それはいつのかの日、モアはミモと一緒に映画を見ていた。
ミモが興奮しているのは主人公とヒロインがそれはそれは熱いキスをしていたからだ。
まじまじと舌を入れあっているのを見て、ミモさんはたいそう興奮してらっしゃった。
モアはシスターという道を選んだこともあってか、恋だの愛だの、それがどういうものなのかはよくわからないが、彼らが歩んだ道のりを追体験するのだとしたら隣にいるのはミモがいいと思った。
とても楽しそうなことをして、二人は幸せそうで、手を繋いだり、テレビを見る時は肩にもたれかかったり――
寂しい時は一緒にいてくれて、いつも隣で笑ってくれる。
「!」
ミモはしょっぱいものを感じて、ハッと顔を離した。
「ふふ……、猫ちゃんか、ワンちゃんみたいだね」
モアは泣いていた。
「ミモちゃんが好きです」
ミモは少しして、同じようにポロポロ泣き始めた。
「あたしもモア様が好き。でも……、あたしの好きと、モア様の好きは――」
「一緒だよ」
「え?」
「きっと、私の好きと同じだよ。ううん、一緒がいいの」
モアは自分の胸、心があるだろう位置に手を置いた。
「苦しくて切なくて。でも、ずっと心にあって離れてくれない、そんな気持ち……」
「……!!」
一瞬、大きな期待が迫る。しかし何かがブレーキを掛けた。
「あッ、でも、その、あたしとモア様は正反対だから。だからきっと」
「それがいいんだよ」
「え?」
「私は見ての通りすっごいネガティブだから、ミモちゃんの明るさに何度も助けられてきた」
「あたしもッ! ずっとバカみたいに騒いでるわけじゃないから! そのッ、たまに疲れちゃった時に、モア様みたいな人が傍にいてくれるとすっごい落ち着くッ!」
「じゃあ相性バッチリですね! ふふふ!」
ミモはパァアっと笑う。
モアが大好きな笑顔を浮かべてくれたからだ。
「人間はね、傷つくことを酷く恐れてる。自分が、周りが、だから過敏になる」
でもねと、モアは笑った。
「貴女といられるなら、私はどれだけ傷ついてもいい」
ミモはそのまま飛びつくようにモアを抱きしめた。
二人は見つめ合い、照れ臭くなって笑ってしまう。そんなことをしているとお互い、ルナに肩を叩かれた。
「キスをなさい」
「えぇ!? な、なんで!」
「いいから早く! ねッ、お兄様!」
「それで囚われのお姫様が目が覚めるなら。ってね」
「いやッ! マジ? 恥ずかしすぎで――」
そこでミモは目を見開いた。
柔らかな感触。モアが唇を重ねてきたのだ。
(あ、これマジで、ガチでやばい)
ミモはモアを強く抱きしめていた。
改めてやばいと、もう一度思う。飛びそうだった。
モアの優しい匂いをもっと近くで感じたい。
もっと、あたしを感じてほしい。そう思ってモアを強く、強く、抱きしめた。
モアも同じだった。ミモで溺れたかった。
全ての苦しみも悲しみも寂しさもミモで塗りつぶしてグチャグチャにしてほしかった。
でもそれは今までの破滅的な思考ではない。
圧倒的な、幸福だ。
「ッッ!」
モアの耳から何かが飛び出してきた。
ゲロルだ。このあまりにも強い幸せが侵略宇宙人の居心地を悪くする。
これはフィギュアの中にいたハート持ちである。
すぐに害虫のような体から変形しながら巨大化していき、地面に着地した時には全く違うシルエットに変わっていた。
人間の体だが、腕がない。
代わりに頭部がいくつも縦に重なっていた。
モアの母の顔だった。
耳がある場所から細長い虫のような腕が生えていた。
そしてその顔の上に、同じように腕が生えた顔がある。モアの父だった。
その上にミモの弟の顔があり、ミモの母、父、孤児院の子供たちの顔が団子のようになって歪なタワーになっていた。
"ゲロルタワー"。
すぐに全ての顔の目を光らせる。
レーザーが発射されてミモとモアを焼き殺そうと――
「五式! ベアトリーチぇエエッ!」
空中からルナが剣先を下に向けて降ってくる。
下突きが全てのレーザーを切り裂いて、さらに顔の群れが悲鳴を上げた。
三本の刀が飛んできて、体に突き刺さったのだ。
「推しカプの未来を奪おうとするヤツはァアア!!」
着地したルナは明らかに怒っている。
とはいえそれが交じり合うハートに悪影響を与えたのか、ルナの体からアイとイゼが飛び出してきた。
「ぐッッ!」
「落ち着たまえルナ。スマートにいこう」
「申し訳ありませんお兄様――ッ! 素敵な光景でせっかく心が勃起していたのに!」
「……わざわざ口に出して言うことかな」
そこで虹色の光がモアを照らし、破れた鼓膜を修復していく。
光悟がパピを肩に乗せて後ろから歩いてきた。休憩が終わったらしい。
とはいえまだ本調子ではないようで、ルナも複数融合を維持していただけに疲労もしている。
月神とて刀を操作するのは疲れる。それに大技も放った直後だし……
「よし。真並くん、ルナ、合体といこう」
「わかった」
「了解ですお兄様!」
そこでパピがギョッとする。
『合体? マジ!? そんなの聞いたことないけど!』
「編み出したんだ。少し離れててくれ」