第85話 翼ひろげて-2
『ちょ! 無茶でしょ! 引き返して!』
光悟の肩に乗っていたパピが叫ぶ。
イゼは何の力も持っていない。リゲルには勝てない。
バラバラにされるだろうが、それでもイゼは走った。
走らねばならなかった。
加速する魂を自覚したからだ。
「そうだ! 心があるから走るのだ!」
イゼは歯を食いしばり前に進んだ。
そこで声が聞こえた。これはなんだ? 幻聴か?
「いや違う! 私の心は! 幻などではないッッ!」
だからその声に従う。変身コードと方法を、たった今、教えられた。
「シャイニングッ! ユニオン!」
その拳は光よりも速く。
七色の輝きを纏いながら、リゲルの頬に直撃する。
「どれが幻で、何が真実か、もはや私にはわからん! だがこれだけは言える!」
イゼは、変わっていた。
間違いない。
その右腕は極光戦士ティクスのそれだ。
「私の祖母は人を傷つける人ではない!!」
イゼはリゲルを殴り飛ばす。
光悟がティクスを向かわせており、だからイゼは変身することができた。
装置の前まで来ると右腕を打ち付ける。
「私は何もかも失ったと思っていたが、それは違った! まだお前たちがいる!」
緑色のガラスを破壊しイゼはアイの右腕を覆っている装置を掴んだ。
「私は人を守るために戦っていた!」
それを握り潰し破壊する。
次は左腕を覆っていた装置を破壊し、アイの両腕を解放させた。
「魔法少女も人だ! お前たちだけは嘘じゃない。だから守りぬいてみせる!」
魔法少女がいる限り、イゼの信念が折れることはない。
イゼが腕を払うと虹色の光が迸り、アイの脚を覆っていた装置を破壊する。
解放されたアイはイゼを見た。彼女は手を伸ばしていた。
「掴め室町! 私のこの手は、嘘偽りではないぞ!」
「う、うんっ!」
その強い言葉が光に見えて、アイは縋るように手を伸ばした。
イゼはその手をガッシリと掴むと、強く引き寄せて抱き止める。
「ぐッ」
そこでイゼの表情が歪む。
腕が元に戻り、ティクスが排出されるように飛び出していった。
ティクスに変身するための条件は満たしていたが、もう一つ、イマジンツールには道具と使用者の絆が重要になってくる。
ティクスとイゼの関係性では、基本形態ですらこれだけの時間しか維持できなかったのだろう。
「まあいいさ、カッコはつけられたからな」
イゼはニヤリと笑って見せるが、すぐに頬を赤く染めると、アイから目を逸らしてソワソワし始めた。
「ど、どうしたの?」
「室町、その、格好が……」
「ふぇ!? きゃあ! み、見ないでイゼちゃん……!」
「すまん! あ、ちょっと待っていろ……!」
イゼはシャツを脱いでアイに被せた。
さらに巻いていたスカーフを外すと、アイの変形した頭を隠すように巻いた。
「今はとりあえず、これで許してくれ」
「ありがとう。えへへ、このシャツ、イゼちゃんの匂いがするね」
「むっ、嫌か?」
「ううんっ、そんなことないよ! アイの好きな香り!」
「ならばよいのだが……、どうした室町、なんだか雰囲気が違うな」
「えぇ? そんなことないと思うけどぉ。アイはいつもどおり……」
そこでアイは青ざめる。
「あぶないっ!」
イゼが振り返った時には、既に刀が振り下ろされていた。
しかしリゲルの刀はイゼには当たらない。
それよりも早く光悟が剣を伸ばして受け止めたからだ。
排出されたティクスはすぐに光悟と合体して紫のティクス、ライトニングロードとなり、駆けつけたのだ。
「イゼ。おそらく、それが本来の室町アイだ」
部屋の至る所にあるモニタで映像が流れている。
アイが脳を直接かき混ぜられ、失禁していた。
それをゲロルたちは楽しそうに笑って見ていた。そういう映像がまるで見せつけられるように流れ続けている。
「ゲロルに人格を変えられたようだな」
おぞましい光景だった。少なくとも、それを見ていたパピは思わず口にする。
『なんでこんな酷いことができるの……?』
パピ自身、できた人間ではないという自負はあるものの、それでもやはりゲロルの見せる光景は地獄と呼べるものだった。
すると一同の脳裏にゲロルからのメッセージが届く。
それは非常にシンプルでわかりやすい回答だ。
・楽しいから
「外道共が……!」
イゼは目を細めた。
光悟はリゲルの剣を弾くと、肉体を数回斬りつけた後、腹を蹴って後ろに飛ばした。
さらに剣を払って冷気を飛ばし、リゲルの体を氷で覆った。
そこで光悟はイゼに肩を掴まれる。
「感謝するぞ真並光悟ッ、私の答えが見えた!」
イゼは胸を抑える。
「ゲロル星人の野望を叩き潰す! この安槌イゼ、やられたままで終わるほど腑抜けてはいない!」
ここに来る途中、イゼは光悟から自分の肉体構造を教えてもらっていた。
なぜフィギュアであるイゼが光悟に近い身長なのか?
なぜ怪我をすれば血が流れるのか?
それは全てアダムがそう創っていたからだ。
この世界にいる人間は全てアダムが作った『肉人形』である。
暴食魔法がゲロル星人を分析し、餌である『人間』の構造を把握した。
カルシウムで骨を作り、ホルモンや白子などで、疑似的な脳や内臓を作り、血や肉を用意して、それらを組み立てることで精巧な人間を作った。
それを登場人物として動かしていたのはアダムが契約したベルゼブブだが、魔法少女たちは少し違う。
彼女たちを動かしていたのは彼女たち自身だった。
アダムは始祖アルクスから授かった四つのマリオンハートをイゼ、アイ、ミモ、モアのフィギュアに入れたうえで、彼女たちそっくりの肉人形を作った。
そしてその中にフィギュアをコアとして埋め込んだのだ。
マトリョーシカのように、大きな自分の中に、小さな自分が存在している。
"細工"を施してフィギュアと肉人形をリンクさせ、フィギュアが動けば肉人形が同じ動きをとるようにした。
フィギュアが考えることを、肉人形が考えるようにした。
そしてフィギュアがフィギュアであることや、魂を入れられたなど、すべての不都合な『記憶』を食らうことで、自らの中にフィギュアが入っていることさえイゼたちは忘れていたのだ。
しかし今、イゼはそれを自覚し、受け入れる。
ティクスの正義の光が彼女を照らした。
すると記憶が鮮明になる。
「そうだ。私は人形だ!」
しかしだからこそ、歩める道もある。
「私の体から出て行け! ゲロルッッ!」
イゼの鎖骨下を、何かが突き破った。
虹色の光によって傷は癒えるが、感じた痛みは確かなものだった。
イゼは自らの肉体から飛び出した小さなナナコを睨みつけた。
アダムは魔法少女の情報を手に入れた時点で、体内にゲロル星人が潜んでいることに気づいた。
だからこそゲロル星人にコンタクトを取り、肉人形の中にもゲロル星人を仕込ませておいたのだ。
今出てきたゲロルは魂を与えられたフィギュアの中に潜んでいたものだ。
小さなナナコは、そのまま巨大化して着地する。
『不愉快な光だ』
振り返ったナナコは怒りの形相だったが、イゼを見るなり一瞬で笑顔になった。
『お姉ちゃん……! お願い。光悟さんは敵なの! 私の味方になって!』
瞳を潤ませてみる。
しかしイゼの瞳に殺意を感じて、真顔になった。
『流石にそこまでバカではないか』
ナナコが指を鳴らすと、リゲルを包んでいた氷が砕かれた。
さらにナナコの体から頭が分離して飛んでいく。
後頭部が割れると、そこには牙のようなものがたくさんついており、まるで口のようだ。
ナナコヘッドはそのままリゲルの腹に食らいついたかと思うと、瞬く間に融合して一つになる。
リゲルの体がボコボコと膨れ上がって大量のコブが生まれていき、やがてそのシルエットがブドウに手足をつけたようなアンバランスなものに変わった。
『きん……ッも!』
思わずパピは物陰に隠れる。
コブの一つ一つにナナコの顔があった。
同じく頭を失った体もボコボコと音を立てながら球体状に変形していき、リゲルが持っていた長い刀の剣先にくっついて融合する。
そこで球体が形を整えた。それはイズの顔だった。
苦悶の表情なのは、死に際の顔を再現しているからだ。
「どこまで死者を愚弄すれば気が済む」
光悟に睨まれ、ナナコたちは笑う。
『人間は我々の玩具だ。壊れるまで遊ぶ。全てはゲロルの遊戯、インベーダーゲームの礎なのだ!』
周りが騒がしい。
光悟が辺りを見回すと、部屋の至る所から光線銃を抱えたロボットが歩いてくる。
『機械兵。これもゲロルの兵器だ!』
光悟たちがいるのはイゼたちが通っていた学校の地下だった。
ジャスティボウたちの力でアイの居場所を突き止めたが、ここが兵器開発施設とまではわからなかった。
『これで文明を滅ぼしたり、ユーマのように貸して民同士を戦わせたり、いつもよい働きをしてくれる!』
その数は全部で百五十体。
この部屋だけでなく、学校の周りやグラウンドにすべてを集結させていた。
戦えるのは光悟一人。もはや勝ち目はない。
『フィギュアの中にいたゲロルは、マリオンハートにも寄生する!』
ナナコは体を撫で、体内に宿るハートを自覚した。
『我々はマリオンハートを成長させて本物になる。そしてお前たちの星を滅ぼし、次なる星へと向かうのだ!』
それこそアルクスの望んだ未来だった。
人間は時代とともに成長し、大いなる創作で、滅びを作り出した。
ただ人を殺して復讐するのでは意味がない。
アルクスが望んだのは、世界の形が変わることだ。
あの時、村の人間を見殺しにしたのが人の世のルールを守るためであれば、それを変えることがアルクスの願いだった。
善悪や良心を超越したのルールを超えるものが未来にはあると思った。
そして見つけた。
それこそが、ゲロル星人だ。
アルクスは光悟たちの脳内に自らの考えを吐露していく。
「人は狂気の世界に足を踏み入れ、そして滅びていく」
あの逃げ惑う愛しき村人たちのように、同じ苦しみを味わい死んでいく。
そしてアルクスは創生魔術において、あの村を創りあげるのだ。
笑顔に溢れ、歌が聞こえていたあの村に帰るのだ。
共にいると誓ったあの子の腕の中に再び舞い戻る。
それこそがアルクスが望んだ未来。
「あの花を創る。あの空を創る。あの家を創る。あの村人たちを創る……」
あの子を創る。
そして、そこにはゾフィもいる。幸せがあるのだ。
「哀れなヤツだ」
月神の声が聞こえてきた。
「生きる中で、おれたちは必ず大切なものを失っていく。それは悲しいけれど、いつか必ず乗り越えなければならない!」
それは自分の手で、誰かの手で、背中を押して、前に進んでいく。
「アンタは過去に囚われたあまり、変化も進化も見落とした。千年は無駄にしたな!」
あまりに残酷な言葉ではある。
口を閉じることはできたが、あえて言葉をぶつけなければならないと思ったのだろう。
しかしアルクスにはその意図は届かない。
激しい怒りが伝わってきた。
それが面白くて、ゲロルたちが笑う。
『心配せずともうまくいくさ。始祖は己の星に還り、我々は地球を破壊する!』
ナナコが合図を出すと、機械兵たちが光線銃を一斉に光悟やイゼたちに向けた。