第83話 一期一会-4
ミモは心配になってモアに近づいた。
「大丈夫? モア様も、本当にショックだろうけど……」
「大丈夫」
「ッ?」
モアは無表情でそう言った。
「でも、だけど、チビたちが……」
「皆、人形だったんでしょう? 模倣した肉の塊だったんだから」
「そ、そんな言い方! 悲しくないの!?」
「悲しくないよ」
「一緒に過ごした時間は本物だったでしょ?」
「でももう皆いなくなった。悲しんでても仕方ないでしょ」
「待って」
ルナが割り入る。
ミモは混乱しているだろうがルナは冷静なのでわかる。
「どうしてしまったの? モアさん。貴女なんだか様子がおかしいわ」
「べつに、何も」
そこで光悟の表情が変わった。
ゲロルはイゼの記憶に幻の妹を植え付けるため、体内にゲロルの一部を忍ばせていた。
それを見て、光悟は他の魔法少女に正義の光を当てて体内にいるだろうゲロルを輩出しようと試みた。
その結果、モアの体内にもゲロルがいた。
光悟はそれを握りつぶしたが彼女たちの『体の構造』を理解した今なら、大きな見落としがあったと気づく。
「もう一匹いる!」
光悟はすぐに正義の光をモアに当てたが彼女の表情は変わらず、なんのリアクションも返ってこなかった。
光を強めても変わらない。
するとそれを見ていた月神が呟いた。
「拒んでる」
「ッ、なぜだ?」
「クールに生きたいのかな? 心を得たのに、まるで心を失ったようだぜ」
すると、部屋の隅で話を聞いていたシャルトがハッと表情を変えた。
『それが目的か?』
「どういうことかしら?」
『ミスターアダムはオンユアサイドのことを、ミス舞鶴から聞いていたらしいが、和久井くんに聞きたい。確かアダムは捕食したものの情報を得ることができるのだね?』
「あ、ああ。そうだな。食ったものの詳細を理解できるし、消化すれば力を使うことだってできるってアニメでは……」
『だとするなら当然我々の情報もわかっていることになる』
「へぇ、そういうことか」
月神はいち早く理解したようで、その名を口にする。
「創生魔術エリクシーラーだ」
錬金術の頂点。
ありとあらゆるものを創造することができる最上級・金魔法。
オンユアサイドにおいては失われた秘術であったが、正統後継者であるパピが使用して自分とルナが地球で生きていけるための肉体――、つまりホムンクルスを創造した魔法である。
その使用には金魔法の後継者以外にも、無垢な心を持つものならばという言い伝えがあった。
かつてオンユアサイドに存在していた『ヴァイラス』のグリードは、ロリエという少女の感情を奪い、人形にすることでその条件を満たそうとしていた。
それが今のモアと重なっているのは決して偶然ではない。
「おそらく、アダムの本当の狙いはパピだ」
『……ほへ? アタシ?』
光悟の肩に乗っていたパピは、まさか話を振られるとは思っておらず、間抜けな声を出した。
「パピが創生魔術を使用した履歴を把握して、ヤツらはモアを媒介にしてそれを使うつもり。ってね」
「いやッ、ちょっと待ってくれよ月神。わざわざそんなことしなくても普通にパピを消化しちまえば良かった話じゃねぇのか?」
「今のパピはエクリプスアクターの不具合によって肉体がみゅうたんになっている。パピという存在を捕食して情報は得られたが、今の状態のパピを消化してもみゅうたんの力しか得られないんだろう」
言葉を発する翼の生えた猫の能力を得ても、なんの意味もない。
「キミが機械音痴で幸いだったな」
『チッ、激ウザ』
荒れるパピを撫でながら光悟はモアを見た。
今の説明を聞いても、モアはピクリとも表情を変えていない。
今にして思えば市江がモアを煽ったのも、こうなるきっかけを与えるためだったとすれば納得がいく。
「とにかく彼女の中にいるゲロルが感情を消してるようだ」
「なら、今すぐ出して! 光悟さんならできるんでしょ!?」
「構造上、少し、難しい。なによりもモア自身が排出を望んでない。それが最も厄介だ」
感情を消すのは自己防衛だろう。
何も感じなくなれば苦しみも消える。
存在するもの全てが幻想だと割り切ってしまえば悲しみはなくなる。
魔法少女になったものは大きな傷を抱えていた。
そこから目を逸らすためにできる自己防衛が、自傷なのだ。
「そんな!? で、でも戻るんだよね? なんとかなるんでしょ……ッ!?」
「………」
「助けてくれるんでしょ!?」
光悟は無表情だった。
「調べたが、ゲロルはモアの脳を損壊させることで記憶や感情を消失させている。俺は苦痛を癒すことができるが、本人が望んでいるなら、それは苦痛とは認識されず、取ることができない。今のモアは痛みさえ感じない状態だ。だから俺には治せない」
「そんな……!」
ミモは力なく崩れ落ちる。
それを見て月神はため息をついた。
光悟とルナに耳打ちをする。難しい話ではない。誰が誰に声をかけるかだ。
「安槌イゼ」
アポロンの家から少し離れたところにある公園。
そこで名を呼ばれ、イゼは停止した。
振り返ると、肩にパピを乗せた光悟がいた。
「どこに行っても無駄だ」
光悟は無表情だった。まるで心を見透かされるような目だった。
「お前の逃げ道は、この世界にはない」
「――ッッ」
イゼは何かを物凄い勢いで吐き出そうとしたが、どうしたことか? 喉が詰まる。
だから弱弱しく、わかっていると答えるのが精いっぱいだった。
「……私には私が見えない」
「仕方ない。無理もない」
「貴様にはわからんさ」
「だが、わかることもある。俺も金は警察に届けるし、迷子がいたら絶対に親を探す」
イゼはポカンとしていたが、やがて悔しげにうつむいた。
「私と、お前、何が違うというのだ……ッ!」
「聞いてくれイゼ。極光戦士第44話でティクスは悪に堕ちた親友のイヴィムを説得できずに倒してしまった。ティクスの心は折れ、人を守るために戦うという信念も折れ、彼は完全に戦う理由を失ってしまった」
「な、なんの話だ?」
「極光戦士の話だ」
「極光戦士とはなんだ?」
「ティクスのことだ」
「そうか」
「そうだ」
とにかく、光悟は咳払いをする。
「それは、ティクスの最終回じゃなかった」
つまり、続きがあったということだ。その意味がイゼにはわかるだろうか?
「安槌イゼ。俺たちには、死、以外の終わりはこない」
光悟はイゼに、リサという少女の話を聞かせた。
別に特別な話じゃない。
それは単純な内容で、ただ死にたくないと思っていた少女が死んでしまった話だ。
「俺が取りこぼしたものはもう二度と戻ってこない。だがお前はどうだ? 本当に何もないのか。本当にこれから何も作れないのか?」
確かにナナコは嘘だったのかもしれない。
確かにこの世界は偽りだったのかもしれない。
確かに抱いていた信念や覚悟は、幻だったのかもしれない。
「でもそれが安槌イゼの終わりになるのか? 安槌イゼはもう何も創れないのか?」
「!」
「お前の中には魂となる存在、マリオンハートがある。お前はもう生きているんだ」
この世界がアダムの創造したものである以上、イゼには二つの選択肢しかない。
生きるか、死ぬかだ。
言い方を変えるなら、前に進むか、そうではないか。
「安槌イゼ、お前は何のために戦ってきた?」
イゼは答えようとしたが答えられなかった。その理由が全て消え去ったからだ。
だが光悟の表情は変わらなかった。彼はずっと同じイゼを見ている。
「お前は俺を悪だと思った。つまりお前は自分を正義だと思ってる」
「……わかってる。愚かだった」
「違う。誇るべきだ」
「なんだと?」
「正義は正解じゃない。答えだ」
光悟は無表情だった。迷いがないからだ。
「俺は正義を信じている」
光悟の言葉は淡々としていた。あたりまえだからだ。
「俺は、全ての人を守るために戦う。未来永劫」
「……それは、無理だ。無理なんだ!」
「だろうな。だが俺は信じてる。信じ続ける限り――」
誰もいないから。他に音がないから。
その言葉はイゼに耳にまっすぐ届いてしまった。
「俺に、終わりはない」
イゼは立ち尽くす。そうしていると光悟の肩にいるパピが口を開いた。
『フィクションよりもフィクションみたいなヤツでしょ? 笑えるよね』
とはいえ、パピは尻尾で光悟の頬を優しく撫でた。
『でもコイツのこの馬鹿げた夢が、最低最悪な目にあって泣いてたアタシを助けてくれたのよ』
イゼの表情が、ほんの少しだけ変わった。
『アタシは、羨ましいと思ったよ。アタシみたいなヤツでも光悟みたいになって、そしてほんの少しでも泣いてる人の涙を、たとえ一秒でも止められたらって……。アンタはどうなの?』
「私は……」
『アタシは光悟に救われたけど、それは特別なことじゃないでしょ?』
パピの脳裏には今も鮮明に思い出せる景色がある。
雨に濡れて、涙がで潤んだ視界の向こうにいた、血を流した光悟。
『光悟がアタシに腕を伸ばしてくれたからよ』
それはきっと、イゼにもできたことだ。
なぜならばイゼと光悟の目指す正義は同じ道の果てにある。
ティクスが歩いた道だ。だから光悟はライガーを呼び出した。
光が迸り、光悟はライオン型のバイクに跨っている。
「イゼ。俺にはお前がわからない。だから最後はお前自身がお前を肯定するんだ」
乗れ。そう言って光悟はイゼを睨みつける。
「行くぞライガー。答えを見せに行こう」