第81話 一期一会-2
「ここを出たら絵で食べていく」
ミラは燃えていた。
「私の自画像が有名なところに飾られるんだ。そしたら誰もがアタシたちを認めるさ。胸を張ればいい。私たちの体は神様からのギフトだ!」
ミラは優しく、市江と苺の頭を撫でた。
「待ってなさい。金を稼いだら、アタシがこの館を買って、みんなを外に出してやる」
桃山姉妹は自分たちを一番最初に出してほしいと頼んだ。
ミラはわかったと笑みを浮かべた。
その後、何度か話し合いがあったようで、ミラが館を出ていくのは三日後ということになった。
ミラがいなくなるのはとても寂しいが、それでも彼女が夢に向かって歩んでいくのは素晴らしいことだと桃山姉妹は思ったし、他のみんなもミラの門出を祝った。
そして三日経った。
ミラはオーナーの老夫婦に連れられて部屋を出ていった。
見送りに来てもいいというので、遅れて市江たちもついていった。
しかしなぜか案内されたのは地上ではなく、さらに深い地下三階だった。
そこには巨大な檻があった。
桃山姉妹は驚愕した。
その檻の中には見たこともない巨大なクマがいた。
そしてそのクマと同じ檻の中にミラが入れられていた。
「話が違う!!」
上ずった叫びが聞こえた。
次の瞬間、クマがミラにとびかかった。
避けられたのは一回きりだった。
「アァアァァァァアアアアアアアァァアァ!!」
今でも、その叫びは市江の耳に残っている。
何が起こっているのか見せてほしいと頼んでも、苺は絶対に振り返ってはくれなかった。
というよりも苺自身ビッグノーズたちに目を覆われていたのだ。
ミラは内臓をまき散らし、顔は人間かどうかも判別できないほどに損壊していた。
しかしその凄惨な光景とは裏腹に、客席からは拍手が巻き起こっていた。
ミラの絵を褒めた男は、腹がよじれるほど大笑いしていた。
真の破壊とは崩壊にあるらしく、ミラが死ぬことを以てして、彼女という『芸術作品』が完結するのだと唾をまき散らしながら熱弁していた。
「新しいサービスを開始することになった」
ミラが燃えていた。
その炎の前で、老夫婦が教えてくれた。
それは『死』を間近で見られるかつてない体験なのだと。
次の日、ビッグノーズの鼻だけがエントランスに飾られることになる。
ミラの件で激怒した彼は、老夫婦を殺して皆を解放しようと考えたのだ。
しかし一人ではどうすることもできなかった。
運営スタッフたちに取り押さえられ、彼は全身をバラバラにされてオブジェや、お土産にされた。
評判はいいと老夫婦が言っていた。
ちなみに老夫婦は二人ではなく、『一つ』になっていた。
妻のほうが夫をバラバラにして全身に縫合していたのだ。
夫の顔の皮を剥がして、左乳房に貼り付けていた。
愛と喜劇の象徴なのだと妻は語っていたが、頭にはゲロル星人がいたので真面目に聞く必要はない。
市江と苺は恐怖に震えていた。
ある日、二人は特注の椅子に全裸の状態で座らされ、それぞれの両腕や腰を固定されてしまった。
逃げないために、という理由だった。
「大丈夫かな……?」
「大丈夫だぞ。絶対にワタシたちはここから出られるんだぞ」
市江と苺は必死に励ましあった。
いつか助けがくるから、それまでは頑張ろうと。
身動きが取れない状態は激しくストレスだったが、幸いにも温かい食事は変わらず与えられた。
むしろ食事の内容は豪華になったし、スープの中に入っているニンジンはとても甘くて美味しかった。
首や腕につけるキラキラした装飾品がいくつも与えられ、ボディーケアや化粧も頻繁に行ってくれた。
ただ気になることが一つだけ。
というのも、食事後に二人は注射をされたのだ。
そんなことは今までなかった。
理由を聞くと、暴れられると困るからボウっとする薬を入れるらしい。
確かになんだか眠くなって、感覚がボヤけていくのがわかった。
でもそのおかげで気づいたら朝だったということや、ずっと座っていることで起こる様々な健康問題を抑制する効果もあるらしいので嫌な気はしなかった。
「市江、大丈夫か?」
「うん。大丈夫です。苺も大丈夫です?」
「ヘッチャラだぞ。辛くなったらいつでも言うんだぞ?」
二人は励ましあった。孤独ではないのが救いだった。
朝ご飯を食べて、注射を打ち、市江が眠り、起きたくらいで昼ご飯を食べて、注射を打つ。
体は運営スタッフたちが拭いてくれたし、椅子は洋式トイレのように中央に穴が開いており、排泄は座った状態で行われた。
そして客たちの視線を感じながら鈍い感覚の中を過ごし、夕食を食べて注射を打つ。
それが二日ほど経ったある日、苺に言われた。
「大好きだぞ」
「……? わたしもです」
次の日、異変は起こった。
市江が何を話しかけても、苺が反応しなくなったのだ。
寝ているのかもしれない。
そうは思ったが、心配になったので人を呼んだ。
どこからか、いくつも笑い声が聞こえてきた。
自分たちを見ている客だということはわかったが、なぜ笑われているかはわからなかった。
それにしても、眠い。
「はぁー、ついに死んじまったか!」
皮剥ぎ夫人は前に見た時よりも、いろいろな人間のパーツを体にくっつけていた。
彼女は部下に命令して鏡を用意させる。
それを見た時、市江は意味がわからずに呆然とした。
後ろにいた苺には目がなかった。
ミラが書いてくれた絵には、綺麗な赤い瞳があったのに、そこには薔薇の花が埋め込まれていた。
なぜ目がないの? 皮剥ぎ夫人は抉ったからさと答えた。
なぜ耳がないの? 皮剥ぎ夫人は切り取ったからさと答えた。
なぜ指がないの? 皮剥ぎ夫人はへし折って、切り取ったからさと答えた。
「お前に打ち込んだ薬は麻酔だ」
ただのショーだった。
皮剥ぎ夫人が演出したのは、繋がった双子の一方に苦痛を与え、もう一方に豊かさを与えること。
一方は醜く、一方は美しく、その対比こそが芸術である。
「あ」
市江は意味を理解し、表情を歪めた。
だとするなら苺は自分の体が傷つけられているにも関わらず、市江を不安にさせないためにいつも通りに振舞っていたというのか。
凄まじい恐怖の中、助けも求めず、むしろ市江を気遣う言葉を投げかけていたというのか。
『大好きだぞ』
あの言葉を、どんな気持ちで口にしたのか。
それを考えた時、市江の目からは涙が溢れた。
泣き叫ぶ。
が、しかし、それをチェーンソーのエンジン音がかき消した。
皮剥ぎ夫人は回転する刃を、市江と苺の境目に合わせる。
肉体が繋がっている双子は、一方が死ねば遅かれ早かれもう一方も死んでしまうとされている。
だったらいっそ切り取ってしまおうと皮剥ぎ夫人はチェーンソーを取り出したのだ。
うまくいけば市江でまた儲けることができるし、無理だったら死体は比較的綺麗なのだから誰かが買ってくれるだろう。
どちらに転んでも皮剥ぎ夫人としてはオッケーだった。
そこで市江はみゅうたんを見つけた。
だが同じくして回転刃が苺と市江を二つに分けた。
大量出血の中で市江は気を失い、次に目覚めた時には魔法少女になっていた。
市江は自分がどうなって魔法少女になったのかを全く覚えていなかった。
みゅうたんからは魔法少女になったら心が壊れる出来事を忘れると説明されているが、それは違う。
気を失っている間にゲロルが市江を回収して修復手術を施してユーマを与えたのだ。
しかし一つだけ、ゲロルにも予期していないことが起こった。
市江は幻を作り出していた。
パートナーが死んだことを受け入れることができなかったのだろう。
幻の苺を作り出し、幻想と会話を始めた。
ゲロルは笑った。
そしてどうせならそれにリアルを与えてやろうとカーバンクルを追加で渡した。
そのユーマは、苺の声を再現できたし、市江が喋って欲しいことを喋った。
だから市江はカーバンクルに苺が言いそうなことを喋らせることにした。
でも鏡を見ると自分が一人なのがわかってしまうから鏡が嫌いだった。
とまあ、そんな背景がある筈なのだが――、時間は戻る。
チェーンソーが今まさに市江と苺を引き裂こうとした時だった。
その刃が、破れた。
「!?」
皮剥ぎ夫人は確かに見た。
牙が、チェーンソーを食い破るのを。
「ガァァァアァアアア!」
皮剥ぎ夫人は絶叫をあげのたうち回る。
全身に激痛が走る。次の瞬間、太ももが破れ、中から無数のハエに酷似した生物が飛び立っていく。
羽音や見た目はハエのように見えるが、『竜』のような仮面をつけている。
鋭利な牙と、それを使うための顎があった。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
ハエの群れが皮剥ぎ夫人を覆い隠す。
それはまるで黒い煙のようで、完全に夫人の姿が隠れた。
ハエはうるさい羽音をたてて、やがて飛び去る。
するとそこにあったのはただの骨だった。
「ぐあぁあぁあああ!」
「うあぁぁああああ!」
「ひ、ひぃぃぃ!」
次々と恐怖の声が聞こえてくる。
ハエの群れがゲストを通りぬけると、ある男は胸からへそまでが骨しか残っていなかった。
別の女は首から下が全部骨だった。
ある老人なんて綺麗に右半分が骨だけだった。
皮膚も、肉も、臓器も、ハエたちが一瞬でペロリと平らげたのだ。
木霊していた悲鳴が少しずつ消えていく。
やがてすべてが羽音になった時、生きていたのは市江だけだった。
「………」
市江は無表情の少年をジッと見つめていた。
◆
役割がある。
PCの外、アダムは映画が入っていた棚を蹴り飛ばしていた。
中にあったDVDが床に散らばっている。
アダムは笑みを消していたが、またすぐに口元を釣り上げた。
物にあたるなんてガラじゃない。
冷静で、常に余裕の笑みを浮かべているようなキャラクターこそが、自分だった。
だから『自分』もそうであると……?
役割がある。
光悟の言葉が耳に張り付いている。
ゲロル星人は悪だから、悪としての立ち振る舞いをするのは当然だ。
光悟はそこに同情しているのだろう。
シナリオという存在のなかにはありとあらゆる役割があり、それが伝えたいメッセージや、見せたい景色に収束していく。
それが物語というものだ。
だからそのためには損な役回りがあっても仕方ない。
アダムは机を殴っていた。浮かべていた笑みはいつの間にか強張っている。
だがふわりとした硬い感触があった。
アダムの手に市江の手が重なっていた。