第69話 腐りかけの愛-3
『話はこれで終わるが、いかがかなミモ様。どうか思ったことを素直に教えてほしい』
「そ、それはなんか、マジでかわいそうだなぁって……」
悲しそうにしているミモの顔を見て、シャルトは少し嬉しそうに微笑んだ。
『それでいい』
「え?」
『そう思ったなら、それでよいのだ』
どうしてシャルトは嬉しそうにしたのだろう?
ミモは考えた。そこでシャルトが舞鶴を持ち出したことを思い出す。
話自体は理解できたが、正直シャルトやルナが自分に何を伝えたかったのかは難しくてよくわからなかった。
困っていると、ルナがほほ笑む。
「心は、なんと?」
「え、えーっと、やっぱりかわいそうだったし、残念かなって……」
死ななくてもいいのに。
力になれることがあったら、なってあげたい。
そういう感情がミモの中にはあった。
ふと気づく。
どうやら舞鶴にも今の話に通ずるものがあるらしい。
そうか、そうだ。だから彼女はきっと和久井はハメたんだ。
理由は蘇らせたい人のため。舞鶴はそのために頑張って、でもなんか空回りしてる。
「あぁ、あー……、ああ」
ミモはしゃがみこんだ。
そういえば一応、舞鶴のこと友達だと思っていたっけ。
きっと何かまだあるのだろう。まだ続くのだろう。
いろいろと良くないことが。
「あたしさ、からあげ得意なんだ。舞鶴にも食べさせてあげたい」
「?」
「よし、よし! よしッ!!」
ミモは立ち上がると、シャルトを見る。
「その人たちさ、どうして女の人同士で付き合ってたんだろ?」
『アマンダは愛した人が男ならば男を愛したことになるし、女だったら女を愛したことになると言っていたようだ。フランソワはそういった経験は全くなかったようだが、こう言っていたらしい』
シャルトは少し間を置いた。
『私は、彼女の心に恋をしたのだと』
ミモは何度か頷き、そして笑った。どうやらまだ生きる理由が少しある。
そのほんの少しがあると死ぬ選択は取れない。他にやることもないし答えは一つだった。
「よくわかんなけど協力するよ。あたし、舞鶴はなんかやっぱほっとけないわ」
そしてルナに囁いた。
「モア様のことも、諦めるのは、もうちょっとやめとく。考えてみればあたしって結構マジで可愛いし、いけそうな気がしてきたわ」
「ふふふ。頑張りなさい。前にお兄様とキスしたことあるんだけど、あれはやっぱりよかったわよ」
「ガチ!? マジで? ど、どんな感じだった?」
「舌を絡ませるの。あれはトブわよ! じゅるるる! ニチャァア……! ほほほ!」
「キモ」
ルナは怒っていたが、ミモは笑っていた。
◆
和久井は血走った目をギラギラと光らせながら、歯を食いしばっていた。
唇の端からは涎がダラダラと垂れている。
まさに獣だ。和久井は少女に馬乗りになって、ただひたすらに暴力をふるっていった。
拳が柔らかい頬にえぐりこみ、きれいな鼻をへし折ろうと降り降ろされる。
「ぶぉ! べげッ! やめで! おねがいッッ!」
必死に助けを求めるが和久井は止まらない。ただひたすら少女を殴っていった。
「だずげで! おねえぢゃんッッ!!」
青く腫れあがった顔の妹と、イゼは目があった。
そこで目が覚めた。イゼは呼吸を荒くしながら体を起こすと、額に滲んだ汗を拭う。
朝。アポロンの家では、みんなが集まってごはんを食べることになった。
スパーダが作ったフレンチトーストとハムエッグをみんなのお皿に入れていくなかで、子供たちはテレビを見ていた。
フィーネ専用チャンネルのニュース。
警察が和久井と舞鶴の情報を提供するように訴えている。
「ねえお兄ちゃん。悪い人なのー?」
男の子に指をさされて、和久井は腕をブンブンと振った。
「ちげぇよ。オレはハメられたかわいそうな男なんだ。本当なんだ」
和久井は自分の右腕を見た。
昨日、光悟に頼んでみた。ティクスを――、つまりプリズマーを貸してくれないかと。
今の和久井は無力だ。
だが力さえあれば何かを変えられると思った。
光悟だってティクスがいなければパピを救うことはできなかった筈だ。
「かまわないぞ。やってみてくれ、ティクス」
『ああ。光悟くんの友達なら俺の友達だからね』
その言葉は嘘じゃない。
和久井は光悟の部屋にも何度も来ていたし、ティクスはずっとそれを見てきたので、よくわかっている。
こうして和久井が右腕にプリズマーをつけた時、バチッと音がして衝撃と共にプリズマーが腕から引き剥がされた。
光悟もティクスも無表情だったが、目を逸らしてくれたおかげで何となくわかった。
教えろと詰め寄ると、隠さずに教えてくれた。
極光戦士ティクス第10話で強盗犯が主人公からプリズマーを奪って変身しようとしたが、和久井と同じことが起こって失敗に終わった。
その回では、こう説明されている。
「心が濁っている奴がプリズマーを使おうとすると今みたいに弾かれる」
「………」
「大丈夫。普通の人間でも変身できない。変わることができるのは、清く正しい心を持っていないとティクスにはなれないんだ」
聖人マウントを取られた。非常に不愉快である。
しかしまったくもって心当たりが多すぎる。
認めよう。濁りきってますと。
とはいえ、月神やルナも変身できなかったという。
酸いも甘いも、清濁併せ飲んでこその人間というものだ。
ティクスに変身していた人間はフィクションだから許されたわけである。
だからこそやはり光悟はおかしいヤツなのだと、和久井は改めて思った。
そして今に至る。
和久井は大きなため息をついた。
「男子キッズたち。お前らも将来、女には気をつけろよ。世の中にはメンヘラ地雷クソ女っていうとんでもないヤツが存在してだな……!」
「ねえちょっとやめてよ! そんなことを教えるの!」
ミモが和久井を睨みつけ、オレンジジュースを前に置いた。
そのまま飲み物を配り、最後は紅茶を置く。
ルナはティーバッグを入れたままのマグカップを見つめながら、口をつけた。
「安いお味ね」
しかしニヤリと笑った。
「でも悪くないわ」
ミモも微笑み、ルナの隣に座る。
月神がまだ寝ていることを確かめると、小さな声でルナに話しかける。
「ねえねえ、月神って嫉妬とかすんのかな?」
「どうかしら? 意識したことはなかったけれど」
「なんかさぁ、昨日寝る前にいろいろ考えたんだけど、好きな人に嫉妬してもらうのってよくない?」
モアに嫉妬してほしい。
昔はなんとなく羨ましがってくれたのかな? なんてことがあったみたいだが、最近はどうにもニコニコと笑顔ばかりで感情がわからないと。
「モア様もいろいろあったから。なんかこう、むき出しの感情をさらけ出してほしいんだよね。パッションっていうんだっけ?」
昨日の夜、シャルトは舞鶴の名前を出したが、ミモはそこにモアも当てはまるような気がしていた。
デリケートな内容のために勝手にモアの過去を話すことはできなかったが、ルナは察してくれたようだ。
「アダムはマリオンハートの成長が完全なものになるには心が突き動かされる何かが必要だと言っていたらしいわね。確かにそれは、お祈りばかりしていたのでは獲得できないかもしれないわ」
とにかく、いろいろやってみるといい。それがアドバイスだ。
生まれてしまったものは仕方ない。
このままアダムに消化されるよりは、本物になって外に出たほうがずっといい筈だ。
「ん! あと、今日さ。イゼさんと話してみる。あたしたちのことを話せば、きっと協力してくれるよ。今はちょっと荒れてるけど、あの人も相当なマジメ人間だから」
イゼのことを説明すると、ルナはパンを食べていた光悟を見る。
「似てるわね。光悟さん、貴方に」
光悟も、この前、迷子を連れて母親を探しまわっていた。
結果として誘拐犯に間違われて警察に連れていかれた。
「……誤解は解けたんだから、いいさ」
「げー、すごいねマジで。仲良くなれるかもよイゼさんと」
確かに光悟との共通点はある。それを聞くと、光悟は何かを考えているようだった。
そこでルナはニッチャリとした笑みを浮かべる。
「ところでミモさん。貴女さっき嫉妬されたいと言ったけれど、嫉妬するのもなかなか悪くないわよ。もちろんそれは良質なものでなければならなくて、たとえばお兄様と光悟さんが仲良くしているなかでお兄様が私に見せてくれないようなお顔をされると、私のなかで嫉妬の炎がメラメラと燃えていくのだけれど、それはそれでアリというか。むしろ私のなかで激しい何かがムラムラと湧き上がっているのを感じるの。だからできれば何かの間違いで一度だけでもいいから光悟さんとお兄様の舌同士がぶつかるなんてことがないかしら。そしたら私は光悟さんを殺したくなるのだけど、同時によくやってくれましたという称賛の感情も湧き上がるはず。ああ、そうしたらお兄様はどういうお顔をされるのか想像しただけで――ッ! ウッッ! ごめんなさい。興奮しすぎてしまったわね。一度紅茶を飲んで落ち着くわ。じゅるるるるるる! じゅぼっっ! じゅば!」
「キモヤバ」
休校になった学校。
美しい金髪の長い髪は、とてもよく目立つ。
ミモは大きく手をふって近づいた。
「あのさ! イゼさん! ちょっと話が――」
それは、いきなりだった。
イゼは駆け寄ってきたミモの首を掴み、近くの壁に叩きつける。
「がはっ!」
「おい! 貴様ッ! 昨日は和久井たちと共に去っていったな! 匿っているんだろう? さっさと居場所を吐け!」
イゼの表情は鬼気迫るものだった。ただならぬ雰囲気から相当な怒りと焦りを感じる。
しかも質問しているくせに、首を強く掴んでいるからミモが喋れない。
「やめてください!」
モアがイゼを突き飛ばす。地面に膝をついたミモの肩に、モアの手が触れた。
「げほっ! うぇ! あ、ありがとうモア様!」
「うん。大丈夫?」
モアはにっこりと笑う。
「あれ? でもどうして? ついてきてくれたの? ごほっ!」
ミモは、一人できたと思っていた。
「うん。ミモちゃんが危ないかもしれないって、アイちゃんが教えてくれて」
アイ? なぜ彼女が? そうは思った時、電子音が聞こえた。
イゼがモスマンを装甲に変えている。モアはすぐに両手を広げてミモを庇うが、イゼはそれを見てもまだ剣を収めない。
「止めるなシスター! 神が泣くぞ!」
「?」
「もう後戻りはできない。たとえ裏で糸を引いているものがいたとしても、和久井がスイッチを押したのは事実だ。どれだけ白に近くとも、もはやヤツの存在は残されたものを苦しめる毒でしかない!」
「落ち着いて。ね? 紅茶でも飲んでゆっくりお話しましょう?」
モアは穏やかな笑みを浮かべたが――
「ヘラヘラするな! ふざけてるのか!」
「!」
「死んでいったものたちや、その家族たちの前で同じ顔ができるのか!」
モアの表情が歪む。
神が泣く、その一言が異常なまでに耳にへばりつく。
汗が滲んできた。呼吸が荒くなる。真っ青になったモアは迷っていた。
ミモは何も言えない。
イゼには全ての事情を話すつもりだったが、なぜだかアイがモアを呼んでしまったため、なかなかマリオンハートの話題に切り出せないのだ。
いっそモアにも話すか?
一瞬そう思ったが、すぐに首を振った。
きっとすべての秘密を知ったらモアは凄まじいショックを受けるだろう。
それはもちろんイゼもだろうがミモの優先順位は常にモアのほうが上だ。
つまり簡単な話。モアを、苦しめたくない。
「ッ?」
バチっと音が聞こえた気がする。
モアの顔から笑みが消えたことと関係があるのだろうか?
「失礼しました」
平坦な声色だった。モアは真顔でイゼをジッと睨む。
「ですが闇雲に戦うのが正しいとは今でも思っていません」
「何が闇雲か。悪を殺す! これほどわかりやすいことがあるか!」
「そうですか。では私は貴女を止めません。イゼさんはイゼさんの好きにしてください」
そこでモアは背後にネッシーを召喚する。
「でも、ミモちゃんや施設の子を傷つけるなら、私は貴女を許さない」
「……見損なうなシスター。私は常に、正義のために動いている」
イゼはアポロンの家を目指すため、踵を返した。
しかしそこで動きを止めた。前からスーツ姿の光悟が歩いてきたからだ。
「貴様……ッ!」
「俺の名前は真並光悟だ。安槌イゼ、変身を解除してくれ。話し合おう」
「その必要はない。和久井はどこだ。今すぐに答えよ!」
「悪いが言えない。話を聞いてくれ。とても大事な話だ」
「話す必要はないと言っている!!」
イゼが加速した。
光悟は動かない。だからイゼの剣が光悟の腹部を貫通した。