第67話 腐りかけの愛-1
「イキってすいませんでしたーッ!」
和久井、土下座。
するとアポロンの家のテレビが勝手についた。アダムが椅子に座って笑っている。
「もう全部アンタの言ったとおりだったわ」
『とても無様だったね。和久井閏真』
そこで和久井は顔を上げた。
「でも、まだ負けたわけじゃねぇ」
『うーん、悲しいねぇ。これは僕とキミとのタイマンだと思ってたんだけど』
「オレ屑だから。仲間と一緒にお前をボコすわ」
「いけないぞ和久井。自分を卑下するな。それにアダム、お前のやり方は間違っている。話し合おう」
画面いっぱいに光悟の顔が広がり、思わずアダムは少し後ろに下がった。
真並光悟。アルクスも知ってたし、アダムも話は聞いている。
正義にとりつかれているその姿はまったくリアリティがない。
最近のフィクション作品よりもよほどフィクションだ。
アダムの笑みが消えた。それは一瞬だけ。だからまたすぐに笑う。
『ぬいぐるみのヒーローくんに、話を聞いてみたい』
光悟の隣で腕を組んでいたティクスがピクリと動いた。
アダムはふと、机の上にあるDVDの一つを見る。最近出た作品だった。
『最近、世界を守るヒーローが裏では悪いヤツだったなんていうジャンルが増えてる。どうやら人はキミたちの存在を信じぬくことができなかったらしい。その創作の変化、つまりは人の心の移りようを見ても、まだ世界平和のために戦えるのかい?』
『もちろんだ。どれだけ時代が変わろうとも、俺の正義は不変』
その瞳には一片の曇りもない。
『俺は、正義の道を歩み続ける』
『うーん。頭が悪いってのいうのもたまには羨ましいなぁ』
「いけないぞアダム。頭が悪いなんて人に言っちゃダメだ。ティクスに謝るべきだ」
『ふふふ。せいぜい頑張って攻略してくれたまえ。僕の作った箱庭を』
そこでテレビが切れた。月神はソファにふんぞり返りながら舌打ちをする。
「ずいぶん偉そうなヤツだね。不愉快だ」
「お前が言うのか……」
和久井がボソッと呟いたが、ルナに睨まれたので黙る。
「それにしてもお兄様。これほどまでにハートを量産できるのは――」
「始祖ってね。隠れていたアルクスだ」
月神としては、まさか父親や祖父が自分に秘密で既に衛星やAIにマリオンハートを入れていたとは思わなかったが、オンユアサイドの件があって詳しく教えてもらった。
始祖を見つけた時、彼らは協力的で新しい時代の道具として生きることを拒まなかった。
しかし転生の間際に一つ、警告をされた。
アルクスに気をつけろ。
ヤツだけは、まだ、諦めていない。
それを聞くと光悟は腕を組んで、フムと唸った。
「しかしわからないな。和久井の話を聞いてもアダムたちの狙いが今一つ見えない」
舞鶴への協力を拒んだのなら、この世界を維持しておく意味がよくわからない。
和久井が来る前に舞鶴たちを消化して終わらせることはできた筈だ。
にも拘わらず、この状態を続けているということは向こうの欲する何かがナナミプリズムにはあるのだろう。
分割放送とはいえ、『作品』を捕食した時点でアダムには多くの情報が獲得された筈。
そこに何か、彼らの興味をそそる存在があったとすれば。
「それにしても腹の中か」
和久井は窓の外を見る。
空も、太陽も、月も、すべて疑似的なものなのだ。
とても信じられないが、それが魔法というものだ。和久井はアダムの情報を光悟たちに詳しく伝え始めた。
「ところでオレは居場所を伝えてなかったのに、なんでお前らはココに来れたんだ?」
「伝えてくれた人がいるからな」
腕時計には、スーツの他にもうひとつ、上の機能がある。
それが『エクリプスアクター』と呼ばれる適合システムだ。
オンユアサイドで光悟に『日曜日の魔術師』という役割が与えられていたのはヴォイスがそうしてくれたからだが、要するにそれを強制的に行使させるシステムなのである。
「でもそれは無理だからスーツに落ち着いたんだろ?」
「そう。でも機能自体は不完全ながら存在していて、それを使ったヤツがいる」
うまくいけば適当な役割が与えられて、異世界の探索がスムーズになる筈だった。
「もちろん失敗してしまった。使った人間が役割に取り込まれてしまったんだ」
おかげで本当にフィーネの登場人物としてしばらく動いていた。
しかし何とか自分の記憶を取り戻してくれたおかげで、光悟たちに自分の居場所を教えることができたのだ。
『ま、そういうことだから。和久井、アンタは一生にアタシに感謝しなさい!』
ぴょこんと、光悟の肩の上に翼の生えた猫が飛び乗る。
「お前ッ、パピか!」
『その通り! パピ・ニーゲラー様よ!』
みゅうたん1号がニヤリと笑った。
◆
その日、パピは暇だった。
ルナと光悟は、月神のところへ行っている。
和久井に漫画を借りようと思ってインターホンを鳴らしてみても出ないし。
そうだ。アイスを食べよう。そう思って冷凍庫を見たら、何もなかった。
「し、しまった! 昨日全部食べちゃったんだ!」
辛気臭い地球だが、本当にスイーツのレベルが高くて助かる。
自分たちがいた世界じゃあんなに冷たいお菓子なんて食べたことがなかった。
そういえば今日は新作スイーツが出るとかなんとか。
よし、買いに行こう。パピはすぐに着替えて部屋を出る。
「は?」
パピはジットリとした目で和久井を睨みつけた。ちょうど家を出た時、和久井の背中を見つけたのだ。
「居留守だったってこと!? 和久井のくせに偉そうじゃん!」
パピが肩を掴むと、和久井が振り返った。
「なんだよ」
パピは何も言わなかった。和久井の目が据わってる。
「チッ! 用がないならオレは行くぞ」
「ど、どこに……?」
「どこでもいいだろ。テメェには関係ねぇ。部屋で菓子でも食ってろ」
そう言って和久井は歩き去っていったが、パピは後をつけることにした。
和久井のあの顔はいけない。あれは、かつて母が浮かべていた表情と限りなく似ている。愛と、憎悪の、表情だった。
「………」
パピは目を細めた。戦うものとしてのセンスは衰えていない。
和久井に気づかれずに尾行すること数分、和久井が株式会社跡地に入ったのを見て、追いかけようとして気づいた。
和久井の時はひとりでに扉を開いたように見えたが、自動ドアではない。
パピはすぐに中を探し回ったが、和久井はどこにもいなかった。
名前を呼ぼうとしたが、やめる。
もしも自動ドアじゃない扉が勝手に開いたのが見間違いでなければ考えられるのはただ一つ。
「確か、こういう場合は……」
パピはエクリプスを起動して、『アクター』の項目を選択した。
月神から、実験段階だからどうしてもというケース以外は使うなと念を押されていたことを思い出したが、パピはアクターモードを起動させて、そこで意識を失った。
「なぜ、はじめに連絡しなかったのか理解に苦しむ。おかげで特定に時間がかかった」
『仕方ないでしょ! アタシに機械なんて使ったことなかったんだから! とりあえず覚えていた機能に頼るしかないでしょ! それにどうしてもってケースだと思ったんだもん!』
エクリプスアクターで強制的に異世界に入って、みゅうたんの役割を獲得したが見事に飲み込まれた。
みゅうたんが担う役割にパピが配置されるのではなく、純粋にみゅうたん『そのもの』にパピの意識が入ってしまったわけだ。
そのズレをエクリプスが自動で修正し続け、ようやく記憶を取り戻したのはフィーネ内で和久井の母が死んだのを伝えにいった時だった。
パピの中に生まれた激しい感情がトリガーになって全てを思い出したようだ。
みゅうたんの体にはどこにもエクリプスが見えなかったが、『身につけている』という事実は消えていなかったのか、音声認識システムを起動させると、きちんと月神たちに繋がった。
「パピのエクリプスが衛星を介し、おれたちに位置情報を送ってくれた。あとはそれをゲートにしたら、ここに来れたってわけさ」
わかりやすく言えば、先に潜入してたパピが大きく手を振って居場所を教えてくれた。
ただ今も彼女は存在がみゅうたんのままなので、人間の姿に戻れず、そうなると金魔法も使えないただの翼の生えた猫である。
かといって、みゅうたんとしての情報があると言われれば、それも微妙だった。
わかることといえば飛行のしかたくらいで、みゅうたんが何者なのかはわからない。
「でもおかげで不具合のデータが取れた。会社に戻ったらさっそくアマテラスに報告して、アップグレードを図ろう」
「よかったわねパピさん! お兄様のお役に立てるなんて羨ましい!」
「うざい」
パピはそっぽを向くと、尻尾で月神の鼻をくすぐる。
「ぺちゅぷっ!」
「え? くしゃみきも」
「……虫唾が走る女だぜ。パピ・ニーゲラー」
「いけないぞ二人とも。喧嘩はよすんだ」
光悟はパピを落ち着かせるために、彼女を抱いて部屋から出て行った。
そうしているとモアが目を覚ましてムクリと起き上がる。
しばらく呆けていたが、やがてニコニコと笑い出して光悟たちにお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。ごめんなさい。寝ちゃってたみたいで……」
モアは辺りを見回す。
「あ……」
だんだん、いろいろ思い出してくる。
死体の山であったり、見たこともない力を使う光悟たちであったり、ましてや和久井がそこにいたり。
それらの存在がモアの表情筋の悩ませる。
しかしやはりこの女が選ぶ顔は笑顔であった。
光悟たちがどういう存在であれ、モアは微笑んで対話しようという。
「大丈夫だよモア様、この人たち、悪い人じゃないから……」
死んだような表情のミモは、作り笑いすら浮かべる気力がないようだった。
もともと光悟たちにモアには何も話さないでくれと伝えておいた。
そんな気遣いをしてみたが、本人は生きた心地がしない。
というよりも生きていないのだから仕方ない。
自分たちはフィギュアであり、本物になろうがなるまいが人間ではない。
とりあえず和久井が悪人ではないということや、彼らをここに置くということだけを簡潔に伝える。
「そうなんだ……。子供たちは?」
「公園で遊んでる」
「じゃあわたしは、お祈りをしに行こうかな」
「まだ寝てたほうがいいってば。ほら! お部屋にいこ!」
モアは何かを言いたげだったが、ミモに引っ張られて自室に連れていかれた。
モアの部屋は何もない。とにかく何にもない。
テレビもなければ本棚もないし、窓を覆うカーテン以外にただ一つポツンとベッドがあるだけだ。