第65話 欠けたものを賭して-3
翌日、アダムは服を脱げるようにまで成長していた。
盗んだ金で古着を買うと、前の服は川に捨てた。
アダムは街を歩き、アジトにちょうどいい場所を見つける。
元々は株式会社だったらしいが倒産してみんな出ていったらしい。
三階建てで周りに草木が伸び生やしになっているものの、建物に損壊は見られない。
中に入ってみても椅子や机はそのまま置いてある。
一番奥にある社長室に入ると、高そうな椅子にどっかりと座り込んで、デスクに中古のPCとアルクスを置いた。
『ちょっと聞いてもいいかな?』
「なんだ?」
『舞鶴の目的は理解したけどキミは何がしたいんだ? 人間に復讐したいだけなら、拡大の力を使えばすぐに済むと思うんだけれどね』
「むろん、私が望むのはただの復讐ではない。私は彼の地、約束の地を目指す」
『えぇ?』
アダムはアルクスの過去を聞いた。
『……へぇ、大変だったね。同情するよ』
「道具の進化は著しい。言い方を変えれば人の想像力と創造力の進化だ。私は所詮、本物になったところで木の人形を超えることはなかった。少し物を動かせたり物を大きくできるからといってそれが何になる?」
確かに拡大魔法を使えば意図的に大事故を発生させて、多くの人間を殺すことはできるかもしれない。
だがそれは所詮、殺戮というカテゴリからは逸脱できない。
大量に人が死んだからといってどうなる?
世界中にはもっと多くの人がいて、そして多くの人が死んでいく。
そんなものは、ただの摂理の一端でしかない。
ましてや銃弾の一発でも撃ち込まれようものなら崩壊して終わりだ。
「それではただのテロリストだ。我が望むのは世界の理を変えてしまうくらいのことだ。それができるのは、お前たちのようなものである」
『……まあ確かに、僕ならキミの望む結果が創れそうだ』
それこそ、僕じゃなくても。
アダムはその言葉を口にすることはなかった。
それから二人はいろいろ情報を交換しあう。
『衛星にハートを入れたっていうのは?』
「月神グループは自社の製品を一括管理するために通信衛星を打ち上げた。ここに始祖の一体から抜き取られた魂が入れられている。名前はアルテミス、月の女神から取ったそうだ」
アルテミスは月神のAIたちとコミュニケーションを取るだけではなく、地球に存在する他のマリオンハートを検知する役割も担っている。
事実、それで二体目の始祖を見つけた。その魂は、開発していたAIに組み込んだ。
「それがアマテラス。太陽の神から取った名だそうだ」
『心を持つ人工知能か。なんだか矛盾しているようにも聞こえるけれど……』
「AIとやらの発展のためには、それが有効だと思ったのだろう。以前、月神の孫からハートが逃げ出した際にはアルテミスが宇宙からそれを検知し、アマテラスが場所を知らせ、回収に必要な装置の設計図を開発したそうだ」
『あー、ということは僕らもいずれ、バレるってことか』
「だろうな。派手に動かなければ問題ないが、見つかると面倒だ。注意せよ」
『モアイ像くんは? 結局何なの?』
「我々の動きを把握するかもしれないが、決しては口は挟んでこない」
『そう言い切れる根拠は?』
「哀れなヤツなのだ。いずれ我々を羨むことになるというのに……」
『?』
「そういう立場を選んだということだ。見て見ぬふりばかり。とにかく、あまり考えないほうがいい。お前もおかしくなる。知識を得て、それを理解した時」
アルクスは果てしない遠くを見つめていた。
「我々は、久遠の虚しさに苛まれるのだ」
アダムはまだ、その言葉の意味がわからず、とりあえず曖昧に笑っておいた。
四日後のことだった。アダムの前に和久井が立っていたのは。
廃墟の入口に立ったら、自動ドアのように扉が開いて、廊下を歩いていると、ひとりでに灯りがついていった。
明らかにここは普通じゃない。和久井の額に汗が滲む。
光悟に相談するべきだったのだろうか?
月神に行先だけは教えておくべきだったのだろうか?
いや、しかし――
『やあ、はじめまして。キミの名前は?』
「和久井。舞鶴の持ち主だ」
『えーっと……、どうしてここがわかったんだい?』
和久井は携帯を取り出した。そこで気づく。画面が真っ暗だった。
よくわからないが、使えないらしい。だから何があったのかを口で説明した。
別におかしなことはしていない。
月神に小型のGPSを貰ったので、それを掃除をするフリをして、舞鶴の背中につけていた。
和久井はずっと前から彼女が動いていたのに気づいていた。
『凄いね。僕もアルクスも全く気付かなかったよ。早く言ってくれればよかったのに。わざわざ舞鶴のフィギュアを買わなくて済んだ』
今、現在、和久井の部屋に置いてある舞鶴のフィギュアは、アダムが盗んだ金で買ったものだった。
「………」
和久井は大きなため息をつくだけで、何も言わなかった。
今も。あの時も。だから舞鶴に声をかけなかった。それが彼女の答えだと解釈したからだ。
オンユアサイドの戦いで舞鶴が自分たちを助けてくれたのは彼女にも良心があるからだ。
あとはもう一つ理由があるとすれば、それは純粋に世界が滅ぶのは困るからである。
舞鶴には目的があった。野望があった。それを和久井は知っている。
だからこそ、今の今まで舞鶴が相談してくれなかったことが答えであると受け取った。
「好きに生きればいい。望むように、望むことをすればいい」
『?』
「そこにオレはいらない。そう思って、舞鶴から目を逸らした」
もしも仮に彼女の存在が、世界を脅かすものになったとしても和久井としてはそれでよかったのかもしれない。
だから光悟や月神に何も言わなかったのかもしれないと一丁前に自己分析もしたりしてみた。
『だったらGPSなんてつけなければよかった。舞鶴と決別するなら』
「……かもな」
おっしゃる通りだ。でも、和久井は舞鶴がどこにいるかを調べた。
彼女がいなくなった深夜の部屋で。
『どうしてすぐに来なかったんだい? まあ、僕らとしてはおかげで助かったけど』
「………」
意図して黙ったのではない。和久井にもわからなかった。
舞鶴に自分の人生を歩んでほしいと思っている男がこっそりGPSをつけて、そのくせGPSの反応が消えてからはすぐに動かず、しばらく経ってから急いでやってきた。
もうメチャクチャだ。
「つうか、お前――」
そこで和久井はアダムの正体に気づいた。
今にして思えば舞鶴と『一緒に』アニメを見ていたのだと理解する。
「服が違うからわからんかったわ。なんでそんなデカいんだよ。何に入ったんだお前」
『ふふ、それは秘密ということで』
和久井が口を開いた。何かを察知したのか、アダムは食い気味に入っていく。
『今は、アダムと名乗ってる』
「え? ああ、そうなん? でもなんで……」
『キミが見ていたのは、僕であって、僕じゃないから』
なんとなく、ニュアンスはわかったので、和久井は二回ほど頷いておく。
彼もまた自らを苛むアンデンティティというものを感じているのだろう。
和久井はそこでアダムの前にあるパソコンを見た。映画を見ていたようで、隣の棚にはたくさんのDVDがある。
「何、見てたんだ?」
『立ち入り禁止の山を越えた大学生の若者たちが巨人一家に見つかって殺される映画』
モニタの中では、ちょうど、まあまあ可愛い女が犠牲になるシーンだった。
大男に掴まれた女性が、強引に服を剥ぎ取られていく。
「えっちなシーンじゃねーか! オレにも見せろ!」
和久井が見ている中で、裸の女性は透明のケースの中に放り込まれる。
透明といっても、透けてみえないくらい汚れがついていた。巨人はなかなか賢いらしい。
自分たちで家電を作っていた。女性が押し込まれたのはミキサーだ。
そこに草花やら豚やらを一緒に入れて大男はスイッチを押した。
「おげー……、こういうのは得意じゃないんだよ」
和久井は目を逸らした。
画面の向こうからは女性の悲鳴が聞こえてきて、彼女がグチャグチャになるシーンが鮮明に描写されている。
『エロティックなシーンで性欲を刺激したことで扉が開き、そこへ恐怖を入れると、よりダイレクトに本能へ恐怖を刻むことができるらしいよ』
「けッ、しらねーよ。期待して損したぜ。見なきゃよかった」
『ふふっ、いやぁ、それにしてもグロテスクだねぇ。死体のディテールが見事だ。すごい優秀な美術さんだよ。豚は本物かな? でも撮影のためとはいえ、実際の動物を殺したらいろいろと怒られそうだけど』
そこでアダムは言葉を止めた。
『これが、どういうジャンルか、知ってるかい?』
「B級ホラーだろ? オレの趣味じゃねぇ」
『……僕には、もっと恐ろしいものに見えるけどね』
「は? なんて?」
アダムはそれ以上、何も言わなかった。
映画を止めると、パソコンには別の映像が映る。
海上都島フィーネ、和久井には見覚えのある島だった。
わざわざDVDを買ったのは純粋に映像美を楽しむ意味もあるが、一番はやはり動く舞鶴を手元に置いておきたかった。
惰性恋慕。
あるいは幻想恋愛ともいうが、それは虚しくも意味のある時間だったと思う。
空虚な暇を持て余して醜い怒りを解き放つ連中よりも百倍はマシだと思いながら、和久井は脳内で舞鶴とのデートを飽きるまで繰り返した。
キスもしたしセックスもした。
そこまでしたのに彼女はアッサリと自分を置いて、何も告げずに出て行った。
なんでだ? すべて妄想だったからだ? そんなのってあんまりだ。
だからこれは酷い女ではあるが、だからといって昔の女の不幸を望むほど和久井もダメな男ではない。
ただ単に女々しく未練を引きずっていただけだ。
「まあつまり、アレだ! オレは迎えに来たんだよ舞鶴を。アイツどうせろくなことに巻き込まれてないんだろ?」
『うーん。なぜそう思ったんだい? 気になるね』
「バカだからだよ。あんな幸の薄い女はなかなかいない。キャラクターにはみんな役割ってもんがある。たとえば作風を示すために序盤でむごたらしく殺されるわがままな悪役令嬢みたいなヤツとか。じゃあアイツの役割はなんだって考えた時、やっぱりかわいそうなヤツなんだよ。バカでノロマなんだ」
『……流石は持ち主だね』
アダムがマウスを走らせてクリックすると、舞鶴がアップになる。
つまらなさそうな顔で、通学路を歩いていた。
和久井は少し嬉しそうな顔をしたが、すぐに悲しそうな顔になってしまう。
「ナナミプリズムにハートを入れたのか? いつ世界が本物になる?」
『マリオンハートは入れたものによって完全体になるまでの時間が変わってくるんだ。世界を本物にするのが一番時間がかかるみたいだけど、それでも約六日で終わる。それが世界ができるまでの時間らしい』
和久井は時計を確認する。しかしアダムは首を振った。
『今回は特殊な形を取ってる。もう僕の中では六日経ってる。僕の中では、ね』
「ッ、それは、どういう――?」
『マリオンハートを持ったものが本物になるには。時間経過以外にもう一つだけ条件がある。それはエモーショナルなものがあるかどうかだ。パピやルナが明確に外の世界で生きていきたいと思ったように、心が動くきっかけが最後のトリガーになるんだ。それは主に生きたいと願う生存欲求とでもいえばいいのか。でもまだその時じゃない、まだ僕の場合は……』
「お前はどこまで知ってんだよ」
『オンユアサイドのことは全部、舞鶴から聞いたよ。あの時と今が違うのは――』
アダムは床を。正しくは、この建物を示した。
『今、僕とキミが立っている場所こそ、ナナミプリズムなんだ』
アダムはまず、ナナミプリズムのアニメDVDにハートを入れた。
アルクスから貰ったハートの欠片は急激に増幅、一気に世界を作るまでに至った。
そうなると以前のヴォイスのように世界に意識が生まれるのだが――
『僕がその神ともいえる存在を美味しく頂いて。権利を丸ごと頂戴したよ』
和久井の表情が大きく歪んだ。青ざめ、フラつき、気を失いそうになる。
やはり本物の悪魔なんてのは見るもんじゃない。アダムの背後に現れた巨大なハエのような化け物、それがベルゼブブだ。
「暴食を司る悪魔か。七つの大罪は何かと縁があるもんだぜ」
『セブン、だっけ? まあそれが人間の本質でもあるからね』
「お前の能力は覚えてるぜ。食って消化したヤツの力を使えるんだったな。あぁ、そうか、だからこんなマネができるんだ」
ひとりでに開いた扉や、ひとりで灯った廊下の明かり。
魔法のような現象のカラクリは本当に魔法だったというわけだ。
オンユアサイドのことがあったから勘違いしていたが、今回の入り口はパソコンじゃない。
この建物の入り口がもう異世界の入り口だったのだ。
和久井は入ってきたのではなく招かれただけだ。かつての光悟のように。