第54話 血まみれの腕-5
「ッ! え? マジ!?」
その時、ミモもは左を見てから、すぐに右を見た。
光の柱が三本見えたが、これは間違いなくアブダクションレイである。
「タイミング最悪すぎるって!」
ショッピングモール。
買い物を楽しむ人たちを想像して、駐車場にいた『それ』は叫んだ。
人の群れを上から見たらそれは黒や茶色の点。それが群がって買い物をしているということだ。
「ぎゃあああああああああああ!」
俺はただ画像ファイルを開いただけなんだ。
あいつらが悪いんだ。
面白がって、あんな画像を作りやがったんだ。
どんな気持ちだったんだ。
点の一つ一つを張り付けたコラージュだなんて。
頭がおかしいんじゃないか。
俺はただ画像を見たかったんだけだったんだ。
だったんだ。
●ばかり。
アぁ、ああぁあ! んあぁぁあ!
「●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●――ッッ!!」
誰もあれもこれもそれもあれも。恐怖。
俺は双子、『集合恐怖症』のポルックス。
その化け物は、蓮の実のようにビッシリと黒い点がしきつめられた帽子を被っていた。
人型で、何も描かれていない仮面を被り、マントで姿を覆い隠している。
ポルックスは叫びながらマントを広げた。
そこには体中にびっしりと『目』が敷き詰められている。
そして仮面が砕けた。顔にも、首にも、びっしりと『目』がある。
「やつねれくじゃまち!」
その目が光ったかと思うと、光線が発射されてショッピングモールに直撃する。
ポルックスは恐怖で嘔吐した。しかし口も胃もないから、かわりに全身の目から光線を発射する。
爆発が起こった。悲鳴を瓦礫が押しつぶしていく。
潰されて死んだ人間もいるだろうが、運よく生き残ったものたちもたくさんいた。しかし生き埋めになった彼らは恐怖で叫ぶ。
暗い。痛い。そして――、熱い!
ポルックスは泣いていた。怖いからだ。
彼の涙は人間のものよりも勢いがいい。
消防車が放水するような勢いで全身の目から涙を飛ばす。
そしてこの涙と類似したものがあるとすれば、それは燃料だ。
「助けてぇえぇ! 助けて助けて助けて――っ!」
生き埋めになった誰かが必死に叫び、視界をふさぐ瓦礫を叩き始めた。
もちろん瓦礫はビクともしない。でも早く逃げないと火がやってくる。
それは足元に感じる熱でわかった。
その足は瓦礫に挟まって動かない。
動けない。
生き埋めになっている人たちはあまりの恐怖でおかしくなりそうだった。
いっそ舌を噛んでしまおうか、などと思うくらいには。
二本目の光の柱。そこでも悲鳴が聞こえている。
私は。彼。吊り橋。嫌だといった。
無理だと言いましたよね? だったら動けないことを笑うのはおかしい。
この×××が! あぁぁぁああ! いつかそれはまたそして誰もかれも夢が――ッッ!
私は馭者。『高所恐怖症』のカペラ。
そのパラノイアはクレーンに似た乗り物に『立っていた』。
立っていたというよりは立たされ、縛り付けられていた。
クレーンは浮遊し、アームから伸びたフックが、逃げようとする人を捕まえる。
クレーンの下は車ではなく、浮遊装置だった。
カペラは捕まえた人間をぶら下げていた籠の中に入れる。
そのままある程度、籠の中に入れると、クレーンは急加速して上空四千メートルにまで達する。
そしてフックで籠の中を漁り、人間を取り出した。
「助け――! うぎぃい!」
最初の被害者は銀行に勤める女性だった。
浮遊装置から伸びたサソリの尾のようなものが、女性の背中に突き刺さる。
正確には何かを植え付けられた。巨大な卵のようなグロテスクなものだ。
そこでクレーンが振り上げられ、女性は大空に放り投げられた。
カペラはそれを繰り返す。人間に球体を植え付け、投げ、植え付け、投げる。
ではこの球体は何なのか。見れば点滅しているのがわかる。
爆弾だ。カペラはターゲットを人間爆弾にして、空から落とし、街を破壊するのだ。
合計被害者は六人。パラシュートもなく落下していく彼らに、助かる術はない。
そして三本目の光の柱。海辺にある病院が狙われた。
細長い触手が小児科の窓を突き破り、子供たちの足に巻き付いて持ち上げる。
そのまま強引に病院の外へ引きずり出すと、ゆっくりと海に引きずっていく。
「助けてママぁ! いい子にしますから。たすけて。たずげで! やだぁああ!」
泣き叫ぶ子供たちを捕まえようといろいろな大人が努力するが無駄なのだ。
子供たちは次々に海の中に落ちていき、沈んでいく。
海中ではヘルメット式のダイビングスーツを纏ったパラノイアが恐怖に震えていた。
「ばぶべべぶばばい」
ごばっぼべぶぼぼばばばぶべっばっっばずげっっびばべべべべ。
そんなことがあったの。
それからです。
ぼくは子犬。『海洋恐怖症』のプロキオン。
プロキオンは子供たちの足首に、鎖の先に錘が付いたフックを突き刺していった。
激痛。息もできず、子供たちは真っ暗な冷たい闇の中に消えていった。
「まずいよイゼさん!」
ミモが叫んだ。叫ばないとサイレンや悲鳴で聞こえないからだ。
「早く助けにいかないと!」
「だが! この目の前にいる悪党を放っておくわけにもいくまい!」
「本気で言ってんの? そもそも和久井が犯人って決まったわけじゃ――」
ミモとイゼは気配を感じて、そちらを睨んだ。
「大変なことになってんなァ。オイ……!」
室町アイ、その両隣には市江と苺がいた。既に変身しており、銃を発砲する。
注射器ではなく、魔法で作った弾丸も発射できるらしい。
それは今まさに立ち上がって逃げようとした和久井の足に直撃する。
「ギャァアアアアア!」
血が散った。和久井は悲鳴をあげて転がりまわる。
「いでえぇぇえぇええ! あぁぁがぁあ! ぐっぉ! ぢぐしょうッ!」
「ハハハ! こんなヤツ、さっさと殺しちまって、人助けといこうぜェ? もたもたしてるとフィーネがグチャグチャになっちまうぜェ?」
アイはご丁寧にアポロンの家の方向を指さした。
子供たちがパラノイアに殺される映像が浮かび、ミモは反射的に駆け出した。
しかしそれを怒号で呼び止めたものがいた。和久井だ。
「ま、待ってくれ! 頼むミモ! オレを助けてくれ!!」
「ッッッ!」
一緒にカラオケに行ったくらいの思い出しかないが、それでもミモには和久井を置いて駆け出す気分にはなれなかった。
ただ焦っていたのは和久井も同じだった。
とにかく今はミモを味方につけないと命が危ういと思ったのだろう。
言わなくてもいいことをベラベラと口にし始める。
「金は払うから! お前のことッ、もう頭悪そうなんて思わないから! お前で抜くようにするから! 推せばんだろ推せば! ほら、どうしたんだよ! なんか言えよ! 早くオレを助けろよクソがァ! ブッ殺すぞ脳みそ足りねぇアバズレがぁあ!」
それはとても助けを求めるもののすることじゃない。
なんでそんなことを言うのか。もしかしたらそういう人間だからなのか。
その時、ミモでさえ思った。
こいつはゴミだ。だから捨てればいい。捨てなければならない。
仕方ない。
和久井の目は血走り、悪臭を漂わせていた。
限りなくゴミに近い男だったのだから。こんな男に時間をかけるのがもったいない。
「……イゼさんの好きにすれば? 行こうモア様」
モアは迷っているようだった。和久井を見捨てることに抵抗があるようだ。
するとミモはモアの腕をつかんで強引に連れて行こうとする。
「おい待てよミモ! ど、どこに行くんだよ! へへへ! 待て。待てって! 悪かった。焦ってたんだよ。痛いから。って、なあ、おい! 待てよテメェ! ガチで殺すぞ!!」
和久井は立ち上がる。そこでイゼに腹を切られた。
傷は浅いが痛い。血が出た。
和久井は倒れて叫ぶ。そこで上空にいた舞鶴と目が合った。
『ご』
舞鶴の声が聞こえた。気がした。
『め』
舞鶴は一文字ずつ、はっきりと聞こえるように言う。
『ん』
「ごめんって……、なんだよそれ?」
和久井が聞き返すと、舞鶴は微笑んだ。
『死んで』
………。
「ふざけんなよぉおぉおぉぉぉ! 舞鶴ゥウぁあッッ!!」
和久井は立ち上がる。そこでアイに撃たれた。
血をまき散らしながら再び地面に倒れる。すると血で濡れた指で頭をかきむしる。
「テメェのためにやっだのに! あぁぁああクソクソクソクソ! 死ねよクソがァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
怒りに吠えていたが、イゼが近づいてくるのを見つけて、その叫びは恐怖に染まった。
「た、頼むよ! なぁ、殺さないでくれよぉ。オレは利用されてた被害者なんだ! 舞鶴の居場所も全部教えるから助けてくれ! なんだったら、オレが舞鶴をアンタらの代わりに殺してやるから! なあ頼むよ! なあ、なあって! おい聞いてんのか!?」
イゼは聞いていなかった。昔を思い出していたからだ。
妹のナナコは苦しそうに呻きながら、イゼの手を握った。
『おねがい。おねえちゃん。人殺しをする人だけは許さないで……! たとえ犯人を殺めることになったとしても! 罪を背負ってでも! 誰かを不幸にする人を絶対に許さないで! そしてそれが男の人だった場合、容赦はしないで! ごめんね。でも、ナナコのお願いだから! どうかお願いね!』
そう、そうだ。ナナコのために。
「和久井ッッ、お前を殺す!」
「ざけんな……! ざけんなざけんなふざけんなァあァァぁアァあア!」
和久井は悲鳴をあげて逃げ出す。
誰も彼を助けない。
むしろモアのもとへ向かうのを塞ぐようにして、ビッグフットが落下してきた。
それがミモの答えというわけだ。
彼女は悪人ではないが、聖人君子でもない。
この面倒な時間が和久井を殺して終わるなら、それでもよかった。
モアは迷っている。
迷っているからこそ、さっさと殺したほうがいい。
立ちすくむ和久井にむかって、苺が突進を打ち当てた。
情けない声をあげて地面を転がって、立ち上がったところで、アイに全身を撃たれ、血をまき散らした。
「なんだよお前ら! なんなんだよ! ちょっと手元が狂っただけだろ! 殺しちまったもんはもう仕方ないだろ! 許せよ! いつまでキレてんだ! あぁあ! クソめんどくせぇ女どもだな! 生理中か? ちょっとは冷静になれよ!」
叫ぶ和久井だが、その時、すさまじい冷気を感じた。
市江のハンマーから発生したものだ。すると和久井の足元が凍り付き、動きが完全に拘束された。
そこでイゼが剣を持って近づいてくる。
「まさか魔法少女が結束して倒すのがコイツになろうとはな」
「ま、待って! 許して! 失礼なこと言ったなら謝るから!」
和久井は必死に命乞いをするが、もはやイゼに聞く耳はない。
「もたもたしている暇はない。さっさと始末して正義を執行する!」
イゼは剣を振り上げる。和久井は純粋な悲鳴を上げる。
「うぎゃぁあぁあぁぁぁぁぁあぁああ!」
そこで剣が振り下ろされた。
………。
「なに――?」
イゼは目を見開いた。それはアイたちも同じだ。
和久井を殺すための剣が、和久井を殺せていない。
右手。
右手だ。
右手のせいだ。右手が剣を掴んだせいだ。
だがそれは、ただの右手ではない。
「……くそ」
和久井は仰向けに倒れていた。
思わず口から漏れた言葉は、少し変だった。
助かったのだからもっと喜ぶべきだ。
事実、彼はとても安堵していた。
なのに気に入らないといった顔で空を睨んでいる。
迫る剣がスローになった時、和久井の視界には走馬灯が広がっていた。
死ぬ前に、今までの人生がフラッシュバックされていく。そこで『モンバス』を思い出した。
一時、ほんのわずかな青春。
しかしはて? ゲームはいつやめたんだっけ?
みんなと疎遠になった時もしばらくは売らなかった。
そうだ。一人だけいた。あのゲームで一緒に遊んだヤツが。
本当にカスプレイヤーだった。
モンスターを狩ることに胸を痛めているようだった。
たかがゲームだぞカス。一緒にやるのが面白くないから、思い出にもなってなかったが思い出した。
でも変な奴だったな。
ゲームでオレがやられそうになると、一気に動きが変わって助けてくれるんだ。
それを思い出した和久井の視線の先に――、虹があった。
「大丈夫か? 和久井」
とても綺麗な虹だった。
とっても綺麗な虹だった。眩しくて、温かいから、どうしても涙が出てしまう。
「またテメェかよ。またテメェがおいしいとこ持ってくわけかよ。なあ?」
剣を掴んだのは、ただの右手じゃない。ヒーローの腕だった。
「べつに。俺はただ、友達を助けに来ただけだ」
虹色のバリアがイゼを吹き飛ばす。
真並光悟は、確かに和久井の前に立っていた。