第52話 血まみれの腕-3
「死にたくない!!」
和久井が手裏剣を投げたのを見て、舞鶴は顔を赤らめて叫ぶ。
「うぴょおぉ! きたぁあああああああああああああああ!!」
舞鶴が思念で手裏剣を動かし、まずは向かってきたカーバンクルに直撃する。
『ぐげぇ!』
苺が地面に落ちた。
そこで手裏剣は大きく旋回して橋の上を走っていたバスの窓を突き破って中に入った。
悲鳴は一瞬だ。
走行するバスの窓に血しぶきが次々とかかり、真っ赤に染まっていく。
運転手が死んだバスは周囲の車に激突しながら減速していき、やがて動きを止めた。
車外に漏れ出る大量のソウルエーテル。
上空に控えていたサンダーバードはそれらを一つ残らず吸い込んでいく。
そして手裏剣は旋回しながら和久井の傍に落ちた。
ゴチに、なりやす!
「なんでそうなるんだよぉぉぉぉおぉお!」
無様な姿だ。
舞鶴は必死に笑いを堪えながら和久井の傍に着地する。
そこで気付いた。カーバンクル・苺がどこにもいない。
「???」
逃げたのか。いずれにせよ問題点は隠れ家がバレてしまったことだ。
イゼにも情報がまわると非常にまずい。だが奈々実復活が近づいたことは喜ぼう。
「今はここを離れましょう。仲間が来る前に」
和久井の返事は無視して、舞鶴は彼を連れて飛び立った。
◆
イゼ、モア、ミモは行きかう刑事たちを見ていた。
現場検証に立ち会っているのだが、そこでミモは泣きじゃくる小さな女の子と、それを抱きしめている中学生くらいの少女を見つけた。
二人の前にはブルーシートがかけられた遺体がある。
「母親らしい。母子家庭だったそうだ」
それを聞いてモアは腰を抜かした。真っ青で、苦しそうに呼吸を繰り返している。
「どうしてこんな酷いことができるのでしょう……!」
「大丈夫? モア様ッ!」
すぐにミモが背中を擦るが、モアは苦しそうに蹲った。
心が得体のしれない感情に支配される。それはモアにとっては耐え難い苦しみだった。
俗なものを抱えていてはお月様にはなれない。
月ではないモアなど、ただの人間。
人間といえば、パパとママ。
するとモアの脳裏にあの時の光景が広がってくる。
青い電撃が迸った。モアは神の降臨を願う。
祈らなければならない。近づかなければならない。
でなければまたあの悪夢が訪れるだろうから。
これは、そうだ。『恐怖』だ。月は恐怖を抱かない。
「………」
一方でイゼは怒りとも悲しみともつかぬ表情を浮かべた。
果てしない焦燥感が渦巻いているが、その理由は持っていた携帯に表示されている『映像』である。
フィーネ専用の動画投稿サイトについ先ほど投稿されたものなのだが、そこにはこの凄惨な事件の犯人が記録されていた。
「和久井、閏真……ッ!」
和久井が手裏剣を投げた映像が記録されている。
さらにカメラはその手裏剣にフォーカスを当て、バスに侵入して血しぶきが窓を汚すところまでが記録されていた。
もはや和久井の犯行であることは明白だった。
これで学校の生徒たちを細切れにした犯人も彼だということが予測される。
ただそうなると、この映像を撮影したのは誰なのか?
(舞鶴か……? なんのために映像を残した?)
イゼは強く、それは強く拳を握り締めた。
リゲルの件にしても、この今にしても、もっと自分が強ければ犠牲者を出さずに解決できたかもしれないのに。
いろいろ考えるのは泣きじゃくる幼い女の子の声が聞こえているからだ。
和久井の動画は現在、元動画は消されているものの既に転載されたものが出回っており、誰もが凄惨な殺人を目にすることができる。
『おねえちゃん、お願い――』
病弱な妹は、よくイゼにお願いごとをした。
自分の命が長くないことを知っていたから、未練や希望を自分なりに消化したくて、イゼに託していたのだろう。
『わたしみたいに泣いてる妹がいない世界を創ってね』
ナナコなりの優しさだったのだと思う。
何もできずに悲しんでいるイゼに少しでも楽になってもらえるよう、『妹』という存在を特別視して、それを救えという。
世界中の妹が幸せになれば、たった一人だけ幸せにできなかった妹がいてもいいんじゃないかと思わせたかったのだろう。
イゼはそれを理解していた。だからこそ取りこぼした自分が許せない。
そして理由はどうあれ、その原因を作った和久井が許せない。
彼は人を殺した。それは事実だ。
教室内での犯行はまだわからないが、バスの殺人は確定的である。
「――すぞ」
「え?」
刑事の声や、泣き声で聞こえず、ミモは聞き返した。
するとイゼは振り返る。その目を見て、ミモはゾッとした。
「和久井を殺すぞ」
「……ちょっと、イゼさんマジで何言ってんの?」
「ヤツは人を殺した。その責任は負うべきだ」
「それはッ、そうかもしんないけど! でもまだ和久井がやったって決まったわけじゃないでしょ!」
「ミモ! 貴様はあの映像を見てもそう言えるのか! あの子たちを見てもそう言えるのか!」
イゼは母親の死体の前にいる姉妹を指さす。そうなるとミモも言葉が詰まった。
「和久井は確実にあの子たちの母親を殺したのだ! 裁きを下すべきだ!」
すると、ミモを庇うように、笑顔のモアが立つ。
「いけませんよイゼさん。人が命を奪うことは罪。だったら、イゼさんまでもが罪人になってしまいます」
「……?」
ミモはすぐにモアの顔を覗き込んだ。
なにか、違和感を感じる。先ほどまで苦しそうにしていたのに、それが嘘のようにニコニコしていた。
「貴女が人を殺めれば周りの人はどう思いますか? だから、ダメですよ、イゼさん」
「――ッ! すまぬシスター。少し冷静さを欠いた」
「ふふっ、よかったぁ」
にこにこ、ふわふわ、モアは死体に囲まれている。
夜。和久井たちは別のアジトを見つけていた。
島の端にある焼き肉屋だった。
オーナーがトラブルを起こしてずいぶん前に潰れたが、解体が終わっていないため身を隠すにはちょうど良い。
和久井は寝ころんだまま時間を過ごした。
舞鶴は傍にいるけれど、会話はない。
それはそれでもったいない気もする。いつだったか授業中に妄想した。
オレと、女が、平日の誰もいない町を逃げるようにして歩くんだ。
その逃避行で破滅的な愛情を育んでいく。
二人で海を見るのもいい。お世辞にも綺麗とはいえない砂浜で灰色の海を見るんだ。
語るのは夢や希望なんて前向きなものじゃない。死や恨み、妬みつらみだ。
考えてみれば、今はそのシチュエーションに似ている。
しかも傍にいるのは舞鶴だ。
これはとてもいい状態なのではないだろうか。
そう、思う。だけ。
「あ」
やがて舞鶴が口を開いた。和久井は何も喋らない。
舞鶴はお構いなしに携帯を見せてくる。
そこにはフィーネのニュースが映っていた。アナウンサーが淡々と告げる。
つい先ほど、和久井の父親が殺されたらしい。
和久井の殺人動画が出回ったものだから、SNSで父親の勤め先がバレて乗り込まれたのだ。
和久井の父はまさか子供がナイフを向けてくるなんて思いもしなかった。
ニュースでは詳細は伏せられていたが、犯人は和久井に母を殺された姉妹の姉のほうだった。
それに伴い舞鶴と和久井の写真が公開され、行方を追っていると明かされた。
この二人を見かけたら、警察に連絡するようにとのことだった。
「ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて」
女優、舞鶴。声を震わせてみる。
男、和久井。陥落。惚れた女を悲しませてはいけない。
白目をむきながら、笑顔を浮かべた。
ほら、気にしてないぜ舞鶴。だからオレを好きになれ。
「……アイツうざかったからなぁ。死んでせいせいしたぜー! ひははははは!」
こういう時、男はピエロ役になっても女を楽しませるものだと父親に言われた。
あ、そうか。その父親が死んだのか。でもまあいい。最近、本当にウザかったし。
「殺されたの。復讐は、どう、する?」
「んべつにー。する価値もないってヤツだよ! 気にすんなって」
和久井の手が震えていた。その時、舞鶴は思った。
(てかコイツくさくね?)
舞鶴は気づく。
和久井はもう長い間、風呂に入ってなかった。
それは自分もだ。舞鶴はゾッとした。かつてないくらいの恐怖を抱いた。
今までは奈々実復活のため、とにかく命を集めていればいいと思っていたが、いざ奈々実を抱きしめた時に臭いと思われたら自殺する。
(やばい……! やばいやばいやばい――ッ!)
こんなことをしている場合ではない。舞鶴は和久井を放置して外に出た。
とはいえ、いったいどこに行けばいいのか。自宅はマークされていると思うし、スーパー銭湯は人が多い。ネットカフェだってリスクがあるし。
(私は別に殺してないってことになってるから、最悪捕まってもいいんだけど)
なんてことを考えていたら、みゅうたん1号と目があった。
舞鶴は固まった。じっとりと汗が浮かぶ。
『うざ。心配しなくても、知らせないわよ』
「え?」
『どいつもこいつも。アタシは誰も味方でもないっつぅの!』
みゅうたんはプイッとそっぽを向いて、しっぽをブンブン左右に振った。
なんだかよくわからないが、助かった。舞鶴はみゅうたんを通り過ぎて――
『やめないの? やめたほうがいいと思うけど』
「……ッ」
『ろくなことしてないんでしょ? どうせ。やめときなって』
「………」
舞鶴の目は、据わっていた。
(やめてたまるか!)
みゅうたんを無視して、舞鶴は歩いていく。
『待って』
みゅうたんは尻尾で右側の道を指示した。
『こっちにいけば、お風呂に入れるわよ』
「………」
舞鶴は猛スピードで戻り、みゅうたんが示した道を歩いて行った。
しかし舞鶴だってこの周辺の地形は事前に調べてある。銭湯の類はなかったはずだ。
(あのクソ猫、適当なこと言ったなら殺してやる)
それにしても、猫か。
舞鶴は昔は思い出した。
猫好き有名人スペシャル。
あの番組を見た後に、猫に熱湯をかけて殺す虐待動画をDMで送ったっけ。
誰に? わからない。忘れた。なんで? わからない。忘れ――
『猫、飼って!』
母親は何も言わなかった。
何も言わずに仕事に出て行った。
それはおかしい。舞鶴は憤慨した。家には自分一人なのだから、誰かが一緒にいるべきだと先生は言った。
みんな親やお祖父ちゃんなんかがいると言っていた。
でも舞鶴は一人だ。
だからペットで妥協してあげるというのに断るのはおかしい。理不尽だ。
そんな昔の話だ。舞鶴は首を振って、歩行スピードを進めた。
「あ」
ミモが前にいた。
「お風呂、入れてあげるよ。ただし、一緒に入ろ」
◆
アポロンの家のお風呂に、舞鶴はいた。
「あのシスターは?」
「お祈りしてる。え? てかさ、なんで縮こまってんの?」
(テメェに乳首見せたくねーからだよ! ぼけ!)
本当は、裸を見せるのは奈々実の前だけがよかった。
しかしそれでも風呂に入れるメリットは大きい。
奈々実と再会したら、告白する。きっと彼女は受け入れてくれる。
そうなると即性交という可能性は十分にあった。
それならばというわけである。
それに奈々実の裸を誰かに見られるよりかは何万倍もマシである。
だから舞鶴はお湯の中で体育座りをしている。
そして何気に目を見開いて、体を洗うミモを見ていた。
「なにがあったの?」
頭を洗いながら、ミモはさらりと聞いた。
舞鶴は一点を見つめていた。馬鹿そうな見た目をしていると思ったら本当に馬鹿だったんだと思う。
ミモは泡が入らないように目を閉じている。
目を閉じているから簡単にスパッと殺せる。バカだ。たぶん。
「……私が、武器を、渡した。和久井に。パラノイアから守る方法が、いるって、思った、から。でも、それで和久井が、みんな、を、殺しちゃった」
「なんで? 和久井がみんなを殺したいって思ったわけ?」
「特別クラスしか行ってないとはいえ、登校中は、出会うでしょ? 殺されたグループ、結構、細い道でも、真横に広がって歩いてたから……、一回、和久井が注意っていうか、文句を言って、揉めたみたい。私は和久井に、自分から罪を認めてほしいって、思ってる。友達、だから」
「そっか。だから一緒にいたんだ。納得」
(あー、こいつもマジでバカで助かった。私がなんであの教室に行ったかとかは聞かないわけね? オーケーオーケー。楽でいいー!)
「あたしも力になるよ。なんでも言って」
ミモも使えるかもしれない。
ここは適当に褒めて、好感度を稼いでおこう。