第47話 デッドエンド-2
一方、そんなことをまったく知らない和久井は、特別クラスでのんきにジュースを飲んでいた。
(喜んでっかな舞鶴のヤツ。このまま惚れてくれたり……)
正直パラノイアが何なのかとか、蘇生がどうとか、魔法少女がどうとかこうとか、そんなことはどうでもよかった。
気になることといえば舞鶴が処女か処女じゃないかくらいだ。
不思議なものでパラノイアに襲われた時はもう二度と関わりたくないと思ったのに、一日経ったらなぜか不思議とその感情は消えていた。
むしろもっと大きな興奮があった。そういえば、つり橋効果というものがあるらしい。
こういう馬鹿げた状態であれば舞鶴との仲をもっと簡単に進展させることができるのではないかと思ってしまう。
「和久井ってさ、舞鶴のこと、マジで好きなの?」
ギョッとして振り返ると、ミモがいた。
「態度でバレバレだよ?」
「はぁー? ま、まあ……、べつに普通だよ」
「ダサッ! 好きなら好きって言えばいいのに!」
「うるせぇ! なんなんだよテメェは!」
するとミモは少しモジモジとし始める。
「べつに。手伝ってあげてもいいなって思っただけ」
「は?」
「好きなら協力してあげるってこと。あたしがモア様を誘って、アンタが舞鶴を誘えばダブルデートしやすいでしょ?」
和久井は固まる。
なんだか変な感じがした。言葉がひっかかるというか。
しかしまあ言葉とは人それぞれのニュアンスがあるわけで。
ミモなんてのは適当そうだから、特に何も考えていないんだろうと割り切る。
さて、ミモの誘いは悪くない話だが、さすがに今は違う。
「お前、あのでっかい魔女帽子のヤツ、どこに住んでるか知らないか? とっちめて、あのキラキラした玉を取り返してやる」
「マジやめときな。向こうは魔法少女なんだから、アンタじゃワンパンで終わりだよ」
たしかにその通りである。
アイが人間を超えた力で戦っているのをその目で見たというのに、どうしてそんな単純な思考になったのか自分でもよくわからなかった。
「だいたい、あたしもアイたちがどこにいるかなんて知らないし」
「そうだ! あの、みゅうたんってヤツに聞けばいいんじゃねぇの? 魔法少女の居場所は知ってるみたいな話だったろ!」
「ンなもん真っ先に考えたってば! でも、連絡つかなくなっちゃって」
今までは頭の中で呼びかけるテレパシーを使えば簡単に連絡が取れたのに、なぜかアイが舞鶴のソウルエーテルを奪った辺りから音信不通になったという。
「その時は無理でも、今は繋がるかもしれないだろ。もう一回呼んでみてくれよ」
「えー? そんな簡単に……」
そこでミモは真顔になる。
「やば、いけそう」
ミモはこめかみを抑え、遠くを見つめる。
「あ、みゅうたん? 今からこっち来れる?」
光が迸った。机の上にみゅうたんが降り立つと、和久井はすぐに駆け寄っていく。
「おい、ちょっと聞きたいことがあるんだよ」
『……?』
「あのアイってやつ、今どこにいるんだ? お前ならわかるんだろ?」
『は? アタシが知るわけないでしょ。つか知ってても態度が気に入らないわね』
「え?」「へ?」
ネコなのに喋ったから驚いたのではない。
その件は何度もやって、もう完全に終わった。
和久井とミモが目を丸くしたのは、みゅうたんの雰囲気がなんだか変だったからだ。
『ってか、えええええ!?』
突如、みゅうたんが大声をあげた。
『あ? ん? ああ、そっか。だってアタシはみゅうたんだもんね。そりゃそうよね』
かとも思えば、自分で勝手に納得している。
「おいおい、何言ってんだ? マジで大丈夫か?」
『うざ』
「はぁ!?」
『うざいって言ってんの。それよりアイの居場所が知りたいんでしょ? アタシ知ってるから教えてあげてもいいけどー?』
ますます意味がわからなくなった。
つい先ほど、みゅうたんはアイの居場所なんて知らないと言ったばかりじゃないか。
それなのに今は知っているという。
まあだが、これはチャンスだ。和久井はご丁寧に頭を下げてお願いをしてみた。
『いいわ。ふふん、教えてあげる。アイは今』
「ッ!」
『………』
「お、おい。どこにいるんだよ」
『知らなーい』
「へ?」
『忘れちゃった』
「はあああああああ? ふざけんなよテメェ!」
苛立って掴みかかろうとしたら、みゅうたんはヒョイと避けて、和久井にネコパンチをくらわせた。
◆
愛しい愛しい●●。
よく聴いて。昨日はありがとう。
でも足りない。まだ足りないの。だからいいことを教えてあげる。
実はあなたが集めた――
アイのアジトは、とにかく暗い。
遮光カーテンのせいだけではなく、窓全体を新聞紙で覆っているからだ。
中はそれなりに荒れ果てて、食器や衣服、壊れた家具が散乱していた。
アイはボロボロのソファに寝転んで腕で目を覆っていた。
客人が来る。そう思ったのは拳で叩き割った鏡の欠片を誰かが踏んだ音が聞こえたからだ。
「寝る時くらい帽子を脱げばいいと思うです」「そうだぞ! 禿げちゃうぞ!」
苺市江。二人はいつもギュッとくっつきあっている。
ちなみにアイが鏡を叩き割ったのは『優しさ』からである。
まあ今は関係のない話だ。これは忘れてもらっても構わない。
「テメェか。なんだよ」
「学校で面白い話が聞こえてきたです!」「おどろきのニュースだぞ!」
「みゅうたんだろ」
「あれ? もう知ってるのか? 耳が早いぞ」「ですです!」
「アタシも正直ビビった。ずいぶんやさぐれてるらしいな」
アイは帽子が脱げないようにして体を起こす。
「きっとただのシステムエラー。アタシらのすることは変わりない」
「言われた通りにしてきたぞ! な、市江!」「です。ちゃんと手紙を入れてきたです」
「サンキュー……」
「ん? どうしたんだぞ。顔色が悪いぞ」「お疲れですです?」
「まあな。ちょっと慣れないサプライズ。やるもんじゃァない」
「???」「???」
「まあいいだろ。それよか、わかってると思うけど」
「それ、たぶん千回は聞いたです」「地下の部屋には入るな! わかってるぞ!」「むしろ逆に気になるです。ね? 苺」「だぞ。そもそも施錠されてて無理だぞ」「です。あの魔法を打ち破るなんて無理です」
本物の――、魔法を。
◆
みゅうたんがやさぐれた。
イゼにも、モアにも、舞鶴にもその原因はわからなかった。
そして舞鶴にとってはそんなこと心底どうでもよかった。アイたちの居場所がわからないのなら構っている暇はない。
しかし昼休みに思いがけないメッセージが届き、すぐに学校を飛び出した。
アイが指定した場所で待っていると、市江からの伝言がパンに貼ってあったのだ。
舞鶴は一心不乱に走った。
行きかう人々が気味悪そうに見つめてきたが、気にしなかった。舞鶴は本気だったからだ。
他人の目なんてどうでもいい。他人なんてどうでもいい。
舞鶴はアイを殺してでも、ソウルエーテルを奪ってやると意気込んでいる。
しかし舞鶴の心が大きく歪むことになる。アイが指定した場所とは、奈々実の家だったからだ。
「なんでアイツ、この場所、知って……ッ」
窓ガラスは割れており、庭は雑草が伸びっぱなしで手入れをした様子はない。
ましてや表札のところに張り付けてある『空き家』の文字。
舞鶴は怯んだ。
いつも舞鶴の家で遊んでいたため、奈々実の家に遊びに行ったことはない。
いつも家の前でお別れをしていたが、まさかこんな形で入ることになろうとは。
それにしてもいくらなんでも状態が悪すぎる。少しの時間で、ここまで劣化するものなのだろうか?
「あ……!」
土足で玄関を踏み越えた時、舞鶴の中に優しい気持ちが湧いてきた。
奈々実に会いたい。奈々実とお喋りがしたい。奈々実ともっと――
気づけば舞鶴は扉の前に立っていた。
無意識に歩いてきたが、まるで吸い寄せられるように奈々実の部屋にたどり着いたのだ。
扉を開くと、驚きで固まる。
そこは外から見る印象とはまったく違っていて、とても片付いていたからだ。まるでつい先ほどまで奈々実が過ごしていたかのように錯覚する。
家具も綺麗で、埃もない。あまりにも矛盾した空間だった。
舞鶴は一瞬、甘い錯覚に陥った。
奈々実は死んでいなかったんだ。嬉しくなって、ニヤニヤして、ついベッドに飛び込むなんて悪戯をしてしまった。
大きく息を吸い込むと、微かに奈々実の匂いがして、舞鶴は頬を桜色に染めた。
奈々実の笑顔が頭の中に広がった。
舞鶴は大きく息を吸い込みながら、無意識に股に手を伸ばしていた。
しかし次の瞬間、血まみれの奈々実が飛び込んできた。お腹に穴が開いていて、胃や腸がボトボト零れてきた。
『じ、死ぬッッ! だずげで舞鶴ぢゃん! ぐるじぃいぃいい! ウゲェエエエエ!!』
奈々実はそう叫んで死んだ。我に返った舞鶴は嘔吐しながら体を起こす。
「んァ、やっちゃった……」
ベトベトになったベッドから離れると、舞鶴は近くにあったティッシュで口や涙をぬぐっていく。
そこで気づいた。机の上に何かが置いてある。
日記帳だった。舞鶴は迷わず中を確認してみる。
一瞬、すぐに舞鶴は日記帳を閉じた。
でないと心臓が止まってしまうと本気で思った。
そこにはあまりに恐ろしく、あまりにおぞましい内容が書かれてあった。
舞鶴は気が狂いそうになるのを必死に抑えながら、ゆっくりと字を追っていく。
〇月△日
ゴミ美ちゃんにトイレで叩かれた。
わたしが舞鶴ちゃんの味方をしているのが気に入らないみたい。
クラス全員でいじめるって言われた。
とっても悲しい。
だいじょうぶ。わたしは、何も間違ってなんかない。
みんなもきっとわかってくれる。
〇月□日
ウン子ちゃんに無視された。
ウン子ちゃんはみんなと仲がいいから。
みんなウン子ちゃんの味方をしてわたしを無視する。
無視しないでって言ってもダメだって言われた。
SNSでわたしの悪口をいうためのグループがあるんだよって教えてくれた。
なんだか悲しくなっちゃった……。
〇月◇日
ゲロ男くんがわたしの大切にしてたおまもりを壊した。
ひどい。ひどいよ。わたしは何も悪いことしてないのに。
あれはとっても大切なものだったのに、それを笑いながら壊すなんてひどいよ。
もう耐えられない。ずっと泣いてる。
でも舞鶴ちゃんに心配かけたくないから、相談できない。
ママにも相談できない。吐き気がとまらない。
どうしよう。
〇月×日
くるしい。くるしい。たすけて。誰かたすけて。
やめてって言ったのに、
カス男くんに無理やり●●●されて●●●を●●●に、●●●●●。
つらい。●●●はもうやだ。
こんなんじゃもう誰にも愛してもらえない。お嫁さんになんてなれない。
死にたい。
「――!」
舞鶴は日記を落とした。
もう一度吐いた。胃液が喉を焼く。
一点を見つめ、唇を噛んだ。噛みちぎるほどに力は強く。だから血が滴っていく。
そこで舞鶴は壁に一枚の紙が貼ってあることに気づいた。
真っ赤な文字で書いてある言葉、奈々実は何を強調したかったのか?
舞鶴にはそれを見る権利があると思った。
紙にはこう書かれていた。
おばあちゃんに会いたい。
大好きなおばあちゃん。
でも、ダメ、絶対。
じゃないときっとわたしは、大きな間違いを犯してしまう。
どうか、忘れないで。ソウルエーテルは――
舞鶴の中で何かが崩れる音がした。
◆
『前から気になってたんだけど、イチゴ大福のピンク色の、これ、ほら、おもちの部分』
「………」
『これってイチゴ味なの? イチゴ味でしょ? イチゴ味だと思って今まで食べてたんだけど、これ違ったら、えげつなくない?』
「………」
『イチゴ味だと思って、食べた時にイチゴ味のていで喋ってたから、もし違ったら、めちゃくちゃアイツらに馬鹿にされるんだけど』
「………」
『ん? アイツらって誰だっけ? ま、いっか。でもさ、イチゴ味じゃなかったら変じゃない? だってイチゴ大福なんだから、中にイチゴ入っているだけじゃ。大福とイチゴじゃない。イチゴ大福なんだからピンク色にしてあるんでしょ? 白いタイプの苺大福もあるもんね。じゃあ決まりよね? わざわざ色だけ付ける意味なんてないもんね。 って、あ! 見て、ほら見て! イチゴ! これ、すっごい大きい! イチゴ見て! イチゴすごい! おっきい! やった! 甘いかな? でもあんこが甘いから、なんかイチゴ大福のイチゴってどれも酸っぱく――』
「もう! みゅうたんいけません! お祈り中に話しかけないでって言ったでしょ!」
モアに怒られても、みゅうたんは大福を食うのをやめなかった。
そもそもネコが餅を食っても大丈夫なのだろうか?
妖精らしいから平気なのだろうが、どうにも気になって集中できない。
あれから少し話してみてわかったが、どうやらみゅうたんはまた記憶を失ってしまったらしい。
喋り方が変わったのは、おそらくそれが原因だろうと。