第46話 デッドエンド-1
しかしイゼは違った。
飛んできた注射器を剣で弾くと、そのままアイのもとへ走り、剣を振り上げる。
「アイ! どういうつもりか!? 答えよ!」
アイはニヤリと笑うと、銃をクロスさせて剣を受け止める。
「おいおいィ! まさか本当に仲良くなるためにココに来たとでも思ってんのかァ!」
競り合う二人のもとへ苺と市江が飛んでくる。
イゼはアイの腹を蹴って後退させると、マントを分離させた。
ひとりでに広がるそれは、まるで蛾の羽だ。
巨大な眼のような模様が描かれた四枚の羽がバリアを生み出し、市江が振るったハンマーを受け止める。
しかも羽からは鱗粉が噴射されていく。
これを吸い込むと動きを鈍らせることができるのだが、既にこれまでの戦いで情報は伝わっているらしい。
市江は息を止めるとハンマーを展開させた。
文字通り冷蔵庫が開くと、中から吹雪が発生して鱗粉を吹き飛ばす。
ただし羽そのものはビクともせず、むしろ眼状紋が光り輝いて衝撃波を発生させることで市江を吹き飛ばした。
一方、空中に浮遊した苺は、カーバンクルの口から炎弾を発射してイゼを狙うが、高速で動き回るターゲットを捉えることはできない。
標準を合わせることができてもイゼは剣を振って炎弾や注射器を弾いてみせた。
「室町! 冗談では済まされないぞ!」
イゼは踏み込み、アイに向けて突きを放った。
「上等だ! 冗談じゃなかったらどうする? アァ!?」
アイは体を逸らして攻撃を回避すると、イゼの手を絡めとる。
しかし気づけば投げ飛ばされていたのはアイのほうだった。
「チッ! さすがに英雄の孫ともなりゃあ、そこらへんのマヌケよか動けるってか!」
魔法少女になった時、ユーマが戦闘に必要な動きを情報として脳に流し込んでくれる。
しかしイゼの場合は血筋ということもあって、そもそもパラノイアと戦うための訓練を積んでいたのだ。
その差はやはり如実に表れるのだろう。
「あんま使いたくはなかったけど、しゃーねぇなァ!」
アイが後ろに下がっていく。
イゼは追おうとするが、そこで苺が突っ込んできた。
アイは二人が戦っている間に腰の部分から注射器を取り出して自分の腕に突き刺した。
中にある銀色の液体が体内に注入されると、唸り声をあげる。
そしてすぐに吐血。
どうやら身体能力を強化する液体らしいが、負担も大きいというわけだ。
口からだけじゃない。
鼻や、耳、目から垂れる血液。それだけでなく、ブチッと音がして皮膚の一部が裂けると勢いよく血が噴き出してきた。
「ダセェもんだぜッ!」
しかしデメリットのぶん、その効果はすさまじい。
アイが地面を蹴ると、目にもとまらぬスピードでイゼの真横につく。
イゼは飛んできた掌底を剣で受け止めるが、凄まじい勢いで後方へ吹っ飛んでいった。
その隙にアイは猛スピードで走る。
麻痺して動けない舞鶴の髪を血まみれの手で掴んで引き上げると、肩当になっていたサンダーバードの頭部を力任せに外してみせた。
「舞鶴ゥ! テメェはシステムってモンを理解してるかぁア?」
アイは血を吐きながら次々にユーマのパーツを剥ぎとっていく。
ある程度それを繰り返すと、舞鶴を投げて、落ちているサンダーバードの頭部を思いきり踏みつけた。
ヒールの部分が突き刺さり、サンダーバードが悲鳴に近い鳴き声をあげる。
さらにダメ押しのように銃で落ちたパーツを射撃していくと、異変が起こった。
「ユーマは頭部に制御装置が組み込まれているケースがほとんどだ。さらに各パーツが破損すれば、それだけ機能面でも障害が出てくる。そうなりゃア、もちろん戦闘面においても不利になる。多少なら問題ねェが過剰なダメージを受けるとそうも言っていられない」
サンダーバードのパーツが全て消失したのは、その時だった。
「ンなッ!?」
舞鶴の眉毛が太くなり、髪も焦げ茶色のボサボサしたものに変わる。
魔法少女のコスチュームはユーマから供給されるものだ。ユーマが故障すれば機能が封じられるのは当然である。
こうして舞鶴の変身が解除されたわけだが、心配はいらない。
ユーマには超再生能力があってどれだけ粉々になろうとも若干のタイムラグ程度で済むから魔法少女は心置きなくパラノイアとの戦闘に集中できる。
現に今も、時間にしてみれば約五秒ほどでサンダーバードの修復は完了し、舞鶴の背後に再出現する。
その時、アイが下卑た笑みを浮かべた。
「消失現象はユーマ自らが行う安全装置」
身体強化の反動で血が流れるのは、実は悪い話ではない。
チュパカブラはそれを利用できる。アイはずっと自分の血を腕輪にチャージさせていた。
入れた薬もそろそろ切れる。タイミングは今しかない。
「やめて!!」
危険を感じて舞鶴は叫んだ。でも遅かった。
フルパワーで放たれた赤いエネルギーがサンダーバードに直撃して、大爆発を巻き起こす。
ちまちま破壊してもユーマは逃げてしまう。
だから凄まじい威力で一撃破壊。するとどうなるか? 舞鶴は知らないけれど、アイは知っている。
「あッ、あ! アァ!」
舞鶴は目を見開いて震えていた。
粉々になるサンダーバードの破片の上では、いくつもの光球が漂っていた。
美しい天の川。そこへチュパカブラは突っ込んでいき、次々とそのソウルエーテルを飲み込んでいく。
「やめろォオオオオオオオオ!!」
舞鶴が悲鳴をあげた。濁音交じりの叫び声がおかしくてアイはケラケラ笑っている。
そこでイゼに殴られた。地面を転がっていくが、まだ笑っている。
だってもうチュパカブラは全てを捕食済みだ。
「ソウルエーテルを舞鶴に返せ!」
「ぎゃははははァ! 嫌に決まってんだろォお!」
同じことをされては困ってしまう。だからチュパカブラを消滅させた。
「ハハハハッ! まあ、でも、アレだ。アレだよ! アレアレアレ! アレらしいぜェ! ユーマは契約者が死ねばフリーになるってよ! だからほら!」
一瞬、真顔になる。直後またニヤリと笑った。
「返してほしかったらアタシを殺してみろ。それが無理なら、まずはアタシが蘇生するのを待ってろって、ハ! ナ! シ!」
左右にやってくる桃山姉妹。
アイが指を鳴らすと赤い霧が発生して、姿を隠していく。
イゼがすぐに剣を振って風を発生させるが、もうアイたちの姿はどこにもなかった。
同じくして薬が切れたのか、ミモとモアも再び動き始める。
「大丈夫ですか舞鶴ちゃんっ!」
モアに支えられて体を起こした時、舞鶴は完全に理解した。
今まで頑張って命を懸けてパラノイアと戦って、それで蓄えてきたソウルエーテルが全部アイに奪われたのだ。
(マジで殺すぞッッ! あのゴミ屑カス女ァァア……ッッ!! 死ね、死ね死ね死……、待って、待て、待ってよ。同じことすればいい? いや、無理ッ、さすがに同じことを狙うのはバレる。だからアイツ、すぐにチュパカブラを消してッッ! ならいっそガチで殺――ッ!? いやッでも、絶対イゼが止めてくる。いい子ちゃんが許すわけない。じゃあどうすれば? は? 待って、また一から集めなおしだけは無理。絶対無理!)
フラッシュバック。元から焦っていた。
どれだけ集めればいいかわからない状況だ。
もしも想像以上に集めなければならないとしたら? それは考えるだけでも最悪な話だ。
パラノイアの出現頻度から考えて、あと一か月も戦えば奈々実を蘇生させられると思っていた。
でももし一年後、あるいは五年後だったりしたらどうなる?
誰かが言っていた。学生の時はあっという間だったと。それは理解できる。
いつもの学校は最悪最低だったけど、奈々実といる学校は最強最高だった。
だからもっといろいろあるイベントを一緒にやりたいってずっと考えてきた。
今しかできないことがたくさんあったんだ。体育祭、文化祭、夏休み、海、旅行。
みゅうたんは蘇生させる方法は知っていたが、詳細はわからないという。
じゃあ蘇生させた時、奈々実は一体いくつなんだろう? もしも舞鶴が30代の時までかかったらどうなるの? そもそも蘇生させるチャンスはまだあるの?
パラノイアに殺されるかもしれない。
深刻なダメージを受けて障害が残るかもしれない。これからもアイに邪魔されるかもしれない。
ああ、考えるだけでムカついてきた。
そもそも、そもそも! どうしてご飯を作ってくれないの?
そもそもちゃんとしてくれてたら奈々実に出会わなくてもよかったのになんでこんなあんなそんな辛い想いをしてまでこんなこんなこんなあれあれあらららあらあぁあぁああぁあああぁ……。
奈々実に、会いたい。
「奈々実に会いたい」
「え?」
モアは聞き返した。声が小さくてわからなかったからだ。
「あと何年後……ッ?」
「舞鶴ちゃん? どうし――」
「ァァァアァアアァアアアァ!」
舞鶴が叫んだ。
怒りとも悲しみともつかぬ表情で地面を殴り、頭を掻きむしって転がりまわる。
その姿はまさにおもちゃ屋で駄々をこねるクソガキのそれじゃないか。
喫茶店から出てきた和久井は、そう思った。
◆
安槌イゼは、よく泣いていた。
それだけ祖母は厳しかった。
今にして思えばパラノイアと戦う運命が待っているのだから当然なのだが、幼いイゼにはそれを受け止めるだけの余裕がなかった。
きっと祖母も焦っていたのだ。
魔法少女とて老いていけば身体能力も衰えていく。
その状態ではいつパラノイアに殺されてもおかしくはない。
事実、既に娘夫婦、つまりイゼの両親を失っていた。
イゼがまだ幼い頃だ。
イゼの父が家にあった日本刀で妻を、つまりイゼの母の首を切断した。
そして槍を持ち出して首の断面図に突き刺すと、母の頭を掲げて褌だけになって踊り狂った。
『神輿でワッショイ! 神輿でワッショイ!』
それを見つけたイズが問うても、息子は同じ言葉を繰り返した。
『みコ死DEワっ史ょイ!』
その時、イズは悟った。
パラノイアの仕業に違いない。
奴らが魔法少女に復讐を遂げたのだと!
『切腹! 切腹にござりまする!』
イゼの父はどこからか取り出した小刀で自分の腹を掻っ捌き、それだけでは飽き足らず喉元に突き刺して絶命した。
イズは、後継者をイゼに絞るしかなかった。
安槌以外の人間に宿命を背負わせるわけにはいかない。
そんな決意もあったのだろう。
だがユーマにもそれぞれ適正というものがあるらしく、イゼとモスマンの相性は最悪だった。
はじめは拒絶反応で、モスマンがイゼを敵とみなし、殺そうとしてきたほどだ。
だからイゼを鍛える必要があった。
厳しく、激しく、そして時には己のエゴも入れて。
イゼが初めて家出をしたのは、イズが肩に桜吹雪のタトゥーを入れようとしたからだ。
そしてそんなイゼを迎えに来たのは、妹の『ナナコ』だった。
『おねえちゃん。いっしょにかえろ!』
幼いナナコの手を、イゼはしっかりと握った。
ナナコは優しかった。ナナコは可愛かった。ナナコには適性があった。
モスマンに選ばれるべきは彼女のほうだった。
イゼもそれに気づいた。イズも知っていた。ナナコもまた、それに気づいていた。
しかしそれでもイゼがモスマンの力を継承しなければならなかったのはナナコは体が弱かったからだ。
昔からよく風邪をひく子だった。お腹を痛め、貧血で倒れ、転んだだけで骨を折ったこともある。
理由はわからない。そしてやがて病を患い、入院することになった。
イゼは努力した。ナナコに心配をかけさせてはいけない。
いつか自分がちゃんとモスマンを使いこなせるようになれば、きっと良くなってくれると思った。
だがそんなものは所詮、自己満足でしかない。
ナナコは弱り果て、ついには機械に繋がれていなければ息をすることさえできなくなった。
『噴水がある公園であそんだの、おぼえてる?』
ある日の病院。か細い声だった。
イゼはナナコの手を握りしめ、ボロボロと涙を流しながら頷いた。
『とっても、たのしかった』
カサカサの唇で笑った。
しかしナナコは泣いていた。涙さえでないほど弱っていたが、イゼには分かった。
かわいそうに。苦しいんだ。辛いんだ。もっと生きたいのに、ああ、ああ。
死んじゃダメだと叫びたかった。ナナコはアイドルになるのが夢だと教えてくれたじゃないか。
そう叫びたかったが、叫ばなかった。弱りきったその姿を自覚させたくなかったからだ。今のナナコのやつれた姿を見て、だれがアイドルになれると思うだろうか。
イゼは凄まじい無力感に苛まれ、ただ涙を流すことしかできなかった。
『おねえちゃんは――……、生きて』
ナナコは壁に貼ってあるカレンダーを見る。
それは日曜日の朝にやっている、スーパーヒロインが活躍するアニメのものだ。
『おねえちゃんは――』
きっと多くの人を助けてあげられるよ。
わたしがいなくなっても、悲しまないで、だって世界にはもっとたくさんの人が悲しんでるから、その人たちを助けてあげて。
その声は、途切れ途切れで、少し喋れば疲れて言葉を紡げない。
だがそれでもイゼはナナコの声が聴こえた。だから頷いたのだ。
『おねえちゃんは、世界で一番のヒーローになってね……』
ナナコは死んだ。
その日からイゼは正義を求めた。正義のヒーローになるために生きた。
そして現在、朝。イゼは学校の屋上にいた。
襟首を掴まれている。目の前には、血走った目の舞鶴がいた。
「おちつけと言っている」
「お、おちついてられるかッ! あ、あああのクソ女! 絶対に許さない!」
アイたちは以前から学校には来ていなかったから、ここでコンタクトは取れない。
舞鶴はアイたちが住んでいるとされているマンションにも行ってみたが、もぬけの殻だった。
イゼは連絡先を知ってると聞いたので詰め寄ってみるが首を横に振られた。
「通じなくなっていた。私も場所は知らぬ」
「く、くソッ! くそく――ッ! ちくしょう!」
「魔法少女といえど簡単に島からは出られん。私も探してやるから、今は冷静になれ」
舞鶴はフェンスを殴りつける。それを見てイゼは表情を曇らせた。
「……舞鶴よ。お前は恐怖しないか? 人を蘇らせるということを」
「は?」
「魔法少女は神ではない。しかし蘇生を行えば神の領域に足を踏み入れることになる。魔法というものの代償がパラノイアならば、果たしてその次にあるものは何か?」
踏み込んではいけない領域。超えるなと、言われているような気がしてならない。
「人智を超えた何かがあると、私は思ってる。それは必ずしも希望ではない」
「そ、蘇生を諦めろって? 冗談じゃ! ないッッ! 私はッ、私が、良ければ、それで、いい……ッ! どうでもいい人間のためにも戦わなきゃいけないんだからそれくらいのご褒美があってもッッ、いい……でしょ!?」
舞鶴は踵を返すと、一度も振り返ることのなく屋上を去った。
廊下に出ると、そこで和久井が壁にもたれかかっているのに気づく。
「よ、よお」
「ん? ……ん?」
舞鶴は首を傾げた。すると和久井は袋に入った小さなぬいぐるみを差し出してきた。
「これ、その、やるよ。一番くじやったんだけど、欲しいのがでなくて。お前このキャラ好きって言ってただろ?」
「……んん」
舞鶴は和久井からぬいぐるみを受け取ると、ペコリと頭を下げた。
それを見ると、和久井はヘラヘラと笑いだす。
「ま、まあほら、元気出せよ。オレもできることあるなら協力するから」
「ん」
和久井は照れ臭くなったのか、逃げるように去っていった。
舞鶴は、ぬいぐるみを手にしたままトイレに向かうと、迷うことなくそのプレゼントをゴミ箱に放り投げた。
(クソきめぇ! あいつマジで死んでくんねーかな……ッッ!)
オタクっぽい女なら付き合えるとでも思っているのだろうか? 冗談キツイって話である。
舞鶴にも選ぶ権利があるというものだ。和久井に好意を向けられていることは前から気づいていた。
授業中もチラチラ見てくるし、今だってたまたま手に入れたみたいなことを言っていたが、きっとアイにソウルエーテルを奪われて落ち込んでいるから励まそうと、プレゼントを苦労して手に入れたのだろう。
(キンメェエエエエエ! 死ね! 不登校野郎!!)
同族嫌悪という言葉があるが、まさにそれだ。
きっと和久井は弱者同士で傷を舐め合って生きて生きたいのだろう。
キラキラと輝く人間を一緒に妬み、悪口を言いながら笑い合いたいのだろう。
舞鶴も少し前まではその気持ちは理解できた。
でも今は違う。一緒にしてほしくない。
(私は、奈々実という輝きを手に入れた。お前とは違うんだよゴミ!)
どうせ弱っているところにプレゼントでも渡せば堕ちると思っていたのだろう。そんな手に乗るかという話である。
どうでもいいヤツから受け取っても、ちっとも嬉しくない。
もう舞鶴の心の中にはどこを見ても奈々実がいる。
奈々実が全てであり、奈々実が未来だった。舞鶴のカラッポな心を奈々実が満たしてくれた。
今更、和久井が入ってこれるスペースなんてこれっぽちも存在していないのだ。