第41話 魔女の夢-4
「舞鶴ちゃん、だよね? 一緒にお昼食べようよ!」
「え? え……? なん、で?」
「ほら、転校してきて友達ぜんぜんいないし、ダメかな?」
「ダメじゃ、ない、けどッ、私といると、良く、ないよ?」
「ん? 良くないって?」
「私ッ、その、陰キャだし、だから、なんていうか、いじめられてて……」
「そうなの? ひどい! まかせて! わたしが代わりに先生に言うよっ!」
「ややややッ、嘘、いじめられてはないけど、それに近いっていうか。カーストでいうと一番下だから、私と一緒にいると貴女の評判まで悪くッッ! なる、か――」
奈々実は舞鶴の言葉を無視するように手を握った。
両手で包み込むように握った。
舞鶴は真っ赤になって固まる。
「気にしないよ。ほら、一緒に食べる場所さがそ?」
「う、うん……」
舞鶴は尋常ない手汗を感じて死にたくなったが、奈々実は嫌な顔ひとつ見せなかった。
二人は屋上にやってきた。舞鶴は買ってきたパンを、奈々実はピンクのお弁当箱を取り出す。色とりどりで、とても美味しそうだった。
「き、きれいなお弁当だね。えへへ、へへへへ」
「うん。お母さんが作ってくれたんだっ!」
舞鶴からヘラヘラした笑みが消えた。なんだか申し訳なくなってしまったのだ。
奈々実の母は、娘のために栄養バランスを考えて、見栄えもよくする努力をしてくれている。
一方で舞鶴の母は、お弁当を作ってほしいと言っても、仕事が忙しいからとお金を渡すだけだった。
舞鶴はそれで買ったパンを齧った。
申し訳ない。奈々実はいい子だ。親に愛されてる。
いい子だ。優しい子だ。パンを齧る。あんなことを言っても一緒にごはんを食べようと言ってくれた。
とても素晴らしい子だ。
嬉しい。とても嬉しい。けれども、申し訳ない。
もしも奈々実がいじめられたら自分のせいだ。
奈々実みたいな素晴らしい子が嫌な思いをするなんてそんなのおかしい。そんなのってない。そんなのって、そんなのって……。
「………」
舞鶴は泣いていた。パンを一つ齧るたびに涙が溢れてきた。
なぜだろう? うまく言葉にできない。近い言葉が見つからない。
でもなんだかすごく悲しくなって、惨めになって泣けてきた。
どうして自分は、こんな、毎日、パンを食べなければならないのだろう。
もう飽きた。
お母さんが作ったからあげが食べたい。あれを最後に食べたのは小学生の筈だ。
なぜお母さんはお弁当を作ってくれないのだろう?
お仕事が忙しいからだろうか?
それともお父さんが不倫しているからだろうか?
どうして奈々実の優しさを素直に受け取ることが許されないんだろう。
私は何もしてないのに。あいつらが悪いのに。どうして私が遠慮しなきゃいけないんだろう。
そもそも、どうしていじめられなきゃいけないんだろう。
何か、悪いことでもしただろうか? それは謝れば許してもらえるのだろうか?
「……おいしくないなぁ。ぜんッぜんおいしくないなぁ」
ポロポロ涙が零れてきた。
その時だ。ふわりと優しい匂いがした。奈々実が舞鶴を抱きしめていた。
「大丈夫だよ。つらかったね。でももう大丈夫だよ」
舞鶴も奈々実を強く抱きしめた。声を殺し、ひたすらに泣き続けた。
奈々実は舞鶴が落ち着くまで背中を擦ってくれた。チャイムが鳴った。奈々実は舞鶴の手を握ったまま、廊下を走った。
どこに行くの? 戸惑いながらも、舞鶴は笑顔でそう聞いた。
「逃げちゃおう! こんな場所!!」
舞鶴の靴が無くなってたけど、奈々実は任せてといって舞鶴をおんぶした。
細い腕なのに舞鶴をしっかりと支えている。
奈々実はいい匂いがした。ドキドキした。
学校を抜け出した二人はまずショッピングモールに寄って新しい靴を買った。
それからカラオケでたくさん歌った。舞鶴の大好きなアニソンを奈々実も知っていた。最高だった。
舞鶴はたくさん笑った。奈々実もたくさん笑った。
キャンペーンで一人分の料金で済んだ。ラッキー!
帰りに流行ってるらしいバナナジュースを飲んだ。
味はまあまあ。シェアしたのは楽しかった。
「わたしたち、もうお友達だよね」
「……うん」
「よかった! じゃあこれ! あげるねっ!」
奈々実はピンクの牛のキャラクターのぬいぐるみを舞鶴に渡す。
「え? え? え……?」
「おそろい。一緒に持ってようね」
いつのまに買ったんだろう。でも、とっても嬉しかった。
舞鶴は真っ赤になってコクコクと顔を何でも縦に振った。
「鞄に……! つけ、る! ね!」
「うん!」
学校からの着信を無視して、舞鶴は奈々実と手を繋いで歩いていた。
「ずっと一緒だよ」
夕日が二人を照らす。舞鶴は幸せだった。人生で最高に楽しかった。
だから無断で帰ったことを先生や親に怒られても問題なかった。
クラスのアホ共からの冷たい視線も何にも辛くなかった。隣で奈々実が微笑んでくれるんだもの。
ただ、やっぱりそれで奈々実がいじめられるのは辛いから、学校じゃなるべく会話は抑えた。
二人きりの時だけ楽しくお喋りをした。放課後はもうパーティだ。
舞鶴の家でたくさんゲームをしたり、お菓子を食べたり、アニメを見た。
高校生なのに小学生みたいな遊び方だったけど、舞鶴はそれでよかった。
そんなある日の帰り道、変な生き物に出会った。翼の生えたネコだった。
『キミたち! 逃げるミュ!』
ネコが喋るなんて! 舞鶴は驚きで固まった。
『パラノイアが来るミュ!!』
振り返ると、そこには大きな『箱』があった。
普通車ほどある真っ白な箱なのだが、一つだけ黒い点があることに気が付いた。
蜘蛛だ。
しかもそれは本当にそこに蜘蛛がいるわけではなく、どうやら箱はモニタで囲まれているようで画面に蜘蛛が映っているという状態だった。
その蜘蛛が増えた。
一匹、二匹、あっという間に二十匹? 三十? いや、もっといる。
わらわらわらわら、うじゃうじゃうじゃうじゃ、蜘蛛がすべての画面の中を這いまわる。
舞鶴はゾッとして、思わず声をあげた。
きっと蜘蛛恐怖症の人間が見たら恐怖でおかしくなってしまうような。そんな映像。
すると大きな音を立てて、箱に小さな穴が開く。
そこから何本も細長い脚のようなものが出てきて、あっという間に八本の脚で箱が立ち上がった。
「なにこれっ、なにこれ! やだッ、嘘! き、キモい!」
逃げなきゃ!
舞鶴は奈々実を見た。奈々実はいなかった。
いつの間にか姿を消していた。なんで? どうして? 舞鶴は考える。いつの間に奈々実が消えた?
まさか自分を置いて逃げたのか? そんな、そんな! そんな!?
そん――
「心配しないで舞鶴ちゃん! キューティマジカル☆」
奈々実の声が、空から聞こえた。
浮遊している彼女の手には、先端に星の装飾がついた魔法のステッキがあった。
「まぎあすっ! ぱらじおんっ!」
リボンがたくさんついた可愛らしいドレスで、キラキラ輝く笑顔を世界へ向ける。
「魔法少女! 奈々実プリズム! いきまぁーす!」
虹色の光が弾けた。
空を駆け、マジカルステッキから光弾を連射して蜘蛛と戦う親友を舞鶴は一体どんな目で見ればいいというのか。
すると翼の生えたネコ、『みゅうたん』が舞鶴のもとへ駆けつける。
『説明は後でミュ! 今はとにかく逃げるミュウ!』
舞鶴は混乱しながらも、みゅうたんを追いかけた。
ふと、背後で光を感じて振り返る。空から伸びてきた七色の光のワイヤーが蜘蛛を縛り上げ、動きを拘束している。
「大地のパワー☆ ツチノコさん、がんばってっ!」
メカメカしい蛇のような使い魔が現れ、口から土の塊を連射して敵を攻撃していく。
そこで奈々実はステッキを思い切り振り下ろした。その動きに呼応するように空から七色のレーザーが射出され、蜘蛛に直撃すると、蒸発させるように消滅させていった。
舞鶴が立ち尽くしていると、空にいた奈々実が目の前に着地する。
「怖がらせてごめんね舞鶴ちゃん! でも、もう大丈夫だよ!」
どうにかなってしまいそうだったけど、奈々実が笑ってくれたから安心はできた。
◆
アイオンを巡って戦争が起こったさなか、安槌イゼの祖母、『安槌イズ』は路上に倒れているみゅうたんを保護した。
喋るネコというのはイズも驚いたが、もしかしたら戦争の影響で生まれたのかもしれないと、その時はそう思ったらしい。
みゅうたんは野良犬に襲われていたらしく、そこから逃げている時に頭をぶつけてしまったようで、はじめは記憶を失っていたという。
しかしイズが世話をする中で、自分が何者なのかを思い出した。
それは、アイオンを導く、精霊としての記憶である。
不思議な話ではない。鳥は生まれた時から翼を持つように。空が青いことのように。水が冷たいことのように、ただそうであるというだけだ。
アイオンがあるから精霊がいる。それはこの世の掟なのであって、不思議に思うことではない。
それを聞いたイズは、みゅうたんに頭を下げた。
どうか自分にチャンスを与えてほしい。
人間同士が争うなんて間違っている。地球が泣いている。だから助けてほしい。イズは深く頭を下げた。
みゅうたんは、イズという人間に情を持っていた。
だからこそ彼女にチャンスを与えたのだ。
それがあの力、『魔法少女』というシステムだった。
Unlimited Magical Ascension。
それぞれの頭文字を取って、『UMA』と呼ばれた使い魔が、イズに力を与えて戦いを終わらせた。
人はイズの姿を見て、過ちを確信した。
それは純粋なる良心であり、あるいは恐怖でもある。
人の歴史が生み出した全ての兵器を魔法は上回った。
誰もが心の中でイズを神だと思っただろう。
だからこそきっと戦いが終わったのだ。
『でも、ぼくも理解していなかったことが起こったんだミュ!』
丁度、平和の象徴である海上都島フィーネがお披露目となった日であった。
セレモニーに化け物が現れて人を殺した。イズは人を守るため、その化け物を殺した。
それは始まりにしか過ぎなかった。
その化け物は以後、世界各地で目撃されるようになる。
いつ現れるのか、なぜ現れるのか、それらは全て謎に包まれていた。
化け物の死体はいずれも爆発し、蒸発するように消えてしまう。
かろうじて採取した血液も、未知の成分で構成されており、研究は困難を極めた。
何者かがアイオンを使って作った人工生命体である説や、戦争の影響で動植物が異常な進化を遂げた説など様々な可能性が提示されたが、結局答えは見つからなかった。
いずれにせよそれは未曽有の脅威だ。世界はそれを『パラノイア』と名付けた。
「みゅうたんは、そいつらから人間を守るために魔法少女を増やしたの」
そう説明する奈々実も、その一人だったというわけだ。
「そ、そんなのって……、怖くないの?」
「怖いよ。でも、知っちゃったから」
奈々実はニコリと微笑んだ。
あまりにも眩しすぎて舞鶴は下を、地面を見た。
けれども舞鶴は笑っていた。それはまるで、ずっと探していたものをようやく見つけたような。そんな気分だった。
舞鶴は奈々実に送り届けられ、そのまま別れて、ごはんを食べて、お風呂に入ってから、歯磨きをして、寝た。
舞鶴は夢を見た。へんてこな夢だった。
ネットで見たBL漫画が悪いのだろうか? 男の子は溜まっていると、朝起きた時に無意識に射精していることがあるらしい。
舞鶴もそうだった。舞鶴は夢精していた。
いや、それはおかしい。だって舞鶴は女だ。だからきっとそれは夢だ。
それに気づくと舞鶴は夢で奈々実と抱き合っていた。奈々実ちゃん。あの、私、ずっと言いたいことがあって。
でも――、そこから唇が動かない。
勇気を出さなければならないのか。あるいは答えを見つけなければならないのか。
しかしそれでも奈々実はわかってくれる。奈々実は理解してくれる。
舞鶴と奈々実は裸で抱き合い、ただひたすらに求め合った。
舞鶴はそこで目を覚ました。
どこからが夢で、何が夢だったのかわからない。
ただし、たったひとつだけ、わかることがあるなら、舞鶴には大きな恐怖があったということだ。
それを埋めるために愛を求めた。
恐怖を消してくれるものがあるとすれば、それは快楽だ。
だからあんな夢を見たのだと思う。でも舞鶴はずっとその夢が見たかった筈だ。
なのに今まで一度たりとも見れなかったのは相手が見つからなかったから。
呪いを殺すキスをくれる王子様が、ようやく見つかった。
舞鶴はニヤリと笑った。
我ながらその笑顔は気持ちが悪い。
それでも舞鶴は奈々実のことが好きだった。陳腐だが、愛していると言ってもいい。
奈々実は全ての孤独を消してくれるし、奈々実は自分を褒めてくれる。
なにより奈々実は一緒にごはんを食べてくれるじゃないか。
彼女と一緒にいればこれからも多くの感情を共有できるだろう。
もしかしたら時に衝突してしまうかもしれないが、それを乗り越えたら私たちはもっと仲良くなれる。
奈々実は戦いで忙しいから彼氏もできない。そういうことは全部私がしてあげればいい。
そうすれば奈々実だって喜んでくれる。私も喜ぶ。
それでいい、それがいい。奈々実は強いから私を守ってくれる。
でも奈々実だって甘えたい日もあるだろうから、その時は私が助けてあげたい。
そうしたら私たちはお互いになくてはならない存在になれる。
それはきっととても素晴らしいことなんだ。
「よろしくね。ウチ、――っていうんだ!」
だから奈々実に先輩がいると紹介された時は、ハッキリ言って面白くなかった。
まあ他に魔法少女がいることは事前に聞かされてたし、奈々実もあくまでも彼女のことは、ただの先輩として接していたから、まあいい。
でも少し不安だった。
だから蛇恐怖症のパラノイアの攻撃で先輩の頭が吹っ飛んだ時は思わずガッツポーズをしてしまった。
でも同時に不安。魔法少女も普通に殺されるのだと。
頭だけになった先輩をキャッチした時、舞鶴は中学生にもなって、おしっこを漏らした。
奈々実も泣いていた。
先輩が死んだことを悲しんでいるようだった。
舞鶴は先輩が羨ましいと思った。だから己の夢がハッキリと自覚できた。
いつか奈々実を守って死のう。
私たちは老いれば劣化する。肌も、思考も、そして関係も。
でもその前に、みずみずしい感情のまま終わらせることができたなら――、それはきっと一番の幸せだ。
奈々実のために血を流し、奈々実に感謝されながら腕の中で眠りに落ちる。
その間際に愛を囁くことができれば、舞鶴の人生はオールオッケーだった。
だってそれなら返事を聞かなくていい。あとは勝手によろしくやってくれればいい。
「ねえ舞鶴ちゃん」
でも、まるで。
それを見透かしたように、いつの日か奈々実が言った。
「お願いがあるの」
それは二人で並んで寝ころんで、星を見ていた時のことだった。
「一緒に花火、見てくれない?」
フィーネは時々、花火を打ち上げる。
それは夏とは限らない。夏はもちろんお祭りがあるから上げるけど、秋にも上げる時があるし、冬に打ち上げる時だってある。
条件はわからない。でも上げるらしい。まだ見たことがなかったけれど。
でも舞鶴もずっと花火が見たかった。花火は綺麗だ。そんな素敵なものを奈々実と二人で見られたら、それはそれはとても素敵なことだと思う。
舞鶴が最後に花火を見たのは、それはもう昔のことで。
あれはきっとまだお母さんとお父さんが優しかった時で。
だからとても綺麗だった。だから舞鶴は花火が見たかった。
夏がいい。
お祭りに奈々実と一緒に行きたい。お祭りにももうずっと行ってない。
お祭りは辛いだけだからだ。みんな友達と一緒に行く。そうでなくとも親と一緒に行く。
だから舞鶴はお祭りが嫌いだった。
でも奈々実がいれば、お祭りは嫌いじゃなくなる。
だから舞鶴はお祭りに行きたかった。奈々実と二人で、遊んで、笑って。
そして、花火が見たかった。
「え?」
舞鶴は二度見した。
「……え?」
メガネのレンズが砕けていたから、よく見えなかったけど。
おかしい。こんなはずじゃない。舞鶴は血まみれの奈々実を見てそう思った。
「あえ? なんで奈々実ちゃんが私を庇ってんの? 逆でしょ? あれ? えへへ?」
真顔になる。
しかし直後、涙と鼻水がたくさん出てきた。
そのせいで奈々実の笑顔がよく見えない。わからない。記憶が飛んでいる。
『奈々実はいったい何から私を守ってくれたのだろう?』
それが、今となっては全く思い出せない。
確かなことは、ひとつ。
奈々実が舞鶴を庇い、致命傷を負った。彼女はまもなく死ぬ。