第40話 魔女の夢-3
「ンなッ! なんじゃありゃあ!?」
そこで、アルデバランと目があった。
アルデバランは微笑もうとした。
怖がらないで、怖くないよ。
そう言おうとしたのにできなかった。
和久井が制服を着ていたからだ。
学校といえば先の尖ったペンやコンパス、調理実習の時に使った包丁。
頭の中が恐怖でいっぱいになる。口から出るのはただ恐怖に染まった叫びだけだった。
「イギャアアアぁぁあアアアぁああア!!」
奇声が出て和久井の肩が大きく震えた。
あれは関わってはいけないものだ。本能が体を走らせる。
アルデバランも走り出した。田んぼの中を大きく足をあげて、泥を蹴って走った。
和久井がどこへ行くのか?
想像しただけでも怖くて泣けてきた。
彼はきっと先の尖ったもので私を殺すに違いない。
だから和久井を殺さなければならない。怖いから。
「あ」
和久井は足がもつれ、転んでしまった。
とっさに腕を前に出して、地面に叩きつけられる衝撃を抑えたが、背後にいたアルデバランを想像して吐きそうになる。
(舞鶴テメェ、お前を追いかけようとしたせいでオレは――ッ!)
「ユーマ!」『Get ready』
その時、和久井は初めて舞鶴の大声を聞いた。
『Unlimited Magical Ascension』
変な電子音が聞こえた。場所を探る。
舞鶴を見つけた。その背後に鳥の形をしたロボットがいた。
舞鶴はどこからかボタンがついたチャームを取り出すと、ひとさし指でそれを押す。
「マギアス・パラジオン!」『THUNDER・BIRD』
その時、和久井は激しい性の昂りを感じた。
男は命の危険にあると子孫を残さなければならないと本能が機能するらしい。
だからだろうか?
和久井は舞鶴の裸を見て、思わず喉を鳴らした。
そう、舞鶴はなぜか服を着ていなかった。
制服が一瞬で消えた。下着すらなく、一糸纏わぬ姿がそこにある。
鳥の目から放たれるライトに照らされて裸体が光り輝いているため、細部はわからないが、裸体であるということはよくわかる。
だから和久井はその姿を見て、彼女を抱きたいと強く思った。
そんな感情を抱くのは少なくともこれが初めてだった。
一方、舞鶴を照らす光が衣服に体を満たした光が衣装に変わっていく。
和をモチーフにしたドレスだった。
「アップグレード」『OK』
追加で口にした言葉、それに反応して鳥の目が光った。
すると一瞬で体が分解されて頭部が舞鶴の右肩に。
両脚は舞鶴の腰部へ。
翼が舞鶴の背中に装着されていく。
そこで容姿にも変化が起きた。
太い眉毛が切れ長になり、焦げ茶色の髪が美しい黒に染まって折り鶴の髪飾りが装着されてひとりでにポニーテールへ変わる。
荒れぎみだった肌も白く、儚いまでに美しく。
『THE・WISEMAN――……!』
電子音が変身の完了を告げる。そこにいたのは、もはや別人だ。
「魔法、少女……?」
なぜこの言葉が出たのかわからない。誰にも。和久井にさえも。
◆
「彩鋼紙!」
舞鶴が天に向けて腕をかざすと、一枚の大きな紫色の『紙』が現れる。
それがひとりでに折られて、あっというまに『刀』となり、舞鶴の手に収まった。
もちろんこれはただの玩具ではない。殺傷能力のある武器だ。
アルデバランは恐怖し、体の針を飛ばして舞鶴を撃墜しようと試みる。
しかし舞鶴は刀を振り回し向かってくる針を弾いて、背中の翼を広げて飛んでくる。
「ッ、あれは!」
和久井は気づいた。舞鶴の他にも誰かが空から降ってくる。
「飛鳥……ッ、ミモ!」
ミモはミモだが、彼女も舞鶴のように不思議な格好をしていた。
格闘家のような衣装で、腕が四つある。
二つは彼女のものだが、もう二つはバックアパックとして背負っているゴリラをモチーフにしたロボットの腕だった。
背負っているロボットは上半身だけ。
では下半身はどこにいったのかというと、どうやらミモが持っている巨大なトンファーがそれらしい。
よく見れば持ち手の下にある太い棒が、ロボットの足部分だった。
和久井はふと、カラオケに行く前に玄関で見かけた舞鶴とミモの会話を思い出した。
あの時、印象がどうのこうの言っていた記憶があったが、ハッキリ思い出した。
『変身前とは印象違うから、最初、気づかなかった』
そう、言っていたのだ。
「和久井くん。大丈夫ですか!?」
「し、シスター……!」
振り返ると、モアがいた。やはり彼女も重々しい装甲を身に纏っている。
ベースはシスターらしく修道服風のドレスだが、左手に首長竜の頭部が装着されており、背中には首長竜の体が甲羅のように装着されていた。
さらに右腕にはヒレで作ったクロスボウらしき武器が見える。
そこで和久井はアルデバランの悲鳴を聞いて、再び視線をそちらに戻した。
舞鶴であろう黒髪の美少女が、翼をはばたかせて色とりどりの羽を飛ばす。
よく見るとそれは小さな正方形の紙、無数の折り紙だ。
それが舞鶴の意思一つで折りたたまれていき、折り鶴が完成する。
「千破鶴!!」
羽ばたいた千羽鶴たちは、アルデバランに鋭い嘴を突き立てていった。
「ばずべめヴがらに!!」
アルデバランは悲鳴をあげ、涙を流しながら鶴を振り払おうとする。
そんな彼にモアの手が差し伸べられた。正確には、首長竜のパワーアームが伸びたのだ。
恐竜の口がアルデバランの肩に噛みつくと、モアは伸びた腕を思いきり振るい、アルデバランを投げ飛ばした。
その先にはミモが待ち構えている。
背負っていたロボットのパワーアームがアルデバランを掴み、力を込めた。
何かが砕けていく音と悲鳴があがる。
そのなかで、ミモは持っていた巨大脚を思いきり振り回して先端部分にある足のつま先でアルデバランを打った。
空に打ち上げられるターゲット。
そこでモアが照準を合わせる。
「ブルー! ディストラクション!」
首長竜の口が開くと青白いレーザーが発射され、一瞬でアルデバランの腹を貫いた。
バチバチと迸るエネルギー。アルデバランは断末魔とともに爆散すると、光の球体を排出する。
舞鶴は血相を変えてそれを掴み取ろうとするが――
「もーらいッ! です!」
水色の髪を左のサイドテールにした小柄な少女が飛び込んできた。
桃山市江は、今まさに舞鶴が取ろうとした光球を、左手で奪い取った。
それだけでなく右手で持っていた巨大なハンマーを舞鶴に打ち当てて墜落させる。
「ちょッ! なにすんの!」
ミモが憤るが、返事の代わりに聞こえたのは銃声だった。
足元から火花が散り、和久井は間抜けな声をあげてしりもちをついた。
「なにすんのォ、だぁ? テメェらがトロトロしてんのが悪いんだろがァ」
トゲトゲの装飾がいくつもついた大きな魔女帽子を被った少女、室町アイが歩いてきた。
その左には赤い髪をサイドテールにした桃山苺がいる。
よくわからないメカメカしい小動物のハンドパペットを腕にかぶせており、現れた三人ともが、舞鶴たちと同じような力を持っていることを示していた。
市江は、アイの隣に着地すると、奪った光球をそのままアイの胸に押し当てる。
すると光の玉はズブズブと体内に沈んでいき、完全に取り込まれたようだ。
それを見て、舞鶴の表情が醜く歪む。加えて舌打ちまで零れた。
「……相変わらず頭の悪い行動ね。人のものを取ってはいけませんって習わなかったの? 底辺女」
いつもの喋り方とは違って、饒舌に辛辣な言葉が出てくる。
とはいえアイは怯まず、むしろより意地悪な笑みを浮かべてみせた。
「別にいいじゃねぇか、たまには譲ってくれても。なァ?」
すると市江が続く。
「そもそも先に倒したほうがソウルエーテルを獲得できるというルールなんてないのです!」
苺も頷く。
「だぞだぞ! 勝手なルールを押し付けるのはやめてほしいぞ!」
舞鶴は舌打ちを零した。不愉快極まりない。
その最悪の空気を察したのか、モアだけはにこやかな笑みを浮かべていた。
「すみません。舞鶴ちゃんにはそれが必要なんです。返してくれませんか?」
「おいおいシスター。アンタだって知ってるだろ? 食ったモンを返せってのは無理な話さ。ゲロとかクソもらってうれしいか? それともアンタそういう趣味あんのォ?」
「ちょっと! モア様に汚い言葉聞かせないでよ。マジむかつくんだけど」
「アタシはテメェの頭の悪い顔のほうがイラつくけどねェ。ミモォ!」
言い合いが始まった。
舞鶴はそこで何度目かわからない舌打ちをこぼす。
それを聞いた和久井はかつてない疎外感を感じた。
彼女たちが知り合いで、対立関係にあるのはわかる。
舞鶴、ミモ、モアと、今現れたアイ、苺、市江の三対三で争っているようだが――
「そこまでだ!」
光が降ってきた。
一触即発だった舞鶴とアイの間に着地したのは英雄の孫、安槌イゼだ。
体を包むマントが、蛾の羽のような模様をしており、頭にある櫛歯状の装飾もそれを彷彿とさせた。
「魔法少女同士が争ってどうするという! 今すぐ武器を収めるのだッ!」
『そうミュ! 喧嘩はやめるミュウ!』
和久井はもう驚き疲れていたが、それでもイゼの左肩に乗っている翼の生えたネコを見て言葉を失った。
だってネコなのに翼があって、ネコなのに喋ってる。
しかし少女たちにとっては今更なのか。
アイはネコに一切触れることなくイゼを睨みつけた。
「遅れてきたわりには偉そうだな。なあ、おいィ!」
「ここに来る前に事故があってな。人命救助を優先した。パラノイアは他の魔法少女がなんとかしてくれると信頼してのことだ。気を悪くしないでほしい」
ああ、もう、もう駄目だ。もう無理だ。
和久井はイゼを見るのをやめた。地面を見つめることにした。彼女たちの話が終わるまで。帰っていい時間になるまで。和久井はただ下を見ていることに決めた。
◆
持ち込みのテストの成績が悪くて職員室で怒られた時、こいつらみんな死んでほしいと思った。
持ち込みが許可されているんだから、低い点数を取るわけない。それを考えられないなんて教師失格だ。
忘れた可能性ももちろんあるが、やっぱりそういうことは正直、可能性が低いと思う。
つまり、だったら『何故そうなったのか?』に考えをシフトするべきだろう。
それができない無能な教師は低能だから、同じく低能な通り魔とかに殺されるのがお似合いなのだ。
できれば家族も巻き込まれてほしい。ペットを飼ってるなら一緒に殺されてほしい。どうせかわいくない。臭いだけだ。
家があるなら燃えてほしい。
存在そのものを消し去るべきだ。
――と、安平舞鶴は思う。
彼女はいつも脳内で人を殺している。
「あ、あの、持ち込んだ資料はあったん、です。けど! そ、その、なくなって、て」
「……なんでなくなったの?」
「いやッ、そ、それはだからッ! だから……! へへへ」
舞鶴はスカートの端を強く掴んだまま俯いた。さっきから汗が止まらない。
まず、そういうことを言わせるなと思う。
言えばもっと酷くなるかもしれないのになんで想像できないんだろうか? 思いやりの気持ちとかないのだろうか? いくらなんでも無能すぎないか?
だから、舞鶴は言葉を詰まらせる。
しばらくしてようやく再テストの許可をもらった舞鶴は、職員室を出てありったけの舌打ちを零した。
どうにも最近、物が無くなる。お金とかは大丈夫だけど消しゴムとか、シャーペンの芯とか。
(アイツらのせいだ。絶対アイツら。私を見て笑ってる!)
そりゃあ運動も勉強もできない自分にも多少責任はあると思ってる。
シャイだからうまく話せない部分も原因としては十分さ。でもだからって、いじめはよくない。
舞鶴はゴミ箱を思いきり蹴った。先生に見つかった。しこたま怒られた。恨む。
だいたいゲロ男はクラスのムードメーカーを気取っているところが嫌いだった。
(たまに私を使って笑いを取ろうとしてスベる。死ね)
カス男は、下ネタを言っておけばいいと思ってる。
(ああいうやつは将来性犯罪者になるに違いない。死ね)
ウン子はみんなに愛想がいい。という風に自分で思ってそうなのが最悪だ。
(そもそも私には真顔で接してくるのはなんなんだ。死ね)
ゴミ美は本当にゴミだった。全てがゴミなので、いちいち言ってられない。
(お昼に一人で飯を食ってる私を見て何回か笑ってる。死ね)
ああ、ウザい。
マジで最低最悪すぎる――。
そんなことを舞鶴はいつも思っていた。
暴力を振るわれたことは一度もない。
トイレをしていたらバケツで水をかけられたこともない。教科書に落書きされたりもしない。
ただ、物がたまに無くなる。
買い替えることができるくらいの物が。
あと靴の向きが変わってるだけ。
でもそれがウザい。あいつらはきっと裏で私のことを見て笑っている。
グループSNSで私の悪口を言っている。
きっとそうだ。ぜったいそうだ。
わかる。
そういう連中だ。
孤立させて楽しんでいるんだ。
『澄子』ちゃんだって、はじめは私を気遣ってくれて声をかけてくれてたのに、いつの間にか他のグループとかしか遊ばなくなったし、お喋りもしなくなった。
きっとアイツらに何か言われたに違いない。
きっとそうだ。うん、そうに違いない。
絶対にそう。
理不尽だ。
あいつらのせいで学校に行くのが億劫になる。
そうしたら当然、遅刻とか欠席とかも多くなる。
(それで怒られるのは私。理由を言ってもいいけど下手に刺激したらより一層いじめが酷くなる可能性がある。そもそもなぜかああいう連中は教師には好かれるし)
ああ、ああ、欝々する。そんな時だった。転校生がやってきたのは。
「天乃川奈々実です。よろしくお願いします!」
かわいい女の子だった。テレビで見るアイドルよりもずっとかわいいと思った。
ツーサイドアップにした髪型。丸い目、きれいな肌、元気があって、とてもかわいいと思った。
普通の学校だったら転校生は珍しいのかもしれないけどフィーネだと性質上、全員が転校生なのだから今までもたくさん転校してきたし、たくさん転校していった。
だから特別じゃない。
ホームルームの最初にちょっとだけ挨拶して、あとはもう何もない。
みんなも別にもう慣れっこで。
舞鶴だってそうだった。
「よろしくねっ!」
「う、うん」
でも、隣の席に来るのは初めてだった。
舞鶴は耳まで真っ赤にして、ひきつった笑顔で挨拶を返した。
転校生は珍しくないが、可愛ければやっぱり別だ。
奈々実は今まで見たどんな子よりも可愛かったから、休み時間になればゲロ男たちがまっすぐに来ると思っていたのだが、そうじゃなかった。
はて、なぜだろう?
そんなことを考えながらも、舞鶴も奈々実に話しかけることができなかった。
そうしていると昼休みになる。
舞鶴が席を立つと、奈々実がついてきた。