第39話 魔女の夢-2
「ねえねえ、ところでモアさまぁん」
「うん? どうしたのミモちゃん?」
「今日はこれから何すんの?」
「もちろん、いろいろ、お勉強を――」
「やめよ!」
「へ?」
「これからみんなで外出届を出してさ、カラオケいこ!」
和久井や舞鶴はギョッとしてミモを見る。
冗談だろうと思ったし、現にモアも困ったように首を振っていた。
「い、いけないよミモちゃん。お勉強が……」
「歌うことだって立派な音楽の勉強だよ! お願いモア様ーッ!」
「それは……、そうだね。音楽は心を豊かにしてくれるし……」
「でしょ! ね、はい! じゃ、決まり! 勉強はまた明日やればいいの!」
「うーん、わかった。じゃあ申請しに行ってきますね」
そう言ってモアは教室を出て行った。
和久井と舞鶴がポカンとした目でミモを見ると、楽しそうなピースサインが返ってきた。
「夢の欠片を抱えてー♪」
場所はカラオケの一室、そこで和久井と舞鶴は肩を竦めていた。
目の前ではミモが流行りの曲を歌っている。
そんな彼女の傍ではモアがニコニコと手拍子を行っていた。
フィーネには最新の技術が集まってくる。
ミモがアイドルの曲を入れれば、部屋が文字通りステージのように『変化』し、サイリウムを振りまくる『ファン』も続々と出現していく。
このファンは人というよりは、人型のシルエットで、触れてみると雲を掴むようにすり抜ける。
しかし普通のプロジェクションマッピングとは違い、触れられないだけでそこにいるはいるのだ。
これはなんなのか、どういう技術なのかはサッパリだが、とにかくすごいものだというのはわかる。
「あー、マジ楽しかった! 次、舞鶴歌ってよ」
「グッッ! 人前で、歌う、の……、本当、無理ッ」
「えー? マジで気持ちいいのに。まあ、いっか、じゃあ和久井でいいよ」
「よかろう、オレの美声を聞いとけよ」
しかし和久井がアニソンを歌い始めると同時くらいにミモは携帯を弄りはじめた。
舞鶴もそれを見て、冷めた目でソシャゲを始める。
(クソ女どもめが……ッッ!!)
キレちらかしそうになりながらも踏み止まれたのは、モアが笑顔でマラカス振ってくれたからだ。
正直、しゃかしゃかしゃかしゃかクソ邪魔だったが、優しさだけは身に染みた。
和久井はなんだかいたたまれない気持ちで周りで戦うヒロインたちの映像を見ていた。
歌が終わると、携帯を弄っていたミモがパッと顔を上げる。
「モア様! 歌って!」
「わたしはいいよ」
「大丈夫。舞鶴は歌うの嫌いで、和久井とアタシは歌ったし」
「でも……、流行りの歌も知らないし」
「いいから! お願い! 歌って!」
だったらと、モアは母が好きだったらしい昭和に流行ったラブソングを入れる。
周りの景色がネオン煌めく夜の街に変わって、和久井は思わず固まってしまった。
モアの歌声が響き渡る。それは動きを止めるほど胸に響く素晴らしいものだった。
透き通るような声で語られる愛はそれだけで芸術のようで。
そういえば島にいるシスターの多くが聖歌隊とやらに所属しているらしい。
いろいろな場所で歌っているうちに鍛えられたのだろう。
ミモも今はうっとりとした表情でモアを見つめていた。
(コイツ……)
まあ仕方ない。
聞いてみればこの歌は本当に久しぶりに歌ったらしい。それでこの完成度、完敗だ。
歌が終わるとモアは恥ずかしそうにお辞儀をした。
和久井とミモは自然に立ち上がって、あふれんばかりの拍手をした。
唯一、舞鶴だけ勝手にからあげを注文してバクバク食っていた。
「ところでさ、お前、学校出る前、ミモと何を話してたんだよ」
小声で聞いてみる。
というのも先ほど玄関で何かを話している舞鶴とミモを見かけたのだ。
あまり穏やかな表情ではなかった。険悪というほどでもなかったが。
聞き耳を立てるつもりはなかったが、それでも『印象が違う』とか、どうのこうの聞こえた気がする。
「……べつに。ただ、ちょっと、女の子の、秘密、的な」
「はぁ? なんだよそれ」
「男じゃ、ダメ」
からあげを口に入れたまま言われた。
しかしダメと言われたら、詳細を問うわけにもいくまい。和久井はもうこの話を終わりにしておいた。
「たのしかったね」
しばらく歌ってから学校に戻ると、もう夕方だった。
このまま解散していいと言われたので、和久井たちは帰ることにする。
家でゲームでもしよう。そうは思ったが、ミモに肩を掴まれた。
「ねえねえ、モクドでも寄ってかない?」
まあ放課後に女子とハンバーガーショップってのも悪くはないが。
「舞鶴もいこっ!」
「お金、ない。だるい。疲れた」
そういって舞鶴は歩き去ろうと――
「キミ、ちょっと待て」
呼び止められた。振り返ると、そこにはとんでもない美少女が立っていた。
美しいサラサラの長い金髪、前髪は切りそろえ、深い青色の瞳が舞鶴を捉えている。
それにしても実に鋭い眼光である。
和久井たちは今日のカラオケを咎められるのだと思ったがどうやら違うらしい。
彼女は右手を舞鶴のほうに伸ばした。
「落としたぞ」
「え? あッ!」
舞鶴は鞄につけていた牛のキャラクターの人形がいなくなっていることに気づいた。
紐が切れていたのだ。それを金髪の少女が拾ってくれたのだろう。
「触わんなッ!」
「む」
誰もが、少し、おかしなリアクションだと思った。
舞鶴は少女の手から人形を奪うように取ると、お礼も言わずに走り去る。
もともと褒められた性格ではなかったが、それにしたって変である。
(おいおい、にしても気まずいことをしてくれたな……)
周りの生徒たちの注目を集めたばかりか、あの金髪の少女が流石に可哀そうだ。
ましてや舞鶴の印象が悪くなるのは、和久井としてもなんだか嬉しいことではなかった。
結果、和久井はぎこちなさげに少女へ話かける。
「い、いやぁ、どうも。ハハハ、すんません。アイツなんか今日やたらイライラしてて」
「案ずるな。気にしていないさ。生きていればそういう日もあるというものだ」
(……なんか、変な喋り方だな)
「では私はこれで失礼する」
金髪の少女が去っていくと、すぐにミモが駆け寄ってきて背中を叩いてくる。
「マジで緊張したね!」
「え? なんで?」
「は? マジで言ってる? あ、そっか。転校生だから知らないんだ。あの人が『安槌イゼ』だよ。あの安槌の孫」
「マジ!?」
第三次世界大戦を終わらせたと言われている安槌の血。
孫とはいえ、なんだか体が強張るというものだ。
「めちゃくちゃ真面目な人でさー」
聞けば、なんでもお金が落ちていたら、たとえ五円であったとしても律儀に拾って交番に届けるらしい。
お金だけではなくてゴミも必ず捨てるらしい。
道に落ちてるなんだかビシャビシャに濡れてる汚いヤツだってしっかり拾って近くのゴミ箱を探していた。
正義感も強いらしく。
喧嘩を見かければ必ず止めるし、禁煙やポイ捨てなどルールに反する行為を見かけたらどんな人間にでも注意しにいく。
そんな真面目な性格がたたって、以前泣いている男の子を慰めながら三時間もママを捜索したものだから、大遅刻をしたらしい。
(くぁー、苦手な性格だぜ。なんかムカつくな)
だがまあ学年は一つ上だし、向こうは人気者らしい。
光と闇、もう交わることはないだろう。そう思って和久井はミモと別れた。
さすがに二人でハンバーガーを食いに行くのはいろいろ厳しかったし、ミモも和久井を引き留めることはしなかった。
「あ」
学校からマンションの途中にあるわざとらしい田園風景、そこで和久井は舞鶴と再会した。
舞鶴は一瞬だけ立ち止まったが、ムスっとした表情で歩き出し、通り過ぎていく。
そういえば舞鶴が走っていったのは和久井のマンションがある方向であって住んでいる場所とは反対だった。
よくわからないが、それだけ動揺していたらしい。
和久井は少し考え、頭を掻いた。もう少し考え、掻きむしった。
そして踵を返して走り出す。舞鶴の隣にやってくると、歩幅を合わせた。
「なあ! お前さっきなんであんな態度だったんだよ?」
「べつに、ただ、なんと、なく」
「あの安槌ってのと知り合いなのか?」
「まあ、ちょっと会話はしたことあるけど、それだけ」
「じゃあなんか他に理由があんのか? 明らかに当たってただろ」
「べつに」
「む、無理にとは言わないけど、なんかこうッ、話したら楽になるヤツもあるだろ? オレでよかったら、その、なんていうか――」
そこで和久井の言葉が止まった。音に遮られたからだ。
鐘の音だった。ガァーンカァーン、掠れたノイズ交じりに聞こえる変な音だった。
「なんだこれ? 鐘なんてどこかにあったっけ?」
「旧校舎の時計塔にある。これ、合図」
急に舞鶴が走り出した。駆けていくなんてレベルじゃない。
両手を思いきり振って全力疾走だ。あまりの勢いに、鞄に付け直した牛の人形が再び地面に落ちてしまう。
「また落としてるぞ! 大切なモンなんだろ!」
舞鶴に聞こえるように叫んでみるが、一切止まらない。
和久井は頭が痛くなった。そもそも、あの人形が大事だからイゼが触れたときに怒ったのではないのか? 和久井は人形を掴むと、舞鶴を追いかけることにした。
「――ッ? あれ? アイツなんかッ、速くね!?」
余裕で追いつけるだろうと思っていたのだが、舞鶴の背中がどんどん小さくなる。
オタクのくせになんだと腹が立ってくる。体が軽いから? それとも陸上やってしましたとか? いずれにせよこれはマズイ。置き去りにされる。本気でそう思った。
◆
島の外。
どこかの町の歩道に雷が落ちた。
落ちた場所に『それ』は現れた。
人間とシルエットは同じだが体はただれ、ブクブクと泡立つようにコブがいくつもある。
そのコブからは鋭利な針が伸びていた。
長さの違う不揃いな五本指にも爪のかわりに長い長い針があった。
それは、体中から無数の針を生やしていた。
怖い。怖くて仕方ない。髪もない、髪の代わりに、そこにも針。
皮膚の色は緑色、まるでサボテンが擬人化したような生き物だった。
人々はそれを見て足を止めた。
いきなり現れた異形を見て誰もが違和感を覚えたが、着ぐるみであると常識が処理を行った。
こんな恐ろしい生き物が存在する筈がないのだから。
だがなによりも一番怯え、震え、嫌悪していたのは異形のほうだった。
だって、『私』は尖ったものが怖いのだから。
それを自覚した時、学びを得た。
恐怖とは感染していくものなのだと。それは些細なものから拡大していくのだと。
私が本当に怖いものはなになのか? わかっている。
人も愛も夢も意味も価値も誰も彼も何もかも。だと。だ。
私は牡牛。『先端恐怖症』のアルデバラン。
「ギャァァアァアアァアァァ」
サラリーマンの男は、持っていた鞄を落とした。
信じられないほどの激痛を感じた。走ってきたアルデバランが両手を広げて男を抱きしめたからだ。
アルデバランの全身にある針が、容赦なくサラリーマンの体に侵入していく。
いくつかの針は長いから男の体を貫通していた。
わき腹や太ももから伸びる針、紺のスーツだから黒い染みは注視しなければわからない。
「ァ」
アルデバランが、口を開いた。
人間のような歯は存在しておらず、全てが円錐、つまり棘だった。
そのまま男の首筋に噛みつくと鮮血が噴き出る。
アルデバランが腕を離すと刺さっていた全ての棘が分離して、サラリーマンは後退した後に倒れて動かなくなった。
そこでアルデバランの口の中に再び歯の代わりの棘が生えてくる。
「うあぁぁあぁあああぁあ!」
悲鳴があがる。人々が逃げ惑う。そんな中で、アルデバランはゆっくりと人差し指を前にかざした。
すると爪の針が一瞬で伸びて、女子高生の頭部に突き刺さる。
「うげぇェ……」
合唱部だった少女から酷く汚い声がでた。
頭から突き入った爪は、右の眼球を貫いて飛び出してくる。
アルデバランはそのまま指を横へ振った。すると少女の体が軽々と持ち上げられ、指の動きに合わせてブランブランと揺れる。
アルデバランは指を強く振った。
すると少女の体が立ちすくんでいたお爺さんにぶつかった。
痙攣する少女を見て、おじいさんは悲鳴をあげた。
そこでアルデバランが口を開く。
そこから凄まじい勢いで何本もの針が発射されていく。
「あぁぁあ! 死ぬッッッ!」
お爺さんの口からとても率直な感想が出た。
あっという間に少女とお爺さんはハリセンボンになって、絶命していた。
アルデバランは少女の頭から針を引き抜くと、ピタリと動きを止めた。
二人の死体を見てゾッとしたのだ。
針だ。
針がある。
先の尖ったものは好きじゃない。
怖い、恐怖、パニック。パニック!
パニック!!
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
叫んだ口から再び針が飛び出して、逃げようとしていた人々に突き刺さっていく。
また針だ。針がある。針は怖い! だれか、たすけて!! おかあさん!
「!」
アルデバランの祈りが通じたのか、空から光の柱が伸びてきた。
それはアルデバランを優しく照らすと、次の瞬間、彼は全く違う場所に立っていた。
「は!?」
右にあった田んぼがいきなり水しぶきをあげるものだから、和久井は思わず叫んでしまった。
視線を向けると、アルデバランが立ち上がっているのが見える。