第20話 たとえ言葉が掠れても
「聞いて光悟! ママはねっ! とっても素敵なレディなの!」
とても優しい人だったと言う。
パピが寂しくないように、いつも傍にいてくれた。
いろいろなことを教えてくれたし、いろいろな所へ連れて行ってくれた。
たくさん遊んでくれた。たくさん笑ってくれた。絵を褒めてくれた。本を読んでくれた。
「でも――……、お顔が荒れてからは、少し落ち込んじゃって」
モルフォは肌が荒れた理由や、仮面をつけた理由をパピに一切説明しなかった。
母として、女としてのプライドがあったのだろうか?
もう今となっては理由はわからないが、必死に抑え込んでいたのだろう。
漏れ出る憎悪があった。
モルフォの活発さは身勝手さに。豪快は横暴へ。無邪気さは邪悪に変わっていった。
モルフォから多くの人が離れていった。
頭がおかしくなったと言葉を投げた。
だからパピは思ったのだ。自分だけはママだけの味方であり続けようと。
「ママやめて!」
小さいパピが叫んでいる。
上手だと褒めてくれた似顔絵を母はビリビリに破った。
仮面の女はかつての自分を直視できない。
だったらいいの、ママが苦しいならこんな絵あたしはいらないわ。
パピが震える声で微笑んだ。
優しいママはパピを抱きしめて泣いた。
あれもこれもそれも全部アイツらのせいよ。
ああ、エフェメラが憎い。エフェメラが嫌い。
パピもロリエとは遊んではダメよ。
だから、いつしか絵を描いても褒めてくれなくなった。
踊りを踊っても笑ってくれなくなった。
「でもアタシがロリエの悪口を言えばママは褒めてくれた。ロリエをいじめたって言えばとっても喜んでくれた。アタシは頑張ったのに、ママ……、死んじゃった」
「母親のために、ロリエを恨んでいたのか」
「ロリエをずっと嫌いでいればママはきっと戻ってきてくれる。夢に出てきてくれる」
「辛かったな……」
パピは笑みを浮かべようと――
「でも母を愛することは立派だが、だからといって他者を傷つけることだけは違うぞ」
パピは悔しげに歯を食いしばった。
当たり前のことを上から言われるのはとても不愉快だ。
気づけばパピは光悟の頬を叩き、走り出していた。
『……光悟くん。どうするつもりだい?』
橋の上でティクスが腕を組んでいた。
光悟は曇天の空を睨みつける。
そこにはモニタが広がっていて和久井のニヤケ顔がみえる。
【うぃっす。まだ死んでねーみてーで安心したぜ。ちょっと聞け、いい考えがある】
◆
どれだけ時間が経ったろう?
走りつかれたパピはトボトボと道を歩いていた。
雨が降ってきた。傘は持ってない。でも濡れてもいい。
みすぼらしいけど、悲しいけれど、何もかもどうでもよかった。
「ちょっと待ってよ。パピ」
けど、名前を呼ばれたので立ち止まる。ヴァジルだった。
「あら、これはこれはロリエのナイト様。なに? アタシを殺しに来たってわけ」
「そんなワケないだろ。師匠のところへ行こう。見せたいものがあるんだ」
「アタシは見たくないからさっさと消えて。そんで二度とアタシの前に現れないで」
パピはヴァジルを避けたが、ヴァジルはすぐにパピの前に回り込む。
パピは剣を生み出して振り上げた。
ロリエの味方をするようなヤツは敵でしかない。
「一緒に来るんだ! パピッ!」
ヴァジルは、剣を、掴んだ。
パピは我に返ったのか柄から手を放して後退していく。
剣を投げ捨てたヴァジルの掌からは血が流れ、表情が苦痛に歪む。
「痛い――ッ! けどッッ! わかる! 師匠も同じだった筈だって!」
セブンと対峙していた光悟はもっと傷ついていた。それでも立ち上がったのだ。
「こんなに痛いのに師匠はキミの手を取ろうとした! それだけの意味があると師匠は信じたからだ! だからボクもそれを信じたい――ッ!」
魔導書を生み出し、大きなシャボン玉を発射する。
それが音を立てて割れると想像以上の衝撃が巻き起こり、パピは気を失った。
――目覚めると、パピはロリエとヴァジルに体を支えられていた。
すぐ近くにはルナの姿もある。
ここにいたくない、胸がザワついてすぐに二人を払いのけようとした。
しかしできなかった。
少し離れたところにある光景を見てしまったからだ。
そこは雨が降る町の広場、そこで光悟と月神が殴り合っている。
住民たちには魔術師同士の訓練ということで説明してあるが、もちろん本気の殺し合いだった。
「オンユアサイドを改めて調べてみたよ。そして調べれば調べるほどパピというキャラクターが嫌いになる。身勝手で傲慢で乱暴で救いようのないクズだ」
月神が鞘に入ったままの刀をふり下ろし、光悟はそれを両腕を交差させることで受け止めた。
「ゴミは綺麗に掃除するべきだろう? ゲームの中でも、地球でもッ!」
「死んでいい人間などこの世に一人もいないッ! いてたまるか!!」
光悟は両腕を振るって刀を弾くと、そのまま右ストレートを月神の胸に打ち込んだ。
「更生こそ人の証だ! それを無視するお前の方がナンセンスじゃないのか」
月神は石畳の上を滑りながら地面に膝をつく。
空は晴れてるのに雨は降り続いていた。
「パピには時間が必要かもしれない! けれど母親の味方であろうとした優しい女の子なんだ! 無垢な心を淀ませてまで母を喜ばせたかったんだ!!」
黙れと、抜刀する。
斬撃は虹色のシールドが受け止めた。
「その想いはッ! 誰かが抱きしめなければならない!!」
威勢よく叫ぶものの斬撃はシールドを切り裂いて光悟に直撃した。
飛び散った血はすぐに雨が洗い流した。
だから何事もなかったかのように立ち上がると月神を睨む。
「俺には母がいない! お互い家族がいない悲しみを少しは理解できるだろ! その苦しみを知っているくせに、それをみすみす他人に味合わせるなんて、それこそ大馬鹿野郎のすることだ! 違うか月神ッッ!! 愛を求めて何が悪い!」
両肩を掴まれた月神の眉が歪む。正彦が脳裏にチラつき、泣いている母が視えた。
「理解できる筈だ! そうだろ月神! かまってほしいんだ! 助けてほしいんだよパピは! だが孤独なら、優しい少女が抱いた悪意も本物になる! そのままでいいわけないだろ!」
嘘も本当もあっただろう。二人で一緒に食べたケーキを思い出す。
「冷たい顔はもう見飽きたぜ! 俺はッ、彼女の本当の顔を取り戻す!!」
パピは思わず胸を、心臓があるところを強く抑えた。しかしそこで月神は光悟を蹴る。
「キミはそもそも勘違いをしている。パピを殺さなければ我々の世界が滅びるんだぞ!」
「それでも他の方法を探すべきだ! 他人の命を奪う方法なんて絶対に間違っている!」
黙れと言わんばかりに腹を斬られた。腿を斬られた。
光悟はそこで刀を腕と脇腹で挟み、動きを封じようとするが月神の頭突きが飛んできた。
激しい衝撃と痛みを感じて思わず体が後ろへ下がっていく。
鼻が折れた。血がボタボタ落ちてくる。
腕を斬られた。
鋭利な刃が骨まで届いた感覚がある。
わき腹からも血が噴き出てきた。
回復が間に合わない。鼻をなんとか止血しところで首を斬られた。
雨でも消せない量の血を見て、パピはやっとロリエとヴァジルを振り払った。
「もういいから! もういいってば! もうやめて! やめてよ光悟ッッ!」
光悟と月神は、そこでやっとパピの存在に気づいた。二人の視線が集中する。
「もう見てらんない。さっさと殺してよ! ほら月神、アタシが狙いなんでしょ!?」
「よせパピ! こっちに来るな! 逃げるんだ!」
「べつにいいじゃん! だって死んでも生き返るんでしょ? また戻るんでしょ? アタシが見る夢ってそういうことなんだよね? じゃあ大丈夫、大丈夫。アンタにやりたいことがあるなら次でやればいいじゃん? アタシを助けたいなら次で頑張ってね。はいそれで決まり! アタシもう死ぬから、次はよろしくね! あは、あはは――」
「違うッッ!!」
それは怒号だった。
パピはビクっと肩を震わせ、ヘラヘラとした笑みが消えた。