灯り織り
初投稿です
素人ながら頑張りました
「まるで、百花繚乱ですね。」
思わず、その女性は目の前の光景に口を開いた。
一
周りには、正に夜とは思えないほどの灯りが綺羅星のごとく広がった。
「おお……」
先程とは打って変わった景色に、男は咥えていた煙管を落としそうになる。
「凄いでしょう、これ」
男の様子を見ていた船頭がにこやかに言った。
「ここの町はね、港町でありながら繁華街のような処でしてね、
数多ある商店やらが挑げているこれまた数多の提灯だとかの灯りが灯ってね……。
夜は、こんな風になるのさ。」
「へえぇ……確かに、右を見ても左を見ても美事なものですね。」
船頭は「そうでしょう」と、自慢げに笑うとまた船を漕ぎはじめた。
静寂の中、船をたたく漣の音が心地よく響く。
「……。」
男は、その音聴いているうちに段々と睡魔に襲われはじめた。
———このまま少し仮眠しようか
そう悩んでいると、突然
「着きましたよ、旦那」
と船頭が声を上げた。
慌てて男は目を覚まし立ち上がる。
そのまま荷物を持って船を降り、勘定をすませる。「まいどー」と言う船頭を尻目に、男は歩きだそうとしたが、ふとある疑問が頭に浮かんだ。
「そういえば……僕以外、客が全くいませんでしたが、いつもこんな具合なんですか?」
船頭は「う〜ん……」と腕を組む。
「確かに、いつもはもっと多いんだがね……、今夜は旦那くらいでしたね。」
「え、僕だけですか」
男は驚きの声を上げる。
しかし、船頭は頭を振って
「いや、少しまえに女性が一人乗ってましたね。」
「女性、ですか」
「はい。いやでもね、それがえらいべっぴんさんでねえ。黒い着物に、髪も結ってなくてこう言っちゃアレだけど、多少不気味だったが、化粧けのない綺麗な顔だ。いやぁ驚いたよ。」
「はあ……」
少々テンションの上がった船頭に圧倒されながら、男は曖昧な返事をした。
そして船頭に別れを告げると、男は宿さがしに向かった。
二
意外にもすんなりと宿は見つかった。しかもかなり大きい。
男は女中に案内された部屋に荷物を置く。
——ちょうどいい、このまま晩飯を済ませることにしよう。
そう思い男は女中に声をかけたのだが
「誠に申し訳ありません……、只今満室となっておりまして……。」
「満室、ですか……」
——参ったな、ここら辺の宿は個室でしか食べられない形になっているのに……
と男は頭を抱える。
それを見た女中は少し言いにくそうに、
「あの、相部屋でよろしければ御用意頂く事が出来ますが。」
それをきいて男は、良かったと安堵する。
先程はちょうどいい、と思ったのだが実際の所、長旅でとても腹が減っていたのだ。
「はい、それでお願いします。」
二つ返事で了承し、早速連れて行ってもらう。
障子の前でこちらです、と女中が示す。
「お食事の方は暫しお待ちください。」
丁寧な仕草で御礼をし、女中は去って行った。
ようやく、人心地のついた男は少し深呼吸をする。
——さて……、一体どんな人が居るのやら。
そう思いながら障子に手を掛け、「失礼します」と開けた。
するとそこには、
「おや、こんばんは。」
先程の女中以上に礼儀正しく頭を下げたのは、一人の、女性だった。
とても綺麗な、女性であった。
——う、わ……。
男は思わず、その場で固まってしまった。
その女性は、顔に微笑みを浮かべている。
とても美しい顔立ちに驚いてしまったが、しかし決して「絶世の」だとか、「百年に一度の」などと言うような美形さでは無い。顔だけで見れば、有名人に限られるが、これより美しい人は何人か見たことはある。
ただ、全く化粧けの無いところや、黒目がちな目、何も付けていないのにほんのりと紅い唇、黒地に血のような色の模様がある着物等が妖しげな雰囲気を纏っており、それがあってとても綺麗に感じる。
「?」
固まったままの男を、その女性は怪訝な表情で、
「どうされました?
そこに突っ立っていても何も始まりませんでしょう。
どうぞ、お座りください。」
と、静かに促した。
「あ……あぁ、失敬。」
はっと我に返った男は、慌てて机をはさんだ女性の向かい側に座る。
少々戸惑っている男とは違って、女性は相変わらず微笑みを浮かべていた。
人形のような笑み、だった。
三
——二十代前半かな……いや、十代にも見えるな……。
女性は改めて、恭しく礼をする。
「はじめまして。旅の方ですか?」
そしてにこやかに質問をした。
まだ若干、緊張の色がとれない男は「ええ、まあ」と返した。
「そんな所ですね。時々一人で旅をしています、其田|正茂と申します。」
女性は「ほう」と、興味ありげに相槌をうつ。
「奇遇ですね。私も旅人の身なんですよ。
独り身、でもあります。」
男は「え?」と怪訝な顔で見ると女性は「ふふふ」と袖で口を隠しながら笑った。
——あ、この人、意外と親しみやすいな。
男もつられてクスリと笑う。
「で、お名前は?」
「いえ、名乗る程の者じゃないですよ……」
何気なく訊いたつもりであったが、笑顔ではあるけれど謎の威圧感に男は思わず口をつむぐ。
すると女性は、
「あ、そうだ」
と言って、手を叩いた。
「こうして会えたのも何かの縁です。
少し、お話ししませか?」
「ええ、いいですよ。」
そしてふと、男は先程の夜景を思い出す。
「そういえば、船からの光景見ましたか?」
「はい、もちろんです。ちょっと感動しました。」
「凄いですよね。町に入る前からじゃ、予想もつかない光景ですよね。」
しかし、それをきいた女性は首を傾げている。
「? いやですから、入る前はそんな映えるような光景じゃなかったので……」
途端、「あ」と女性が声を上げた。
「……すみません、白河夜船でした。」
しゅんとした様子を見て、男は声を上げて笑う。
「そういう事ですか。
いえいえ、僕も寝かけましたもの。」
——……ん?
すると男はある事に気づいた。
「あの、もしかして、他の客が全くいなかったりしませんでしたか?」
「はい。そうですが、よく分かりましたね。」
「あ、実は僕もその船に乗ってきました。多分同じ船です。」
それをきいて女性は「なんと」と、驚いている様ないない様な顔をする。
「や、これもまた縁、でしょうか。」
「ははは。そうかも知れません。」
そういう風に、他愛のない雑談で二人盛り上がっていると、意外にも早く御膳が運ばれてきた。
美味しそう、と言うだけでなく色使いや配置、細部に至るまで拘られており、眺めるだけでも楽しくなる。
しかし、大いに腹の減っていた男は「眺めるだけじゃあ満足出来ない」といった様子で早速、食べ始める。
「…………。」
中々の食いっぷりに女性は苦笑いをした。
「味わって下さいね。それに、あまりがっつき過ぎると喉につまりますよ。」
大き目の沢庵を口に運ぼうとした男は、慌てて箸を止める。
「失礼……。腹ぺこでして。
いや、しかし美味しいですなぁ。」
「そうですねぇ、本当に美味しい。」
「あ、でも……」
男は気恥しそうに顬を掻く。
「腹が減っていた、っていうのもありますね……。」
「ふふ。『空腹は最高のソース』ですか。」
女性は面白そうにくすくすと笑う。
「なんです?それ。」
頭に疑問符の浮かぶ男を見て、女性は人差し指をたてた。
「ヨーロッパの国々でみられる諺です。
ソースは洋食におけるなくてはならない調味料ですが、空腹であることこそ、どんなソースにも及ばない調味料と言える、と言う事です。かの哲人ソクラテスも、『最上のソースは空腹である』、といい、セルバンテスの小説『ドンキホーテ』にも『この世に空腹ほど、すぐれたソースはない』と書かれています。
まぁ、言うなれば『すき腹にまずいものなし』と同じ意味ですね。」
と、一切なにも見ずにの知識を滔々と語り終えると、「あ、でもこれは和食でしたね」と呟きながら箸を進める。
「は、博識ですね……。」
半ば圧倒されながら、男は相槌を打つ。
一方、女性は全く自慢げもなく、
「いやいや、ただ無駄な知識を持ってるだけですよ。」
と、笑う。
男は、
「そんな事ないと思いますけどねえ。」
と言って飲み物をついだ。
二人とも半分以上御膳を食べ切っていた。
男はふぅと息をついて酒を飲んでいる。
——この人の話、もう少しききたいな……。
そう思い、今度は別の話題をふる。
「そういえば、旅人なんですよね?
旅をしている最中に何か、面白いこととか、興味深い事ってありましたか?」
女性は箸を進めながら「そうですね……」と呟く。
「そうだ。かなり疑問に思ったこと、ならありますが。」
それをきいた男は、少し前のめりになる。
「疑問に思ったこと、ですか。」
「ええ、ただただ蘊蓄と推理を語る事になりますが、宜しいですか?」
男の顔がぱぁっと明るくなる。
「是非……!」
女性は「それでは」、と言って箸を置き語りはじめた。
これは、私が最近。ごく最近に体験した話しですね。
ある日、私は上野と言う所へ行ったんですね。その日は天気こそ悪くはなかったものの、薄霧が立ち込めていました。
私は、とある神社に御参りをしに向かったんですね。色々と多忙だったもので行ったのは夜中でした。灯りも持ってましたし、夜は慣れっこなので平気でしたが、時間も時間なのでその神社と参道は人っ子一人いませんでした。幸い、灯りが少し灯ってはいましたけどね。
問題はここからです。
まぁ、私は一人歩いて神社の敷地に入ったところです。
なんと、人を見ました。
女性です。
厳密に言うとすれ違いました。
こんな時間に人に会うこと自体変です。しかし、時間を差し引いたとしてもこれは大いに奇っ怪でした。
その女性は、白装束姿でした。
最初は顔を下に向けて歩いていたんですが、私に気付くなり、とても驚いた表情をして急いで走り去って行きました。
……その後、私は無事御参りを済ませましたよ。
ふふふ。私としては、とても興味深い事に出会った感じですねぇ。
語り終えた女性は、酒ではなく水を飲んで一服した。訊けば、酒を飲まない主義らしい。
男は目を見開いたまま、たっぷり五秒ほど固まったあと、
「まま、待って下さい。
上野って……僕の出身地ですよ。」
「まあ。これはこれは……」
しかし、女性はそれに対して、ただ怪しげに笑うだけだった。
「と言うより……、なかなか変な体験談ですね……」
そう、男は続けて
「一体、どういう話しなんですか?
何か知ってる様な、様子ですが……」
女性はそれをきくと、茶目っ気のある笑みを浮かべて、
「おや、ばれましたか。
はい、検討は立っております。しかし……、如何せん私も全て分かっている訳ではないのです。」
そう、残念そうに腕を組む。
「なので、その部分の推理と少しの蘊蓄を語ろうと思うのですが。」
宜しいですかね?、と苦笑いをする女性を見て、男性は目を輝かせる。
「は、はい!
では、早速……!」
しかし女性は男を人差し指で制して、
「その前に……」
「な、なにか?」
男は怪訝な顔で見つめる。
女性は人差し指を引っ込めて、微笑んだ。
「御膳を全部、食べましょうか。」
四
言われた通りに御膳を平らげた。
話に夢中で気付いていなかったが、語っているときも箸を進めでいた女性は、既に食べ終えていた。
「ご馳走様……」
と言って、男は箸を置く。
「では、推理混じりの蘊蓄と行きましょうか。」
それをきいて男は「はい」と明るく言って、姿勢を正した。
「まず、最初に『女性は一体全体何をしていたのか』ですね。」
どう思われます?、と訊かれ男は首を傾げる。
「いえ……、さっぱり。」
「よく思い出して見てください、
神社に、白装束……、しかもあの時間は午前二時ごろ。
……丑の刻ですよ?」
男は、はっと目を見張る。
「『丑の刻参り』……?」
「はい。正解です。
ちなみに、うしのときまいり、とも言うそうです。」
しかし、いまいちぴんと来ない男は、
「いやぁ、僕もあまり知りませんね。
藁人形を使って呪う、ぐらいしか……。」
「いえ、概ねそれで差し支えありません。」
そう言って女性は続ける。
「丑の刻参り……、うしのときもうで、うしまいり、等など。
これは、簡単に説明すると、嫉妬深い女が妬ましい、または恨んでいる人を呪い殺す為に、牛の刻、先程も言いましたが今の午前二時頃に、神社に参詣する事をさします。
えー、この場合、頭上に五徳をのせて、蝋燭を灯し、手には五寸釘?まぁ、釘と金槌とを携え、胸に鏡を吊るし、呪う人を模した藁人形を御神木に打ち付けます。そうして、七日目の満願の日には死ぬと信じられたものです。
一見、訳の分からない事をしている様に見えますよね?」
「ええ、まぁ……。」
「はい、これはですね呪術的なものが絡んでいます。」
ここで男は「ああ」と納得のいった様な表情をする。
「確かに『呪い』ですもんね。」
「そうです。まぁ『呪い』と『呪術』は別物ともきいた事がありますが、詳しくは知らないのでそれはいいとして。
こういうものは『魘魅』とも呼ばれます。」
「えんみ……?」
男は首を傾げる。
「はい。妖術で人を呪う事をさします。
このことについては悪霊に頼むなど、あまり知りませんが……
とにかく、其田さん。」
突然名前を呼ばれ、男はびくっとする。
「あ、はいっ」
「『橋姫』というのを御存知で?」
男は何のことかさっぱり分からず、ただぼけっとするだけであった。
「い、いいえ」
「そうですね……。橋姫というのは『丑の刻参りといえば橋姫』とでも思って下さい。あ、決して橋姫一択という訳ではありませんよ?とにかくそれはですね。
橋姫は相手を呪い殺す為、貴船の神社で丑の刻参りを行ったんですね。『長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱をさし、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて……』。ちなみに、橋姫は能面のうち鬼面の一種でもあります。」
女性は水を飲んで唇を湿らせ、
「では、最初に戻りましょう。
丑の刻参りや、呪いに関して有名なのはもっぱら『藁人形』ですよね?」
「はい、よくききますね……」
「何故、藁人形なのでしょう。」
虚をつかれたような気分になり、男は一瞬固まる。しかし、
——あれ、これはきいたことがあるぞ……
「確か……、『身代わり』だとか。」
「はい。その通りですね。
実際、呪術なんかで扱われる藁人形などは、『人形』、『偶人』と呼ばれています。」
「ぐうじん……。」
「其田さんの言った通り、これは身代わりとして使われ、本人に憑いている邪気なんかを人形に宿らせ、燃やしたり川に流したりします。
丑の刻参りでも、藁人形を相手に見立てて釘で刺していますしね。」
男は頷きながら「なるほど」と言う。
「相手に見立てるということは……、呪術ではよく使用されるんですか?」
「いえ、違う場合も大いにありますよ。有名なものとしては動物を使用したものもあります。」
「動物を……?!」
「はい。犬を使用した呪術である『犬神』、猫を使用した『猫鬼』などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である代表的な術式があります。」
女性は「きいた事があるかもしれませんが」、と続ける。
「それが、『蠱毒』というものです。」
「きいたことないですね……。」
「まぁ、蠱毒が広く用いられていたのは古代中国ですからね。」
男はほぅん、といった風に、
「古代中国か……」
と、呟く。
「ええ、どういうものかというと、先程言った通り動物を使います。まぁ、動物というよりは、虫です。
蛇、蜈蚣、ゲジ、蛙、などの百虫を同じ容器に入れ、共喰いをさせます。そして最後に勝ち残った者の毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、富を得たりします。
しかも、蠱毒はですね……、日本にもあったんですよ。」
「え、日本に……?!は縦中横]」
「ええ。実例もあります。
そもそも、蠱毒は中国の法令で、これを使用し、人を殺した場合は未遂でも、教唆した場合でも、死刑にあたるそうなんです。『唐律疏議』巻十八では絞首刑、『大明律』巻十九、『大清律令』巻三十では斬首刑とされています。
日本では、なんと先程話した、魘魅と並んで『蠱毒魘魅』として恐れられておりまして、『養老律令』の中の『賊盗律』に記載がある様に、厳しく禁止されていました。実際に処罰された例もあります。七六九年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪により、流罪となったこと。七七二年に井上内親王が蠱毒の罪によって廃されたことなどが『続日本紀』に記されています。
中々厳しい罰ですが、『人を呪わば穴二つ』とも言いますからねぇ。」
と、女性はしみじみとした顔で水を飲む。
「おお、上手いですね。」
男はその言葉に相槌を打つ。
それに女性は苦笑いをして、
「いえ、そんなことはないですよ。」
と若干照れた様に言う。
「まぁ、妖怪変化に近い様な話しですのでね、知らない人は沢山います。」
「妖怪変化か……。
狐とかですか?僕もその分野の知識を持っていませんでして。」
女性は「狐ですか」と呟いて笑みを浮かべる。
「狐といえば、九尾狐狸である『玉藻前』の『殺生石』が有名ですねぇ……。」
これもまた独り言の様に喋る。
——妖怪かぁ……。
男はそう思い、声を上げた。
「あ、化け猫とかですよね。」
「化け猫ですか。」
腕を組んだ女性は「そうですね」と語りだす。
「鍋島藩の化け猫。長生きすると尻尾が二股に割れて妖怪化するという、猫又伝説……。
他にも、富永莘陽『尾張霊異記』には、商家の主人が夜中に踊る猫たちを目撃する話が載っています。踊り猫の逸話は他にも幾つかありますよ。」
「へ〜。猫って怖く描かれたり、面白く描かれたりと、結局人気があるのやら無いのやら。」
「私は好きですけどねぇ……。」
水を飲んだ女性は「そうだ」と言って、
「他にも妖怪だとかは、知っていますか?」
「そうですね……。」
男はそう言って眉間に皺を寄せ、考え込む。 ひとしきり悩んで、
「人魚ですかね。
確か……、やおびくな?だとか。」
女性は「おお」と声を上げる。
「八百比丘尼ですか?」
「あ、それです!」
「この伝説については有名なんですが、その他の話と混在していたりと、あまり分からないのです……。
まぁ、簡単な話としては、八百比丘尼は少女の時に誤って人魚の肉を口にしてしまったことから不老不死になってしまい、家族全員に先立たれ、出家したそうです。他にも顔は若いけれど、総白髪だったや、椿の花が大好きで、いつも白椿を携えていた、という説があります。
とにかく、人魚の肉を食すと不老不死になるという話が有名ですね。
また、不老不死という言葉などは様々な話に登場しますよね。有名なものでは『竹取物語』でしょうか。」
と、ひとしきり述べ立てる。
「不老不死かぁ、いいですね。」
「私は嫌ですねぇ、『死ねない』なんて。
ただの地獄です。」
ため息をつく女性に対して「そうですか?」と言って男は酒をつぐ。
「あ、そうだ。
霊媒とかはどうでしょう。」
男の問いに女性は腕を組む。
「霊媒だと、自動書記をしたりなどする巫女、イタコが有名ですね。
霊魂の意を伝える口寄せなど、神霊を寄せる神口、生霊を寄せる生口、死霊は死口、とかですかね。」
「あの、すみません。」
男は手を挙げて話を遮る。女性は「はい?」と言った。
「その、自動書記ってなんですか?」
首を傾けた女性は「これは、失礼」と言い、
「自動書記というのは、簡単に言えば死者などの意識を書き取ることにより、意志を伝える行為ですね。
自動書記で有名な霊媒といえば、これは海外の話になるのですが、レオノーラ・パイパー夫人でしょうか。長期にわたって批判的な立場から彼女を観察し続けた心理学者兼哲学者のウィリアム・ジェイムズは、結果的に『彼女の能力を認めざるを得なかった』と述べています。他にも夫人を研究していたリチャード・ホジソンは『自分が死んだらパイパー夫人を介して現れる』と言っており、実際、彼の死後一週間後に、夫人は彼の意を自動書記によって伝え始めたといわれています。」
ここで女性はふう、と息をつく。
男はただ感心したり驚いたりするばかりであった。
「さっきから、凄いですね……。その分野の専門家か何かですか?」
「いえいえ。ただの蒐集家の様なものです……。」
「?」
ぽかんとした男を尻目に女性は、
「それでは」
と軽く手を叩く。
「本題に入りましょう。」
五
男は再度首を傾げた。
「本題?」
女性は頷いて、人差し指を立てる。
「最初の話に戻りましょう。
女性は丑の刻参りをしましたね。」
男は問に声なく頷く。
女性は人差し指を立てたまま、
「……では誰を呪い殺そうとしたのでしょう。」
「え、えーと。それは……。」
男は一瞬固まったがすぐに考えだす。
「んー、……分かりませんね。」
女性は「そうですよね」と言って、
「では、細かい部分から整理しましょう。
まず、あの女性は何故、私を見てあんなに驚いたのか。」
そう言って女性は「あ、私の見た目が不気味というのは除外しますよ?」と笑う。
「え?そりゃあ、午前二時なんかに神社で人とすれ違ったら誰しも驚くでしょう。」
しかし女性は男の答に、頭を振った。
「実は違うんですよ。
あの時の反応はそういった驚き方ではありませんでした。」
「どういうことです。」
「私は、その女性と知り合いなのです。」
「ええ?!そうなんですか。じゃあなんで最初に言わないのです。」
女性はただ、失礼と言うだけであった。
「そもそも、私はこの話の舞台、上野に長期間滞在していたのです。御参りに行ったのは皆さんにお別れを言った後でした。
その女性は、滞在中に知り合った人達のうちの一人です。」
それをきいた男はため息をついて、
「……そういう事だったんですね。」
「すみません。最初に言ったら少々つまらなくなると思って。」
女性は少し息を吐いて、
「その女性は私によく相談をして下さりました……。
なにせ、心労の重い人でして。」
「そうなんですか。」
——意外と奥が深いな。
そう男は呑気なことを思いながら酒を継ぎ足す。
「心労というのは、何によって?」
「人間関係についてですよ……。
愛人とのことに悩んでいました。」
「へぇ……。」
男は盃に手を伸ばす。
すると、途端に
「…………。」
——……!
女性の浮かべていた笑みが纏っている雰囲気が、変わった様に感じられた。
男は思わず身じろぎをする。
これまでの綺麗な笑みとは何ら変化ない。しかし、何故か理由もなく感じるものがあった。
——不気味……?
男は今流れている空気をかき消そうとする様に慌てて質問をする。
「あ、あの内容はどういったものなのか、教えてくれませんか?」
「……分かりました。」
気付けば、女性はいつもの雰囲気に戻っていた。
その様子を見て、男は少し安堵する。
——多分、話し難い中身なのだろうな。特に、愛人に関わるとなると重いものがある。
しかし、男の予想に反して女性はさらさらと語りだした。
まず、彼女が交際を始めたのが、およそ二年前だそうです。御相手は数年前から交流のある好青年。お互いに二十代と歳も近く、関係はとても良好、……と、思っていました。
しかし、相手の方は時々ふらっと何処かに行かれては、暫く帰って来ないのだそうです。交際前からそんな御人であったそうですが、回数も期間も増えるばかり、長い日は半月も帰って来なかったり。あまつさえ、出掛ける際は何も言わず、ただただ、荷物が無いだけとのこと。
この事について話をしようとすれば、誤魔化されるそうで。
しかし、彼女は我慢することにしました。別に結婚をしている訳ではないので大丈夫だろうと……。
ここまではまだまだ我慢出来ます。彼女もそう思っていました。
ですが、そうはいかなくなってきます。
ある日、いつもの様に相手の方が帰って来ました。彼女は喜んで出迎えます。
すると相手の方は、「金を貸してくれないか」
と、突然言ってきました。
元々、裕福でもない家、そこまでの余裕は実際そんなに無かったそうです。最初のうちは彼女も悩んでいたそうですが、相手の方の困った顔を見た彼女は断ることが出来なかったそうです。
そこからは、繰り返しです。
相手の方が出掛ける、幾日して帰って来て金を受け取りまた居なくなる。しかも、要求してくる金額は決して安くない。そして彼女はこれまで以上に一生懸命仕事に励んだそうです。身を粉にして……。
ですが、金は減っていく一方、遂に彼女は借金をします。
「最愛の人のため」そう思いながら日々、頑張っていたそうです。『恋は盲目』とはこの事ですね……。
そんな日が続いていたある日、彼女はある事に気付いたのです。
腹部への多少の違和感、ずむずむするお腹……。
実は、子を孕んでいたのです。
当然、彼女は歓喜します。
一番にその事を相手の方に伝えますが、喜んではくれませんでした。しかも、鬱陶しがる次第。
思いもよらないことです。彼女は酷く落胆しました。
けれど、彼女は決意します。必ず育てると。
そしてその後も変わらずの生活わ続けます。
「大丈夫、上手くいく」と自分に言い聞かせながら……。
産まれてくる子供のためにも、金を稼ごうと仕事に邁進します。
無理の出来ない体に鞭を打ち、必死に、ひたすら努力をしました。
しかし、日に日に大きくなっていくお腹、そのため仕事も段々と出来なくなつてきます。
そのような状態でも借金は膨れ、相手の方からも、「次は絶対返す」と言って金をせがまれる。他に頼る人もいないため、無理をしてまでも金を稼ごうと、仕事を続けました。
……そう、無理をしてまでも。
そしてある日、不幸は訪れます。
きっと、無理をし過ぎたのが影響したのでしょうね……。
彼女はお腹の子を、未熟なまま、流産してしまいました。
旦那さんと子供、三人で暮らすという彼女の幸せな夢は、無情にもとうとう散ってしまったのです。
その後、彼女は泣きながら自分の子を庭に埋葬したそうです。
この事について相手の方にも相談します。しかし、彼はまともに向き合ってくれませんでした。
もう彼女はどうしたらいいのか分からなくなくなります。
増え続ける借金、壊れた夢、そして交際相手……。
おそらく、心を病む程だったんでしょう。一目見ただけでも大変さが伝わってきました。旅人である私に縋る程でしたのでね……。
ですが予想外でした。まさか呪おうとする程怨んでいたとは。
まぁ、無理もありませんが……。
全て語り終えた女性は、水で口を潤した。
そういえば女性は最初から一切酒を口にしていない。
「おそらく、丑の刻参りの手順は相談の際、私との雑談中にぽろっと言ってしまったことを憶えていたんでしょうね。」
かなり重い話となってしまったことに、男はただ戸惑う。
「なんと、そんなことが。」
すると女性は手に持っていた水の入っている盃を、ことっ、と置いて、
「さて、本題であった『女性は誰を呪ったのか』ですが、
もうわかりましたね?」
「交際、相手?」
女性は「はい」と頷いた。
「正解ですね。」
それをきいて男は深く息をつく。
そして感心した様子で、
「あの話、まさかそういう事だったんですね。」
と、腕を組む。
次いでにもう殆ど残っていない酒を盃に継いで、喉に流し込む。
「多少、重い話ではありましたが、意外と奥が深いですね。
ただただ僕は驚くばかりで———」
突然、そのまま続けようとした男は言葉を切った。
その理由は、
——……あ
女性が先程の顔、あの不気味な笑みを浮かべていたのだ。
「……。」
男は戸惑っている。何か声をかけようとするが、喉に張り付いて出てこない。
すると女性の口がゆっくりと開いた。
「余談かもしれませんが……」
声色は変わっていない、だがなにかを感じる。
「なんでしょう、か。」
掠れた声だけが出る。
「彼女の愛人なのですが……、
名前を、
其田正茂。
というそうですよ。」
——…………。
「………………へ、」
思いもよらない言葉に、男は酷く動揺する。
そんなはずは無い……、だって其田正茂って、僕の名前じゃあないか。
冷や汗が一粒落ちてくる。
そんな男を気にもしないように、女性は段々と前のめりになる。
「……え、なん」
——違うちがう、……そんなはずじゃ
体がこわばり動けなく、くぐもって声も出にくい。
前のめりに近づいてきた女性の片手が、顔に向かって伸びてくる。
「心当たりが、おありでは……?」
そう言って女性は、そのまま伸ばしてきた手で、立てた人差し指の先で、
とんっ
と、男の眉間を軽く弾いた。
「は……」
刹那、男の視界が遠ざかって行く様に暗転する。
「……。」
何も出来ないまま、周りは一気に暗闇に覆われた。
六
——…………? あれ、
気がつくと男は、真っ暗な中にいた。
——な、何が起きて……
どこを見渡しても、暗闇しかない。
目を凝らしたり、擦ったりしてみるが、何も見えなかった。
しかし、自分の体は見える。手なども問題なく動いた。
ただ、声が出ない。
全く意味が分からないまま、男はわけもなく歩き出す。
地面の感触がない。進んでいるのかどうかも分からなかった。
だが、不思議と恐怖は無い。
男は只管歩いていると、
——……? なんだ、あれ
遠くに小さな一つの青白い光が見えた。
それに向かって歩く。
意外にも早く、光はすぐそこまで来ていた。実際はかなり近かったのかもしれない。
——火の玉とかじゃないだろうな……。
そう思って、光をまじまじと見る。
ぼやっとしていて、払ったら消えてしまいそうな光だ。
すると、光の中にある情景が現れ始める。
徐々に光と景色は大きくなり、男の視界を埋め尽くす程となった。
頼む、頼むよ……
途端にある男性の声が聞こえてきた。
その声は少しづつ大きくなり、はっきりと聞こえるようになる。
お願いだ……、次は絶対に返すから
男はこの声に聞き覚えがあった。
二十代男性の若々しい声。
——僕だ……。
驚いた男は後ずさりをする。
景色は相変わらず再生され続けていた。
本当に、絶対返すからさ
で、でも……
話している相手は女性だった。こちらにも憶えがある。
——……あ。
男が何度も金を借りた相手。愛人だ。
——そうか、これは……
男はようやく、自分が何を見ているのかを理解した。
これは、あの時の日々だ。
……わ、分かった。何とかするから
返事をきいた男は喜んで、また家を出て行った。
一人残された女性は近くの柱に手をつく。
大丈夫、大丈夫……、このまま頑張れば
泣いていた。
女性はそのまま、自分の大きくなったお腹を摩りながら続ける。
大丈夫だからね。辛いのは今だけ……。今頑張れば、大丈夫。近いうちに、三人で……、三人で暮らせるようになるからね……。
啜り泣く女性は仕切りに大丈夫、と繰り返していた。
何ともいえない感情になり、男はその場に棒立ちする。
——な、なんだよ、これ……。もしかして、夢?
途端、見ていた映像が白いもやに包まれる様にぼやけていく。
みるみるそれは別の光景に変わっていった。
映像が鮮明になっていくにつれて、段々と暗くなっていく。
やがて、完全に切り替わった。
——……?
雨が降っていた。周りは暗いためおそらく夜頃だろう。
雨粒のたてる騒がしい音の中、一人だけぽつんと立っている女性がいた。
男にはそれが誰なのか一瞬で分かった。
よく見ると女性は雨のなか、傘もささずに何かをしていた。
ざっ…… ざっ……
音が聞こえる。それは不規則になったりやんだりした。
ざっ…… ざっ……
男は今一度、注意深く見てみる。
——……え
そしてようやく女性が何をしているのかがわかった。
ざっ…… ざっ……
女性は、穴を掘っていた。
そしてある程度掘り終えると女性は、なにか入っている袋を取り出す。
——あ、れは……
先程とは違い、男は直ぐに袋の中身がなんなのかを理解した。
女性はゆっくりと、優しく、それを穴の中に入れる。
よく見れば、またしても泣いていた。雨にも負けない程、大粒の涙が出ている。
他にもなにか喋っていた。
容易に聞き取れた。
ごめんね……、ごめんね……。
もっと、ちゃんとしてれば……。
女性は頻りに謝っていた。泣きながら、殆ど嗚咽にしか聞こえない謝罪を繰り返す。
ごめんね…… ごめんね……
それは袋の中身、我が子への、謝罪だった。
——こ、子供
込み上げる嫌悪感に耐えられなくなった男は、目を背けようとする。たが出来ない。
気づくといつの間にか映像は変わっており、場面は家の中だった。
がらら、と玄関の戸が開く。
——あ、僕だ……
帰って来た自分の前には、女性が俯いて立っていた。
ずぶ濡れのまま。
そして女性は子供について説明した。
ゆっくりと顔をあげるその顔は、泣いてはいなかったが、酷く哀しそうだった。
……なんとも、思わないの?
何がだ
子供が、自分の子供が死んだのよ……
なにも、なにも思わないの……
……ああ
第一に、そこまで考えて無かったし、それに産んだのはお前だろ?
そう言って男は女性に見向きもすることなく、家の奥に入って行った。
取り残された女性は、その場に崩れ落ちる。
どうして…… なんで……
その後は、女性の咽び泣く声が、ただただ響いていった。
——な、なんだよ……、これ
とうとう耐えきれなくなった男は、後ずさりをする。
強ばって動かなくなった足を、無理矢理動かす様に。
——い、意味が分からない……。なんだよ、なんなんだよッ……
ずりずりと足を動かす。
すると、突然
——……え?
体が一気に浮かび上がる様な感覚に襲われる。
あの青白い光がどんどん遠ざかっていく。
そして男は自分が落下していることを悟った。
気づくと、男は仰向けに寝転んでいた。
一体何が起こったのか、体の痛みは一切無かった。
——ここは……?
ゆっくりと体を起こし、辺りを見渡す。
男は神社にいた。あの話に出てきた神社だと、何故か分かった。
そのまま立ち上がる。すると、
かぁん かぁん
どこからともなく、何らかの音が聞こえてきた。
とても冷たい音。
——な、なんの……
男が戸惑っていると今度は、また別の音が聞こえた。
最初の音よりずっと聞こえる。なぜなら、すぐ近くからきこえた。
びくっと男が体を震わせる。
かん高く掠れたような、
なき声だ。
——あ、赤ん坊?
確かにそのなき声は赤ん坊の声に聞こえる。しかし、赤子というにはあまりにも不気味ななき声である。
恐る恐る男は声のもとに近づく。
——……!
暗くてよく見えないが、いた。シルエットでしか見えないが確かに赤子ほどの大きさであり、なき声もそこから聞こえる。
男は唾を飲み込む。いやな汗が噴き出し、口も喉もからからでひりついている。
徐々に近づいていく。もう少しではっきり見えるようになりそうだ。
鼓動が速くなり、息もつまる。
既にそう距離はない。あと一歩近づけば完全に見えるようになる。
——……。
あと少し。あと少しでみえる。
すると突然
目の前が真っ赤に染まった。
男が驚く間もないまま、視界はもとに戻る。
——あ、あれ?
先程まであったシルエットが、
消えている。
しかし、あの掠れたなき声はまだ聞こえている。
いやむしろ近づいていた。
すぐそばで聞こえる。
頭の中に響いてるかのようだ。
途端、男は自分の手に何か感触があることに気づいた。それは冷たく何やらぬるっとしている。
男は恐怖で動かない首を、まるで錆びたブリキのようにぎくしゃくと下に向ける。
鼓動が更に上がる。口の中が冷たい。
ゆっくりと自分の持っているものに目を向ける。
それは、
血塗れの肉塊だった。
いや、正確には赤子だ。未熟な、血に染まった。
自分の子供になるはずだったものを、抱いていた。
掠れた声で泣き続けている。
——……!!
男は声にならない悲鳴をあげ、それを投げ捨てる。
嫌な音を立てながら、それは視界から転がり消える。
パニック寸前になり、神社から逃げ出そうと走るが足に力が入らない。
ここで、ある違和感に気づいた。
——音が……
さっきまでなっていたあの冷たい音がやんでいたのだ。
急に静かとなり、自分の上がりきった心拍音が聞こえる。
静寂の中、男が周りを見渡すと
足音が聞こえた。
その方向へ目をやると、一人の女性が立っていた。
その女性は、白装束姿だった。
——丑の刻参り……。
先程の音は、金槌で釘を打つ音だったのだ。
女性は俯いたまま、ゆっくりと歩いてくる。
男の足はやはり動かない。
すると、女性の口が開いた。何を言っているのか聞こえない。
しかし、頭に直接流れてきた。
どうして……
同時に、彼女の感情も流れてくる。
悲しみ、苦痛、嘆き、我慢、怒り、恨み。
男の呼吸があがる。だらだらと冷や汗がたれてきた。
すると女性が顔をあげた。
はっきりと見えるその顔は、涙で濡れそして、気色ばんでいた。
どうして
そう女性が叫んだ刹那、まるで決壊したかのように声が、感情が頭に押し寄せてきた。
激しく混乱した男は、苦痛の表情を浮かべた。
耐えきれないかのように耳を塞ぐ。しかし、それも無意味に頭の中へ溢れ出してくる。
——……僕は、なんて事を……!!
とうとう思考もめちゃくちゃになってきた男は、意識を失いそうになった。
「——う、」
突然、男は絶叫しながら目を覚ます。
汗と涙で顔をびしょびしょにして。
——……?
気付けば周りは神社ではなく、元いた宿であった。
先程の白装束の女性は既に消えており、目の前には、あの女性が立っていた。
黒い着物に、血のように赤く咲いた模様。
さっきまでは座っていたため分からなかったが、男は今その模様がなんなのか、気づいた。どうでもいいかもしれないが、今は酷く関係があるように感じる。
——曼珠沙華……。
俗に言う、彼岸花。別称、死人花。
見れば、ずっとあった笑みが消えていた。
今はただただ、女性の冷たい瞳が男を見下ろしていた。
「ようやく理解した様ですね。
彼女の御気持ち……。」
口調も声色も変わっていない。
「部外者である故、烏滸がましいかもしれませんが、ここまでしないと気付けなかったみたいですね。」
「あ、貴方は……、一体、な何者ですか……。」
「私はただの旅人です。少々、特殊な。」
女性は非常に落ち着いた声で言った。
そしてそのまま続ける。
「其田さん。知っての通り、あの話の元兇は貴方です。
貴方の自己中心的、身勝手な振る舞いで、彼女は大きな苦痛に苛まれました。
そして、ある小さな命も、消えました。」
男の顔が更に青くなっていく。
「あ、……う、う」
「ちなみに、彼女はその後のある朝、どうしても布団から出られなくなったと言っていました。
……これは、鬱病になってしまった証拠です。そのせいで仕事を辞めざるを得なくなります。一方、借金は増すばかり。
苦しみは今も続いています。」
そう言って女性は「私が仕送りをしているので、生活はなんとか出来ているようですが。」
と、付け足す。
心做しか、男には部屋の空気がびりびりと厳しく感じられた。
目の前の女性を中心に謎の雰囲気が部屋を満たしている。
「それなのに、貴方はただ遊び歩くばかり。剰、金を要求して。
呪われたとしても、何ら不思議ではありません……。」
「あ、うう……」
男は泣きながら呻いた。
後悔がじわじわと背中をよじ登っていく。
ごくりと、息を飲み込み
そして、女性の足元に両手をつく。
「……うう、……た」
耐えきれなくなり、両手の平を握る。
「たす、けて……」
男の口から嗚咽が漏れる。
恐怖や後悔が身体中に充満する。
頻りに、小さく「お願いします」と泣きながら懇願する男を見て、女性は言った。
「……見苦しいですよ。」
そして、
「これはあなたの重しです。」
と、低く告げた。
それをきいた男は、涙と皺でくしゃくしゃになった顔をあげた。
顔色は青を通り越して白くなり、両手の指の関節は強く握り過ぎて青くなっていた。
「……い、」
「貴方の御愛人は、三人で仲睦まじく幸せに暮らすことを希っていました。
少しも贅沢ではない当たり前のことです。
そして、その願いと幸せを求めることも……。
そんな小さき当たり前の思いを貴方は壊した。
今更申し訳なく思っても遅いのです。」
最後、女性は強く言い放った。
男は再度俯き、
「ごめんなさい……」
と繰り返す。
「謝るべき相手は、私ではありません。」
そう言って女性は踵を返し、静かに歩き出す。そのまま、障子の前に立ち手をかける。
男はまだ俯いたまま泣いていた。
「…………。」
女性は障子を開けようとした手を止める。
沈黙の中、男の謝罪と泣き声が響く。
そし女性は、て障子の方向を向いたまま口を開いた。
「…………念の為に言っておきましょう。」
その声に、先程までの厳しさは無かった。
男は直ぐに顔をあげる。
「彼女が貴方のことを袖にしているのかは知りませんが、
後悔をしているのならば、直接彼女に謝罪をしに行ってください。そして、仕送りは私に替わって貴方がやり、借金を肩代わりするのです。」
男は、じっと女性の話をきいている。
「元々、思い込みでも効果のでる丑の刻参り。必ず発動するとは限りません。」
女性は頭だけ少しこちらに向ける。
顔は見えない。表情は分からないが、先程の雰囲気も、冷たさも、不思議と無いように感じられた。
「決めるのは貴方です。
なけなしの好機、それがあるだけでも御の字と思いなさい。」
「……!」
それをきいた男は、自分の中で気持ちが暖かくなったように感じた。
そして、今一度頭を下げた。
深く、深く、下げた。
「……はい、はいっ……
ありがとう……ありがとうございます…………。」
女性は障子に手を掛けて、ゆっくりと開く。
「……失礼します。」
そう言って部屋を出ていった。
「ありがとうございます……。ありがとうございます……。」
障子が閉まった後でも、男は、そう繰り返していた。
先程とは違った涙を、流しながら。
七
お金を払い終えた女性は宿をあとにした。
外に出ると、空は墨汁に染まったように真っ暗だった。
女性はその夜空に顔を向けて。
「はぁ……。」
と、息をはいた。
「……あれで、反省してくれると良いんですがね。」
そう呟いて、目を細める。
しかし、
——あれは、本物でしょう……。
後ろからでも伝わった、誠意。
純粋な後悔と罪悪感で育った、紛うことないあの誠意と感謝は……。
女性は微笑んで、また歩き出した。
船着場を探して歩き回る。
道は周りの建物のお陰で程よく明るかった。耳をすませば人々の楽しげな声がきこえる。
意外とあっさり船は見つかった。
女性は船頭に声を掛ける。
「おや、また会いましたね。お嬢ちゃん。」
「はい。またお願いします。」
そう言って微笑む。
他に客は来ず、そのまま船は漕ぎ出された。
目の前には幾時か前に見た光景が広がっていた。
提灯などの様々な灯りが天高くから、水面近くまで、いつ見ても、いつまで見ても飽きないような光景だ。
「……何度見ても、綺麗ですねぇ。」
女性はうっとりとした表情で言った。
それをきいた船頭は、にこやかに振り返って、
「この景色が気に入ったみたいだね。
今夜から大きな祭りがありますよ。川沿いに屋台なんかも出て、旗やら提灯なんかの灯りが増えて、この夜景がより一層綺麗になりますよ。
もう少しだけ、この街に滞在してみたらどうかな?」
女性は微笑んで、
「はい、そうします。」
と言った。
船頭は笑ってまた正面に向き直った。
——…………。
笑顔で息をついた女性は、目の前の夜景を眺めた。
提灯、
旗、
声、
色……、
様々な灯りが織り成すその光景は、まるで暖かく咲き誇る賑やかな花のようだ。
その美しく穏やかな夜景も、
夜空も、絶えることなく続いていた。
どこまでも、
どこまでも……。
最後までお読み頂きありがとうございました。
構想を練るというのは初めてでしたので、稚拙な文章となってしまいましたが、一先ず完成させることができホッとしています笑
これからも投稿していくつもりですので、応援の程宜しくお願い致します!